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第3話 魔の森行軍
しおりを挟む焚き火のぱち、ぱち、と木がはぜる音だけが響き、誰もが静かに幼い少女の言葉を待っている。
マールは膝の上でぎゅっと手を握りしめ、息をひとつ震わせた。
「……かえ……る、ばしょ……ない……」
しぼんだ声は、焚き火の音さえも止めてしまうほど弱かった。
だがその弱々しいひと言が、レグルス隊の男たちの胸に深く刺さった。
アッポロはその大きな拳を音が出るほど握りしめ、フリッツは眉をひそめて視線を落とした。空気の読まなさそうなドクペインですら表情を曇らせている。
「……隊長」
最初に口を開いたのは弓兵のフリッツだった。小さく息を吸い、焚き火越しにレグルスを見る。
「この子を……ウチの隊で保護してあげませんか」
レグルスの金の瞳が揺れた。影を含んだその眼差しは、迷いを隠していない。
「……危険だ」
低い声が落ちる。
「訳ありなのは確実。万が一、アルマティア王国の貴族だったらどうする。ただでさえウチのリヴィア龍帝国とは仲が悪いんだ。他国の子どもを保護したとなれば……下手をすれば戦になる」
フリッツは唇を噛む。だが、すぐに別の声が割り込んだ。
「でも隊長」
ドクペインだった。相変わらず淡々としているが、言葉にはいつもと違う温度があった。
「この子、置いていったら一瞬で食われますよ? むしろ助けるために保護したって言うほうが、まだ筋が通ります」
「……そうだな」
アッポロが短く唸るように同意する。
確認しなくても、考えていることは全員が同じだった。
レグルスは、深く、ひとつ息を吐いた。
「……街までだ。この子を保護してくれる安全な場所を探す」
その瞬間、空気がふっと軽くなった。アッポロが思わず拳を握りしめ、「よかった」と小声で漏らす。フリッツは胸をなでおろし、「隊長の判断は正しいと思うっす」と静かに微笑んだ。
半ば置いてけぼりの様子で状況を見守っていたマールの肩が優しく叩かれた。「良かったですね」 とドクペイン。
「ありが、とう……」
「隊長も悪気があって反対したわけじゃないんですよ。あの人は何より部下の安全を――」
「おい、ドクペイン。余計なことを言っていないで、出発の準備するぞ」
「はいはい、わかりましたよ。まったく、照れ屋なんだから……ふふ」
こうして隊の空気が一気に緩み、誰もが自然と動き始めた。焚き火を消し、全員が手際よく荷をまとめていく。
「……マール」
しばらくして、レグルスがそばにしゃがみ込む。焚き火に照らされた金の瞳は、さっきよりもずっと柔らかかった。
「お前の旅支度をする。少し離れたところで話そう」
彼に導かれ、焚き火から少し離れた木陰に入ると、レグルスは麻袋を広げ、中から折り畳まれた服を取り出した。
男物のシャツとズボン。だが袖も裾も、小柄な体に合わせて丁寧に切られている。
「これは……」
「応急的にだが、ドクペインに作らせた。男の子だと偽装したほうが、なにかと身を守りやすいからな。……不便だろうが、許せ」
差し出されたシャツは、ほんのり温かかった。きっと焚き火のそばに置かれていたのだろう。
マールは胸の奥がじんと熱くなるのを感じ、ゆっくりと、こくんと頷いた。
髪を短く束ねられ、頬の汚れを少し残し、鏡代わりの水面を覗くと──そこには、小柄な“少年”が立っていた。
その姿にまだ慣れないまま、マールはレグルスのもとへ戻った。隊員たちはすでに移動の準備を整え、森の奥へ向かう細い道の前で待っている。
「無理はするな。歩けなくなったら言え……あぁ、やっぱりいい」
「え……」
ふわりと浮遊感の後、マールは大きなレグルスの肩に乗せられた。
「お前の足に合わせていたら、何日たっても森を抜けられないだろうからな。俺がおぶっていく」
「そんなこと言っちゃって~、隊長はただ心配なくせに~」
「まるでパパだな」
そういったアッポロの頭に小石がゴンッと鈍い音を立てて衝突し、先に軽口を叩いていた隣のフリッツが、慌てて自分の口をふさいだ。もちろん、誰が石を投げたかは言わずもがな。
「ごほん。……さぁ、行くぞ」
小さく咳払いしたレグルスが短くそう告げ、ゆっくりと歩き出した。
朝の森はひんやりとしていた。
湿った土の匂いと、レグルス隊の足音。時折、鳥の声が木々の間を縫って響く。光はまだ弱く、葉の隙間からこぼれる細い筋が道を淡く照らしていた。
マールはまだ体に力が入らず、振り落とされないようにギュウとレグルスにしがみつく。だが──あるものを見つけた瞬間、その手が緩んだ。
「……ん? あぁ、この匂いはコブラ苺か」
甘ったるい匂いの元をたどると、木の根元近くで赤黒い斑点のついた小さな果実がひっそりと揺れている。
コブラ苺。
森に自生する果実の中でも、とりわけ危険度が高いとされる食材だった。
「これは枝から離れた瞬間に毒化が進み、触れただけで皮膚が焼けるほどの猛毒に変わる植物なんですよ。採取した動物をその場で殺し、植物の肥料に変える仕組みなんだとか」
毒と薬の専門家でもあるドクペインがマールに説明してくれた。
(……おいしそう……でも枝から取れない……なら……)
「おい、どうした。マール?」
下ろしてくれと言うので言うとおりにしたが、レグルスが声をかけてもマールは返事もしない。
次の瞬間。小さな手が、反射的に果実へと伸びた。
「危ない!!」
レグルスが慌てて止めようとしたが──遅かった。
枝から果実が離れる、ほんの刹那。
ぱん、と空気が震えるように、透明な膜が果実を包んだ。
「「「「「えっ?」」」」
それはマールが展開した“結界”だった。
(よし、できた……)
結界の内部で、毒が広がろうとした気配がふっと消える。毒素を構成する魔力そのものが、別の形へと組み換えられていくような──そんな光景さえ見えた。
ありえない。
常識では考えられない。
「……今のは……魔法か?」
レグルスが呆然と呟く。
「毒化……していない……?」
ドクペインでさえ驚きに目を見開いている。
マールは小さく結界を解除し、手のひらに落ちた果実をそっと見つめた。恐る恐る口に運ぶ。
とろり。
毒が消えた果実は、驚くほど甘かった。
頬が、ほんのり桃色になる。
「……おいしい……」
その一言に、三人が同時に固まった。
レグルスはほんの短い沈黙のあと、低く呟いた。
「この子には……計り知れない力がある」
“食べ物への執念”からくる不思議な力。
この時レグルスは、“マールには得体のしれない秘密がある”と、ぼんやり理解し始めていた。
フリッツが頭を抱えながら小声で言う。
「監視……いや、見守りが必要っすね、隊長……」
ドクペインは果実の残りを興味深そうに覗き込み、アッポロは「俺も食べたい……」と間の抜けた声を漏らす。
肝心のマールはというと──
(……もっと……ある、かな……)
自分が驚かせたことなど気にも留めず、どこかに果実がないか周囲を見回すのであった。
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