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聖剣エクスカリヴァーという少女
第3話
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『ネズミ野郎』といつの間にかあだ名をつけてしまった文字通りネズミ顔の怪物を逃したことで、俺とエクスカリバーは一難をやり過すことができた。そもそも、あれはネズミ野郎が逃げたというよりも、何か理由があって一度姿を消したように思える。異界だとか、魔族だとか、武器だとか、そんな突拍子もない知識を急に入れられたところで、ついこの前まで受験勉強が終わってつかの間の休息に入っていた高校一年生の頭には整理する余裕なんてなかった。
エクスカリバーとの残りの帰宅道は、というか俺が最初に怪物から逃げたことで逆にいつもより長い道のりになってしまったが、無言の状態が長く続いていた。俺も、おそらくエクスカリバーも、出会いがしらの戦闘と会って、急ピッチで戦ったから相当疲れていたのだろう。だけど、逆に疲弊が前面に出てくれたおかげで会話する余裕を来ることができず、気まずさというものは一切感じられなかった。女子とこうして歩くのはもしかしたら小学校を通り過ぎて幼稚園以来の俺にとっては至福の疲弊だった。
家に着くころには日はとうに隠れて、あたりは薄暗くなっていた。
「まだなんですか広樹さんの家は~?」
エクスカリバーの第一声には疲労がこんもりと籠っていた。そんな疲れ切った質問に、俺は疲れ切った声で答える。
「いや、ちょうど着いたぞ。ここだ」
俺が足を止めるとエクスカリバーは一歩先に出て足を止めた。
紹介した家の玄関をまじまじと見つめている。
自慢できるほど大きくはないが、貧乏と思われるほど小さくもない二階建ての一軒家が俺の家だ。築年数はほどほどに経っているから壁や扉、柵についた垢はやや目につくが、まだまだ丈夫に建っている。こうして家に人を連れてくるのは久しぶりだが、こんなにまじまじと見られると恥ずかしいものだな。
「案外普通の家なんですね」
「なんて失礼な。お前はどんな豪邸を想像していたんだよ。いっとくけど、今の時代、一戸建ての家が建ってるだけでそうとう金持ちなんだぞ」
今は家を買う余裕がなくて賃貸やマンションを借りて暮らす人が増えているという。そんな中で俺の両親が家を買ってくれたことには感謝しかない。
「それはそうと、疲れたんで早く中に入っていいですか? あんなに激しく戦った後にこんなにあるかされたら足が棒になりますよ」
そう言って遠慮もなく敷居を跨いで玄関まで進んだ。
「本当に失礼な奴だな。いくら契約を結んだ相手だからって礼儀ってもんがあるんじゃないのか?」
「じゃあ、私はお客様なんで、早くもてなしてくださいよー」
エクスカリバーは俺を急かすようにドアノブを握ってガチャガチャと音を立てる。
俺の中の真の俺が言っている。コイツを家に入れてはいけないと。
ふと小さなころ先生や親に言われたことを思い出した――知らない人について行っちゃいけません。知らない人を連れてもきちゃダメなんだなと、今頃になって気づきました。
だが、エクスカリバーからは武器に関することとか魔族に関することとか、俺が巻き込まれたことに関するアレコレを聞かなければならないし、何よりもコイツをもうかまいたくない。面倒ごとに巻き込まれる以前、コイツが面倒だ。
「ほら、鍵を開けるから退いてくれ」
ほんの数秒だというのに、待ちわびた眼差しを向けてくるエクスカリバー。ああ、俺はきっとこんな眼に騙されてしまったのだろう。
疲れた手にさらに負荷をかけるように、俺はドアにカギを差し、開けた。
「ちゃんと靴に付いたホコリは払えよ?」
「やっと休めるー!」
靴を脱ぎ捨てたエクスカリバーは一目散に家の中に入っていった。
どうして決死の覚悟でドアを開けたのに、こんなに後悔しなければならないのだろうか……。
1
「おい家の物勝手に触るなよ? 壊したら弁償してもらうからな?」
教えたわけでもないのに、玄関先の廊下の突き当り右にあるリビングへと入ったエクスカリバーを追いかけるように俺も入る。
「おっほー! なかなかにふわふわしてますね! これなら体も休められそうです」
エクスカリバーはソファにダイブし、足をバタつかせながら柔らかい感触を全身で体感していた。
バタバタと足を動かしていることによって、スカートがひらひらと靡いている。眼のやりどころに困るんですけど。
「お、おい……仮にも人んちだぞ。遠慮の一つや二つしたらどうだ? こっちが気を使っちまうだろ……」
とくに膝直下までしかないスカートを履いているのだから、それに見合った動きをしなさい。
「えー? いいじゃないですか、疲れたんですし。広樹さんも、早く座ったらどうですか? 遠慮せず休んでください」
「だからお前な……」
なんだろう、疲れているはずなのに拳を握る体力がみるみる込み上げてくる。見てくれは可愛い。それは間違いない。だが、本当に何だろうか、話しているとイライラが込みあがってくる。殴っていいかな。この子初対面だけど殴っていいかな?
まあ、そんなことできるはずもなく、俺の拳は力なく解かれた。
そもそもこのエクスカリバーとは初対面だというのに、なぜ名前すら教えていないはずの俺の名前を憶えているんだろうか。今思うと悲劇かもしれないが、あの時空から落ちてきてからネズミ野郎と戦ってこの家に着くまで、なんやかんやあって自己紹介する暇はなかった。
俺はエクスカリバーがくつろぐソファとテーブルをはさんで向かい側にあるもう一台のソファに腰を掛けた。
「なあエクスカカリバーさん。なんでまだ名前を教えていない俺の名前を知ってるんだよ?」
「ふえ?」
エクスカリバーはバタ足を止め、そんな素っ頓狂な声を漏らした。不覚にも、可愛いと思ってしまった。
「いや、そりゃそうに決まってるじゃないですか」
「決まってるって、俺、自己紹介したっけか?」
「広樹さんの口から直接聞いたわけではないですが、私はちゃんとあなたの名前を知っていますよ? 田井中広樹さん、ですよね?」
「あ、ああ」
改めてフルネームで言われると不思議だ。
「あ、そうでした。まだ契約書について全然説明していませんでしたね」
ポンと思い出したように手を叩いたエクスカリバー。寝ていた姿勢から起き上がって、ソファに座り直した。
「実は契約書にあなたの名前が書かれたんですよ。それで私はあなたの名前を知ったという、そういうことなんですよ」
「書いたって言っても、ただ紙に手を押し付けただけだぞ」
書いたというのは、ペンで実際に文字を書き込んだということだろうが、俺はあの時そんなことはしていない。それに、そんなことをしている時間はなかったはずだ。ただ紙を地面にパーの手で押し付けた。ただそれだけだ。
「でも、ちゃんと書かれていますよ」
エクスカリバーはスカートのどこかに付いているらしいポケットから例の紙の筒を取り出すと、俺に見えるように机に広げた。
紙面にはぎっしりと横向きの文字で埋められ、その上に俺の物であろう黒い手形が押してあった。
「ほら、ここに書かれています」
そう言って理葉が指を差したのは、黒い手形の中覆う部分。そこには明らかに背景の文字とは違う言語「日本語」で「田井中広樹」という名前が書かれいていた。
「いつの間に。てかそんな手相しているか?」
十六年片時も離れず付き合ってきた手相を改めてみるが、まあ見るまでもなくそんな自己主張の激しい手相は刻まれていなかった。
エクスカリバーは手を見ていた俺を軽くからかうように笑った。
「そりゃ手に書かれてるわけないじゃないですか。考えたら分かることですよ」
「いや分かってるよ。念のためだ。で、原理は?」
「その前に」
エクスカリバーは契約書を手元に引き寄せ、自分の顔の横に並べた。
「この紙はただの契約書ではなく、神が作りし絶対的な契約書です。神が施した『為神誓(カミヘノチカイ)』によって、ここに手形を残した者の誓いは絶対的なものとなるのです。神への忠誠の誓いの証として名前が刻まれるわけです」
「そう言われてもな、別に神様に本気で忠誠を誓った覚えないからな。というか、あの窮地で生きるか死ぬかの選択を迫られたら、そりゃ生きる道を選択するに決まってるだろ」
目の前に斧を持った化け物がいて、手元にある紙一枚で生き残ることができるなら、迷わず生きる道を選ぶに決まっている。あの生死の決断が、そのまま神への絶対的な忠義の証につながるなんて誰が想像できるか。
「でも結ばれてしまったのは仕方がないじゃないですか。もう忠誠は誓われました。契約は結ばれました。以上、おしまい」
契約書の説明を早々に切り上げて紙をくるくると丸め始めるエクスカリバー。
この契約書、いや契約というこの世界では法律的拘束力を持つものの説明がこんなに早く切り上げられていいはずがない。もっと詳しく聞かなければ。
何か重要なことを聞きそびれる可能性がある。
「おい待てよ」
「今度は何ですか?」
せっかく契約書を丸め切ったところ悪いが、ここはもう一度開いて丁寧に説明してもらおう。
「なあ、それって結局は契約なんだよな? 神に対してだろうが、どこぞの会社の社長に対してだろが、契約であるからには何かしら条件があるんだろ? そんな曖昧な『神への忠誠』だけで済まされるようなふわふわした内容じゃないと思うんだが」
契約ということは、何かしらの権利と義務が発生するはずだ。神からの要求がある以上、人間側の都合を汲み取った条件が付きつけられるはずだ。俺には決断の自由は与えられなかったが、それでも相手は神だ。そんじょそこらの信用でなっている社長とはわけが違う。人間からの崇拝を糧に生きているような連中からの条件なんだから、納得できる条件が用意されていておかしくない。
しかし、そんな思いで声を掛けたのだが、エクスカリバーの顔には「そうなの?」という契約に関しては何も知らなそうな表情が浮かべられていた。不安だ。
「そう……なんですかね……これ。正直私も契約を結ぶのは二回目ですが、内容をしっかりと読んだことはないんですよ。神様に結ぶようにと言われてるだけなんで」
エクスカリバーは筒状になった神の穴に目を通し望遠鏡のように中を覗き込んでいた。
こんな阿保丸だしの見た目俺とそこまで年が変わらない少女が、そもそも契約の内容について熟知しているのだろうか。心配だ。
「まあ、じゃあ見てみますか? しょうがないんで」
「ああ、頼む」
エクスカリバーは契約書を再び開くと、顔を隠すように大きく盾に広げた。
「えー、『天界武器派遣所はこの契約書を所有する武器を、人間が武器として扱うことに関し、次の条件下において契約を締結する』えーっと、その条件というのが」
「ちょっと待て」
「はい? まだ条件は言ってないですよ?」
俺はエクスカリバーがその先を読み進める前に声を掛けた。エクスカリバーは顔を契約書の脇からひょっこりと覗かせる。
「なんだよ『天界武器派遣所』って? どこぞの株式会社だよ」
「これは会社ではないですよ。立派な天界にある私たちが所属する武器の部署ですよ」
「天界ってのは会社みたいに部署が分かれてるのか?」
エクスカリバーは思い浮かべるように目を上に向けながら言う。
「ええ、まあ。私たちがいるのがさっき言った『天界武器派遣所』で。他にも下界で悪さをする魔族を浄化し、元の世界に返す『天獄』と、重罪を犯した魔族が罰を与えられたのち浄化して元の世界に返す『地獄』があります。ちなみに、天獄のゴクは地獄のゴクと同じです。あと、そこの管理は神と互角の存在になった『神聖武器』たちが管理してるんですよ。おっかないんで近寄らないようにしてたんで、詳しいことは知らないです」
「天国じゃなくて、天獄、ねー……。どちらにせよ、やっぱり天獄と地獄はあるのか」
別に地獄に落ちるとは思っていないが、地獄絵図というものが描かれるほど不気味で悍ましく、恐怖の温床となっている場所の存在を知っただけで気が落ちる。
「どうしたんですか? 何か地獄に落ちるような悪いことでもしたんですか? まあ、落ちたら落ちたで罪を償うしかないですねー。どうせ広樹さんのことですし、パンツを盗んだとかでしょう」
「何決めつけてんだ。あと地獄に落ちる気はないから。ほら、契約書に戻って続きを頼む」
「何ですか。あなたが中断したのに……」
ぷくぅとほほを膨らませ不満を見せびらかすも、エクスカリバーは契約書の陰に顔を隠し、続きを読み始める。
「で、えーっと
『条件一つ、契約を結んだものはこの武器の『契約者』となり、下界の条理をかき乱す悪を成敗すべし』
『条件二つ、武器は戦闘における契約者からの指示は絶対に従うこと』
『条件三つ、武器はその神力および体をもって契約者の命を必ず守ること』
『条件四つ、この契約は結ばれてから一年間は神の命によって絶対的な効力を持つ』」
俺はすぐに契約書を奪い取り、引き裂いた。それはもう通常の紙を破る力以上の力を加えて、上から下に向けて真っ二つに破り切った。
「そんな契約があるかぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「ああああ! なんてことをぉぉぉぉぉお!」
契約書の紙屑たちは天上の照明に照らされながら、床へとゆっくり落ちていく。俺は切れ端を握りしめ、テーブルに片足を乗り出し、エクスカリバーに指を差す。
「おい! いくら神でもこんな契約があってたまるか! 一年? いちねん⁉︎ あんな化け物退治をあと364日続けるってのか! やってられるか!」
「ひ、広樹さん落ち着いて。化け物ではなくこの世の『条理をかき乱すもの』退治ですよ」
「やかましいわ! あんな化け物とあと一回でも戦ってみろ。今度は俺の首が飛ぶぞ」
「それはそれで仕方がないとして。てかほら、その契約書にも書かれてた通り、私がちゃんと守りますから! 任せてください! これでも武器としての誇りは捨ててないつもりです」
自分の胸に手を当て誇りだか綿埃だかを鼻にかけるエクスカリバー。だけどよ、武器のお前がどうやって自分で戦うってんだよ。
「その武器のお前を使って戦うのは俺だよな?」
「そうですよ? 当り前じゃないです――」
エクスカリバーは己が口で発したことを即座に否定するような素っ頓狂な答えを言おうとした。
「それじゃ意味ないだろ! 結局戦うの俺じゃん。守るのも俺じゃん。自らを危険にさらしたうえで助けるとかバカバカしおすぎるだろ」
俺は手の中に残った契約書の切れ端をエクスカリバーに見せつける。
「第一、こんな紙切れでそんな命を懸けた契約が結ばれるのがおかしいんだ。契約書はこうして破り捨てた。もう終わりだ」
「いえいえ広樹さん。その契約書、そう簡単に破れませんよ」
エクスカリバーは手のひらを左右に振った。
「そんなこと言ったってたかが契約書だ。破って捨てちまえば無かったことにな……」
と、エクスカリバーの顔に突き出した契約書は、最初に受け取った時と同様の一枚の紙に戻っていた。
「い、いやおかしい。俺はさっき破ったはずだ」
「いいえ、広樹さんは破れてませんよ」
「いいや破った。こうして」
俺は再び、今度はエクスカリバーと俺の目の前で上から下に引き裂く。紙はビリビリと乾いた音を発しながら弱い力に引かれて二つに分かれる。
「ほらな」
これで今度こそ破れた。さっきのはアレだ、破ったように思えあれたが、実際には俺の指先が滑って何も引き裂いていなかったのだ。今度こそ正真正銘破ってみせた。
「だから、その紙は為神誓の施しがされているので、そんな破るごときで取り消されるような代物ではないんですよ。ほら」
エクスカリバーのその言葉を合図にするかのように、右手の紙切れは灰となって崩れ落ちていき、左手の紙切れは断面から緑色の炎を湧かせた。
思わずテーブルの上に落とす。
「っておい! なんだよこれ! なんで勝手に燃えたんだ! てか火事になる! 早く水を!」
「必要ないですよ。紙が燃えてるだけなんで。というか、落ち着いてよく見ててください」
めらめらと湧き上がる炎を動じることのないエクスカリバーは、むしろまじまじと炎の行方を眺めていた。おれはいつでも水を準備できるよう構えながら見つめる。
断面から上がった炎は紙全体に広がることはなく、むしろ燃え上がった部分から紙が復活していった。そしてあっという間に炎の中から破ったはずの紙面が復活し、一枚の紙が出来上がっていた。
「なんでだよ⁉︎」
「だからただの紙じゃないんですって」
「たとえ元の形に戻るとしても所詮紙だ。木っ端みじんにしてしまえばさすがに無理だろ。おらおらおらおらおらおらおらおらぁあ!」
俺は出来上がったばかりの紙を破って破って破って破りまくった。部屋中に細かくなった紙切れが花びらのように舞い散った。
「嗚呼、清々しい。これで契約もなかったことに」
「なりませんよ。ほら、右手に」
エクスカリバーがいい加減に疲れながら俺の右手手元を指さした。
手にはしっかりと紙が握られている……。
「な・ん・で・だ」
文字通り粉々に引き裂いたはずなのにどうして戻っている。しかもなぜ俺は無意識にこの紙を定番のように握っているんだ。
「この契約は一年の間絶対的に成立する者なんですよ。たとえ日の中水の中に鎮めようと、フェニックスのように何度だって蘇ります」
その説明を聞いて俺は目の前が真っ暗になった。部屋の照明が一気に明るくなって部屋中を白い光で包んだかのようだった。どうしようもならない事態に、俺は頭を抱えて俯く。破っても破っても復活し、何度でも蘇る契約書。一年間は何が何でも続く死の怪物退治の契約。
「終わった。俺の人生終わった。今日で終わりだ。か、母さんに連絡だ」
焦る手で制服のポケットの中からケータイを取り出す。不慣れな手つきで母さん宛てのメール画面を開いた。
『俺、怪物に食われます』
「くそ! 誰がそんな文信じるかよ!」
命の危機をケータイで伝えようとしたが、あまりのクダらな過ぎる理由に俺はソファに叩きつけた。いくら俺を腹を痛めて生んでくれた親であろうと、こんな特撮の見過ぎで狂ったようなメールを送りつければ、鼻で笑われるはずだ。俺はもう布団叩きを武器に赤いちゃんちゃんこを被って戦う真似はやめたんだ。もし俺があの時みたいに自分が世界の急性h酢だと信じ込んでいたら、もっとポジティブに今の状況を受け入れていたのだろう。成長した俺は、下唇を血が出ない程度に噛むことしかできない。
テーブルの上にうずくまる俺の肩に、小さく柔らかい手が軽く乗った。
「広樹さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないだろ。もうHPは残ってないよ。もうどうしろと言うんだよ」
「そんなの戦うしかないじゃないですか。結ばれてしまった契約はもう取り消せません。なにより、あなたは武器使いに選ばれてこうして契約を結んだんです」
「俺は選ばれた筋合いはない。まさか、それもどこぞの神様が選んだっていうのか?」
嫌味を抜付けるつもりでエクスカリバーに尋ねた。顔を上げるとエクスカリバーは笑顔を浮かべていた。
「はい」
「神様の選択だから仕方ないと」
「まあ、そうなりますね」
「……」
運命というのは勝手すぎる。神のみぞ知るとは言うが、それは逆に言い換えれば神様のみが運命を握っているのかもしれない。神に勝手に託された命運は捨てようにないようだ。
受け入れるつもりはないが、これが現実のようだ。
「ぐ~~~」
その音は頭の方向から聞こえた。体を置き上げると、エクスカリバーがお腹を抱えて、こちらに薄赤く染まった顔を向けていた。
「腹、減ったのか?」
「ええ、ぶっ通しで説明しましたからね。それに、戦いましたし」
「戦ったのは俺だろうが「ぐ~~~」
エクスカリバーは一本指を立ててこう言う。
「これもまた運命」
「やかましいわ」
2
時計を見ると時刻は七時をとうに過ぎ八時近くになっていた。腹の虫が痺れを切らして鳴き喚くのも無理はない時間帯だ。
ソファに座って浮いたしをぶらぶらと揺らして落ち着きなく待っているエクスカリバー。自称お客様の彼女の前に、我が家の定番夕食を出す。
いくら相手が武器とかいう俺が諦めの末に信じた異質な存在であろうが、一応客であることは変わりない。しっかりともてなすという意味で少しは豪華な夕食を出して差し上げることにした。
テーブルの上に用意した今晩のメニューは、ご飯、インスタント味噌汁、サバの味噌煮缶だ。
「どうぞ。我が家渾身の『サバの味噌煮定食だ』」
俺も自分の席に同じ食事を用意して腰を下ろした。普段はサバ缶やアジ缶とただのご飯だけだから、こういう豪華な食事を食べられるのはありがたい。節約生活の中で財布のひもを緩めてくれたエクスカリバーは、真の意味で「お客様は神様」の「神様」なのかもしれない。エクスカリバーに拝むように手を合わせる。
「いただきます」
さて、まずは白米を口に含んで体に今からご飯の時間であることを知らせてあげなければ。
箸で摘まみ上げた米の塊のにおいを嗅ぐ俺に、エクスカリバーは不審げな表情を浮かべていた。指では用意してあげた飯たちをツンツンと差している。
「あ、あのー……」
遠慮気味なエクスカリバーの声。
それもそのはずだろう。いくら容姿が人間とあっても中身は武器なのだ。家庭によって別物に変わる日本人の料理を目の前にいしたらたとえ同じ日本人でも困惑を隠せないだろう。それが外国人を通り越して異世界の住人となれば話は全くの別物だ。
きっと、インスタントの味噌汁が小袋のままお椀の中に入っていることに違和感を隠し切れないのだ。
「なんだ? 味噌汁はちょっと待っててくれよ。まだお湯が沸いてないんだ。別に味噌を袋から出しちゃってもいいけど、手に付かないように気を付けろよ」
伝えたついでに俺も味噌汁の味噌をお椀の中に出した。こうやって出すんだぞ、という手本だ。
だが、エクスカリバーの表情から怪訝さはなくなっていなかった。
「いいえ、そういう訳ではないんですが……」
俺の懇切丁寧な味噌汁の説明を入れてしまったことから、かえって場を複雑にしてしまったのかもしれない。確かに相手の意向を聞かずに一方的に説明してしまったのは恩着せがましかった。まだ味噌袋の封を切っていないことから、それは十分伺える。
「なんだ、味噌汁は飲まない派か? 別に飲まないならそれでいいけど、質素すぎる夕食になっちゃうぞ」
俺はエクスカリバーのインスタント味噌汁のお椀を手に取った。飲まないなら飲まないで、一食分の食費が浮くからいいんだけど。むしろラッキーだ。
――バンッ
エクスカリバーがテーブルを両手で叩いていた。両手とあって音もかなり大きかった。食事質が一瞬だけ宙に浮いた。
「なんだよ、びっくりさせるなよ。やっぱり飲みたいんじゃないか」
それならそうと言ってほしかったものだ。俺はお椀を戻そうとする。
だがエクスカリバーは立ち上がって食事たちを見下ろした。
「違いますよ! 何ですかこの食事は?」
「何ですかって、見れば分かるだろ。サバの味噌煮定食だ。普段はなかなか食べられない豪華な食事だぞ」
「それっぽい名前を付ければいいと思ったら大間違いですよ?」
エクスカリバーは缶詰を手に取った。
「なんですかこの缶は?」
坊将軍の紋所を見に入れるようにエクスカリバーは丸い缶詰を手に取って見せる。
「あ、もしかしてお前、缶詰しらないの? たしかに異世界からいらっしゃった人には我が世界の文明の暦は少し理解しにくいかもしれないな」
俺は説得力を少しでも持たせるために腕を組んであたかも力説するかのように思わせる。内容は薄っぺらくってしまうが仕方ない。形から入る入るのがベスト。
「缶詰というのはたとえ三年前のものであってもしっかりと栓さえしてあれば食うことができる。そして何よりアジやサバ、サンマなどの魚の缶詰を安い価格でいくらでも買うことができる。そして保存がきくから買っておいておくことだってできる。今日出したサバの味噌煮缶は、ただの缶詰ではない。お前は気づいているかもしれないが、今日のご飯は少し多めによそってある。なぜならサバを食べた後に残った味噌でご飯を食えるからだ。これほどまでに万能で安く腹が膨らむ食事はなかなかないぞ。そういうことで、心して食べるように。あ、あと、缶詰の縁で指だけ斬らないように注意な。初心者がやって缶詰嫌いになっちまう原因(俺調べ)だから」
八行にも渡る素晴らしくもまとまっていない内容の説明をしたところで、俺はスプーンを使って缶詰の栓を開けて見せる。指先を使って開けることはできるが、爪を引っかけて開けると考えると恐ろしくて小心者の俺にはできない。だからこうしてスプーンを栓の舌に入れて起こしてから開けるようにしている。これは落ち着きと用意ができる中級車の技だ。さあ、今日からあなたも缶詰マニア、なんてな。
エクスカリバーにも神器スプーンを渡してやろう。
「ほら、スプーン貸してやるから開けろよ。爪炒めないで済むぞ」
スプーンを差し出したが、エクスカリバーは受け取るための手を出さなかった。ただ缶詰を握る手に力が入れ、手元を振るわせていた。
「あの……ここ、日本ですよね……」
「ああ、そうだけど。それが?」
「日本なら、普通和食じゃないですか! 寿司とかお刺身とか! こんなカンカンに詰まった非常食なんて食べたくないですよ!」
エクスカリバーは声を荒げてそう言い、缶詰を床に落とした。床に当たった時にゴツッという鈍い音が聞こえた。俺は缶詰が落ちた場所にしゃがみ込む。
「おい、床が傷ついたらどうするんだよ! あと食べ物を投げるな! だが、缶詰はたとえ投げたとしても中身は保たれるのがこれまた特徴なんだな」
良かった。床は傷ついていない。
足元にしゃがむ俺を見下ろすエクスカリバー。
「どうして寿司じゃないんですか。どうしてお刺身じゃないんですか。百歩譲ってもさすがにこんなメタリックな食事は嫌ですよ。もうちょっとまともな食事を出してくださいよ」
床が傷ついていないことは確認できたから立ち上がった。
この異界少女にとって缶詰の食事はメタリックで丈夫な食事に見えているらしい。確かにサバは魚だから鉄分は含まれていると思うけど。それに、さっきから日本の食事は寿司やお刺身などの典型的な日本料理だと思っているらしい。
和食じゃなければ飯は食べませんとばかりに目の前の食事に手を付けないエクスカリバーに言ってやる。
「いいか、日本人があんなちまちま出てく寿司やお刺身をいつも食べてるわけないだろ。今じゃあんなの外食でしか食わねぇよ。寿司を食いたいならいますぐ出て行け。刺身を食いたいなら海にでも行け。海なし県の栃木で新鮮な魚を食えると思うなよ。缶の中で熟成した魚を食えないんだったらお前に出せる料理はない」
ソファに座り直した俺はエクスカリバーのために用意したご飯や缶詰を手元に寄せた。
「別に食わんくていい。俺が食う」
とは言いつつ、実際には明日の夜ご飯にするんだけど。内心苛つきつつ、半分は嬉しかった。これで食費が少しは浮く。また好きなゲームが買える。
聞く耳ならぬ食べる口を持たないように見せていたエクスカリバーがこちらを向いた。そっと手を伸ばして、俺のそばから飯と缶詰を静かに取っていった。
「た、食べますよ。いただきます」
はじめからそう言えばよかったのに。
「味噌汁は?」
「吸います」
以外にもエクスカリバーは味噌汁を「吸う」ことを知っていた。ただ戦いだけに特化した頭の中も武器な性格と思ったが、知識もそれなりにあるらしい。
カチっと、ポットの中のお湯が沸く音がした。
3
食事を終え、俺はリビングから見えるダイニングキッチンで食器を洗っていた。いつもは一人分の食器しか洗っていなかったから、たった一人増えて二人分になった食器がいつもより多く感じられた。
うちは母さんと父さんが東京に住んでいるため、俺だけの一人暮らしをしていた。二人の食器をか片付けずに食器棚にしまっておいてよかったと思う。こんな場合に使うこともあるようだな。引っ越しを手伝わなかった過去の俺に感謝だ。
「米粒ついてるし」
だが、いくら何でも人様の家のお母様の食器だ。大切に使ってほしい。
俺はエクスカリバーの使った米つきのお茶碗と、味噌の残りかすが残ったお椀を洗いながらふと考えた。
戦った後、そのままの流れで家に連れていき、食事を食べさせたが、そもそもなんであいつは俺の家に来ているんだろうか。
食事は夜遅くまで付き合ってもらったから、その迷惑料てきな意味で出したのだが、考えてみればあいつには変えるべき家があって、この家にずっといるわけではないだろう。
じゃあ、今ソファに座って勝手にテレビを見て笑い声をあげているあいつは、何をしているんだ?
俺は食器を洗い終え、乾燥のためにカゴに入れた後、エクスカリバーの前の自席に付いた。
「広樹さん、これ結構面白いですね。何が面白いんだか分からないんですけど」
「じゃあ面白くないんだろ」
相変わらず言っていることが支離滅裂だ。おっと、テレビの感想を聞いて、質問を忘れてはならない。
「なあエクスカリバー」
「だから、ヴァ―ですよヴァ―」
そんなの今どうだっていいんだが、円滑な質疑応答のためにはあいつの望み通りの発音で聞くしかない。
「なあエクスカリVar、」
「はい? っぷふ、あはははははははは」
テレビにばかり視線を注いで、こちらを見ようとしない。耳が聞こえているから良しとしよう。いや、本当に聞こえているのか?
「あの、なんでいつまでも俺の家にいるの?」
「え? なんですか? あはははははははは」
こいつ、聞いてるのか聞いてないのか分かんねぇな。
「だから、飯食ったのんいつまでこの家にいるつもりだ?」
「え? 飯ですか? おいしかったですよ。あははははははは、それよりもこれ――」
いい加減こちらの質問をまともに聞こうとしないエクスカリバーに俺は痺れを切らした。エクスカリバーの手元にあったリモコンを奪い取り、赤い電源ボタンをテレビに向けて押した。
「ちょっと何するんですか! せっかく面白かったのに!」
テーブルの上に上半身を乗り出してリモコンを取り戻しにかかってくる。てか元々俺の家のものだったんだが。
「面白いって、お前意味わかんないとか言ってただろ。あと人の話を聞け」
「聞いてたじゃないですか! 大抵の会話は相槌を打っておけば成り立つんですよ! だからリモコン返してください!」
ついにテーブルに膝を掛けたエクスカリバー。どんだけテレビに執着しているんだよ。現代っ子か。
「成り立ってねぇよ。俺の質問に答えるまでリモコンは返さねぇよ」
「何ですかケチ!」
「ああ?」
ケチって、俺は飯も作ってやったし、なんなら休むためのソファ(二人掛け)をエクスカリバーに貸してやってるというのに。礼儀の前に恩知らずだこいつは。
まあいい。それもどれもこの質問で解決する。
俺はリモコンを手元酢次ぐ近くに置いた。
「今だ!」
置いたとたん鎖を離された犬のようにリモコン目掛けて飛び掛かるエクスカリバーの頭を片手で受け止める。
「だから話を聞けって」
そのまま押し込み、エクスカリバーをソファに座らせた。
「むうぅ」
くそ、顔は可愛いから、ふくれっ面も可愛い。
「お前は一個の質問をするのにどれだけ手間を取らせるんだよ。はあ」
ため息ではなく息切れの吐息だった。数時間前の戦闘の疲れがぶり返しそうだ。
「いいから早く質問してくださいよ。こっちは早くテレビ見たいんです」
頬杖をついて壁を向くエクスカリバー。
テレビテレビって俺んちの何ですけど……飯を終えた腹から込みあがる怒りを拳を握ることで押さえる。今は聞くべきことがある。理性を取り乱してはダメだ。
「お前はいつまで俺の家にいるつもりだ?」
よーしやっと言えたぞ。偉いぞ田井中広樹。お前はついに怒りを抑え理性を保つという大人の階段を一歩上がったんだ。
「はい? お前って誰ですか?」
エクスカリバーは自分のことではないと質問を受け流した。
わかりやすく言ったのに、あくまでしらばっくれるつもりか。
「だから、エクスカリ……エクスカリVarはいつまで俺の家にいるつもりなんだ? て聞いてるんだ。お前にも帰る家ぐらいあるだろ?」
するとエクスカリバーはよっとこちらを向いて答える気になった。だが、その顔は表情という表情がなく、静かに落ち着いた真顔だった。
頬杖を突いたまま、決まってる事のように話す。
「え? 何言ってるんですか? 決まってるじゃないですか、今日からここが私の帰る場所ですよ。ここが私の家です」
「そんなわけないだろ。さすがにお前の神秘的な話でも、信じるわけないだろ」
「いや、だって、当たり前じゃないですか。広樹さんが私を使って戦うためには、常に私が近くにいないといけないんですから」
「ああ、そうか」
一度納得した俺がいるが、すぐに正気を取り戻した。
「んなわけないだろ! じゃあ、なんだ? お前は今日からこの家に住むのか? 毎日ここにいるのか?」
「だからそうですよ。そう言ってるじゃないですか。何です、怪物とか天界のこととか神力についてのことはすぐに信じたのに、私が住むことに関しては納得できないんですか?」
「ああ、決まってるだろ。戦うのとかはもうあきらめて受け入れることにしたさ。一年間斬りたくても切れない契約結ばれちまったからな」
「それはあなたが勝手に――」
エクスカリバーの喋る隙をすぐさま塞ぐ。
「だが、一緒に住むのはごめんだ。食費に光熱費、すべてが二倍に膨れ上がる。せっかく節約して好きな殊に当てていた小遣いがさらに削られるんだ、こればかりは納得できん」
毎日毎食缶詰生活をし、今となっては自称缶詰マニアとまでなるほど節約生活をして、それでも二か月ないしは三か月ためて、苦行の末にゲームを買っていたというのに、それが今さらなる困難の道に入ろうとしている。
「納得できなかったとしても、こればかりは受け入れてもらわなければ」
それにこいつがいれば何かと物騒だ。ただでさえ怪物たちとは戦いたくないし、会いたくもないのに、こいつといると思いがけないところでばったりと遭遇しそうだ。
俺は玄関のある方角を指さした。言うのはたった一つ。
「出てけ」
「そんな……」
「さっきの契約の条件の一つにあっただろ。『契約者の指示は絶対に従うこと』って。だから命令だ。出て行け」
久しぶりの食事は意外と美味かった。それはいつもの缶詰よりちょっと高めの高級缶詰を口にしただけではないだろう。団欒という最後の調味料がかかったからだと思う。だがしかし、俺のゲームのために節約するという精神は、そんな簡単に砕けない。
こんなところで契約を都合よく解釈して利用するのは悪者のすることだが、大切なものを守るためなら、俺は悪者にだってなってやる。
「すまない、エクスカリバー」
「あのー、すみません。実は命令って言っても戦闘時に関してなんで、今のは単なる広樹さんの指示にしかならないんですよ」
「何?」
エクスカリバーは指をもじもじとくっつけたり離したりして遠慮気味に話す。
「確かに家に押し入ってしまってしっかりと説明をしなかった私が悪いのかもしれないんですけど、こればっかしは通例というか慣習みたいなものでして……。あと、本当に私、帰る場所なくて、追い出されたら路頭に迷うことになるんで。そしたらいくら治安のいい日本でも、私みたいな美少女はすぐに誘拐・拉致・監禁されてしまうと思うので、あの……お世話になります」
と、最終的には上目遣いを使って言ってきた。
帰る場所がないのであれば、仕方がない……のか。
路頭に迷えば危険に遭うし、仕方がない……のか。
「あと一つ」
エクスカリバーは顔の影を濃くし、人差し指一本を脅すように立てて顔を近づける。
「万一怪物に寝込みを襲われたら、広樹さんの人生終わりますよ」
「……」
「怪物を倒せるのは魔力に対抗する神力を持った神聖武器だけなんですから。どうですか? それでも一緒に暮らせないというのであれば、私は出て行きますが?」
「じゃあ出てけ」
「ちょ、ま、え? ん? お? おかしくないですか?」
「とは言えないな」
「ふう……」
エクスカリバーはぶわっと噴出した汗を隠しながら急いで拭う。
おそらくエクスカリバーは脅しでそんな御託を並べたんだろうけど、確かに言っていることは考えられることだ。俺が敵と戦うということは、逆に俺は敵の敵になるのだ、狙われてもおかしくない。それに、今回ネズミ野郎を取り逃がしたことで、あいつに襲われるのは可能性があるだけじゃ済まされない話だ。
契約だの何だのいろいろと言われたが、武器と一緒に暮らすことはもはや戦略の一つになってくるのだろう。
「諦める。こうなったら一緒に住むしかないな」
「ですよねー。ということで話は終わったのですからテレビを見せてっ」
とテーブルの上に置きっぱなしにしたリモコンに手を伸ばすエクスカリバー。
俺はエクスカリバーよりも近い位置に立っていたため、すぐにリモコンを手に取る。
「ちょっと、今度は何ですか? 一緒に住むことになった以上、このテレビは私の物になるんですよ」
「ならねぇよ! いいか、あとでみっちり我が家のルールを説明してやるが、今はこれだけ覚えておけ」
この非常識を常識だと勘違いしているエクスカリバーを我が家の敷地内に放てば、おそらく三日で俺の生活リズムは崩される。
「この家はあくまで俺の家だ。少しは遠慮というものを知れ」
「なんですかケチ!」
「ケチで結構。今日は遅いからテレビはもう見るな」
あとで俺がゲームするんだから。
「何ですか、まだ九時過ぎてないですよ」
「子供は寝る時間だ。さっさと風呂に入って寝ろ」
「はあ、もういいです。今日はあきらめます」
潔くて良かった。って、明日もこのやり取りするのか。俺の生活明日で崩壊しそうだ。「
「で、お風呂セットってどこにあるんですか?」
「ああ、風呂場に全部置いてあるから好きに使ってくれ」
ついでに風呂場も指を差して教えておいた。
「分かりました。はぁ、今日は仕方ないので、お風呂に入って寝ますよ」
「ああ、寝ろ寝ろ」
そう言って、腰を曲げたままがっかりした姿勢でリビングを後にしたエクスカリバー。
これでようやく俺の安穏は取り返されたというものだ。
「ふう……」
ソファに尻を落とす。全身の力を抜いて、背もたれにもたれる。
果たして俺の生活は一体どうなってしまうのだろうか。
戦ったり、家で言い争ったり、休む暇があればいいのだけど。
照明の光を真に受けた瞳は、その明るさに徐々にやられ、ゆっくりと瞼を下ろしていった。
4
食事の後のつかの間の休息をして体を軽く休めた後、俺はゲームの準備をしていた。今日はいろいろな目に遭い、いろいろなことに巻き込まれた。忘れたくても現在進行形で続いていることだから忘れることはできない。なら、ゲームという仮想現実の世界にすがろうじゃないか。
ゲームは決して悪いことではない。むしろストレス発散も捌け口になっているため、むしろいい意味を持っている。大人はストレスを貯めれば酒を飲みタバコを吸うが、未成年の俺にはそれはできないしやろうとは思えない。そして、サンドバックが家にあるわけでもないから殴る蹴るで発散もできない。だからコントローラーというグローブをはめて、画面の向こうにいるモンスターという名の敵を斬りつけるのだ。
「あれ? これついさっき現実でやってねぇか?」
数時間前の戦闘をふと思い出す。俺のゲームのジャンルがばりばりのアクションゲームとあって、あの惨劇を思い出してしまった。ゲームをする気がだんだんと失せていく。いや、しかし、毎日やっていることなのだから、今更やめてしまえば、明日は今日のストレスを抱えて生きることになってしまう。あれとこれとは全く違うのだ。俺はそう信じて、四角いゲーム機本体を取り出して、カセットなるディスクを挿入した。
あとはコントローラーだ。
「コントローラー、コントローラー、どこだローラー……?」
「広樹さん、お風呂湧きましたよー。こそこそと何してるんですか?」
ゴンつ。背後からのエクスカリバーの声に反応して、頭を棚の板に打ってしまった。これがまた痛い。
「ああ、エクスカリバー出たのか。早かったな」
と振り返ると。
そこには見た覚えがあるはずなのに改めてみるともはや女神としてしか見れない銀髪の美少女が立っていた。
先ほどまでの髪形とはちがい、長い銀髪を髪留めで一つに束ねてポニーテールを作っていた。そして何より、俺がいつも来ているTシャツを着ていた。そのため裾の下からは白く柔らかそうな美脚が伸びている。首にかけた白いバスタオルの端で頭を拭く様も姿に拍車をかけている。
「……」
「どうしたんですか? お風呂いいですよ?」
「あ……ああ……」
「なんか変ですね」
エクスカリバーはそのままソファに座ってまとまった長い髪をバスタオルの端と端で挟むようにして拭き始める。
ちょうどテーブルがあって見えないが、もしやTシャツの下はパ、パ、パン――
「どうしたんですか? お風呂の湯が冷めちゃいますよ?」
エクスカリバーの言葉に我に返る。眼に写そうとしていたものから視線を避け、用意していたゲームを簡単に片付けて立ち上がる。
「お、おお、入るよ」
洗面所へと移動し、服を脱いで湯船に浸かった。
この湯も、実のところあの美少女が浸かったあとなんだよな。つまりこの湯にはあいつの生まれたての姿が記憶されているということか。
「俺はいったいなんてことをプクプクプク……」
もしかしたら、これから始まる生活は意外といいものなのかもしれない。
俺の頬を朱に染めたのは湯の温度だけではないだろう。
エクスカリバーとの残りの帰宅道は、というか俺が最初に怪物から逃げたことで逆にいつもより長い道のりになってしまったが、無言の状態が長く続いていた。俺も、おそらくエクスカリバーも、出会いがしらの戦闘と会って、急ピッチで戦ったから相当疲れていたのだろう。だけど、逆に疲弊が前面に出てくれたおかげで会話する余裕を来ることができず、気まずさというものは一切感じられなかった。女子とこうして歩くのはもしかしたら小学校を通り過ぎて幼稚園以来の俺にとっては至福の疲弊だった。
家に着くころには日はとうに隠れて、あたりは薄暗くなっていた。
「まだなんですか広樹さんの家は~?」
エクスカリバーの第一声には疲労がこんもりと籠っていた。そんな疲れ切った質問に、俺は疲れ切った声で答える。
「いや、ちょうど着いたぞ。ここだ」
俺が足を止めるとエクスカリバーは一歩先に出て足を止めた。
紹介した家の玄関をまじまじと見つめている。
自慢できるほど大きくはないが、貧乏と思われるほど小さくもない二階建ての一軒家が俺の家だ。築年数はほどほどに経っているから壁や扉、柵についた垢はやや目につくが、まだまだ丈夫に建っている。こうして家に人を連れてくるのは久しぶりだが、こんなにまじまじと見られると恥ずかしいものだな。
「案外普通の家なんですね」
「なんて失礼な。お前はどんな豪邸を想像していたんだよ。いっとくけど、今の時代、一戸建ての家が建ってるだけでそうとう金持ちなんだぞ」
今は家を買う余裕がなくて賃貸やマンションを借りて暮らす人が増えているという。そんな中で俺の両親が家を買ってくれたことには感謝しかない。
「それはそうと、疲れたんで早く中に入っていいですか? あんなに激しく戦った後にこんなにあるかされたら足が棒になりますよ」
そう言って遠慮もなく敷居を跨いで玄関まで進んだ。
「本当に失礼な奴だな。いくら契約を結んだ相手だからって礼儀ってもんがあるんじゃないのか?」
「じゃあ、私はお客様なんで、早くもてなしてくださいよー」
エクスカリバーは俺を急かすようにドアノブを握ってガチャガチャと音を立てる。
俺の中の真の俺が言っている。コイツを家に入れてはいけないと。
ふと小さなころ先生や親に言われたことを思い出した――知らない人について行っちゃいけません。知らない人を連れてもきちゃダメなんだなと、今頃になって気づきました。
だが、エクスカリバーからは武器に関することとか魔族に関することとか、俺が巻き込まれたことに関するアレコレを聞かなければならないし、何よりもコイツをもうかまいたくない。面倒ごとに巻き込まれる以前、コイツが面倒だ。
「ほら、鍵を開けるから退いてくれ」
ほんの数秒だというのに、待ちわびた眼差しを向けてくるエクスカリバー。ああ、俺はきっとこんな眼に騙されてしまったのだろう。
疲れた手にさらに負荷をかけるように、俺はドアにカギを差し、開けた。
「ちゃんと靴に付いたホコリは払えよ?」
「やっと休めるー!」
靴を脱ぎ捨てたエクスカリバーは一目散に家の中に入っていった。
どうして決死の覚悟でドアを開けたのに、こんなに後悔しなければならないのだろうか……。
1
「おい家の物勝手に触るなよ? 壊したら弁償してもらうからな?」
教えたわけでもないのに、玄関先の廊下の突き当り右にあるリビングへと入ったエクスカリバーを追いかけるように俺も入る。
「おっほー! なかなかにふわふわしてますね! これなら体も休められそうです」
エクスカリバーはソファにダイブし、足をバタつかせながら柔らかい感触を全身で体感していた。
バタバタと足を動かしていることによって、スカートがひらひらと靡いている。眼のやりどころに困るんですけど。
「お、おい……仮にも人んちだぞ。遠慮の一つや二つしたらどうだ? こっちが気を使っちまうだろ……」
とくに膝直下までしかないスカートを履いているのだから、それに見合った動きをしなさい。
「えー? いいじゃないですか、疲れたんですし。広樹さんも、早く座ったらどうですか? 遠慮せず休んでください」
「だからお前な……」
なんだろう、疲れているはずなのに拳を握る体力がみるみる込み上げてくる。見てくれは可愛い。それは間違いない。だが、本当に何だろうか、話しているとイライラが込みあがってくる。殴っていいかな。この子初対面だけど殴っていいかな?
まあ、そんなことできるはずもなく、俺の拳は力なく解かれた。
そもそもこのエクスカリバーとは初対面だというのに、なぜ名前すら教えていないはずの俺の名前を憶えているんだろうか。今思うと悲劇かもしれないが、あの時空から落ちてきてからネズミ野郎と戦ってこの家に着くまで、なんやかんやあって自己紹介する暇はなかった。
俺はエクスカリバーがくつろぐソファとテーブルをはさんで向かい側にあるもう一台のソファに腰を掛けた。
「なあエクスカカリバーさん。なんでまだ名前を教えていない俺の名前を知ってるんだよ?」
「ふえ?」
エクスカリバーはバタ足を止め、そんな素っ頓狂な声を漏らした。不覚にも、可愛いと思ってしまった。
「いや、そりゃそうに決まってるじゃないですか」
「決まってるって、俺、自己紹介したっけか?」
「広樹さんの口から直接聞いたわけではないですが、私はちゃんとあなたの名前を知っていますよ? 田井中広樹さん、ですよね?」
「あ、ああ」
改めてフルネームで言われると不思議だ。
「あ、そうでした。まだ契約書について全然説明していませんでしたね」
ポンと思い出したように手を叩いたエクスカリバー。寝ていた姿勢から起き上がって、ソファに座り直した。
「実は契約書にあなたの名前が書かれたんですよ。それで私はあなたの名前を知ったという、そういうことなんですよ」
「書いたって言っても、ただ紙に手を押し付けただけだぞ」
書いたというのは、ペンで実際に文字を書き込んだということだろうが、俺はあの時そんなことはしていない。それに、そんなことをしている時間はなかったはずだ。ただ紙を地面にパーの手で押し付けた。ただそれだけだ。
「でも、ちゃんと書かれていますよ」
エクスカリバーはスカートのどこかに付いているらしいポケットから例の紙の筒を取り出すと、俺に見えるように机に広げた。
紙面にはぎっしりと横向きの文字で埋められ、その上に俺の物であろう黒い手形が押してあった。
「ほら、ここに書かれています」
そう言って理葉が指を差したのは、黒い手形の中覆う部分。そこには明らかに背景の文字とは違う言語「日本語」で「田井中広樹」という名前が書かれいていた。
「いつの間に。てかそんな手相しているか?」
十六年片時も離れず付き合ってきた手相を改めてみるが、まあ見るまでもなくそんな自己主張の激しい手相は刻まれていなかった。
エクスカリバーは手を見ていた俺を軽くからかうように笑った。
「そりゃ手に書かれてるわけないじゃないですか。考えたら分かることですよ」
「いや分かってるよ。念のためだ。で、原理は?」
「その前に」
エクスカリバーは契約書を手元に引き寄せ、自分の顔の横に並べた。
「この紙はただの契約書ではなく、神が作りし絶対的な契約書です。神が施した『為神誓(カミヘノチカイ)』によって、ここに手形を残した者の誓いは絶対的なものとなるのです。神への忠誠の誓いの証として名前が刻まれるわけです」
「そう言われてもな、別に神様に本気で忠誠を誓った覚えないからな。というか、あの窮地で生きるか死ぬかの選択を迫られたら、そりゃ生きる道を選択するに決まってるだろ」
目の前に斧を持った化け物がいて、手元にある紙一枚で生き残ることができるなら、迷わず生きる道を選ぶに決まっている。あの生死の決断が、そのまま神への絶対的な忠義の証につながるなんて誰が想像できるか。
「でも結ばれてしまったのは仕方がないじゃないですか。もう忠誠は誓われました。契約は結ばれました。以上、おしまい」
契約書の説明を早々に切り上げて紙をくるくると丸め始めるエクスカリバー。
この契約書、いや契約というこの世界では法律的拘束力を持つものの説明がこんなに早く切り上げられていいはずがない。もっと詳しく聞かなければ。
何か重要なことを聞きそびれる可能性がある。
「おい待てよ」
「今度は何ですか?」
せっかく契約書を丸め切ったところ悪いが、ここはもう一度開いて丁寧に説明してもらおう。
「なあ、それって結局は契約なんだよな? 神に対してだろうが、どこぞの会社の社長に対してだろが、契約であるからには何かしら条件があるんだろ? そんな曖昧な『神への忠誠』だけで済まされるようなふわふわした内容じゃないと思うんだが」
契約ということは、何かしらの権利と義務が発生するはずだ。神からの要求がある以上、人間側の都合を汲み取った条件が付きつけられるはずだ。俺には決断の自由は与えられなかったが、それでも相手は神だ。そんじょそこらの信用でなっている社長とはわけが違う。人間からの崇拝を糧に生きているような連中からの条件なんだから、納得できる条件が用意されていておかしくない。
しかし、そんな思いで声を掛けたのだが、エクスカリバーの顔には「そうなの?」という契約に関しては何も知らなそうな表情が浮かべられていた。不安だ。
「そう……なんですかね……これ。正直私も契約を結ぶのは二回目ですが、内容をしっかりと読んだことはないんですよ。神様に結ぶようにと言われてるだけなんで」
エクスカリバーは筒状になった神の穴に目を通し望遠鏡のように中を覗き込んでいた。
こんな阿保丸だしの見た目俺とそこまで年が変わらない少女が、そもそも契約の内容について熟知しているのだろうか。心配だ。
「まあ、じゃあ見てみますか? しょうがないんで」
「ああ、頼む」
エクスカリバーは契約書を再び開くと、顔を隠すように大きく盾に広げた。
「えー、『天界武器派遣所はこの契約書を所有する武器を、人間が武器として扱うことに関し、次の条件下において契約を締結する』えーっと、その条件というのが」
「ちょっと待て」
「はい? まだ条件は言ってないですよ?」
俺はエクスカリバーがその先を読み進める前に声を掛けた。エクスカリバーは顔を契約書の脇からひょっこりと覗かせる。
「なんだよ『天界武器派遣所』って? どこぞの株式会社だよ」
「これは会社ではないですよ。立派な天界にある私たちが所属する武器の部署ですよ」
「天界ってのは会社みたいに部署が分かれてるのか?」
エクスカリバーは思い浮かべるように目を上に向けながら言う。
「ええ、まあ。私たちがいるのがさっき言った『天界武器派遣所』で。他にも下界で悪さをする魔族を浄化し、元の世界に返す『天獄』と、重罪を犯した魔族が罰を与えられたのち浄化して元の世界に返す『地獄』があります。ちなみに、天獄のゴクは地獄のゴクと同じです。あと、そこの管理は神と互角の存在になった『神聖武器』たちが管理してるんですよ。おっかないんで近寄らないようにしてたんで、詳しいことは知らないです」
「天国じゃなくて、天獄、ねー……。どちらにせよ、やっぱり天獄と地獄はあるのか」
別に地獄に落ちるとは思っていないが、地獄絵図というものが描かれるほど不気味で悍ましく、恐怖の温床となっている場所の存在を知っただけで気が落ちる。
「どうしたんですか? 何か地獄に落ちるような悪いことでもしたんですか? まあ、落ちたら落ちたで罪を償うしかないですねー。どうせ広樹さんのことですし、パンツを盗んだとかでしょう」
「何決めつけてんだ。あと地獄に落ちる気はないから。ほら、契約書に戻って続きを頼む」
「何ですか。あなたが中断したのに……」
ぷくぅとほほを膨らませ不満を見せびらかすも、エクスカリバーは契約書の陰に顔を隠し、続きを読み始める。
「で、えーっと
『条件一つ、契約を結んだものはこの武器の『契約者』となり、下界の条理をかき乱す悪を成敗すべし』
『条件二つ、武器は戦闘における契約者からの指示は絶対に従うこと』
『条件三つ、武器はその神力および体をもって契約者の命を必ず守ること』
『条件四つ、この契約は結ばれてから一年間は神の命によって絶対的な効力を持つ』」
俺はすぐに契約書を奪い取り、引き裂いた。それはもう通常の紙を破る力以上の力を加えて、上から下に向けて真っ二つに破り切った。
「そんな契約があるかぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「ああああ! なんてことをぉぉぉぉぉお!」
契約書の紙屑たちは天上の照明に照らされながら、床へとゆっくり落ちていく。俺は切れ端を握りしめ、テーブルに片足を乗り出し、エクスカリバーに指を差す。
「おい! いくら神でもこんな契約があってたまるか! 一年? いちねん⁉︎ あんな化け物退治をあと364日続けるってのか! やってられるか!」
「ひ、広樹さん落ち着いて。化け物ではなくこの世の『条理をかき乱すもの』退治ですよ」
「やかましいわ! あんな化け物とあと一回でも戦ってみろ。今度は俺の首が飛ぶぞ」
「それはそれで仕方がないとして。てかほら、その契約書にも書かれてた通り、私がちゃんと守りますから! 任せてください! これでも武器としての誇りは捨ててないつもりです」
自分の胸に手を当て誇りだか綿埃だかを鼻にかけるエクスカリバー。だけどよ、武器のお前がどうやって自分で戦うってんだよ。
「その武器のお前を使って戦うのは俺だよな?」
「そうですよ? 当り前じゃないです――」
エクスカリバーは己が口で発したことを即座に否定するような素っ頓狂な答えを言おうとした。
「それじゃ意味ないだろ! 結局戦うの俺じゃん。守るのも俺じゃん。自らを危険にさらしたうえで助けるとかバカバカしおすぎるだろ」
俺は手の中に残った契約書の切れ端をエクスカリバーに見せつける。
「第一、こんな紙切れでそんな命を懸けた契約が結ばれるのがおかしいんだ。契約書はこうして破り捨てた。もう終わりだ」
「いえいえ広樹さん。その契約書、そう簡単に破れませんよ」
エクスカリバーは手のひらを左右に振った。
「そんなこと言ったってたかが契約書だ。破って捨てちまえば無かったことにな……」
と、エクスカリバーの顔に突き出した契約書は、最初に受け取った時と同様の一枚の紙に戻っていた。
「い、いやおかしい。俺はさっき破ったはずだ」
「いいえ、広樹さんは破れてませんよ」
「いいや破った。こうして」
俺は再び、今度はエクスカリバーと俺の目の前で上から下に引き裂く。紙はビリビリと乾いた音を発しながら弱い力に引かれて二つに分かれる。
「ほらな」
これで今度こそ破れた。さっきのはアレだ、破ったように思えあれたが、実際には俺の指先が滑って何も引き裂いていなかったのだ。今度こそ正真正銘破ってみせた。
「だから、その紙は為神誓の施しがされているので、そんな破るごときで取り消されるような代物ではないんですよ。ほら」
エクスカリバーのその言葉を合図にするかのように、右手の紙切れは灰となって崩れ落ちていき、左手の紙切れは断面から緑色の炎を湧かせた。
思わずテーブルの上に落とす。
「っておい! なんだよこれ! なんで勝手に燃えたんだ! てか火事になる! 早く水を!」
「必要ないですよ。紙が燃えてるだけなんで。というか、落ち着いてよく見ててください」
めらめらと湧き上がる炎を動じることのないエクスカリバーは、むしろまじまじと炎の行方を眺めていた。おれはいつでも水を準備できるよう構えながら見つめる。
断面から上がった炎は紙全体に広がることはなく、むしろ燃え上がった部分から紙が復活していった。そしてあっという間に炎の中から破ったはずの紙面が復活し、一枚の紙が出来上がっていた。
「なんでだよ⁉︎」
「だからただの紙じゃないんですって」
「たとえ元の形に戻るとしても所詮紙だ。木っ端みじんにしてしまえばさすがに無理だろ。おらおらおらおらおらおらおらおらぁあ!」
俺は出来上がったばかりの紙を破って破って破って破りまくった。部屋中に細かくなった紙切れが花びらのように舞い散った。
「嗚呼、清々しい。これで契約もなかったことに」
「なりませんよ。ほら、右手に」
エクスカリバーがいい加減に疲れながら俺の右手手元を指さした。
手にはしっかりと紙が握られている……。
「な・ん・で・だ」
文字通り粉々に引き裂いたはずなのにどうして戻っている。しかもなぜ俺は無意識にこの紙を定番のように握っているんだ。
「この契約は一年の間絶対的に成立する者なんですよ。たとえ日の中水の中に鎮めようと、フェニックスのように何度だって蘇ります」
その説明を聞いて俺は目の前が真っ暗になった。部屋の照明が一気に明るくなって部屋中を白い光で包んだかのようだった。どうしようもならない事態に、俺は頭を抱えて俯く。破っても破っても復活し、何度でも蘇る契約書。一年間は何が何でも続く死の怪物退治の契約。
「終わった。俺の人生終わった。今日で終わりだ。か、母さんに連絡だ」
焦る手で制服のポケットの中からケータイを取り出す。不慣れな手つきで母さん宛てのメール画面を開いた。
『俺、怪物に食われます』
「くそ! 誰がそんな文信じるかよ!」
命の危機をケータイで伝えようとしたが、あまりのクダらな過ぎる理由に俺はソファに叩きつけた。いくら俺を腹を痛めて生んでくれた親であろうと、こんな特撮の見過ぎで狂ったようなメールを送りつければ、鼻で笑われるはずだ。俺はもう布団叩きを武器に赤いちゃんちゃんこを被って戦う真似はやめたんだ。もし俺があの時みたいに自分が世界の急性h酢だと信じ込んでいたら、もっとポジティブに今の状況を受け入れていたのだろう。成長した俺は、下唇を血が出ない程度に噛むことしかできない。
テーブルの上にうずくまる俺の肩に、小さく柔らかい手が軽く乗った。
「広樹さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないだろ。もうHPは残ってないよ。もうどうしろと言うんだよ」
「そんなの戦うしかないじゃないですか。結ばれてしまった契約はもう取り消せません。なにより、あなたは武器使いに選ばれてこうして契約を結んだんです」
「俺は選ばれた筋合いはない。まさか、それもどこぞの神様が選んだっていうのか?」
嫌味を抜付けるつもりでエクスカリバーに尋ねた。顔を上げるとエクスカリバーは笑顔を浮かべていた。
「はい」
「神様の選択だから仕方ないと」
「まあ、そうなりますね」
「……」
運命というのは勝手すぎる。神のみぞ知るとは言うが、それは逆に言い換えれば神様のみが運命を握っているのかもしれない。神に勝手に託された命運は捨てようにないようだ。
受け入れるつもりはないが、これが現実のようだ。
「ぐ~~~」
その音は頭の方向から聞こえた。体を置き上げると、エクスカリバーがお腹を抱えて、こちらに薄赤く染まった顔を向けていた。
「腹、減ったのか?」
「ええ、ぶっ通しで説明しましたからね。それに、戦いましたし」
「戦ったのは俺だろうが「ぐ~~~」
エクスカリバーは一本指を立ててこう言う。
「これもまた運命」
「やかましいわ」
2
時計を見ると時刻は七時をとうに過ぎ八時近くになっていた。腹の虫が痺れを切らして鳴き喚くのも無理はない時間帯だ。
ソファに座って浮いたしをぶらぶらと揺らして落ち着きなく待っているエクスカリバー。自称お客様の彼女の前に、我が家の定番夕食を出す。
いくら相手が武器とかいう俺が諦めの末に信じた異質な存在であろうが、一応客であることは変わりない。しっかりともてなすという意味で少しは豪華な夕食を出して差し上げることにした。
テーブルの上に用意した今晩のメニューは、ご飯、インスタント味噌汁、サバの味噌煮缶だ。
「どうぞ。我が家渾身の『サバの味噌煮定食だ』」
俺も自分の席に同じ食事を用意して腰を下ろした。普段はサバ缶やアジ缶とただのご飯だけだから、こういう豪華な食事を食べられるのはありがたい。節約生活の中で財布のひもを緩めてくれたエクスカリバーは、真の意味で「お客様は神様」の「神様」なのかもしれない。エクスカリバーに拝むように手を合わせる。
「いただきます」
さて、まずは白米を口に含んで体に今からご飯の時間であることを知らせてあげなければ。
箸で摘まみ上げた米の塊のにおいを嗅ぐ俺に、エクスカリバーは不審げな表情を浮かべていた。指では用意してあげた飯たちをツンツンと差している。
「あ、あのー……」
遠慮気味なエクスカリバーの声。
それもそのはずだろう。いくら容姿が人間とあっても中身は武器なのだ。家庭によって別物に変わる日本人の料理を目の前にいしたらたとえ同じ日本人でも困惑を隠せないだろう。それが外国人を通り越して異世界の住人となれば話は全くの別物だ。
きっと、インスタントの味噌汁が小袋のままお椀の中に入っていることに違和感を隠し切れないのだ。
「なんだ? 味噌汁はちょっと待っててくれよ。まだお湯が沸いてないんだ。別に味噌を袋から出しちゃってもいいけど、手に付かないように気を付けろよ」
伝えたついでに俺も味噌汁の味噌をお椀の中に出した。こうやって出すんだぞ、という手本だ。
だが、エクスカリバーの表情から怪訝さはなくなっていなかった。
「いいえ、そういう訳ではないんですが……」
俺の懇切丁寧な味噌汁の説明を入れてしまったことから、かえって場を複雑にしてしまったのかもしれない。確かに相手の意向を聞かずに一方的に説明してしまったのは恩着せがましかった。まだ味噌袋の封を切っていないことから、それは十分伺える。
「なんだ、味噌汁は飲まない派か? 別に飲まないならそれでいいけど、質素すぎる夕食になっちゃうぞ」
俺はエクスカリバーのインスタント味噌汁のお椀を手に取った。飲まないなら飲まないで、一食分の食費が浮くからいいんだけど。むしろラッキーだ。
――バンッ
エクスカリバーがテーブルを両手で叩いていた。両手とあって音もかなり大きかった。食事質が一瞬だけ宙に浮いた。
「なんだよ、びっくりさせるなよ。やっぱり飲みたいんじゃないか」
それならそうと言ってほしかったものだ。俺はお椀を戻そうとする。
だがエクスカリバーは立ち上がって食事たちを見下ろした。
「違いますよ! 何ですかこの食事は?」
「何ですかって、見れば分かるだろ。サバの味噌煮定食だ。普段はなかなか食べられない豪華な食事だぞ」
「それっぽい名前を付ければいいと思ったら大間違いですよ?」
エクスカリバーは缶詰を手に取った。
「なんですかこの缶は?」
坊将軍の紋所を見に入れるようにエクスカリバーは丸い缶詰を手に取って見せる。
「あ、もしかしてお前、缶詰しらないの? たしかに異世界からいらっしゃった人には我が世界の文明の暦は少し理解しにくいかもしれないな」
俺は説得力を少しでも持たせるために腕を組んであたかも力説するかのように思わせる。内容は薄っぺらくってしまうが仕方ない。形から入る入るのがベスト。
「缶詰というのはたとえ三年前のものであってもしっかりと栓さえしてあれば食うことができる。そして何よりアジやサバ、サンマなどの魚の缶詰を安い価格でいくらでも買うことができる。そして保存がきくから買っておいておくことだってできる。今日出したサバの味噌煮缶は、ただの缶詰ではない。お前は気づいているかもしれないが、今日のご飯は少し多めによそってある。なぜならサバを食べた後に残った味噌でご飯を食えるからだ。これほどまでに万能で安く腹が膨らむ食事はなかなかないぞ。そういうことで、心して食べるように。あ、あと、缶詰の縁で指だけ斬らないように注意な。初心者がやって缶詰嫌いになっちまう原因(俺調べ)だから」
八行にも渡る素晴らしくもまとまっていない内容の説明をしたところで、俺はスプーンを使って缶詰の栓を開けて見せる。指先を使って開けることはできるが、爪を引っかけて開けると考えると恐ろしくて小心者の俺にはできない。だからこうしてスプーンを栓の舌に入れて起こしてから開けるようにしている。これは落ち着きと用意ができる中級車の技だ。さあ、今日からあなたも缶詰マニア、なんてな。
エクスカリバーにも神器スプーンを渡してやろう。
「ほら、スプーン貸してやるから開けろよ。爪炒めないで済むぞ」
スプーンを差し出したが、エクスカリバーは受け取るための手を出さなかった。ただ缶詰を握る手に力が入れ、手元を振るわせていた。
「あの……ここ、日本ですよね……」
「ああ、そうだけど。それが?」
「日本なら、普通和食じゃないですか! 寿司とかお刺身とか! こんなカンカンに詰まった非常食なんて食べたくないですよ!」
エクスカリバーは声を荒げてそう言い、缶詰を床に落とした。床に当たった時にゴツッという鈍い音が聞こえた。俺は缶詰が落ちた場所にしゃがみ込む。
「おい、床が傷ついたらどうするんだよ! あと食べ物を投げるな! だが、缶詰はたとえ投げたとしても中身は保たれるのがこれまた特徴なんだな」
良かった。床は傷ついていない。
足元にしゃがむ俺を見下ろすエクスカリバー。
「どうして寿司じゃないんですか。どうしてお刺身じゃないんですか。百歩譲ってもさすがにこんなメタリックな食事は嫌ですよ。もうちょっとまともな食事を出してくださいよ」
床が傷ついていないことは確認できたから立ち上がった。
この異界少女にとって缶詰の食事はメタリックで丈夫な食事に見えているらしい。確かにサバは魚だから鉄分は含まれていると思うけど。それに、さっきから日本の食事は寿司やお刺身などの典型的な日本料理だと思っているらしい。
和食じゃなければ飯は食べませんとばかりに目の前の食事に手を付けないエクスカリバーに言ってやる。
「いいか、日本人があんなちまちま出てく寿司やお刺身をいつも食べてるわけないだろ。今じゃあんなの外食でしか食わねぇよ。寿司を食いたいならいますぐ出て行け。刺身を食いたいなら海にでも行け。海なし県の栃木で新鮮な魚を食えると思うなよ。缶の中で熟成した魚を食えないんだったらお前に出せる料理はない」
ソファに座り直した俺はエクスカリバーのために用意したご飯や缶詰を手元に寄せた。
「別に食わんくていい。俺が食う」
とは言いつつ、実際には明日の夜ご飯にするんだけど。内心苛つきつつ、半分は嬉しかった。これで食費が少しは浮く。また好きなゲームが買える。
聞く耳ならぬ食べる口を持たないように見せていたエクスカリバーがこちらを向いた。そっと手を伸ばして、俺のそばから飯と缶詰を静かに取っていった。
「た、食べますよ。いただきます」
はじめからそう言えばよかったのに。
「味噌汁は?」
「吸います」
以外にもエクスカリバーは味噌汁を「吸う」ことを知っていた。ただ戦いだけに特化した頭の中も武器な性格と思ったが、知識もそれなりにあるらしい。
カチっと、ポットの中のお湯が沸く音がした。
3
食事を終え、俺はリビングから見えるダイニングキッチンで食器を洗っていた。いつもは一人分の食器しか洗っていなかったから、たった一人増えて二人分になった食器がいつもより多く感じられた。
うちは母さんと父さんが東京に住んでいるため、俺だけの一人暮らしをしていた。二人の食器をか片付けずに食器棚にしまっておいてよかったと思う。こんな場合に使うこともあるようだな。引っ越しを手伝わなかった過去の俺に感謝だ。
「米粒ついてるし」
だが、いくら何でも人様の家のお母様の食器だ。大切に使ってほしい。
俺はエクスカリバーの使った米つきのお茶碗と、味噌の残りかすが残ったお椀を洗いながらふと考えた。
戦った後、そのままの流れで家に連れていき、食事を食べさせたが、そもそもなんであいつは俺の家に来ているんだろうか。
食事は夜遅くまで付き合ってもらったから、その迷惑料てきな意味で出したのだが、考えてみればあいつには変えるべき家があって、この家にずっといるわけではないだろう。
じゃあ、今ソファに座って勝手にテレビを見て笑い声をあげているあいつは、何をしているんだ?
俺は食器を洗い終え、乾燥のためにカゴに入れた後、エクスカリバーの前の自席に付いた。
「広樹さん、これ結構面白いですね。何が面白いんだか分からないんですけど」
「じゃあ面白くないんだろ」
相変わらず言っていることが支離滅裂だ。おっと、テレビの感想を聞いて、質問を忘れてはならない。
「なあエクスカリバー」
「だから、ヴァ―ですよヴァ―」
そんなの今どうだっていいんだが、円滑な質疑応答のためにはあいつの望み通りの発音で聞くしかない。
「なあエクスカリVar、」
「はい? っぷふ、あはははははははは」
テレビにばかり視線を注いで、こちらを見ようとしない。耳が聞こえているから良しとしよう。いや、本当に聞こえているのか?
「あの、なんでいつまでも俺の家にいるの?」
「え? なんですか? あはははははははは」
こいつ、聞いてるのか聞いてないのか分かんねぇな。
「だから、飯食ったのんいつまでこの家にいるつもりだ?」
「え? 飯ですか? おいしかったですよ。あははははははは、それよりもこれ――」
いい加減こちらの質問をまともに聞こうとしないエクスカリバーに俺は痺れを切らした。エクスカリバーの手元にあったリモコンを奪い取り、赤い電源ボタンをテレビに向けて押した。
「ちょっと何するんですか! せっかく面白かったのに!」
テーブルの上に上半身を乗り出してリモコンを取り戻しにかかってくる。てか元々俺の家のものだったんだが。
「面白いって、お前意味わかんないとか言ってただろ。あと人の話を聞け」
「聞いてたじゃないですか! 大抵の会話は相槌を打っておけば成り立つんですよ! だからリモコン返してください!」
ついにテーブルに膝を掛けたエクスカリバー。どんだけテレビに執着しているんだよ。現代っ子か。
「成り立ってねぇよ。俺の質問に答えるまでリモコンは返さねぇよ」
「何ですかケチ!」
「ああ?」
ケチって、俺は飯も作ってやったし、なんなら休むためのソファ(二人掛け)をエクスカリバーに貸してやってるというのに。礼儀の前に恩知らずだこいつは。
まあいい。それもどれもこの質問で解決する。
俺はリモコンを手元酢次ぐ近くに置いた。
「今だ!」
置いたとたん鎖を離された犬のようにリモコン目掛けて飛び掛かるエクスカリバーの頭を片手で受け止める。
「だから話を聞けって」
そのまま押し込み、エクスカリバーをソファに座らせた。
「むうぅ」
くそ、顔は可愛いから、ふくれっ面も可愛い。
「お前は一個の質問をするのにどれだけ手間を取らせるんだよ。はあ」
ため息ではなく息切れの吐息だった。数時間前の戦闘の疲れがぶり返しそうだ。
「いいから早く質問してくださいよ。こっちは早くテレビ見たいんです」
頬杖をついて壁を向くエクスカリバー。
テレビテレビって俺んちの何ですけど……飯を終えた腹から込みあがる怒りを拳を握ることで押さえる。今は聞くべきことがある。理性を取り乱してはダメだ。
「お前はいつまで俺の家にいるつもりだ?」
よーしやっと言えたぞ。偉いぞ田井中広樹。お前はついに怒りを抑え理性を保つという大人の階段を一歩上がったんだ。
「はい? お前って誰ですか?」
エクスカリバーは自分のことではないと質問を受け流した。
わかりやすく言ったのに、あくまでしらばっくれるつもりか。
「だから、エクスカリ……エクスカリVarはいつまで俺の家にいるつもりなんだ? て聞いてるんだ。お前にも帰る家ぐらいあるだろ?」
するとエクスカリバーはよっとこちらを向いて答える気になった。だが、その顔は表情という表情がなく、静かに落ち着いた真顔だった。
頬杖を突いたまま、決まってる事のように話す。
「え? 何言ってるんですか? 決まってるじゃないですか、今日からここが私の帰る場所ですよ。ここが私の家です」
「そんなわけないだろ。さすがにお前の神秘的な話でも、信じるわけないだろ」
「いや、だって、当たり前じゃないですか。広樹さんが私を使って戦うためには、常に私が近くにいないといけないんですから」
「ああ、そうか」
一度納得した俺がいるが、すぐに正気を取り戻した。
「んなわけないだろ! じゃあ、なんだ? お前は今日からこの家に住むのか? 毎日ここにいるのか?」
「だからそうですよ。そう言ってるじゃないですか。何です、怪物とか天界のこととか神力についてのことはすぐに信じたのに、私が住むことに関しては納得できないんですか?」
「ああ、決まってるだろ。戦うのとかはもうあきらめて受け入れることにしたさ。一年間斬りたくても切れない契約結ばれちまったからな」
「それはあなたが勝手に――」
エクスカリバーの喋る隙をすぐさま塞ぐ。
「だが、一緒に住むのはごめんだ。食費に光熱費、すべてが二倍に膨れ上がる。せっかく節約して好きな殊に当てていた小遣いがさらに削られるんだ、こればかりは納得できん」
毎日毎食缶詰生活をし、今となっては自称缶詰マニアとまでなるほど節約生活をして、それでも二か月ないしは三か月ためて、苦行の末にゲームを買っていたというのに、それが今さらなる困難の道に入ろうとしている。
「納得できなかったとしても、こればかりは受け入れてもらわなければ」
それにこいつがいれば何かと物騒だ。ただでさえ怪物たちとは戦いたくないし、会いたくもないのに、こいつといると思いがけないところでばったりと遭遇しそうだ。
俺は玄関のある方角を指さした。言うのはたった一つ。
「出てけ」
「そんな……」
「さっきの契約の条件の一つにあっただろ。『契約者の指示は絶対に従うこと』って。だから命令だ。出て行け」
久しぶりの食事は意外と美味かった。それはいつもの缶詰よりちょっと高めの高級缶詰を口にしただけではないだろう。団欒という最後の調味料がかかったからだと思う。だがしかし、俺のゲームのために節約するという精神は、そんな簡単に砕けない。
こんなところで契約を都合よく解釈して利用するのは悪者のすることだが、大切なものを守るためなら、俺は悪者にだってなってやる。
「すまない、エクスカリバー」
「あのー、すみません。実は命令って言っても戦闘時に関してなんで、今のは単なる広樹さんの指示にしかならないんですよ」
「何?」
エクスカリバーは指をもじもじとくっつけたり離したりして遠慮気味に話す。
「確かに家に押し入ってしまってしっかりと説明をしなかった私が悪いのかもしれないんですけど、こればっかしは通例というか慣習みたいなものでして……。あと、本当に私、帰る場所なくて、追い出されたら路頭に迷うことになるんで。そしたらいくら治安のいい日本でも、私みたいな美少女はすぐに誘拐・拉致・監禁されてしまうと思うので、あの……お世話になります」
と、最終的には上目遣いを使って言ってきた。
帰る場所がないのであれば、仕方がない……のか。
路頭に迷えば危険に遭うし、仕方がない……のか。
「あと一つ」
エクスカリバーは顔の影を濃くし、人差し指一本を脅すように立てて顔を近づける。
「万一怪物に寝込みを襲われたら、広樹さんの人生終わりますよ」
「……」
「怪物を倒せるのは魔力に対抗する神力を持った神聖武器だけなんですから。どうですか? それでも一緒に暮らせないというのであれば、私は出て行きますが?」
「じゃあ出てけ」
「ちょ、ま、え? ん? お? おかしくないですか?」
「とは言えないな」
「ふう……」
エクスカリバーはぶわっと噴出した汗を隠しながら急いで拭う。
おそらくエクスカリバーは脅しでそんな御託を並べたんだろうけど、確かに言っていることは考えられることだ。俺が敵と戦うということは、逆に俺は敵の敵になるのだ、狙われてもおかしくない。それに、今回ネズミ野郎を取り逃がしたことで、あいつに襲われるのは可能性があるだけじゃ済まされない話だ。
契約だの何だのいろいろと言われたが、武器と一緒に暮らすことはもはや戦略の一つになってくるのだろう。
「諦める。こうなったら一緒に住むしかないな」
「ですよねー。ということで話は終わったのですからテレビを見せてっ」
とテーブルの上に置きっぱなしにしたリモコンに手を伸ばすエクスカリバー。
俺はエクスカリバーよりも近い位置に立っていたため、すぐにリモコンを手に取る。
「ちょっと、今度は何ですか? 一緒に住むことになった以上、このテレビは私の物になるんですよ」
「ならねぇよ! いいか、あとでみっちり我が家のルールを説明してやるが、今はこれだけ覚えておけ」
この非常識を常識だと勘違いしているエクスカリバーを我が家の敷地内に放てば、おそらく三日で俺の生活リズムは崩される。
「この家はあくまで俺の家だ。少しは遠慮というものを知れ」
「なんですかケチ!」
「ケチで結構。今日は遅いからテレビはもう見るな」
あとで俺がゲームするんだから。
「何ですか、まだ九時過ぎてないですよ」
「子供は寝る時間だ。さっさと風呂に入って寝ろ」
「はあ、もういいです。今日はあきらめます」
潔くて良かった。って、明日もこのやり取りするのか。俺の生活明日で崩壊しそうだ。「
「で、お風呂セットってどこにあるんですか?」
「ああ、風呂場に全部置いてあるから好きに使ってくれ」
ついでに風呂場も指を差して教えておいた。
「分かりました。はぁ、今日は仕方ないので、お風呂に入って寝ますよ」
「ああ、寝ろ寝ろ」
そう言って、腰を曲げたままがっかりした姿勢でリビングを後にしたエクスカリバー。
これでようやく俺の安穏は取り返されたというものだ。
「ふう……」
ソファに尻を落とす。全身の力を抜いて、背もたれにもたれる。
果たして俺の生活は一体どうなってしまうのだろうか。
戦ったり、家で言い争ったり、休む暇があればいいのだけど。
照明の光を真に受けた瞳は、その明るさに徐々にやられ、ゆっくりと瞼を下ろしていった。
4
食事の後のつかの間の休息をして体を軽く休めた後、俺はゲームの準備をしていた。今日はいろいろな目に遭い、いろいろなことに巻き込まれた。忘れたくても現在進行形で続いていることだから忘れることはできない。なら、ゲームという仮想現実の世界にすがろうじゃないか。
ゲームは決して悪いことではない。むしろストレス発散も捌け口になっているため、むしろいい意味を持っている。大人はストレスを貯めれば酒を飲みタバコを吸うが、未成年の俺にはそれはできないしやろうとは思えない。そして、サンドバックが家にあるわけでもないから殴る蹴るで発散もできない。だからコントローラーというグローブをはめて、画面の向こうにいるモンスターという名の敵を斬りつけるのだ。
「あれ? これついさっき現実でやってねぇか?」
数時間前の戦闘をふと思い出す。俺のゲームのジャンルがばりばりのアクションゲームとあって、あの惨劇を思い出してしまった。ゲームをする気がだんだんと失せていく。いや、しかし、毎日やっていることなのだから、今更やめてしまえば、明日は今日のストレスを抱えて生きることになってしまう。あれとこれとは全く違うのだ。俺はそう信じて、四角いゲーム機本体を取り出して、カセットなるディスクを挿入した。
あとはコントローラーだ。
「コントローラー、コントローラー、どこだローラー……?」
「広樹さん、お風呂湧きましたよー。こそこそと何してるんですか?」
ゴンつ。背後からのエクスカリバーの声に反応して、頭を棚の板に打ってしまった。これがまた痛い。
「ああ、エクスカリバー出たのか。早かったな」
と振り返ると。
そこには見た覚えがあるはずなのに改めてみるともはや女神としてしか見れない銀髪の美少女が立っていた。
先ほどまでの髪形とはちがい、長い銀髪を髪留めで一つに束ねてポニーテールを作っていた。そして何より、俺がいつも来ているTシャツを着ていた。そのため裾の下からは白く柔らかそうな美脚が伸びている。首にかけた白いバスタオルの端で頭を拭く様も姿に拍車をかけている。
「……」
「どうしたんですか? お風呂いいですよ?」
「あ……ああ……」
「なんか変ですね」
エクスカリバーはそのままソファに座ってまとまった長い髪をバスタオルの端と端で挟むようにして拭き始める。
ちょうどテーブルがあって見えないが、もしやTシャツの下はパ、パ、パン――
「どうしたんですか? お風呂の湯が冷めちゃいますよ?」
エクスカリバーの言葉に我に返る。眼に写そうとしていたものから視線を避け、用意していたゲームを簡単に片付けて立ち上がる。
「お、おお、入るよ」
洗面所へと移動し、服を脱いで湯船に浸かった。
この湯も、実のところあの美少女が浸かったあとなんだよな。つまりこの湯にはあいつの生まれたての姿が記憶されているということか。
「俺はいったいなんてことをプクプクプク……」
もしかしたら、これから始まる生活は意外といいものなのかもしれない。
俺の頬を朱に染めたのは湯の温度だけではないだろう。
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