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二章
13 餌
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鉄扉の向こうにシグファリスの気配。痛みを堪え、体を引きずって身構えるが、シグファリスは扉の前から動こうとしなかった。
不可思議な間を置いて鉄扉の下部が開く。食事を出し入れするための狭い隙間だ。そこからなにかが投入される。獄内に放たれたそれは素早く牢獄の隅に逃げた。
鼠のように見えるが、おそらく魔物。雑魚すぎて名前すら知らない。
シグファリスは魔物鼠を投げ入れた後もその場でしばらく佇んでいたが、やがて鉄扉を開くことなく去って行った。
「――? なんだったんだ、今のは……」
靴音が完全に聞こえなくなるまで待ってから、へにゃりと脱力してしまった。
放り込まれた魔物鼠に目をやると、排水口へ逃げ込もうと四苦八苦していた。体が大きすぎて頭しか入らない様子が笑いを誘う。思わず口元を緩ませながらも首を傾げる。まさか僕の無聊を慰めるために魔物を投入したわけではあるまい。
もしかして髑髏蜘蛛もシグファリスが投げ入れたのだろうか。魔物蜘蛛はもう一匹の魔物から距離を取り、天井付近の壁に張り付いて気配を殺していた。僕がここに囚われる前から棲んでいたのだと思っていたが、考えてみれば餌になるような生き物はいないし、出入りできそうな隙間もない。
シグファリスの考えがわからないが、この疑問はとりあえず横に置いておく。最優先で考えなくてはいけないのはシグファリスに話を聞いてもらう手段を考えること。
痛みと眠気に抗いながら頭を悩ませる。とにかくシグファリスがやってきたら、何よりも先に「僕を殺したら世界が滅ぶぞ」と叫ぶほかないだろう。命乞いか、苦し紛れの嘘だと思われたとしても、対話のきっかけさえ作れればいい。魔界召喚のために組まれた魔法陣の存在を教えれば、僕の話を信じざるを得ないはずだ。その他の事情を説明するのは後回しでいい。
考えがまとまれば、あとはシグファリスの来訪を待つだけだ。でもシグファリスはその次に来た時にも、牢獄内に雑魚魔物を放つだけで立ち去ってしまった。
ふと、この行動の意味に思い当たる。
「まさか……僕に、餌を与えているつもりか……?」
僕の呟きに、三匹に増えた魔物たちがざわつく。彼らが声を放ったわけではない。知能の高い魔物とであれば会話も可能だが、小さな彼らからは思念の断片を感じる程度だ。
――厭。コワイ。喰わナイで。赦。助けて。イヤダ。
概ねそういう感じだった。僕もこいつらを喰うなんて願い下げなのだが、贅沢を言っている場合ではない。魔素を摂取できなければシグファリスに殺される前に死んでしまう。
魔素とは万物に宿る命の根源。超常的な力をもたらす源であり、魔術を行使するには魔素を消費する必要がある。前世のゲームでいうMP(マジックポイント)に近い。魔素を使い切ると気絶、枯渇状態が続けば死亡してしまう。
失われた魔素は数日で自然回復するが、悪魔や魔物は自らの体で魔素を生成することができない。故に周囲から奪う。
魔物は人間を喰らうことで魔素を体内に取り入れるが、悪魔は血肉を喰らわずとも大気や大地に溢れる魔素を奪うことができる。その魔素を奪い、蓄えるための器官が角だ。
魔素を取り込めなければ魔術を行使するどころか体を回復させることもできない。シグファリスが僕の角を折ったのは、いたぶって復讐心を満たすという目的以上に、弱体化させるという合理的な理由があったのだと思われる。
角を失ったからには、魔物と同じように経口摂取で魔素を取り込まなくてはならない。
ちらりと魔物たちに視線を投げかける。どいつもこいつもおぞましい姿をしている。少なくともシグファリスはまだ僕を生かしておくつもりで餌を投げ込んでいるのだろうが、食べやすさを配慮するつもりはないらしい。
「まあ……当然か……」
これも拷問の一環なのかもしれない。貴族として育った僕が雑魚魔物を踊り喰いしなければならないなんて、かなりの屈辱だ。できる気がしないが、魔素不足で死ぬわけにはいかない。
いざとなったら彼らを喰うほかないが、飢えているという感覚はない。あと数日は魔素を補給しなくても持ち堪えられるはずだ。
ただ、やたらと眠かった。悪魔は本来眠りを必要としない。おそらくは魔素不足を補うための自己防衛機能が働いて、意識を落として魔素の消費を抑えているのだと思う。
ひたすら眠りを貪っている間に、気がつけば牢獄内にいる魔物の気配が五匹に増えていた。
まさか繁殖したわけではあるまい。シグファリスが魔物を投げ込みに来たはずだが、全く気づけなかった。
「…………」
無様なものだ、と自虐的な囁きを漏らそうとしたが、声が出ない。目も開けられない。倒れ伏したまま、指一本動かせない。
もしかして、僕は今、魔素不足で死にかけているのだろうか。まだ猶予があると思っていたが、想像以上に衰弱しているらしい。すぐにでも雑魚魔物を喰らわなければ死んでしまう。しかし体を動かせなくては雑魚とはいえ魔物を捕まえられない。
――魔王様。困。弱る。
倒れたまま焦りを募らせていると、これまで僕を遠巻きにしていた魔物たちがじわじわと近づいてきていた。
――弱。弱っている。喰う。喰エル。今ナラ。
不穏な思念を感じ取り、カッと目を見開く。殺気を込めてぎろりと睨みつけてやると、僕の指先を齧ろうとしていた魔物たちはササッと牢獄の隅へ戻っていった。雑魚であろうが魔物は魔物だ。油断も隙もない。
このままではまずい。シグファリスもまさか餌として与えた雑魚魔物に僕が喰われそうになっているなんて思いもしないだろう。
ただ僕が無様に死ぬだけならいいが、このまま死んだら世界が滅びに瀕してしまう。雑魚魔物たちを威嚇しながら必死に眠気に耐える。次に意識を手放したらもう二度と起きられそうにない。
必死に睡魔と戦っていたら、不意に腹を蹴り飛ばされた。
「うぐっ!」
衝撃で床の上を転がり、首輪に繋がった鎖が床に擦れて耳障りな音を立てる。内臓がひっくり返ったみたいな痛みに悶えていると、髪を掴まれて顔を上げさせられた。
シグファリスが、僕を見ていた。
不可思議な間を置いて鉄扉の下部が開く。食事を出し入れするための狭い隙間だ。そこからなにかが投入される。獄内に放たれたそれは素早く牢獄の隅に逃げた。
鼠のように見えるが、おそらく魔物。雑魚すぎて名前すら知らない。
シグファリスは魔物鼠を投げ入れた後もその場でしばらく佇んでいたが、やがて鉄扉を開くことなく去って行った。
「――? なんだったんだ、今のは……」
靴音が完全に聞こえなくなるまで待ってから、へにゃりと脱力してしまった。
放り込まれた魔物鼠に目をやると、排水口へ逃げ込もうと四苦八苦していた。体が大きすぎて頭しか入らない様子が笑いを誘う。思わず口元を緩ませながらも首を傾げる。まさか僕の無聊を慰めるために魔物を投入したわけではあるまい。
もしかして髑髏蜘蛛もシグファリスが投げ入れたのだろうか。魔物蜘蛛はもう一匹の魔物から距離を取り、天井付近の壁に張り付いて気配を殺していた。僕がここに囚われる前から棲んでいたのだと思っていたが、考えてみれば餌になるような生き物はいないし、出入りできそうな隙間もない。
シグファリスの考えがわからないが、この疑問はとりあえず横に置いておく。最優先で考えなくてはいけないのはシグファリスに話を聞いてもらう手段を考えること。
痛みと眠気に抗いながら頭を悩ませる。とにかくシグファリスがやってきたら、何よりも先に「僕を殺したら世界が滅ぶぞ」と叫ぶほかないだろう。命乞いか、苦し紛れの嘘だと思われたとしても、対話のきっかけさえ作れればいい。魔界召喚のために組まれた魔法陣の存在を教えれば、僕の話を信じざるを得ないはずだ。その他の事情を説明するのは後回しでいい。
考えがまとまれば、あとはシグファリスの来訪を待つだけだ。でもシグファリスはその次に来た時にも、牢獄内に雑魚魔物を放つだけで立ち去ってしまった。
ふと、この行動の意味に思い当たる。
「まさか……僕に、餌を与えているつもりか……?」
僕の呟きに、三匹に増えた魔物たちがざわつく。彼らが声を放ったわけではない。知能の高い魔物とであれば会話も可能だが、小さな彼らからは思念の断片を感じる程度だ。
――厭。コワイ。喰わナイで。赦。助けて。イヤダ。
概ねそういう感じだった。僕もこいつらを喰うなんて願い下げなのだが、贅沢を言っている場合ではない。魔素を摂取できなければシグファリスに殺される前に死んでしまう。
魔素とは万物に宿る命の根源。超常的な力をもたらす源であり、魔術を行使するには魔素を消費する必要がある。前世のゲームでいうMP(マジックポイント)に近い。魔素を使い切ると気絶、枯渇状態が続けば死亡してしまう。
失われた魔素は数日で自然回復するが、悪魔や魔物は自らの体で魔素を生成することができない。故に周囲から奪う。
魔物は人間を喰らうことで魔素を体内に取り入れるが、悪魔は血肉を喰らわずとも大気や大地に溢れる魔素を奪うことができる。その魔素を奪い、蓄えるための器官が角だ。
魔素を取り込めなければ魔術を行使するどころか体を回復させることもできない。シグファリスが僕の角を折ったのは、いたぶって復讐心を満たすという目的以上に、弱体化させるという合理的な理由があったのだと思われる。
角を失ったからには、魔物と同じように経口摂取で魔素を取り込まなくてはならない。
ちらりと魔物たちに視線を投げかける。どいつもこいつもおぞましい姿をしている。少なくともシグファリスはまだ僕を生かしておくつもりで餌を投げ込んでいるのだろうが、食べやすさを配慮するつもりはないらしい。
「まあ……当然か……」
これも拷問の一環なのかもしれない。貴族として育った僕が雑魚魔物を踊り喰いしなければならないなんて、かなりの屈辱だ。できる気がしないが、魔素不足で死ぬわけにはいかない。
いざとなったら彼らを喰うほかないが、飢えているという感覚はない。あと数日は魔素を補給しなくても持ち堪えられるはずだ。
ただ、やたらと眠かった。悪魔は本来眠りを必要としない。おそらくは魔素不足を補うための自己防衛機能が働いて、意識を落として魔素の消費を抑えているのだと思う。
ひたすら眠りを貪っている間に、気がつけば牢獄内にいる魔物の気配が五匹に増えていた。
まさか繁殖したわけではあるまい。シグファリスが魔物を投げ込みに来たはずだが、全く気づけなかった。
「…………」
無様なものだ、と自虐的な囁きを漏らそうとしたが、声が出ない。目も開けられない。倒れ伏したまま、指一本動かせない。
もしかして、僕は今、魔素不足で死にかけているのだろうか。まだ猶予があると思っていたが、想像以上に衰弱しているらしい。すぐにでも雑魚魔物を喰らわなければ死んでしまう。しかし体を動かせなくては雑魚とはいえ魔物を捕まえられない。
――魔王様。困。弱る。
倒れたまま焦りを募らせていると、これまで僕を遠巻きにしていた魔物たちがじわじわと近づいてきていた。
――弱。弱っている。喰う。喰エル。今ナラ。
不穏な思念を感じ取り、カッと目を見開く。殺気を込めてぎろりと睨みつけてやると、僕の指先を齧ろうとしていた魔物たちはササッと牢獄の隅へ戻っていった。雑魚であろうが魔物は魔物だ。油断も隙もない。
このままではまずい。シグファリスもまさか餌として与えた雑魚魔物に僕が喰われそうになっているなんて思いもしないだろう。
ただ僕が無様に死ぬだけならいいが、このまま死んだら世界が滅びに瀕してしまう。雑魚魔物たちを威嚇しながら必死に眠気に耐える。次に意識を手放したらもう二度と起きられそうにない。
必死に睡魔と戦っていたら、不意に腹を蹴り飛ばされた。
「うぐっ!」
衝撃で床の上を転がり、首輪に繋がった鎖が床に擦れて耳障りな音を立てる。内臓がひっくり返ったみたいな痛みに悶えていると、髪を掴まれて顔を上げさせられた。
シグファリスが、僕を見ていた。
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