【完結】スズラン

越知鷹 けい

文字の大きさ
1 / 10

1.

しおりを挟む


 午前7時。朱鈴あかりは、いつものようにアパートを出た。春風がマフラーをすり抜け、谷間へと入ってきた。札幌市は4月に入ったとはいえ、まだ肌寒いく、東京とは違う冷たさを感じた。

 ちらりと向かいの駐車場に目を向けた。そこには数台並んでいたが、私の気にかけている白色のワンボックスカーはなかった。

 空を見上げると、ぶ厚い雲が陽を遮るように浮かんでいた。私が29の頃に引っ越してきて、もうじき4年が経つ。

 スマートフォンを取り出し、画面を開いた。そこには スズラン の待ち受け画像が映し出された。彼には「女子かよ?」と揶揄からかわれたが、私にとって意味のある花だった。北海道を代表する花としても知られている。

 起床して、すぐにショートメールを送ったが、未だに返事はなかった。どうして、lineラインやメールでなく、ショートメールを使っているのか? 簡単な話しだ。不倫がバレないように、読んだら消すようにしているからだ。

 私はちいさく溜息をついて、石山通を北へと歩き、植物園を目指す。そこが私が働いている職場だ。つまり受付スタッフをしている。将来性のないアルバイト。そこには、不安しかない。けれど、彼と“遠距離恋愛”をするよりかは大いに良かった。

 彼と知り合ったのは、大学の頃だった。親友に 彼氏 だと紹介された。初めは酷く驚いたが、すぐに気になる存在へと変わっていた。親友の彼氏を寝取るのに、それほど時間は掛からなかった。彩蘭あやかには悪いけど、親友のよしみというヤツだ。

 私は、目の前の信号が赤になるのを見て、右に曲がった。少し歩けば、コンビニが左手に見えてきた。4ヶ月ほど前に新しく建てられた60坪ほどの小売店だ。私は、自動ドアを開いた。

「いらっしゃいませ。おはようございます」

 朝の陳列を手早く行っている女性の聞きなれない、それでいて新鮮な声がした。その声が私に一層の達成感をあじわわせてくれた。ここにはもう彩蘭あやかを悲しませる女はいない。私を苦しませる女はいないのだ。

 声を掛けてきた女性は、不思議そうに私を見つめていた。どうやら私は、ほんの少し口角を上げてしまっていたらしい。軽く会釈をして、女性向けの週刊誌コーナーに向かった。新聞を買うような習慣がないので、仕方なく週刊誌に手を伸ばした。

 パラパラとめくるが、私たちに関係するような記事は出てこなかった。あれは、事件でなく事故として処理されたのだから、当然だろう。でも、気を抜くことはできない。彩蘭あやかと あかり が死体遺棄で逮捕されるまでが計画に入っている。

 死体遺棄罪の罰則は「3年以下の懲役」が規定されている。しかし、殺人罪となれば、死刑または無期もしくは5年以上の懲役が科せられる。なんとしても死体遺棄罪で裁判を乗り切らなければならない。

 週刊誌を元に戻した。この店で働いていた女性が失踪してから10日目となる。未だに彼女の交友関係から、彩蘭あやかの夫に繋がらない刑事に、少し歯がゆさを覚えていた。

 窓ガラスに目を向けると、はらはらと雪が舞い降ってきた。札幌市の 春雪しゅんせつ は珍しくはない。ただ、ガラス越しに映る店員と目が合って、ドキリとした。これは思いもよらなかった。

 女性店員がゆっくりと近づいてくる。私は唇を噛んだ。ひょっとすると、この辺りで聞き込みをしていた刑事たちに何か頼まれたのかもしれない。そんな事を思考したが、そんなわけがない事にすぐに気が付いた。

「――あの、お客様。立ち読みはご遠慮ください」

「え? あ、ごめんなさい」注意をされ、腕時計を見て確認する。すでに10分以上が経過しいた。随分ずいぶんと立ち読みをしてしまっていたようだ。

 慌てて 総菜コーナー へと向かってサンドイッチを、それからレジ横にあるホットコーヒーを手に取り、レジで待機していた男性店員に会計をしてもらった。

 レジ袋を手に店を出た。そして今度こそ植物園へと向かった。ここ数日の間に、週刊誌を度々立ち読みをしていたのがいけなかったようだ。顔を覚えられていたに違いない。警察に通報されて、不審人物としてマークされてはかなわない。


 ◇

 女性が出ていくのをみて、夢川むかわ 結衣ゆい安堵あんどした。まさか、窓ガラスに映った自分と目が合うとは思ってもみなかった。彼女の顔を覚えようと近づきすぎたのがいけなかった。苦し紛れに出た咄嗟とっさのひと言に救われた気分だった。

 友人と連絡が途絶えて、今日で10日目となる。彼氏との惚気のろけを聞かされていて私生活を満喫しているとばかり思っていた。だが、突然に彼女は失踪した。 

 警察の者ですが、と刑事が訪ねてきたときは身を固くした。西木野にしきの 美希みきに失踪届けが出ていると聞かされ、涙が止まらなかった。刑事には美希に恋人がいる事をはなした。ただ、相手の顔を見せてもらったことはない。惚気ているわりに、写真を撮らせてはくれないと不満を漏らしていた。

 夢川むかわは考えられる範囲で相手の風貌を推理し、「男は顔面かおとコミュニケーション能力が大事なの」と語っていた美希が、ついに性格で相手を選ぶようになったと感心したものだ。当時の彼女は、こんな事になるとは夢にも思わなかっただろう。

 先ほどの女性が店から出ていくと、代わるようにスーツ姿に左伊多津万さいたづま色のコートを着た女性が入店してきた。

 女性は速足で、男性店員の元へ向かっていった。例の刑事のようだ。ひと言ふたこと言葉を交わすと、こちらに顔を向けた。

 夢川は足早に刑事の元へ向かった。

「あの、美希のこと。何か進展が?」夢川の質問に桜月さつき 詩織しおりは首を横に振った。彼女の顔から疲労が見て取れる。それでも芯の強い心を感じさせる瞳が夢川を見つめた。同時に怒らせると怖い印象を与える顔だ。

「先ほどの女性に何かおっしゃられたようですが、お知り合いですか?」
「いえ。ただ気になったので話しかけようか迷っていたら――」

「気になった、とは?」
「どこかで会ったような気がしたんですが、思い出せなくて」

「そうですか。何か思い出したら、連絡をしてください」
「美希とあのひと、何か関係があるんですか?」

 桜月は大きくかぶりを振った。「まだ捜査中なので申し上げられませんが、必ず西木野さんを見つけ出します」

 夢川はその言葉に納得するしかなかった。わらすらつかむことができないことに自分に腹を立てていた。引っ込み思案な性格が悔しくて仕方がない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

『大人の恋の歩き方』

設楽理沙
現代文学
初回連載2018年3月1日~2018年6月29日 ――――――― 予定外に家に帰ると同棲している相手が見知らぬ女性(おんな)と 合体しているところを見てしまい~の、web上で"Help Meィィ~"と 号泣する主人公。そんな彼女を混乱の中から助け出してくれたのは ☆---誰ぁれ?----★ そして 主人公を翻弄したCoolな同棲相手の 予想外に波乱万丈なその後は? *☆*――*☆*――*☆*――*☆*    ☆.。.:*Have Fun!.。.:*☆

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 ※7月22日第2章完結。 ※カクヨムにも投稿しています。

処理中です...