Straight Flash

市川 電蔵

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Scene 03

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「アイ、もう一回言ってくんねぇか…」
例の魔窟のなか、ミギが俺の顔を覗き込んだ。
「なんか信じられない言葉が聞こえたよ」
ミギの声には怒気が混じっている。
「…抜けさせてもらう…」
雪江の親父に怒鳴り込まれてから二週間くらい経っていた。リョータローがドラムを叩き鳴らし、キタが散発的にベースを弾いている。俺たちの会話は聞こえていないようだ。
「正気か、アイ」
ミギが怒りを抑えるように、静かに尋ねる。
「あぁ、マジだ」
俺はミギの眼に正確に視線を集中させ、静かに答えた。
「ざけんじゃねーよ!」
ミギが激昂する。リョータローはシンバルを叩いたところで驚いてドラミングをやめ、キタは間抜けなフレーズをつまびき、ベースアンプをハウらせた。
「悪いとは思うが、決めた。抜けさせてもらう」
傍らに置いていたギターを引き寄せ、俺はネックをつかんだ。指がフレーズを正確にトレースする。
「なんでだ、アイ」
大声を出して我に返ってしまったミギが姿勢を正して俺の前に座る。ミギという男はこういう男だ。動のミギ、と言われてはいるが、ステージではすべて計算ずくで暴れている。感情的に動くのはむしろ静のアイと言われた俺のほうだ。
「何だよ、その話」
リョータローがスティックを回しながらやってきた。キタが続く。
「抜けるって、JET BLACKを抜けるってことか」
「アイが他に抜けるってったら、ズリセンくらいなもんだろ」
ミギが茶化した。だが眼は笑っていない。俺だけがへへへと笑った。
「言えよ、理由」
キタが伏し目がちに尋ねる。ベーシストのイメージをそのまま擬人化した、寡黙な男だ。キタだけが髪の長さも色も、服装さえまったく「普通」だった。
「雪江と、結婚する」
三人に取り囲まれた俺は、それだけ言うのがやっとだった。リョータローが大きなため息をつき、左の二の腕に入れたばかりの髑髏のタトゥーをなでた。
「アイがそんな事言うとは、正直、思わなかった」
俺と雪江が知り合うきっかけを作ったのは、リョータローだ。実際リョータローの取り巻き女は雪江と親しいわけではなく、友達の友達、程度だったらしいのだが。リョータローはその女のことなどほとんど忘れている。メンバーの中では一番若いが、女性関係は派手な男だ。
「女と結婚するためにバンド抜けるって、今更どうするんだよ」
リョータローが銀色の髪に手をやり、またタトゥーをなでる。
「今から丸坊主になって、スーツ着て就職活動かよ?」
「必要ならやるさ」
アンプを通らないギターの音は寂しい。
「仕方ないだろ」
キタがつぶやくように言った。
「ミギ、そうだろ」
ミギは押し黙ったままだ。
「ずっとやってきたけど、バンドなんてそういうもんじゃないか」
キタは核心をついた一言を言ってのけた。
「そうだな、キタ。お前の言うとおりだ」
ミギがようやく口を開いた。
「中坊のころからバンド組んではヤメ、組んでは抜け、また入りだったからな」
「ボウイだって、抜けたやつはいるんだよな」
我ながら間の抜けたフォローだ。
「もういい、アイ」
ミギが立ち上がる。
「抜けたいなら仕方ない。勝手にしろとしか言えねぇ」
リョータローは俺をにらみつけている。
「アイ、俺はミギについてきた男だけどよ、あんたのこともキタのことも大好きだったよ」
リョータローだけが唯一大学生ではなく、いわゆるフリーター、まだ21歳になったばかりだ。ミギが高校時代組んでいたバンドのドラマーで、アーティストとして、人間としてのミギに心酔している。
「たかが女のことで命より大事なもん辞めるなんて、見損なったわ」
あごを突き出し、挑発的な態度を取るリョータローに、俺はキレた。無言のまま立ち上がり、前蹴りでリョータローを蹴り飛ばした。静のアイではないのだ、俺というやつは。
「口のきき方に気をつけろ!」
「殺すぞこの野郎!」
リョータローはメンバーでは一番気が短く喧嘩っ早い。対バンとの喧嘩沙汰はリョータローの担当だ。俺に蹴られてしりもちをついたかと思うと、あっという間に立ち上がってその反動で俺につかみかかった。そしてそのまま倒れこみ、床を転がる。
「たかが女だとこのガキ!」
「悪いか、ヘタレが!」
リョータローの蹴りが俺の腹に決まる。
「よーし終わりだ、お互い蹴りが一発づつ」
ミギが叫んだ。相変わらず、いい声をしている。リョータローがぴたっと動きを止めた。
「リョータロー、お前も口を慎め。たかが女なんて、そういう言い方は雪江ちゃんに失礼だ」
敬愛するミギにやんわりとたしなめられたリョータローは下を向いてうなだれる。雪江は俺の彼女として、JET BLACKのメンバーたちには十分に知れ渡っている。
「アイもキレるのが早すぎんよ」
「悪かったな、リョータロー」
俺もミギには逆らえない。素直に謝った。リョータローもわりぃ、と小さな声で俺に謝る。
「わかったよ、アイ。お前は真剣に考えて雪江ちゃんと結婚するって決めたんだろ」
「あぁ、それだけは本当だよ」
「雪江ちゃんと結婚してなおかつJET BLACKでブレイクするってことは、お前のシナリオにはなかったわけだな」
「ないわけじゃないさ」
実際、それが最も理想的なのだ。
「雪江の家は山形の旧家なんだよ。それに俺が婿養子になるしかない。雪江を幸せにするには、カタギじゃないとだめなんだよ、結局」
リョータローの蹴りはやはり強烈だった。声を出すのが億劫になる。
「そうか、そこまで考えたんならもう何も言わねぇよ」
ミギが初めて微笑んで俺を見た。
「JET BLACKがブレイクした後に結婚が発覚したら、イメージダウンになるだろ」
俺もつまらない冗談を飛ばす。キタが小さく笑った。
「結婚式には、いかねぇからな」
ミギがまじめな顔で言った。
「呼ばないでくれ。山形なんてド田舎に行ってる場合じゃない」
「わかったよ」
俺が旧家だと明かした、雪江の家格のことを思っての冷たい言い方であることは良くわかった。
「今度のキモノ・マーケットのライブが最後だ。そこでアナウンスするぞ。いいな」
「わかった」
「お前の後釜はな、もう決めたよ」
リョータローにタバコをねだり、火をつけてもらってミギが事務的に言う。ミギは喉をいたわるために去年からタバコをやめているはずだ。
「えらく早いな」
俺もタバコをくわえた。
「決めたというより、そいつしかいないのさ、お前の後は」
「俺が知ってるやつか?」
「いや。だけどリョータローは知ってるな」
「コトブキ?」
リョータローがすばやく答える。
「ピンポン」
「ミギの知り合いか」
「リョータローとバンドやってるときギター弾いてたんだ」
「コトブキなら文句ねぇよ」
リョータローは急にはしゃぎ始めた。
「コトブキならいい」
俺のほうにちらりと視線を流し、ミギに話しかける。
「今、どこにいるんだっけな」
「今はやってない。バイト専門だ」
「ミギが声かければ、すぐに飛んでくるな」
「アイ、キモノまで、一曲作れるか」
はしゃぐリョータローごしに、ミギが声だけで俺に問いかけた。
「引退記念に、作れ。絶対だぞ」
「わかった」
俺もミギを見ずに、小さく答えた。
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