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   第一章 公爵令息と政略結婚することになりました


 暖かな光が差し込む昼下がり、今日もいつものように、ぬいぐるみの製作に精を出す。
 私の名前は、ローラ・サスペンダル。伯爵令嬢でぬいぐるみ作家だ。
 小さい頃からぬいぐるみが大好きで、いつの間にか自分で作るようになっていた。
 そして私の作ったぬいぐるみたちを沢山の人が気に入ってくれ、今では三ヶ月先まで予約が埋まっているほど、人気のぬいぐるみ作家になった。
 そんな私には、五つ上の兄と、三つ上の姉がいる。姉は侯爵家に嫁ぎ、兄は伯爵家を継ぐため日々勉強している。二人とも既に結婚して子供もいるが、私はというと、正直結婚に興味がない。
 ぬいぐるみ作家として、ずっと一人で生きて行く予定だ。
 両親は私が結婚しないことについて最初はギャーギャー言っていたが、今は諦めているようで、もう何も言わない。
 一応まだ実家の伯爵家にお世話になってはいるが、お兄様が正式に爵位を継いだら、家を出る予定だ。
 本当は今すぐにでも実行したいのだが、さすがに家を出ることまでは、許してもらえていない。
 とりあえずいつでも出て行けるように、資金だけはしっかり貯めてある。
 とにかく今は、ぬいぐるみ作りが楽しくてたまらない。
 ――一針一針、丁寧に縫い上げていく。
 今私が作っているのは、触り心地の良いモヘア生地で作ったクマとウサギのぬいぐるみだ。

「う~ん、クマはもう少し目を近づけた方が可愛いわね。ウサギの耳はもっとボリュームを出した方が良さそうだわ」

 試行錯誤しながら作っていくのがとても楽しい。
 苦労して作ったぬいぐるみが完成し、依頼主に渡したとき、目を輝かせて喜んでくれる。
 その顔を見ると、頑張って作った甲斐があったなと思うのだ。
 もうすぐ、このぬいぐるみも完成する。

(今回も喜んでくれるかな?)

 そう思ったときだった。

「お嬢様、旦那様がお呼びです」

 メイドが声をかけて来た。

(今いいところなのに……)

 仕方ない。面倒ではあるが、作りかけのぬいぐるみを一旦机の上に置き、お父様の元へと向かう。
 それにしても、こんな時間から一体私になんの用があると言うのかしら?

「お父様、お呼びですか?」
「ローラ、よく来たな。まあ座れ」

 お父様に促されて、向かいに座った。上機嫌のお父様、なんだか嫌な予感がして来た。

「ローラ、喜べ。お前に結婚の話が届いたぞ。相手はなんと、バーエンス公爵家の嫡男、アーサー殿だ。お前は公爵夫人になれるのだぞ」

 どうだ、すごいだろう! と言わんばかりの顔で、こっちを見ている。

「お断りします。お父様、そもそも、私は結婚しないと言いましたよね。それにアーサー様と言えば、女性嫌いで有名な方では? 私にはそんな男性の妻は務まりません」

 そう、バーエンス公爵家のアーサー様と言えば、ものすごく美しい顔とは裏腹に、ものすごく女嫌いで有名だ。さらにものすごく強いらしく、二十一歳という若さで騎士団長をしているとのこと。
 とにかく、嫁いできた令嬢を一週間もしないうちに必ず追い出すと有名な男だ。既に何度も結婚と離縁を繰り返しているらしい。
 そんな男性との結婚生活なんて、うまくいく訳がない。きっと一日で追い出されるに違いない。

「私もそう思う。お前では務まらないだろう。だが、公爵閣下に泣きつかれてしまってな。断ることができないのだ。どうせ一週間もしないうちに追い出されるのだ。悪いが、ちょっとした外泊だと思って、行ってきてはくれないだろうか?」
「要するに、離縁前提で私に嫁げということですか?」
「ああ、そうだ。お前は今後も結婚しない予定なのだから、問題ないだろう」

 またふざけたことを……

「今回の話、お母様とお兄様は知っているのですか?」
「知る訳がないだろう。話したら私がボコボコにされる」

 そうでしょうね。お母様はお父様と違って子煩悩で、子供を高位貴族に売ったりしない。
 それにお兄様も、無駄にシスコンだし……

「ローラ、頼む。ちょっとした外泊感覚で行ってくれたらいいから。お父様の顔を立てると思って、頼む! ……そうだ! 離縁後はお前のために、別の場所に屋敷を建ててやろう。ずっとこの家から出たいと言っていただろう?」

 お父様の言葉に、私の目はキラリと光った。
 なんですって、お屋敷を建ててくれるですって!
 つまり、離縁後はこの家からも出て行けるということだ。こんなにも美味しい話はない。

(どうせすぐに離縁されるのだから、別にそんなに深く考えなくても大丈夫よね)

 よし、そうと決まれば、この機会を絶対に逃がす訳にはいかない。

「わかりましたわ、お父様。その代わり、お屋敷を建ててくれると言うお話、絶対に忘れないでくださいね」
「わかった、ありがとう。ちなみに明日嫁ぐことになっているから、今日中に準備しておいてほしい」
「ちょっとお父様! もしかして、既に決定事項でしたの?」

 お父様に詰め寄ると、明らかに目をそらしている。
 この人、本当にいい加減なのだから。
 きっと公爵家からこの話が来たとき、二つ返事で承諾したのだろう。

(まあいいわ。とにかくさっさと追い出されればいいだけだものね)

 部屋に戻り、メイドに手伝ってもらいながら準備を進める。
 洋服などはメイドがまとめてくれるので、私は大切なものだけを確認していく。
 大切なものとはもちろん、ぬいぐるみを作るための材料や型紙、道具たちだ。
 今作っているぬいぐるみは、今日中に完成させて依頼主に届けに行こう。
 メイドたちが忙しく準備している横で、早速ぬいぐるみを作り始めた。

「お嬢様、こんな時までぬいぐるみを作らなくてもよろしいのでは?」

 忙しそうに準備するメイドが、苦笑いしている。

「あら、荷物はできるだけ少ない方がいいでしょう? この作りかけの子を完成させてしまえば、少しは荷物が減らせるわ」

 そう伝えておいた。もちろん、一針一針丁寧に縫っていく。
 どんな時でも焦りは禁物だ。ゆっくり時間を掛けて丁寧に作る。それが、私が一番大切にしていること。

(よし、完成)

 出来上がったぬいぐるみをラッピング用の袋に詰め、リボンを結んだ。ラッピングされたクマとウサギのぬいぐるみ。我ながら上手く出来た。梱包したぬいぐるみを持って、馬車に乗り込む。行先は、依頼主の元だ。
 依頼主にラッピングしたぬいぐるみを手渡すと、顔をパッと明るくさせ、嬉しそうに受け取ってくれた。
 やっぱりこの瞬間が一番嬉しい。
 ぬいぐるみを届けた後は、急いで屋敷に戻り、荷造りを行っていく。

「お嬢様、お食事のお時間です」

 一生懸命作業をしている私に、メイドが声をかけて来た。
 気が付くと、辺りが薄暗い。なんだかんだで、もうそんな時間になってしまったらしい。
 我が家ではどんなに忙しくても、家族そろって食事を食べるのがルールだ。ちなみに兄夫婦と甥や姪たちは、伯爵家の隣に大きな屋敷を建てて、そこで暮らしている。食事も、夫婦と子供たちで食べているため、今はお父様とお母様、私の三人での食事だ。
 急いで食堂に向かうと、お父様とお母様が待っていた。

「お待たせしてごめんなさい。荷造りに手間取っちゃって」

 急いで席に着く。

「荷造りですって? ローラ、一体どこに行くつもりなの?」

 怪訝そうな顔のお母様。その隣でお父様がアタフタしている。
 どうやら、まだお母様には話していないようだ。
 とはいえ、このまま黙っておく訳にもいかないので、私は正直に話した。

「明日、アーサー・バーエンス様に嫁ぐことになったので、そのための荷造りですわ」
「なんですって! アーサー・バーエンス様⁉ アーサー様と言えば、ついこの前、七度目の結婚に失敗したばかりの人ではありませんか。そんな男の元に、可愛いローラを嫁がせるですって? あなた、一体どういうつもりですの?」

 すさまじい剣幕でお父様に詰め寄るお母様。

「いや……これには理由があるんだ。どうしてもうちのローラを、アーサー殿の妻にしたいと公爵に頼まれて……それで……」
「それで娘をホイホイと差し出したのね。あなたって人は!」

 そう言うと、お母様がすごい勢いでお父様の頭を叩いた。

「お母様、落ち着いて。私は別に構いませんから。どうせすぐに離縁されるでしょうし、しばらく外泊しているくらいに思ってくれたら大丈夫ですわ」
「何が大丈夫なの。とにかく食事が終わったら話し合いよ」

 そう言うと、鼻息を荒くしたお母様は、奮然と食事を開始した。食後には隣に住んでいるお兄様も加わり、四人で話し合いが始まった。

「それで父上は、ローラを公爵閣下に売ることにしたのですね」

 鬼の形相でお父様を睨んでいるお兄様。隣でお母様も怖い顔をしている。

「いや……、その……」

 完全に小さくなっているお父様。さすがにちょっと可哀想に思えてくる。

「お母様、お兄様。私は元々誰とも結婚するつもりはありませんでした。ですので、すぐに離縁されても痛くも痒くもありません。それに、バーエンス公爵家とのご縁を断ることは、今後貴族社会で生きて行く上で、支障が出るのではないでしょうか? ここは多少なりとも恩を売っておいた方が、利益が大きいかと」
「そうだ、閣下には逆らえない。とにかく、ローラ自身、嫁いでもいいと言っているんだ。お前たちがギャーギャー騒ぐことではない」

 私が少し庇ってあげたことで、息を吹き返したお父様。でも……

「娘を売ることには変わりはないでしょう。本当にお調子者なんだから」

 そう言われ、再びお母様に叩かれていた。そんなお母様とは裏腹に、真剣に考え込んでいるのはお兄様だ。

「確かにバーエンス公爵家に恩を売っておくのも悪くはないな。ローラ、本当にお前は嫁いでも構わないと思っているのかい?」
「ええ、思っていますわ」
「わかった。母上、ローラもこう言っているし、嫁がせよう」

 どうやらお兄様も、公爵には恩を売っておいた方がいいと判断したようだ。

「あなたまでそう言うなら、わかったわ……でもローラ、嫌ならすぐに帰って来なさい」
「大丈夫よ、お母様。嫌だと思う前に、多分追い出されると思うから」

 自信満々でそう言い切った私に、苦笑いをするお母様。とにかく話はまとまったようだ。
 すぐに追い出される私が、果たして公爵家に恩を売れるのかはわからないけれど……


 翌日。お父様とお母様と一緒に、公爵家へと向かった。
 公爵家と言っても、まだ爵位を継いでいないアーサー様は本邸とは別の場所に住んでいるとのことで、そちらに足を運ぶ。
 さすが公爵家嫡男が住む屋敷。うちの屋敷とは比べ物にならないくらい立派だ。
 屋敷に着くと、公爵閣下と夫人が出迎えてくれた。

「やあ、サスペンダル伯爵、よく来てくれたね。そちらがご夫人と、君がローラ嬢だね。今回は、アーサーとの結婚を引き受けてくれてありがとう。本当に困っていたんだよ。正直、この際貴族令嬢なら誰でもいいと思っていたくらい、切羽詰まっていてね」

 どうやらこの公爵は、ものすごく素直で失礼な人の様だ。本人を目の前にして、令嬢なら誰でもいいだなんて……。案の定、公爵夫人がすぐに公爵を叱りつけた。
 一方で、私の両親は苦笑いだ。相手は公爵、もちろん文句なんて言える訳がない。

「さあ、中へどうぞ」

 公爵夫人に案内され、客間へと連れてこられると、そこには金色の髪に水色の瞳をした、見るからに不機嫌そうな男性が座っていた。彼はギロリとこちらを睨みつけると、すぐに視線をそらしてしまった。
 うん、すごく感じが悪いわね。

「アーサー、彼女がお前の結婚相手の、ローラ・サスペンダル嬢だ。歳は十八歳。どうだ、綺麗な方だろう。ほら、挨拶をしなさい」
「父上、俺はもう結婚などしないと言っただろう。それなのにまた女を連れて来て、一体どういうつもりだ」

 鬼の形相で公爵閣下に詰め寄るアーサー様。青筋を立てながら、目まで吊り上げて、ものすごく怒っていることがよくわかる。
 美しいお顔が台無しね。もしかしたら、このまま追い返されるかも。
 そんな期待が私の胸を支配する。でもこのまま帰ったら、私のために屋敷を建ててくれると言う話もなしになるのかしら? それは困るわ。
 そんなことを考えている間にも、目の前では公爵家の激しい親子喧嘩が繰り広げられていた。
 どうでもいいけれど、私を追い出すかどうか、早く決めてほしい。
 退屈になった私は暇つぶしに辺りを見回した。
 よく見ると、結構素敵な部屋だ。あそこにぬいぐるみを置いたら、きっともっと可愛い部屋になるに違いない。このソファーには、両端に可愛らしいぬいぐるみを対で置くのも素敵よね。すぐに追い出されるとわかっていても、つい楽しくて妄想してしまう。一人頭の中で、勝手に部屋の模様替えを行っているうちに、やっと結論が出たようだ。

「ローラ嬢、見苦しいところを見せて悪かったね。とにかく、この婚姻届にサインをしてもらえるだろうか?」

 結局結婚することで話はついたようだ。
 残念だが仕方ない。言われた通り、さっさとサインをした。アーサー様も嫌そうにサインをする。
 この調子なら近いうちに追い出されるだろう。
 まあ、こっちも離縁前提で嫁いできているから、別に問題はない。

「よし、この書類を出せば、お前たちは晴れて夫婦だ。ローラ嬢、アーサーは少し変わっているが、どうかよろしく頼む。それじゃあ、後は若い二人で」

 そう言うと、公爵夫妻は私の両親を連れてさっさと部屋を出て行ってしまった。

(ちょっと、こんな、恐ろしい顔でこっちを睨んでいる男と二人きりにしないでよ!)

 そう心の中で叫ぶが、もちろんその思いは届かない。
 チラリとアーサー様、いや、もう私の旦那様だから、旦那様と呼んだ方がいいのか。旦那様の方を見ると、目が合った。その瞬間。

「いいか、俺は女が大嫌いだ! とにかく俺に触れるな。気持ち悪い声ですり寄るな。俺に少しでも触れようものなら、すぐにつまみ出すからな」

 そう言って私を怒鳴りつける。
 既に喧嘩腰だ。それにしても、初対面の人間に対して怒鳴るだなんて。

「そんなに大きな声を出さなくても聞こえますわ。大丈夫です、私はあなた様にこれっぽっちも興味を持っておりませんので。気に入らなかったら、いつでも追い出していただいて構いません。それで、私はどの部屋を使わせていただけるのでしょうか?」


 こんな不機嫌な男に構っている暇はない。
 とにかく早く部屋に行って、ぬいぐるみを作りたい。沢山の依頼主が、私の作るぬいぐるみを待ってくれているのだから。
 私が言い返したことによほど驚いたのか、旦那様は大きく目を見開き、動揺しているようだった。

「……おい、モカラ、この女を部屋に案内してやれ」

 しばらく固まった後、やっと正気に戻ると、近くにいたメイドにそう指示を出した。
 早速部屋へと向かう。案内された部屋は、外観と違わずとても広くて立派だった。
 こんなに立派な部屋を使わせてもらえるなんて嬉しい。
 そう思っていると、先ほどのメイドが話しかけて来た。

「今日からローラ様の専属メイドとしてお世話させていただきます、モカラと申します。どうぞよろしくお願いします」

 深々とモカラが頭を下げた。お母様と同じくらいの歳に見える。

「ご丁寧にありがとう。よろしくね。ところで、今から荷物を解かないといけないの。手伝ってもらってもいいかしら?」
「はい、もちろんです」

 モカラに手伝ってもらいながら、荷物を解いて行く。

「あの……ローラ様はアーサー様の見た目に興味があって、ご結婚されたのではないのですか?」

 先ほどのやり取りを見聞きしていたのか、少し戸惑いながら、そう聞いて来るモカラ。

「いいえ、全く。私ね、こう見えて人気のぬいぐるみ作家なの。正直結婚なんて興味がないのだけれど、お父様が、旦那様と結婚したら、私が一人で住むための屋敷を建ててくれるって言うから。どうせすぐに追い出されるだろうし、ちょっとした外泊気分で来たの。さっさと離縁されて、悠々自適な一人暮らしを満喫するのを楽しみにしているのよ」

 私の話を聞くと、モカラは目を大きく見開いて固まってしまった。

「モカラ、どうかした?」

 私が声をかけると、モカラがハッとした表情を浮かべ、申し訳なさそうに頭を下げた。

「いえ……、申し訳ありません。今までの方々は、アーサー様の美しさに惹かれた女性ばかりだったので……。それにしても、ローラ様はそのような理由でご結婚されたなんて、なんだかすごいですね……」
「そうかしら? そういう訳で、私はすぐに追い出される予定だから、短い間だけれど、それまではよろしくね」

 ちょっとの付き合いだけれど、きちんと挨拶はしておこう。
 そう思って挨拶をしたのだが、これにも驚いた表情を見せたモカラは、今度はなぜか急に笑い出した。
 何がそんなにおかしいのだろう。 全く理解できない。
 とにかく旦那様から追い出されるまでは、ここでお世話になる予定だ。とりあえず、メイドは良い人そうで良かった。
 ある程度荷物が片付いたところで、ぬいぐるみ作りを始めることにする。

「へぇ~、ぬいぐるみってこうやって作るのですね。私、初めて見ましたわ」

 モカラはそう言って、私の作業を興味深く見つめている。

「モカラはぬいぐるみは好き?」

 私の質問に、モカラはしばらく考えた後で答えた。

「そうですわね。私は平民なので、こういった肌触りの良いぬいぐるみには、あまりなじみがありません。平民の間では、木彫りの人形などが一般的ですので。ぬいぐるみはやはり、貴族が持つものと言うイメージですわね」

 なんですって! 平民の間では、木彫りが主流だなんて知らなかった。
 伯爵家にも平民のメイドが何人もいたけれど、そんなことは一言も言っていなかった。
 けれど、以前メイドたちにぬいぐるみをあげたとき、こんな高価なものをいいのですか? と、恐縮されたことがあった。
 彼女たちの中には、ぬいぐるみは貴族が持つ物というイメージがあったから、そう言ったのかもしれない。
 モカラの場合、ぬいぐるみ自体あまり見たことがないようだ。
 こんなにも可愛いぬいぐるみを、今まであまり見たことがなかっただなんて……
 かなりの衝撃を受け、固まっていると、従僕が部屋の扉を叩いた。

「失礼いたします。ローラ様、アーサー様がお戻りでございます」

 どうやら旦那様はあの後出かけていたらしい。
 今のところ私は妻なのだから、お出迎えはしなくてはならない。

「ありがとう、すぐに行くわ」

 急いで玄関ホールへと向かうと、ちょうど旦那様が入ってきたところだった。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 そう挨拶をしても、私を無視する旦那様。
 人を無視するなんて、一体どういう教育を受けてきたのかしら?

「お帰りなさいませ! 旦那様!」

 今度は大きな声ではっきりと伝えた。

「二回も言わなくても聞こえている」
「聞こえているなら、返事をしてくださいませ。こちらは聞こえていないのかと思いますわ」

 ついイラッとして、言い返してしまった。
 でも、私は間違っていない。
 聞こえているなら、挨拶を返すのが当然のマナーだ。本当に失礼な男ね。

「旦那様、私は先に食堂に参りますので」

 旦那様が帰って来たということは、そろそろ夕食の時間だろう。
 そう伝えて、食堂に向かおうとしたのだが……

「おい、待て。どうして俺がお前と一緒に食事をとらなければならないんだ。お前は部屋で一人で食べればいいだろう」

 この男は何を言っているのだろう。
 食事というものは、どんなに忙しくても家族みんなで食べるものだ。現に、私はどんなにぬいぐるみ制作で忙しくても、食事の時間だけは手を止めて家族と共に席についていた。

「旦那様、仮にも私たちは家族になったのです。食事は一緒にとる、そんな当たり前のことぐらいできるでしょう? とにかく、私は食堂で待っていますからね」

 そう言い切ってやった。なんだかスッキリした。
 そのまま食堂に向かい、椅子に座る。
 しばらく待っていると、やがてとてつもなく不機嫌そうな顔をした旦那様がやって来た。
 旦那様が座ったところで、ようやく食事開始だ。
 やっぱり公爵家の料理人の料理は美味しいわ。
 仏頂面の旦那様は、話しかけるなオーラ全開なので、私は料理を運んでくれる料理人に、材料や調理法などの話を聞いて楽しんだ。

「おい、お前、少し静かにできないのか? 料理人に色々と質問ばかりして」
「あら、気になることを聞いて何が悪いのですか? 食事は楽しくするものです。そんな仏頂面をして食べるものではありませんわ」

 あんなに不機嫌そうに食べていたら、どんなに美味しい料理もマズくなってしまいそうだ。
 結局最後まで、旦那様はずっと仏頂面のまま。食事が終わると、さっさと部屋に戻ってしまった。
 本当に感じの悪い男だ。
 ふと旦那様のお皿を見ると、デザートが手付かずのまま残っていた。
 なんてもったいないことをするのかしら? 
 せっかくなので、旦那様のデザートも美味しくいただいておいた。

「ローラ様、そんなにデザートを気に入っていただけたのですか?」

 私が旦那様の分まで食べたのを見て、話しかけてきたのは料理長だ。

「ええ、とっても美味しかったわ。デザートだけでなく、どのお料理もね。こんな美味しいお料理を残すなんて、旦那様は一体どんな舌をされているのかしら?」

 食べ物を粗末にするなんて、どうかしている。
 私の言葉を聞き、なぜか笑い出す料理長。
 周りの使用人たちも、クスクス笑っている。何がおかしいのだろう。
 訳がわからないまま食事を終えた私は、そのまま部屋に戻って来た。
 このお屋敷、どうやら旦那様以外は良い人たちのようで安心した。それにしても、私は随分と旦那様に嫌われているようだ。この分だと、明日くらいには追い出されるかしら?
 せっかく荷物を解いたのに、また荷造りをしないといけないかもしれない。
 でも、それならそれでまあいいか。時間を無駄にしなくて済む。
 とにかく、大好きなぬいぐるみ作りをしないと。依頼主もきっと、首を長くして待っているもの。
 そう思った私は、再び針と糸を取り出し、ぬいぐるみを作り始めたのだった。


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