死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

文字の大きさ
26 / 62
三章

26 魔術研究の時間

しおりを挟む
 幼い頃の僕は、寝る間を惜しんで魔術の鍛錬に勤しんでいた。
 前世の記憶を思い出すまでは、母上に認めてもらうために無駄な努力をしていた。母上の死後はオーベルティエ公爵家の当主として相応しい力を手に入れなくてはならないという強迫観念に追われ、楽しみなど見出す余裕もなかった。
 でも前世の記憶を思い出してからは違った。公爵家の当主に相応しいだけの能力を手に入れなければならないというプレッシャーが消えたわけではないが、魔術に関することのすべてがとにかく楽しくて仕方ない。だって魔法が使えるなんて、それだけで凄すぎる。めちゃくちゃファンタジーじゃないか。面白くないわけがない。
 その気持ちの変化は良い方向に作用した。

「本日はここまでと致しましょう。よく精進なさいましたな」
「ありがとうございます」
 公爵邸の鍛錬室で僕に魔術の指導をしていた老教授は、深く皺が刻まれた厳しい顔立ちに珍しく笑みを浮かべていた。
 魔術に関して一切妥協しないこの老教授が僕に微笑みかけることなどなかった。今までの僕は基礎もできていないのに、焦りのあまり上級の魔術ばかり学ぼうとしていた。基礎を疎かにしているのだから結果が出るはずもない。それなのに身分を振りかざして「僕の能力が伸びないのは教え方が悪いせいだ」と周囲に八つ当たりする始末。
 まだ八歳なんだから相応のわがままとも言えなくもないけれど、思い返すとかなり恥ずかしい。前世の記憶を得てからは態度を改め、基礎から鍛え直してほしいと頭を下げた。強くならなければという強迫観念よりも、もっと魔術のことを根本から知りたいという探究心の方が勝った。
 素直な生徒と化した僕に、老教授はここぞとばかりに基礎を叩き込んだ。瞑想から始まって魔素の出力調整、魔法陣形成の運指など、魔術を習いたての幼児がするような訓練をぶっ続けで三時間。鬼かこのジジイは加減を知らんのか、と内心では毒づきながらも優雅に微笑み返した。貴族たるもの、そう易々と内心を表に出してはならない。

 厳しい訓練を終えた後は、楽しい楽しい魔術研究の時間だ。書斎にこもり、好きな文献を好きなだけ読み耽る至福の時。
 この公爵邸の図書室は王立図書館並みの蔵書数を誇る。精緻な彫刻が施された書架に、豪華な装丁の稀覯本が並び、図書館というよりは美術館のように見える。
 だが僕が調べ物をするためにいちいち図書室を訪れることはない。司書に調べたい内容や興味のある事柄などを伝えれば、大量の蔵書の中から僕の希望に叶う本を数冊に絞って持ってくる。ただ言われた本を用意するだけではなく、僕の興味関心を引きそうな本を選りすぐって勧めてくることもある。
 司書とは別に、ページをめくる使用人や、読みかけの本に栞を挟んで保管しておく使用人までいる。前世の記憶を思い出す前までは当たり前に受け入れていたが、貴族というのは何でも他人にやらせなければ気が済まないのかと呆れてしまう。
 そんなわけで、僕が書斎に立ち入った時点で読書の支度はすでに整えられていた。机に用意されているのは、僕が魔術研究の時に一番最初に読むと決めている本。オーベルティエ公爵家に先祖代々伝わる魔術について記された魔術書だ。
 この魔術書は魔術具であり、オーベルティエの直系血族にしか読むことができない。他者が覗き込んでも白紙のページにしか見えないが、僕の目にははっきりと記述が見て取れた。
 もう何回も目にしているのに、紐解くたびに驚嘆のため息が漏れる。
 記されているのは一族に伝わる門外不出の魔術の数々。叡智の粋が注ぎ込まれた魔法陣には高度な魔術式が古代文字で組み込まれ、一見繊細なクロッシェレースの編み図のようにも見える。
 以前はこの魔術書を読むたび屈辱感に苛まれていた。記されている魔術の大半は、保有魔素量の少ない僕には行使できないからだ。

 魔術に重要な要素は大きく分けて三つ。
 ――魔素。魔力。魔法陣。
 この世界に存在するすべての生物は魔素を宿しており、平民であっても微弱ながら魔素を保有している。この魔素を魔術的動力に変換する力のことを魔力という。多くの魔素を保有していたとしても、魔力がなければ魔術を行使することはできない。
 魔力については鍛錬によってある程度鍛えることができるのだが、保有できる魔素の量は生まれながらに決まっている。僕が母上から見限られてしまったのは、魔素の保有量が少ないことが原因だった。
 オーベルティエの魔術書に記されている、最も強力な魔術を行使するために必要な魔素量を1000とすれば、僕が保有可能な魔素は最大で500。ゆえに行使することができない。無理に行使しようとすれば魔素不足に陥り、最悪死に至る。生前の母上が僕を「平民と大差ない」と切り捨てたのはこのためだ。
「ぐっ……」
 母上の言葉を思い出して、つい呻いてしまう。侍従が目ざとく気づいて近づいてくるが、手で制して再び下がらせる。「僕が弱いのは事実だけど平民と大差ないなんて言うことないでしょう!?」と天の国におわす母上に向かって喚き散らしたいのをぐっと堪え、落ち着きを取り戻す。
 母上が僕を後継者に不足と切り捨てたのは当主として妥当な判断だ。だが母上は規格外すぎる。
 オーベルティエに伝わる最も強力な魔術は、天候を操り嵐を起こして周囲の一切を薙ぎ払うというもので、神の領域に近いと謳われている。天賦の才を授かっていた母上は、その最大級の魔術を連続して三回行使することができた。他の上位貴族や、王族でさえそんな無茶ができる者はいない。最大級の魔術を一回使うだけですべての魔素を使い切ってしまうだろう。
 つまり大雑把に数値化すると、母上の魔素量は3000以上。王族をはじめとした上位貴族であれば通常1000前後。下位貴族は100~50あればいい方。平民であれば10程度になる。
 ひるがえって、僕の魔素量は500。上位貴族にしては低すぎる。
 ――母上からご覧になれば僕程度は平民と大差ないでしょうし! オーベルティエ公爵家の当主として力不足なのは事実ですけれど! 僕なりに魔術を使いこなせるように頑張りますからね! と心の中では叫びつつ、顔には貴族らしいお澄まし顔を浮かべ、僕は再び魔術書に視線を落とした。
 記された記述を見ても、精緻さや美しさに圧倒されるだけで、今の僕に解読できる部分は少ない。解読できるようになったとしても、僕には扱えない。それでも、先祖代々受け継がれてきた魔術の粋に触れたい。扱えなくても、理解したい。そのためにはまずは基礎訓練から。あの老教授の顔を思い出すだけでげんなりするけれど、何事も基礎が肝要だ。
 基礎を積み重ねれば、いずれは独自の魔術を作り出すこともできるようになる。魔術具作りだって可能だ。
『緋閃のグランシャリオ』に登場した魔術師のジュリアンのように。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』

バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。  そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。   最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

悪役令息に転生したので、死亡フラグから逃れます!

伊月乃鏡
BL
超覇権BLゲームに転生したのは──ゲーム本編のシナリオライター!? その場のテンションで酷い死に方をさせていた悪役令息に転生したので、かつての自分を恨みつつ死亡フラグをへし折ることにした主人公。 創造者知識を総動員してどうにか人生を乗り切っていくが、なんだかこれ、ゲーム本編とはズレていってる……? ヤンデレ攻略対象に成長する弟(兄のことがとても嫌い)を健全に、大切に育てることを目下の目標にして見るも、あれ? 様子がおかしいような……? 女好きの第二王子まで構ってくるようになって、どうしろっていうんだよただの悪役に! ──とにかく、死亡フラグを回避して脱・公爵求む追放! 家から出て自由に旅するんだ! ※ 一日三話更新を目指して頑張ります 忙しい時は一話更新になります。ご容赦を……

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?

詩河とんぼ
BL
 前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...