精霊の御子

神泉朱之介

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38話

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根威座ネイザ へ!?」
 競絽帆セロホ 王の声には、正気を疑う、というような響きがあった。
「はい、父上」
 李玲峰イレイネ は、出来るだけはっきりとした口調で言った。
 一語一語を砕くような口調で。
 揺るぎない意志を伝えられるように、と。
「王子、それは!」
 競絽帆セロホ 王の傍らに控えていた 藍絽野眞アイロノマ の宰相が気色ばんだ様子で思わず身を乗り出し、口を出しかけたのを王は目で制した。
 王はさらに手を挙げて、王子以外の者たちにその場から下がるように、と合図した。
 父と息子だけが、その場に残った。
李玲峰イレイネ、何故だね? 理由を言いなさい。
 そなたは神聖島 宇無土ウムド へとおもむき、那理恵渡玲ナリエドレ と会うことが叶ったのだな?」
「はい、父上」
「ふむ。それで? 那理恵渡玲ナリエドレ はそなたに何と申した?」
「何も」
「何も?」
「ただ、見せてくれました。宝剣 を」
「宝剣 !?」
「ええ。水の宝剣 です」
 競絽帆セロホ 王は驚きに目を見開いた。
 藍絽野眞アイロノマ の賢王と呼ばれ、ずっと九大陸連合の要としてその団結について腐心し続けてきた王は思いがけない息子の言葉に戸惑い、考え込む顔となった。
「そうか。しかし、そなたは 炎の御子 、炎の精霊の加護を受ける身だ。たとえ 水の宝剣 の在り処がわかったとしても、そなたでは 水の宝剣 を得ることは出来まい?」
「その通りです、父上。おれに 炎の宝剣 を耐えてくれた 炎の精霊王 も言いました。 水の精霊王、大地の精霊王 に 宝剣 を与えてくれるよう説得出来るのは、水の御子 と 大地の御子 だと。
 麗羅符露レイラフロ と 於呂禹オロウ がいなくてはだめなのです。
 那理恵渡玲ナリエドレ が見せてくれた、真実が隠されている幻影の中で、水の宝剣 抱いているのは 麗羅符露レイラフロ でした。
 麗羅符露レイラフロ は、どこかで生きています」
禹州真賀ウスマガ の姫か」
 うなるように、競絽帆セロホ 王はつぶやいた。
「はい。そして、父上。麗羅符露レイラフロ を探し出すことが出来れば、おれたちは 水の宝剣 を得ることが出来るんです」
 競絽帆セロホ 王はしばし黙り込み、それから声をひそめて、おもむろに尋ねた。
「しかし、それが、何の役に立つ、李玲峰イレイネ ?」
 李玲峰イレイネ は一瞬、父の言葉が信じられなかった。
「父上!?」
「いや、つまり、李玲峰イレイネ。今、何の役に立つか、ということなのだ。
 水の宝剣 は人に水の恵みを与えてくれる。そのことはわかっている。過去に一度だけ、  水の宝剣は九大陸にもたらされたことがある。その 水の御子 が存命中、九つの浮遊大陸では一度も飢饉に見舞われることはなかったという。平和の時には、それはとても素晴らしいことだろう。
 だが、今は、戦時なのだ、李玲峰イレイネ。人は 根威座ネイザ からの攻撃を防ぐのにせいいっぱいで、ろくに地を耕すことも出来ずにいる始末だ。たとえ 水の宝剣 があったとしても、それが何の役に立つだろうか。
 それよりも、李玲峰イレイネ、今はそなたの 炎の宝剣 こそ頼りなのだ。みながそなたに期待している。そなただけが 炎の宝剣 を使うことが出来る。失われた炎の精霊の恵みが封じ込められた、唯一無二の 宝剣 を。その 宝剣 だけが 根威座ネイザ の 永久の獄炎 の力に対抗することが出来る」
「父上!」
 李玲峰イレイネ は、しばし絶句して立ち尽くした。
 唇を噛みしめる。
 炎の宝剣 を握りしめて。
 違う、と思った。
 だが、なんと説明していいのかがわからない。
(それは、勿論、おれだって 根威座ネイザ を打ち破りたい、と思って  炎の宝剣 を望んだけれど。
 なんとか、根威座ネイザ の魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル をやっつけたくて。
 あのまま殺されてしまうのは嫌だった!)
 しかし、この 宝剣 は、 炎の宝剣 はそのためだけに在るのだろうか?
 ただ、根威座ネイザ の魔皇帝が使う 永久の獄炎 に対抗するためにだけ。
 炎の精霊王 は人のもとに、かつて人から奪われ、封印された炎の力をこの 宝剣 にこめて彼の手に返してくれたのだろうか?
 炎の精霊王 が彼に語ってくれた話は難しかったけれど、李玲峰イレイネ はその内容を不思議によく覚えていた。
「もし、そなたが本当にこの世界を救いたい、と思うのなら、わしの 炎の宝剣 だけでは駄目だ。
 世界は、炎だけで出来ているわけではない。風と炎、大地、水。全部が揃ってこそ、初めてこの世界は全き姿を取り戻す。
 水の精霊王、大地の精霊王 を説得せねばならない」
 世界を救う!
 そんなだいそれたことを考えているわけではないが、だが、彼は炎の精霊に愛され、その力を託された 炎の御子 だ。
 根威座ネイザ との戦い。
 それは、無限に続く消耗戦のようなものだ。
 敵はやっつけてもやっつけても、湧くように現れる。
 そして、於呂禹オロウ がいる。
 敵の先鋒には、必ず 於呂禹オロウ がいるのだ!
「父上。父上はいつかおっしゃいました。精霊を信じている、と。
 人は、精霊の力無しでは生きていけない。風と、炎と水と大地。そうしたものがあるから、初めて人は生きていけるのだ、と。
 だから、精霊の寵愛を受けた身であることを誇りにせよ、と。
 精霊の御子であることを」
李玲峰イレイネ
「では、麗羅符露レイラフロ と 於呂禹オロウ は?水、地の精霊の寵愛を受ける二人も、人にとってはかけがえのない希望であるはずなのに。
 於呂禹オロウ が以前、おれに教えてくれたことがあります。
 炎の御子、水の御子、大地の御子。 精霊の御子 が三人揃って生まれることはきわめて珍しい、と。
 おれらはたまたま、三人揃って生まれ合わせた。それなのに、この機会をみすみす見逃してしまうのでしょうか? 亜苦施渡瑠アクセドル 魔皇帝の策に嵌まった、炎の御子 であるおれが 大地の御子 である 於呂禹オロウ の命を絶って?
 そして、人にとっての希望を自ら殺してしまえ、と父上はそう、そうおっしゃるのですか?」
「世界の変容の伝説、か」
 競絽帆セロホ 王の老いた顔に苦しげな表情が現れた。
「しかし、あれは伝説に過ぎぬ」
「でも! 炎の精霊王 は見せてくれました。かつてこの世界にあったという豊かな世界。四大精霊たち惜しみなくその恵みを与えてくれた、人がこの世界を破滅させる前の世界です」
「だが!
 根威座ネイザ は危険だ。危険すぎる! もし、そなたが 根威座ネイザ で落命するようなことがあれば 炎の宝剣 も失われ、浮遊大陸に生きる民には希望が全く無くなってしまう。
 それを知っていて、その上で、 根威座ネイザ へ出向くというのか!!」
「はい、父上」
「他の者を派遣すれば良い。何かがわかるかもしれぬ、根威座ネイザ へと連れさらわれた二人の 精霊の御子 らについての消息が。そなたが行くことはなかろう?」
「いいえ、おれが行きます、父上」
 競絽帆セロホ 王は食い入るような視線で息子を見た。
 だが、 李玲峰イレイネ はひるまなかった。
 炎の御子 は、静かに熱く、言葉を続けた。
「行かせて下さい、父上。おれでなければ、於呂禹オロウ は救えません。同じ 精霊の御子 であるおれでなければ」
 競絽帆セロホ 王は、迷うように目を逸らした。
 そして、つぶやいた。
「まことに、そなたは 炎の御子 じゃな」
 しばらく思案してから、藍絽野眞アイロノマ の賢王は口調をあらためて、話し出した。
根威座ネイザ へと潜入すること自体は、叶わないことではない。根威座ネイザ の動向を探ろうと人を魔都 婁久世之亜ルクセノア に潜入させたことがある。もっとも、無事に帰ってきたものは少ないがな。
 魔都 婁久世之亜ルクセノア は魔皇帝 亜苦施渡瑠アクセドル の完璧な支配下にあって、神のごとく、婁久世之亜ルクセノア で起こるすべてのことを 亜苦施渡瑠アクセドル は知るのだという。真実であるかどうかはわからぬが。
 そなたは、亜苦施渡瑠アクセドル 魔皇帝、その人と対決せねばならなくなるかもしれぬ。
 それでも、行くのか、李玲峰イレイネ ?
 勝算はあるというのか?」
「おれに精霊の加護があるなら、行って、帰ってこれるはずです、父上」
 李玲峰イレイネ は答えた。
「真実を掴む必要があります。同じ 精霊の御子 である、大地の御子  於呂禹オロウ と正面切って戦う前に。今のままでは、おれの両手は縛られているも同然です」
李玲峰イレイネ
 競絽帆セロホ 王は、言い聞かせるように、もう一度、言った。
「大地の御子 のことは忘れるのだ。そなたの指名を思い出すが良い」
「出来ません」
 李玲峰イレイネ は首を横に振った。
「忘れることは出来ない。於呂禹オロウ は、おれのかけがえのない友人です。仲間です」
「そうか。それなら」
 競絽帆セロホ 王は玉座から立ち上がった。
 そのまま、李玲峰イレイネ が立つ場所まで降りてきて、息子の肩を抱き寄せた。
「行くがよい、 李玲峰イレイネ 」
「父上?」
 李玲峰イレイネ は当惑し、うろたえた。
 競絽帆セロホ 王は、ささやきかけた。
「だが、李玲峰イレイネ、忘れるな。そなたは、わしのただ一人の息子なのだ」
 言葉は穏やかだったが、彼を抱きしめるその腕の力強さが、老いた王の心を語っていた。
藍絽野眞アイロノマ の王たるこのわしが得ることが出来た息子は、お前ただ一人。 李玲峰イレイネ、そなたにとって、他の 精霊の御子 らがかけがえのないように、わしらにとってはそなたがかけがえのない者であることを忘れるな!
 そなたはわしらとは離れて育った。だが、わしと、そなたの母である妃の 李絽妻良イロメラ とは、その間、そなたのことはひとときなりとも心から離したことがない。
 この 藍絽野眞アイロノマ は、そなたの祖国だ。
 そなたは、この国の王となる。そのことを、忘れずにいられるか? 李玲峰イレイネ ?」
「父上」
 戸惑いつつも、父から伝わってくる熱い想いを受け止めて、李玲峰イレイネ はうなずいた。
「忘れません。
 必ず、戻ってまいります。必ず!」
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