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二章
31 懐に飛び込む
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貴族街の宿は領主の館に負けず劣らず豪奢だった。
老騎士に案内されたのは宿の前まで。そこからはクロヴィスの小姓が俺を奥へと連れて行った。
老騎士によってボディチェックは済んでいる。といっても商人のニールちゃんが持っている武器は護身用の小刀だけ。手荷物と共に預けてある。
廊下に敷かれた絨毯を踏みしめて、やがてひときわ豪華な装飾が施された扉の前までたどり着いた。間違いなくこの宿で一番上等な部屋だろう。
「この場に限り、閣下は君に直答をお許しになられています。くれぐれも失礼のないように」
ここまで案内してくれた小姓はうんざりとした表情を俺に向けた。頭のてっぺんからつま先まで眺めてから、フンと鼻を鳴らす。この感じは覚えがある。「なんだよブスのくせに、ちょっと閣下に目をかけられたからっていい気になるなよ」と言わんばかりの、蔑みと嫉妬が混ざった眼差し。俺はそれを笑顔で受け流す。男娼のときに美少年の仲間たちと鎬を削っていましたからね。この程度かわいいものである。
「閣下。彼の者を連れて参りました」
「――入りなさい」
小姓に伴われて主室へと立ち入る。小姓は俺にもう一度釘を刺すように視線をよこしてから、前室へと下がっていった。
安宿とは完全に別物の、上等な部屋だった。さながら宮殿のよう。いや、実際の宮殿は俺の想像以上に豪勢なのかもしれない。
ダンスでも踊れそうな広い部屋に、豪華な応接セット。
クロヴィスがいるのは庭に面した大窓の前。庭を眺めていたクロヴィスが振り返る。すぐさま膝を折る俺に、片手をあげて制する。
「膝をつかなくていい。よく来てくれた」
俺は膝をついたまま戸惑うふりをしつつ潤んだ瞳で見上げてぷるぷる震える。ライオンと対峙させられたチワワを想像しておく。
「どうか楽にしてくれ。どのような無作法も咎めない」
チワっている俺に、ことさら優しい声音で語りかける。低く深みのある声。領主の館にいたときのような堅苦しさは感じない。威圧しないようにしているのがよくわかる。そこでようやく俺は顔を上げた。
長身の美丈夫が微笑む。冬の海を結晶にしたような瞳が俺を捉えていた。簡素な服装をしているが、にじみ出る高貴さは隠せない。王族として生きた歳月が地層のように重なり、頑強な品性を形作っている。
クロヴィスは俺に向けて、穏やかに語りかけた。
「あのようなことがあった後に呼びつけるなど、無神経だとは思ったのだが……どうしても君と話をしてみたくてな。無理を聞いてくれてありがとう」
「いえ、そんな、僕なんかに……恐れ多いです」
まさか王族が平民に「ありがとう」なんて言うとは思わず、本気で動揺してしまう。
クロヴィスは部屋を横切り、ソファに座ってゆったりとくつろいだ姿勢をとった。小動物を警戒させまいとする優しい動きだ。家臣の前にいたときとはまるで雰囲気が違う。
「さあ、遠慮はいらない。君も座るといい」
「……では、お言葉に甘えて」
本当に遠慮はいらないのなら懐に飛び込ませてもらう。
促された俺は、おずおずとした足取りで接近して、向かいの席ではなくクロヴィスの隣に腰を下ろした。体が触れ合うほど近くに。
本来許可なく王族に触れたら即座に首を刎ねられても文句は言えない。急接近にクロヴィスも目を丸くしていた。
――だって遠慮はいらないんですよね? と言わんばかりに首をこてんと傾げて見上げる俺に、一瞬固まっていたクロヴィスはふっと息を吐いて、そのまま破顔した。
「ふふっ、ははは! やはり君は面白いな。謙虚かと思えば豪胆にこちらを揺さぶってくる。実に愉快だ」
貴族が豪快に笑うことは滅多にない。ましてやクロヴィスは王族だ。それでも品性を欠くことはない。
想像以上に喜んでもらえたようだ。前回の目通りで、あの無茶苦茶な態度を見て俺に興味を持った。それならやはり、無礼ぎりぎりの距離感で正解だ。
「酒は飲めるか? この蒸留酒は王都から運ばせた私蔵のものだ」
「はい、いただきます」
上機嫌のクロヴィスが手ずから俺に蒸留酒を注いでくれる。高級娼館にいたときも上質の酒を嗜んできたが、王家御用達はさすがにはじめてだ。
乾杯をしてひとくち味わう。演技の必要もなく、その味わいに感激する。
「~~~! お、いしい、です……!」
香りも喉越しも一級品。舌先から胃の腑まで溶けてしまいそうだ。
「ふふ。好きなだけ飲むといいが、少しばかり酒精が強いからな。水も飲みなさい」
「はい! お気遣いまでいただいて、ありがとうございます」
チェイサーを勧められて遠慮なくいただく。琥珀色の蒸留酒のほかに、テーブルに並べられているのは果物や軽食の数々。こんなご馳走があるってわかってたら安酒なんて呑まなかった。
「君の好みがわからなかったから適当に用意させたが、他に欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます、充分過ぎるほどです」
高級な酒と肴に惹かれつつも気を引き締める。呑んだくれて醜態を晒すわけにはいかない。ここに来た目的を果たさなくては。
「お呼びいただいて光栄なのですが、僕は一介の平民です。閣下のお話し相手が務まるかどうか……」
「そう気負わなくてもいい。私は平民の世情には疎いのでな……家臣から報告を聞くだけではなく、当事者の話も一度聞いてみたいものだと常々思っていた」
うつむく俺に、ことさら優しいクロヴィスの声音が降りかかる。
「ただ、君がどんな風に暮らしてきたのか話してくれればいい。もちろん、言いたくないことは口にせずともよい。君の目から見た世界のことを、忌憚なく述べてほしい」
なるほど、平民目線のリアルな体験談を聞きたいわけね。そんなもん路地裏を覗いてみれば一発でわかるだろ。ゴミのように捨てられる奴隷の様子や、貴族の機嫌次第でいつ奴隷落ちするかわからない平民の立場の弱さが。そんなことは態度に出さず、「尊い方が僕たちの暮らしに興味を持ってくださるなんて感激です」と言わんばかりに目をキラキラと輝かせて見上げておく。
「では、お耳汚しかと思いますが――」
俺は言える範囲で生い立ちを語った。男娼として売られた過去。自分の身分を買い戻し、憧れていた外の世界へ飛び出した今。かつての顧客の伝手を頼りに、魔法石商人としてエスト国内をめぐっていたこと、などなど。あらかじめ考えておいた、旅商人ニールの虚実交えた経歴を披露する。
クロヴィスはどんな話も興味深く聞いていたが、特にレッドドラゴンが出現した際に近隣の町にいた、という話には身を乗り出した。実際は俺が倒したということは当たり前だが伏せておく。
男娼時代は傾聴を重視していた。だが旅に出て、娯楽に飢えた暇なおっさんたちと交流しているうちに、まあまあ話し上手になったと思う。
俺は話の最中にさりげなく〔能力鑑定+++〕を発動させてみたが、案の定何も見えなかった。
クロヴィスが身につけている腕輪と指輪、いずれかが精神干渉を阻害するアイテムなのだろう。俺に対してというよりは、普段から不測の事態に備えて最低限のものを装備しているのだと思う。
話の切れ間にクロヴィスは深々と息をついた。
老騎士に案内されたのは宿の前まで。そこからはクロヴィスの小姓が俺を奥へと連れて行った。
老騎士によってボディチェックは済んでいる。といっても商人のニールちゃんが持っている武器は護身用の小刀だけ。手荷物と共に預けてある。
廊下に敷かれた絨毯を踏みしめて、やがてひときわ豪華な装飾が施された扉の前までたどり着いた。間違いなくこの宿で一番上等な部屋だろう。
「この場に限り、閣下は君に直答をお許しになられています。くれぐれも失礼のないように」
ここまで案内してくれた小姓はうんざりとした表情を俺に向けた。頭のてっぺんからつま先まで眺めてから、フンと鼻を鳴らす。この感じは覚えがある。「なんだよブスのくせに、ちょっと閣下に目をかけられたからっていい気になるなよ」と言わんばかりの、蔑みと嫉妬が混ざった眼差し。俺はそれを笑顔で受け流す。男娼のときに美少年の仲間たちと鎬を削っていましたからね。この程度かわいいものである。
「閣下。彼の者を連れて参りました」
「――入りなさい」
小姓に伴われて主室へと立ち入る。小姓は俺にもう一度釘を刺すように視線をよこしてから、前室へと下がっていった。
安宿とは完全に別物の、上等な部屋だった。さながら宮殿のよう。いや、実際の宮殿は俺の想像以上に豪勢なのかもしれない。
ダンスでも踊れそうな広い部屋に、豪華な応接セット。
クロヴィスがいるのは庭に面した大窓の前。庭を眺めていたクロヴィスが振り返る。すぐさま膝を折る俺に、片手をあげて制する。
「膝をつかなくていい。よく来てくれた」
俺は膝をついたまま戸惑うふりをしつつ潤んだ瞳で見上げてぷるぷる震える。ライオンと対峙させられたチワワを想像しておく。
「どうか楽にしてくれ。どのような無作法も咎めない」
チワっている俺に、ことさら優しい声音で語りかける。低く深みのある声。領主の館にいたときのような堅苦しさは感じない。威圧しないようにしているのがよくわかる。そこでようやく俺は顔を上げた。
長身の美丈夫が微笑む。冬の海を結晶にしたような瞳が俺を捉えていた。簡素な服装をしているが、にじみ出る高貴さは隠せない。王族として生きた歳月が地層のように重なり、頑強な品性を形作っている。
クロヴィスは俺に向けて、穏やかに語りかけた。
「あのようなことがあった後に呼びつけるなど、無神経だとは思ったのだが……どうしても君と話をしてみたくてな。無理を聞いてくれてありがとう」
「いえ、そんな、僕なんかに……恐れ多いです」
まさか王族が平民に「ありがとう」なんて言うとは思わず、本気で動揺してしまう。
クロヴィスは部屋を横切り、ソファに座ってゆったりとくつろいだ姿勢をとった。小動物を警戒させまいとする優しい動きだ。家臣の前にいたときとはまるで雰囲気が違う。
「さあ、遠慮はいらない。君も座るといい」
「……では、お言葉に甘えて」
本当に遠慮はいらないのなら懐に飛び込ませてもらう。
促された俺は、おずおずとした足取りで接近して、向かいの席ではなくクロヴィスの隣に腰を下ろした。体が触れ合うほど近くに。
本来許可なく王族に触れたら即座に首を刎ねられても文句は言えない。急接近にクロヴィスも目を丸くしていた。
――だって遠慮はいらないんですよね? と言わんばかりに首をこてんと傾げて見上げる俺に、一瞬固まっていたクロヴィスはふっと息を吐いて、そのまま破顔した。
「ふふっ、ははは! やはり君は面白いな。謙虚かと思えば豪胆にこちらを揺さぶってくる。実に愉快だ」
貴族が豪快に笑うことは滅多にない。ましてやクロヴィスは王族だ。それでも品性を欠くことはない。
想像以上に喜んでもらえたようだ。前回の目通りで、あの無茶苦茶な態度を見て俺に興味を持った。それならやはり、無礼ぎりぎりの距離感で正解だ。
「酒は飲めるか? この蒸留酒は王都から運ばせた私蔵のものだ」
「はい、いただきます」
上機嫌のクロヴィスが手ずから俺に蒸留酒を注いでくれる。高級娼館にいたときも上質の酒を嗜んできたが、王家御用達はさすがにはじめてだ。
乾杯をしてひとくち味わう。演技の必要もなく、その味わいに感激する。
「~~~! お、いしい、です……!」
香りも喉越しも一級品。舌先から胃の腑まで溶けてしまいそうだ。
「ふふ。好きなだけ飲むといいが、少しばかり酒精が強いからな。水も飲みなさい」
「はい! お気遣いまでいただいて、ありがとうございます」
チェイサーを勧められて遠慮なくいただく。琥珀色の蒸留酒のほかに、テーブルに並べられているのは果物や軽食の数々。こんなご馳走があるってわかってたら安酒なんて呑まなかった。
「君の好みがわからなかったから適当に用意させたが、他に欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます、充分過ぎるほどです」
高級な酒と肴に惹かれつつも気を引き締める。呑んだくれて醜態を晒すわけにはいかない。ここに来た目的を果たさなくては。
「お呼びいただいて光栄なのですが、僕は一介の平民です。閣下のお話し相手が務まるかどうか……」
「そう気負わなくてもいい。私は平民の世情には疎いのでな……家臣から報告を聞くだけではなく、当事者の話も一度聞いてみたいものだと常々思っていた」
うつむく俺に、ことさら優しいクロヴィスの声音が降りかかる。
「ただ、君がどんな風に暮らしてきたのか話してくれればいい。もちろん、言いたくないことは口にせずともよい。君の目から見た世界のことを、忌憚なく述べてほしい」
なるほど、平民目線のリアルな体験談を聞きたいわけね。そんなもん路地裏を覗いてみれば一発でわかるだろ。ゴミのように捨てられる奴隷の様子や、貴族の機嫌次第でいつ奴隷落ちするかわからない平民の立場の弱さが。そんなことは態度に出さず、「尊い方が僕たちの暮らしに興味を持ってくださるなんて感激です」と言わんばかりに目をキラキラと輝かせて見上げておく。
「では、お耳汚しかと思いますが――」
俺は言える範囲で生い立ちを語った。男娼として売られた過去。自分の身分を買い戻し、憧れていた外の世界へ飛び出した今。かつての顧客の伝手を頼りに、魔法石商人としてエスト国内をめぐっていたこと、などなど。あらかじめ考えておいた、旅商人ニールの虚実交えた経歴を披露する。
クロヴィスはどんな話も興味深く聞いていたが、特にレッドドラゴンが出現した際に近隣の町にいた、という話には身を乗り出した。実際は俺が倒したということは当たり前だが伏せておく。
男娼時代は傾聴を重視していた。だが旅に出て、娯楽に飢えた暇なおっさんたちと交流しているうちに、まあまあ話し上手になったと思う。
俺は話の最中にさりげなく〔能力鑑定+++〕を発動させてみたが、案の定何も見えなかった。
クロヴィスが身につけている腕輪と指輪、いずれかが精神干渉を阻害するアイテムなのだろう。俺に対してというよりは、普段から不測の事態に備えて最低限のものを装備しているのだと思う。
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