Straight Flash

市川 電蔵

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Scene 16

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ふかふかの布団の中での目覚めだったが、頭の中で相撲取りがシコを踏んでいるのに等しい頭痛のため、しばらく動けなかった。薄く目を開けて頭を動かさず左右を見ると、どうも客間らしい部屋で、ひとりで寝かされたようだ。結婚前、ということで一応は雪江と寝室を分けられたものらしい。周りを見回すと、どうも十畳以上ある部屋らしく、朝の冷気が顔をなでている。
「愛郎君、ご飯だよ」
ふすまが開き、東京生まれ東京育ちの五兵衛さんがさわやかな笑顔で俺を起こしに来た。俺は早くもムコ殿が体にしみついてきたらしく、その声に飛び起きた。そして強烈な頭痛によってまたばったりと倒れこんだ。五兵衛さんがさわやかに笑う。
「ははは、やっぱりダメか。でもね、無理にでも飯を食ったほうが、二日酔いにはいいんだよ。ほらがんばって、起きた起きた」
五兵衛さんに促されて、俺はようやく起き上がった。
「パジャマのままでいいから、朝のご挨拶をして」
五兵衛さんのあとに続いて廊下を歩く。冬の朝の寒気が少しだけ頭痛を癒した。それにしても、この廊下の長さもただ事ではない。石川家が集まる居間につく頃には、寒気で目が完全に覚めた。
「おはようございます」
どこまでもさわやかな五兵衛さんの朝の挨拶にかぶせるように、俺は口だけを少し動かして声を出したふりをした。
「おはよう」
「おはよう」
「おはよう、あーくん、おんちゃん」
義母・義祖母・雪江の挨拶に続き、家長の権兵衛だけが新聞に目を落としたままもごもごとあいさつらしき声を出した。
「石川の家での、ある意味最も重要なルールなんだ。朝は、可能な限り家族全員で朝食を取る。そして挨拶を必ずする」
そう言いながら五兵衛さんが席に着き、俺も席に着く。言われてみれば、雪江と一緒に暮らすようになってから、朝飯を食う回数が飛躍的に伸びた。そして雪江は、必ず「おはよう」と「おやすみ」、「いただきます」、「ごちそうさま」を言っていた。
エプロンをつけた雪江と義母が家族の食事をてきぱきと並べる。焼き魚、玉子焼、味噌汁など決して豪奢なものではないが、手抜きのない料理が朝の食卓に並んでいる。
「ハイ、二日酔いにはお味噌汁」
雪江が微笑みながら俺に味噌汁の椀を手渡した。義母と義祖母と五兵衛おんちゃんが未来の若夫婦の姿を優しく見やり、一方仏頂面はますます不機嫌になった。
雪江に渡された味噌汁を一口すすり、胃に流し込んだ。するととたんに胃が軽くなる。一口また一口と、俺は味噌汁を飲み干した。
「おいしい」
「あたりまえさね、その味噌はアタシが造ってるんだ」
「おかわりいいですか」
義祖母はにっこり笑って俺の差し出した椀を受け取ると、たっぷりと味噌汁をついでくれた。もう何年も忘れていたような気がする、家庭の味を俺はむさぼり食った。
暖かな朝餉に二日酔いも収まり、ようやく人心地がつく。食後の茶をすすりながら、義父が俺に語りかけた。
「だいがぐのほうは大丈夫だが」
まだたった一日の滞在だが、俺の山形弁聞き取り能力は着実に向上してきている。
「えぇ、住職や学院の皆さんのおかげで。卒論も下書きはできてます」
「結納ど結婚しぎの日取りだげっとよ」
「は」
俺は茶を置いて、拝聴する姿勢になった。
「しぇーさげ、らぐに聞げ」
義父はきわめて事務的に日取りを述べる。年明け早々に結納、3月末に入籍、9月の半ばに披露宴ということだった。今まで、結婚式の日取りとかは、妻になる女性といろいろと話をして決めるものではないかと漠然と思っていたが、こうまで事務的に決定されると、卒業式の日を連絡される学生のような気分でかえってさばさばしていた。俺はもう石川家に隷属する立場であると腹をくくっていたため、特になんの感動もなくそれを聞くことができた。
「んじゃ、所沢のお父さんどさでんわすっさげの」
義父が義母に目で合図すると、義母は受話器のボタンをプッシュする。俺の実家は早くも短縮に登録してあるらしい。
「あ、もしもし?徳永さん?山形の石川です~。先日はどうも~」
義母が標準語モードで会話している。それにしても先日、とは。
「先週、俺どお母さんで、とごろざわさあいさづ行ってきたさげ」
それは初耳だった。まぁ俺は頻繁に実家に連絡する男ではないが、それにしてもそんなことがあったなら、俺に連絡くらいよこせばいいのにと、両親と兄貴に対して少し腹が立った。
「電話で非常に失礼なんですけど、結納のことで…申し訳ありません、またお手紙でご連絡しますけど、まずお知らせと思って…はい、1月の15日でお願いいたします…。すいません。えぇ、昨日から、来ていただいてますのよ、愛郎さん」
俺が来ていることまで先に連絡がしてあるようだ。
「愛郎さん、ご実家」
義母が俺に受話器を渡す。仕方なく受け取ると、電話の向こうから母親の声が聞こえた。母親は終始、石川家に可愛がってもらえ、それだけ考えろと繰り返していた。もとからそのつもりだとは思ったが、ここは素直に返事をし続けた。こんなに素直な息子になったとは、両親にってはいまだに信じられないことだろう。
母親に請われて受話器を義父に渡す。義父は短く答えるだけだった。おそらく、自分の訛りをあまりさらしたくないのだろう。受話器を義母に渡し、またひとしきり日取りのことと世間話をして、電話が終わった。
五兵衛さんが茶をすすりながら口を開く。
「田舎のことだからさ、こういう義理事はどうしても、ね」
俺の中に少しだけ芽生えていた疑念を見透かしたように五兵衛さんが慰めるように言った。
「家ど家のこどだがらな、結婚しぎってのは」
「いやその前に、結婚式を挙げるってこと自体がいまだに…」
俺は正直な感想を述べた。もし、雪江以外の女と結婚することになったとして、いや、雪江が全く普通の家庭の娘だったとしたら、いったいどうやって「結婚式」を俺はするのだろうと、考えてみた。きっとJET BLACKのギタリストとして、事務所のスタッフやファンに囲まれて馬鹿騒ぎをするんだろう、なんてことが頭に浮かんだところで、今度は雪江が話し始めた。
「ひとつだけね、お父さんに頼んだのよ」
「何をだい、雪江」
義祖母が尋ねる。俺がいるところでは、江戸弁で話す事にしているのか、全く訛りのない発音だ。
「披露宴ではね、あーくんにギターを弾いてもらって、あたしが歌うの!」
「な」
俺は絶句した。だいたい、雪江の歌うところなど俺は聞いたことがない。
「ほいづばっかりは、雪江がどうしてもきがねくてな、余興の軍兵衛のうだばやめさしぇだ」
「軍兵衛の歌とか、僕も本気でご勘弁願いたいよ」
五兵衛さんが明るく笑って、義母に茶のお替りをねだった。
「愛郎君はバンドやってたってね、雪江に聞いたけど」
「マジでね、メジャーデビュー直前なんだヨ」
雪江がうれしそうに言い、俺の隣にすり寄る。義父がそれをちらりと見て、また不機嫌そうに新聞に目を落とした。
「それはすごい。ちなみに、事務所は?こう見えても僕は、元はロックンローラーだぞ」
五兵衛さんは若く見えるが、もう60歳に近いということだ。
「わかりますかねぇ…BBミュージック、って。一部では有名ですけど…」
「何?BBか!」
五兵衛さんの声に、鋭さが加わっていた。
「すごいじゃないか、あの塚本に見込まれたのか!」
「おじさんも知ってるくらい有名なんだ、BBミュージックって」
五兵衛さんがまたやさしげな雰囲気に戻る。
「愛郎君、見くびってもらっちゃ困る。音楽業界は金のなる樹だ。才能のあるミュージシャンを抱える事務所は、大化けする可能性がある」
「まぁそうですね。確かにBBは、ナイロンシールズみたいな王道のロックバンドとか、甲信越愚連隊みたいなイロモノっぽいの、グリーンペッパーって女の子アイドルユニットまで取り揃えちゃってるもんなぁ」
ナイロンシールズは秋に武道館を成功させた、ライブハウス上がりの骨太な音を出す男っぽいバンドだ。ある意味JET BLACKの先輩であり目標とも言える。
甲信越愚連隊はポップな楽曲とコミカルなステージで人気が出始めている。解散したいくつかのバンドの中で、プロ意識の高かったメンバーを塚本が呼び集めて結成させたバンドだ。
そしてグリーンペッパーは現役女子高生のトリオで、いまだライブは行わず、DVDとネット配信だけでプロモーションをしている。音楽業界の風雲児・塚本の隠し球とも言うべきアイドルユニットだ。
「そうそれ、グリーンペッパー!あれが来るよ!BBは来年の暮れにはマザーズに上場するって噂だ」
「マジっすか」
俺は思わず素に戻った。塚本社長とはJET BLACKのメンバーとして数回逢っているが、「先輩ミュージシャン」の臭いしか嗅ぎ取れなかった。
「塚本信也は、いまや台風の目だからね」
思いがけなく会話が進み、いっそう和やかな雰囲気になってきた。義母が雪江に語りかける。
「そんな有名なバンドだったの。勿体なかったわね。ギタリストのほうが良かったかしら」
義母も訛りのない標準語を操る。
「おらえのむごが、バンドマンなてゆってらんにぇべしたや。こっぱずがすい」
義父が半分真面目に怒って新聞を置いた。多分、「ウチの婿がバンドマンなんて、恥ずかしくて言えるか!」という意味なのだろう。確かにそのとおりだ。
「まぁまぁ、でも、愛郎君がいたバンドが、かなり有力な事務所にスカウトされたってのは事実だよ、アニキ。愛郎君、ホントに、そのバンドはデビューするの?」
「えぇ、デビューシングルじゃなくて、ライブのDVDを挨拶状にするって」
「愛郎君も、出てる?」
「はい。最初から最後まで」
俺ははじめてにやりと笑って見せた。
「アニキ、マジで婿さんはスゲェわ!石川宗家の跡取りは、芸能人だよ!」
五兵衛さんが大笑いして、義父の背中をばんばん叩いた。五兵衛さんは義父を「アニキ」と呼んだが、実際は五兵衛さんのほうが年上なのだ。たしかに、義父と五兵衛さんが並んで立っていたら、義父のほうがずっと年上に見える。とにかく五兵衛さんは若く見えるのだ。
「そのDVDは、いづ出んなだ」
五兵衛さんの攻撃をようやくかわした義父が短く言った。
「たしか、三月の月末」
「わがた」
義父はまたも短く言い、かたわらの手帳になにやらメモをし、立ち上がった。
「ちぇっと事務所さ行って来っさげ」
「行ってらっしゃい」
義母が明るく言い、見送る。
「多分ね、菅野さんに言って、予約させるつもりよ、DVD」
「バンド名も聞いてないのに。また菅野さんから電話が来るわ、センセイがらよやぐすろ、ってやっだげんと、なにばよやぐしたらしぇーんだべ?って」
雪江が笑う。
「あーくん、ちゃんと作ってよ」
「は」
「は、じゃなくって。披露宴で私が歌う歌、ちゃんと作ってよ」
「…」
雪江が思いっきり俺の背中をはたく。
「約束よ、キモノ・マーケットん時のよりもいいヤツ!でないと離婚」
「まだ結婚してない」
軽く五兵衛さんが突っ込みをいれ、石川家の朝の食卓は明るく終了した。そのあとですぐ五兵衛さんは塚本社長への紹介を俺に頼んだ。いやな予感がしたが、俺のことなど憶えていないかも知れないと断りを入れた上、なぜかいまだに持っていた塚本社長の名刺を渡してやった。
塚本社長と会ったのは、去年の今頃だった。ライブがはねた後、楽屋に訪ねてきたのである。ある意味伝説の男の登場に皆絶句したが、「大人と会話ができる」ミギがそつなく応対した。塚本は俺達全員に名刺をくれたが、居酒屋の名刺ではない本物の名刺をもらうのは初めてで、えらく緊張したものだ。ミギはその後も塚本と連絡を取り合っていたわけで、それがJETのデビュー決定につながるのだ。ミギは、あの時にJETの方向性を決めたのだろう。結局、俺はミギを裏切ったことになる。何度も自分に言い聞かせたものの、そのことを思うたびに心が痛んだ。
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