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第5話 騎士の誓い
しおりを挟むある日、私は「天気がいいので庭で休憩をしよう」といってリオンをお茶に誘ってみた。
我がキルメニア侯爵家の敷地は無駄に広い。財政難で手入れができている部分はどんどん狭くなってきたけれど、辛うじて中庭の小さな庭園だけは維持できていた。
リオンをそこに案内すると、彼は感嘆の声を上げた。
「綺麗でしょう? ここはお母様がお気に入りだった場所なの」
「ああ、凄いな。こんなに美しい庭は見たことがない」
リオンは感動したように花壇を見渡した。
今の季節は青い瑠璃唐草が一面に咲き誇っている。お母様は特にこの可憐に咲く小さな花が大好きで、亡くなる寸前まで手入れを欠かさなかった。今では私が種を取って、次の年に引き継いでいる。
「さ、座ってお茶にしましょう。ちゃんとお茶菓子も用意してあるのよ」
花壇の花が一望できる場所にテーブルと椅子がある。その席にリオンをエスコートすると、私はお茶の準備を始めた。
「……キミがお茶を淹れるのか?」
「そうよ。今日は茉莉花にしてみたわ」
彼は少し訝し気にそのお茶を一口。目を見開き、顔を綻ばせた。
「すごくいい香りだ。気分が落ち着く」
「でしょう? 茉莉花ってね、夕方から咲くのよ。摘み取った花を茶葉と一緒に混ぜて、夜のうちに寝かせておくの。そうすると茶葉が花の香りでいっぱいに膨らんで、より美味しくいただけるのよ」
ポットに残っていたお茶を注いで彼に渡すと、私は自分のカップにも注いだ。
茉莉花独特の甘い香りと華やかさが混ざり合って、口の中に広がる。
「うん、美味しい。他のハーブティーとはまた違った味わいよね」
私は満足げに息を吐くと、彼はそんな私を見て嬉しそうな顔で笑った。
「ありがとう、美味しいよ」
そう言ってお茶を飲むリオン。その仕草はさすが貴族育ちというべきか、優雅なものだった。
私は隣で、その横顔を眺めていた。
(――ああ、やっぱり好きだなぁ)
リオンへの恋心が再燃するのを自覚した。誰にも言えなかったけれど、初めて出逢ったときからずっと、私は彼のことが好きだった。
しかしこの恋は叶わない。何故なら、彼は私を恨んでいるのだから。
事情を全て打ち明けてしまいたいけれど、今はまだそのときじゃない。無理やりことを進めてしまっては、姉と同じ轍を踏んでしまうだけだもの。
いつか私を受け入れてくれれば、今はこうしていられるだけでいいわ。
「バジルのクッキーも私が焼いてみたの。良かったら食べてみてくれる?」
「そんなことまでするのか!? キミは侯爵令嬢だろう!?」
「だってその方が倹約できるんだもの。いちいち贅沢なんてできないでしょう? それに料理は好きだし、美味しくできたと思うから是非食べてみて」
私はそう言って彼にクッキーの乗ったお皿を差し出す。
彼は恐る恐るという様子で口に運ぶと、その顔がみるみると明るくなっていく。
「……美味しい」
「でしょう?」
嬉しそうな彼の表情を見て、私は満足げに微笑む。
しかし、彼の表情はすぐ曇ってしまった。
「どうかしたの、リオン」
私がそう訊ねると、リオンは「いや……」と言葉を濁らせる。
「その、なんだ……俺はキミのことを誤解していたみたいだ」
「誤解……?」
リオンは気まずそうに頬を掻く。
そして少し間をおいてから口を開いた。
「シャーロットは貴族の経営もしっかりしているし、料理もできて多才だ。それに比べて自分は、伯爵家を継ぐ立場だったのに何もできず、家族を窮地に陥らせてしまった」
そう言ってリオンは悔しそうに俯いた。
「自分のしたことといえば、置かれた境遇を嘆いて、他人のせいにするだけ。俺がちゃんと自立していれば、あんな悪女たちの言いなりになんか……」
しかし途中で失言だったと気付き、慌てて「すまない」と謝った。
「ふふっ。気にしないわよ。私たち姉妹が悪女なのは確かなのだし。でも訂正させて。貴方は今、ちゃんと自分の力で立って生きているわよ?」
「そう、だろうか……?」
「そうよ? それに……見て」
私は視線をテーブルの下に落とす。そこには石畳の隙間から顔を出した一輪の黄色い花があった。
「これは……蒲公英?」
「貴方はこの花と同じく、日の光を浴びられず耐える期間が長かっただけ。だけど地面の下で何もしなかったわけじゃない。いつか咲く日のために、力を蓄えて待っていたのよ」
私はその花を摘み取り、太陽にかざす。うん、いつみても堂々と咲き誇っていてカッコイイ。どこかの詩人は馬鹿にしていたけれど、私はこの花が好きだ。
「貴方は今、私の手伝いをしているじゃない。それは貴方が自分から望んでやっていることなのよね? 私からしたら凄く助かっているし、感謝もしているの」
私は彼の手に黄金色に輝くダンデリオンを渡しながら微笑む。
彼はハッとしたような表情になった後、泣きそうな顔になって笑った。
「そうそう。それに私は知っているの。貴方が毎日のように剣の鍛錬を積んでいることを。いつの日か妹さんを迎えに行くために」
「……見られていたのか」
「貴方の剣はいつだって、誰かを守るためにあるのでしょう? 出逢ったときだって、貴方は私を救ってくれた。――だから今度は、私が貴方を救いたいの」
彼は呆然とした表情のまま固まっていた。私は彼に微笑みかける。
「それでね、今日はリオンにとあるプレゼントを用意したの」
「俺にプレゼント……?」
「そうよ。ちょっと待っててね!」
私は一度退席すると、あらかじめ用意しておいたものを持って帰ってきた。布に包まれたそれをリオンに手渡すと、彼はゆっくりと包みを開く。
「こ、これは……俺がアンジェリカに奪われていた剣!?」
「ふふっ。どう? 驚いたかしら?」
私は得意げに胸を張る。彼は無言のまま壊れた人形のように、コクコクと何度も首を縦に振った。
実は私、リオンの剣が勝手に売られてしまったと聞いて、こっそり買い戻しておいたのだ。
「これは我がモカフェル伯爵家に代々伝わる、由緒正しいものなんだ。それをまさか、キミが取り戻してくれていたなんて……」
「ふふっ。だって私、貴方の騎士道精神に惚れたんですもの。返してあげたいと思うのは当然でしょう?」
「シャーロット……ありがとう。本当に、ありがとう」
リオンの瞳からポロリと大粒の涙が零れ落ちる。いつもの強張った顔はどこに行ったのか、そこには年相応の青年がいた。
その顔を見て思わずキュンとした私は、気付けばリオンの頬を流れる涙を指先で拭っていた。彼は驚きながらも、されるがままになっている。
「――シャーロット」
突然、リオンは私の名前を呼んだ。私は何? と首を傾げる。
すると彼は一度席を立ってから目の前で跪き、私の手を取った。
「俺……リオン=モカフェルはシャーロット=キルメニアに、一生の忠誠を捧げることをここに誓います」
そして彼は私の手の甲へと口づけを落とす。
良かったわ。これでようやく、私たちの間にあったわだかまりも消えたみたい。……騎士の誓いを受けたのは、ちょっと予想外だったけれど。
私は「よろしくね」と微笑む。その笑顔を見たリオンは顔を真っ赤にしていた。
「……? どうしたの、リオン」
「あの、実は……俺からも、シャーロットに渡したいものが――」
「きゃあああっ!!」
リオンがそう言いかけたとき、屋敷の方から悲鳴が上がった。
「――お姉様?」
あの声はきっと、アンジェリカお姉様のものだ。
「行こう。何かあったに違いない」
リオンがそう言って走り出す。私もそれに続いて走る。
そのまま玄関ホールまで走っていくと、そこには縄でグルグル巻きにされたアンジェリカお姉様とお父様の姿があった。
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