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Scene 17
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年が暮れ、明け、結納とかいう儀式を石川家で行うこととなった。
今回は、徳永家として山形へ移動する。両親、兄、前橋の伯父さん夫婦とともに山形新幹線に乗った。実は母親は家出して東京へ出てきたために、実家とは絶縁しているのだと今回はじめて知った。そういえば、俺には母の郷里に行った記憶がなく、帰省といえば前橋の伯父さんのところだった。俺が家に寄りつかないでいる間に、母方の祖父母は相次いで亡くなったので、母はもう実家と絶縁したと話してくれた。
「愛郎、お前は帰ってきていいんだからね」
山形新幹線の車中で、母親が俺に語りかけた。
「石川家にいられなくなったら、うちへ帰っておいでね」
あやうく涙がこぼれそうになり、俺は車窓から雪を眺め続けた。
電車が山形駅に着く。今回は、ローカル線の左沢線には乗らず、山形駅まで石川家の車が迎えに来ているというので改札を出る。
改札を出た正面に、例の孫兵衛さんが「徳永家ご一行様」と達筆な文字で墨書された看板を持って立っていた。孫兵衛さんは俺を発見するなり「愛郎様」と大声で叫び駆け寄って来る。
「よぐござってけだなっす、愛郎様、こんで、石川の家も安泰だはー、ありがどさまっす、ありがどさまっす」
両親、兄、前橋の伯父夫婦が完全に固まっていた。
「もうしわげねっす、ご両親様どごすんせぎがっす、ぶぢょうほうしたなっす、もうすわげね」
「…たぶん、ご両親と親戚の方ですね、失礼いたしました、すいません、と言ってます」
飛躍的に上達した山形弁聞き取り能力で、俺は孫兵衛さんの言葉を通訳してやった。
「あ、こちらこそ失礼いたしました、愛郎の父です。母と、兄、そしてこっちが、私の兄夫婦です。私、早くに両親を亡くしてまして、兄が親代わりで」
「んだがっす、んだがっす、ほいづはしぇらい苦労したなっす、んだら、車さ乗ってけらっしゃい」
孫兵衛さんはすたすた歩いて行き、駅前ロータリーの車溜まりへ俺たちを案内する。ロータリーには車がおらず、観光バスが一台、エンジンをかけたまま停車していた。
「愛郎様、なにしったのっす、寒いがらはやぐ乗らねど、風邪なのひがれっど困っからよぉ」
観光バスのドアが、プシューと音を立てて開く。フロントグラスには「徳永家ご一行様」とやはり達筆で書かれた紙がでかでかと貼ってある。ついでに、「寿」という金文字も貼ってあった。
「孫兵衛さん、ウチ、6人ですけど」
「石川家が乗用車だのタクシーだのでむごど親戚の旦那衆むがえやった、なていわっだら、ほれごそはずがすくて、寒河江ばあらがんねはー」
石川家は婿と親戚を最大限の敬意を持って迎えるのだという意味だと通訳し、徳永家ご一行様は大型観光バスの前の方の座席にこぢんまりと寄り添って座った。
バスは雪の中を走る。国道の標識で、寒河江市まで18kmと出てきた。国道は結構車が多く走る。
「どんだけ田舎かと思ったけど、前橋のはずれの方と変わりゃせんな」
伯父さんがようやく緊張を解いたようで、いつものくだけた口調で言った。
「でも雪が多いわね、ホント」
母親は完全に旅行気分で周りを見回している。
「こだなもんではねぇっす、ほんて、大雪になったら、こだなもんではすまねのよっす」
「本当はもっと積もるって、雪、こんなもんじゃないって」
ほぼ反射的に同時通訳ができるようになっている俺。
「どのくらい積もるんです?」
父親が孫兵衛さんに尋ねる。
「ほれ、あの月山のほうさいったらなれ、ほれごそ背のたがさの倍がっとつもんなださげ」
正面にうっすら見える月山を指さし、通訳する。
「あの月山の方だと、背の高さの倍以上に積もります」
孫兵衛さんの方は標準語が理解できるのに、こっちは方言が理解できないというのは少し理不尽だが、致し方ない。
「孫兵衛、そろそろ着ぐさげ、あどあんまりしゃべんなは」
運転席からドスの効いた声がする。総合建設業の代表取締役である軍兵衛の声だ。
「すいません、気が付きませんでした。軍兵衛おじさんでしたか、運転されてたの」
俺はバスの運転席の方まで降りて行き、バスガイドが立つ位置で軍兵衛さんに頭を下げた。
「愛郎くん、いいがらいいがら、すわてろ、俺は大型特殊がらなにがら全部免許持ったさげの、こういう時はアニキの手伝いすんだ」
「社長は高校でで自衛隊さ6年いで全部の免許取ったんだもの、戦車がら選挙カーがらなえだて運転すんのよぉ」
孫兵衛さんはずっと年下である軍兵衛さんを「社長」と呼んだ。そういえば軍兵衛さんは株式会社左沢石川組の「社長」である。実際は「組長」にしか見えないのだが、元自衛官だったとは。
軍兵衛さんが運転する大型観光バスは最上川を越え、寒河江市に入った。広いバイパス道路を行かず、脇の狭い道へ入る。
「南門だと、旧道のほうがしぇーなだ」
旧道と言われた道は、すぐ脇を例の左沢線が走っており、上り列車が雪を蹴立てて走り去った。これまで走っていた広い国道に比べてだいぶ狭い道だが、両側には民家が連なる。
道の先の方に、重要文化財のなんとか城の大手門かと見まがう門が見えてきた。軍兵衛さんが門の前で一時停車し、クラクションを鳴らす。少し遅れて、門がゆっくりと開いた。バスもゆっくりと門をくぐる。
「来年か再来年、この南門は県の重要文化財になるんだどよ」
バスのサイドブレーキを引いて、軍兵衛さんがひとりごとのようにつぶやいた。
「んだら、おっでけらっしゃいっす」
孫兵衛さんが先導して徳永家御一行様を降車させる。相変わらず、この家の駐車スペースときたら、大型観光バスが一台停まったくらいでは埋まった感じがしない。先に到着済みの招待客の車がもう数台駐車しているにもかかわらず、である。
「なに、この家…」
母親が絶句している。俺とて、所沢の実家は決して狭くはないと思っていた。都内にあるミギの実家の倍近い敷地と建屋だ。しかし石川家は、その所沢の家よりもっと広い山形の一般庶民の家の、十数倍の敷地と屋敷なのである。石川宗家の住所は、寒河江市屋敷で終わり。番地もなかった。
「聞きしに勝るとはこのことだな」
父親も呆然と周りを見ている。
「ささ、こっつだっす」
孫兵衛さんが腰をかがめて案内する。雪はきれいに掃き寄せられ、白い歩道のように玄関に続いている。その玄関もまた、時代劇なんかに出てくるお屋敷のような造りなのである。
おそるおそる玄関を上がり、以前訪れた仏間の方へ向かう。今日も部屋の間のふすまが取り払われ大広間が出来上がっていた。祝い膳が並べられた広間は、さながら温泉場の宴会場である。
招待客がぞろぞろとやって来る。去年のお披露目の時よりは少ないようだ。
「結納ださげ、親戚中心だ。支持者関係ど学院関係はこねぇ」
義父がそう言いながら俺の隣にやってきて、徳永家ご一行を席に案内する。
床の間を背に、石川宗家と徳永家が着席し、40名ほどの客が一斉に頭を下げた。徳永家は俺以外ガチガチに緊張している。
「ほんじづはお寒いどごろ、当家結納の儀にご参列いだだきまして、まごどにありがどうございます」
義父が挨拶する。俺に対してはぼそぼそとしかしゃべらないので忘れていたが、政治家だけあってよく通る声だ。
客がまた一斉に頭を下げる。そして義母が一礼し挨拶を始めた。
「本来ならば、結納の使者を立て品を揃え、儀礼に則りましてことを行うべきでありますが、時代の流れと申しましょうか、今回は儀礼をすべて省略させていただきまして、皆様方への婚礼ごあいさつとさせていただきますことをご報告いたします」
義母はきれいな標準語でスラスラと話すが、案外大変なことなのではないか。事実、客の中からはあからさまな抗議の声が上がっている。
雪江が一礼して話し始める。
「そもそも、結納の儀礼を省略してほしいと両親と祖母に願いましたのは、私でございます」
抗議の声を上げていた客は、今度は大きな舌打ちを響かせた。雪江はまったく動じる様子もなくその客に一瞥をくれ、話を続けた。
「私は古来の儀礼を軽んずるつもりは一切ございません。憚りながら、結納のやり方に関しては、祖母や両親から早くに教えられておりました。ただ、一部の儀礼内容が、残念ながら現代においては時間の浪費でしかないということでございます。儀礼を正確に憶え次代に受け継いでいくことは非常に重要と考えますが、実際に実行しなくとも問題はないのではないかと、父母や祖母と幾度も議論をいたしました」
よどみなく論理的に話す雪江に、声を荒げるものはもういなかった。
「雪江からこのことを提案されました時、権兵衛は非常に怒りました。雪江に甘い母も、さすがに咎めました。しかし、私自身、私の結納の時に同じことを感じていたのでございます。親子というものは似るものでございますわ」
義母が上品に笑う。
「けっきょぐおっかさまも賛成にまわて、おなご三人からやんやんゆわっでは、わだくしももう反論ができませんでした。今回の儀礼の省略は、わだくし石川権兵衛のせぎにんでございます。ご一堂のご承認をばお願いもうすあげます」
義父の平身に続いて石川宗家が客に頭を下げた。徳永家も慌てて頭を下げる。
「権兵衛殿、お美事也!」
やはり最上座に鎮座していた、氏家了兆が高らかに言い、ぱんぱんと手を打つ。
「ご英断である、お美事也。有職故実に通暁しながらもあえて当代の風に従う、さすがは石川宗家のご刀自よ」
祖母が住職に頭を下げる。
「あたしはね、若いものにすべて任せることにしたのさ。それでこの家がなくなったってかまやしないさね。でも、雪江とこの色男じゃ、今よりますます栄えちまいそうだよぅ」
祖母の軽妙な江戸ことばに、客席がどっと湧き拍手が起こった。とりあえず一時の険悪さは消えた。
「五分家の皆様は得心か?」
住職が分家筆頭の佐兵衛さんに水を向ける。
「ああ、きいっだったべず。おらも最初おどろいだげっとよ、けっきょぐはおっさまのゆたとおりだねっす。有職故実に通暁するも敢えて当代の風に従う、だねっす」
ユウソクコジツ、とかいう難しい言葉のあたりだけ一切訛らなくなるあたりが学者らしい佐兵衛さんである。
「時間の浪費はすべきでねぇっす」
冷静な経営者の顔で吉兵衛さんが言う。
「ほだな、宗家のすぎにしたらしぇーっだな」
日焼け顔の又兵衛さんはこの件にはまったく興味が無いようだ。
「アニキがきめだんだら、俺は何もやねげどよ」
軍兵衛さんは義理事がらみは非常に大事にするらしいので、実は少し不満なのだろう。
「知識があっても実行しないのは知らないのと同じだと喝破したのは、陽明学だったかな」
都会的な装いでこの席でもっとも浮いた感じの五兵衛さんがさらっとインテリぶりを披露する。
「東京、陽明学と仏教は哲学的に相容れぬところが多いのだぞ」
住職が呵々大笑し、佐兵衛さんの音頭で乾杯となり、予想に反し実に普通の宴会が始まった。
招待客は酔って大騒ぎするわけでもなく、宴は和やかに進行し、徳永家ご一行もようやく緊張がほぐれたと見え、酒を注ぎに来た軍兵衛さんに父が質問を投げかける。
「先ほどバスから降りるとき、あの門が重要文化財になるとかおっしゃってましたね」
「おぉ、南門は、やまがだ城の大手門ばうづしてきたなださげ。明治になってからぶずぐされるっどごば、宗家が買い取ったんだど」
軍兵衛さんが訛り全開で説明する。上座の住職がすかさず補足説明を入れる。
「山形城は平城としては全国有数の規模だ。三の丸までの面積は江戸城の内郭と大差ない。その大手門ゆえ、いくら豪農の石川家とはいえ移設して日常使うのはおそれ多いということで、大東亜戦争後までお偉い方しかくぐらなんだ。年に一度開けるかどうかだったそうだ」
住職の説明に、父と前橋の伯父さんが心底感心したという感じで嘆息する。
「石川家は、江戸時代の初期に改易になって没落した最上家の直参家臣が帰農した家だ。全国に散った旧臣の末裔とも交流がある。今でも関西にある最上宗家へは、中元歳暮を送っておる」
父と伯父は住職のほうへ移り、酒をついでやりながら歴史談義に花を咲かせ始めた。
「先祖代々の甲冑と刀槍、馬印やらは、先代がやまがだのはぐぶつかんさじぇんぶ寄付したなだ」
義父がぼそっと言って酒をあおる。俺は酌をしてやりながら尋ねた。
「お父さんの実家も、やはりそんな感じですか」
義父も婿だが、やはり豪農なのだと義母が言っていた。
「おらえは、もどは侍ではなかったそうだ。庄屋だったさげ、侍の株を買って、なまえだげは侍だげっと。ほんでも、俺の兄貴で10代目ださげの」
義父は俺に酒を注ぎながら訥々と語る。
「ウチなんかは、前橋の伯父さんしか知らないしな」
「愛郎くんよ、どだなうづでも、必ず親がいて子がいて、それが連綿とつづいできたのよ。たえだうづもあっかもすんねげっと、必ず流れはあんなよ。流れは、きらさんねなだ」
義父が政治家らしいレトリックでさらりと言う。その言葉は、雪江と二人で流れを守れという意味なのだろう。俺はまた、軽く挑戦的に義父の方へ盃を向け、乾杯の仕草をしてきゅっと飲んだ。横目で俺たちを見ていた雪江が、にっこり笑って義父の方へ盃を差し出し、同じように飲んだ。
「頑張りますとしか言えませんが、よろしくお願いいたします」
俺の返事を聞いた義父がおもむろに立ち上がり、政治家の声で話し始めた。
「ごれっせぎの皆様がだにご報告申し上げます」
その声に客は談笑をやめ、義父の方へ向きなおる。
「本来ならば結納金を遣り取りいたしまして、生活道具を揃える慣わしでありますが、先ほど申しましたように、儀礼はしょうりゃぐであります。両家話し合いのもど、若い二人に出資するかたちで一金を贈呈し、生活道具などの購入にあててもらいます」
客が拍手で応えた。今度は俺の父が立ち上がり、話し始める。
「高い席より恐縮でございます、徳永愛郎の父でございます。このたびはこのような晴れやかな席にお呼びいただき、まことにありがとうございます」
俺の父は商社マンであり、こういう場でもすらすらとしゃべる。
「石川のお父様よりお話ありましたように、今回は儀礼を省略させていただきました。恥ずかしながら、私どもはこうした儀礼にはまったく疎く、ご迷惑をかけることを危惧いたしておりました。さきに石川のおとうさまよりこのお話をお伺いいたしまして、正直胸をなでおろしました」
客から笑いが起こる。
「じづは、二人への出資、という提案は、とぐながのお父様からの提案でありました。学校を出たての二人になんの財力もあるはずがなく、石川の家におんぶにだっこで生活させてもらったのでは、親としてこごろぐるすいと、せめて愛郎君に持参金を持たせたいと」
俺の父が続ける。
「加えて石川のお父様が、それでは両家同額、二人へ祝いということでどうかとおっしゃられました。決して私の提案などではございません」
父は懐から祝儀袋を取り出した。やけに分厚い。雪江を促して立たせ、恭しくそれを差し出す。
「徳永のお父様、お母様、有り難く頂戴いたします。お父さん、お母さん、おばあちゃん、ありがとう」
雪江がそれをさしいただいて、涙声で礼を述べる。満場拍手喝采の嵐、軍兵衛さんと孫兵衛さんは肩を抱き合って号泣している。
雪江の千両役者っぷりで、結納の儀はめでたく終了した。
今回は、徳永家として山形へ移動する。両親、兄、前橋の伯父さん夫婦とともに山形新幹線に乗った。実は母親は家出して東京へ出てきたために、実家とは絶縁しているのだと今回はじめて知った。そういえば、俺には母の郷里に行った記憶がなく、帰省といえば前橋の伯父さんのところだった。俺が家に寄りつかないでいる間に、母方の祖父母は相次いで亡くなったので、母はもう実家と絶縁したと話してくれた。
「愛郎、お前は帰ってきていいんだからね」
山形新幹線の車中で、母親が俺に語りかけた。
「石川家にいられなくなったら、うちへ帰っておいでね」
あやうく涙がこぼれそうになり、俺は車窓から雪を眺め続けた。
電車が山形駅に着く。今回は、ローカル線の左沢線には乗らず、山形駅まで石川家の車が迎えに来ているというので改札を出る。
改札を出た正面に、例の孫兵衛さんが「徳永家ご一行様」と達筆な文字で墨書された看板を持って立っていた。孫兵衛さんは俺を発見するなり「愛郎様」と大声で叫び駆け寄って来る。
「よぐござってけだなっす、愛郎様、こんで、石川の家も安泰だはー、ありがどさまっす、ありがどさまっす」
両親、兄、前橋の伯父夫婦が完全に固まっていた。
「もうしわげねっす、ご両親様どごすんせぎがっす、ぶぢょうほうしたなっす、もうすわげね」
「…たぶん、ご両親と親戚の方ですね、失礼いたしました、すいません、と言ってます」
飛躍的に上達した山形弁聞き取り能力で、俺は孫兵衛さんの言葉を通訳してやった。
「あ、こちらこそ失礼いたしました、愛郎の父です。母と、兄、そしてこっちが、私の兄夫婦です。私、早くに両親を亡くしてまして、兄が親代わりで」
「んだがっす、んだがっす、ほいづはしぇらい苦労したなっす、んだら、車さ乗ってけらっしゃい」
孫兵衛さんはすたすた歩いて行き、駅前ロータリーの車溜まりへ俺たちを案内する。ロータリーには車がおらず、観光バスが一台、エンジンをかけたまま停車していた。
「愛郎様、なにしったのっす、寒いがらはやぐ乗らねど、風邪なのひがれっど困っからよぉ」
観光バスのドアが、プシューと音を立てて開く。フロントグラスには「徳永家ご一行様」とやはり達筆で書かれた紙がでかでかと貼ってある。ついでに、「寿」という金文字も貼ってあった。
「孫兵衛さん、ウチ、6人ですけど」
「石川家が乗用車だのタクシーだのでむごど親戚の旦那衆むがえやった、なていわっだら、ほれごそはずがすくて、寒河江ばあらがんねはー」
石川家は婿と親戚を最大限の敬意を持って迎えるのだという意味だと通訳し、徳永家ご一行様は大型観光バスの前の方の座席にこぢんまりと寄り添って座った。
バスは雪の中を走る。国道の標識で、寒河江市まで18kmと出てきた。国道は結構車が多く走る。
「どんだけ田舎かと思ったけど、前橋のはずれの方と変わりゃせんな」
伯父さんがようやく緊張を解いたようで、いつものくだけた口調で言った。
「でも雪が多いわね、ホント」
母親は完全に旅行気分で周りを見回している。
「こだなもんではねぇっす、ほんて、大雪になったら、こだなもんではすまねのよっす」
「本当はもっと積もるって、雪、こんなもんじゃないって」
ほぼ反射的に同時通訳ができるようになっている俺。
「どのくらい積もるんです?」
父親が孫兵衛さんに尋ねる。
「ほれ、あの月山のほうさいったらなれ、ほれごそ背のたがさの倍がっとつもんなださげ」
正面にうっすら見える月山を指さし、通訳する。
「あの月山の方だと、背の高さの倍以上に積もります」
孫兵衛さんの方は標準語が理解できるのに、こっちは方言が理解できないというのは少し理不尽だが、致し方ない。
「孫兵衛、そろそろ着ぐさげ、あどあんまりしゃべんなは」
運転席からドスの効いた声がする。総合建設業の代表取締役である軍兵衛の声だ。
「すいません、気が付きませんでした。軍兵衛おじさんでしたか、運転されてたの」
俺はバスの運転席の方まで降りて行き、バスガイドが立つ位置で軍兵衛さんに頭を下げた。
「愛郎くん、いいがらいいがら、すわてろ、俺は大型特殊がらなにがら全部免許持ったさげの、こういう時はアニキの手伝いすんだ」
「社長は高校でで自衛隊さ6年いで全部の免許取ったんだもの、戦車がら選挙カーがらなえだて運転すんのよぉ」
孫兵衛さんはずっと年下である軍兵衛さんを「社長」と呼んだ。そういえば軍兵衛さんは株式会社左沢石川組の「社長」である。実際は「組長」にしか見えないのだが、元自衛官だったとは。
軍兵衛さんが運転する大型観光バスは最上川を越え、寒河江市に入った。広いバイパス道路を行かず、脇の狭い道へ入る。
「南門だと、旧道のほうがしぇーなだ」
旧道と言われた道は、すぐ脇を例の左沢線が走っており、上り列車が雪を蹴立てて走り去った。これまで走っていた広い国道に比べてだいぶ狭い道だが、両側には民家が連なる。
道の先の方に、重要文化財のなんとか城の大手門かと見まがう門が見えてきた。軍兵衛さんが門の前で一時停車し、クラクションを鳴らす。少し遅れて、門がゆっくりと開いた。バスもゆっくりと門をくぐる。
「来年か再来年、この南門は県の重要文化財になるんだどよ」
バスのサイドブレーキを引いて、軍兵衛さんがひとりごとのようにつぶやいた。
「んだら、おっでけらっしゃいっす」
孫兵衛さんが先導して徳永家御一行様を降車させる。相変わらず、この家の駐車スペースときたら、大型観光バスが一台停まったくらいでは埋まった感じがしない。先に到着済みの招待客の車がもう数台駐車しているにもかかわらず、である。
「なに、この家…」
母親が絶句している。俺とて、所沢の実家は決して狭くはないと思っていた。都内にあるミギの実家の倍近い敷地と建屋だ。しかし石川家は、その所沢の家よりもっと広い山形の一般庶民の家の、十数倍の敷地と屋敷なのである。石川宗家の住所は、寒河江市屋敷で終わり。番地もなかった。
「聞きしに勝るとはこのことだな」
父親も呆然と周りを見ている。
「ささ、こっつだっす」
孫兵衛さんが腰をかがめて案内する。雪はきれいに掃き寄せられ、白い歩道のように玄関に続いている。その玄関もまた、時代劇なんかに出てくるお屋敷のような造りなのである。
おそるおそる玄関を上がり、以前訪れた仏間の方へ向かう。今日も部屋の間のふすまが取り払われ大広間が出来上がっていた。祝い膳が並べられた広間は、さながら温泉場の宴会場である。
招待客がぞろぞろとやって来る。去年のお披露目の時よりは少ないようだ。
「結納ださげ、親戚中心だ。支持者関係ど学院関係はこねぇ」
義父がそう言いながら俺の隣にやってきて、徳永家ご一行を席に案内する。
床の間を背に、石川宗家と徳永家が着席し、40名ほどの客が一斉に頭を下げた。徳永家は俺以外ガチガチに緊張している。
「ほんじづはお寒いどごろ、当家結納の儀にご参列いだだきまして、まごどにありがどうございます」
義父が挨拶する。俺に対してはぼそぼそとしかしゃべらないので忘れていたが、政治家だけあってよく通る声だ。
客がまた一斉に頭を下げる。そして義母が一礼し挨拶を始めた。
「本来ならば、結納の使者を立て品を揃え、儀礼に則りましてことを行うべきでありますが、時代の流れと申しましょうか、今回は儀礼をすべて省略させていただきまして、皆様方への婚礼ごあいさつとさせていただきますことをご報告いたします」
義母はきれいな標準語でスラスラと話すが、案外大変なことなのではないか。事実、客の中からはあからさまな抗議の声が上がっている。
雪江が一礼して話し始める。
「そもそも、結納の儀礼を省略してほしいと両親と祖母に願いましたのは、私でございます」
抗議の声を上げていた客は、今度は大きな舌打ちを響かせた。雪江はまったく動じる様子もなくその客に一瞥をくれ、話を続けた。
「私は古来の儀礼を軽んずるつもりは一切ございません。憚りながら、結納のやり方に関しては、祖母や両親から早くに教えられておりました。ただ、一部の儀礼内容が、残念ながら現代においては時間の浪費でしかないということでございます。儀礼を正確に憶え次代に受け継いでいくことは非常に重要と考えますが、実際に実行しなくとも問題はないのではないかと、父母や祖母と幾度も議論をいたしました」
よどみなく論理的に話す雪江に、声を荒げるものはもういなかった。
「雪江からこのことを提案されました時、権兵衛は非常に怒りました。雪江に甘い母も、さすがに咎めました。しかし、私自身、私の結納の時に同じことを感じていたのでございます。親子というものは似るものでございますわ」
義母が上品に笑う。
「けっきょぐおっかさまも賛成にまわて、おなご三人からやんやんゆわっでは、わだくしももう反論ができませんでした。今回の儀礼の省略は、わだくし石川権兵衛のせぎにんでございます。ご一堂のご承認をばお願いもうすあげます」
義父の平身に続いて石川宗家が客に頭を下げた。徳永家も慌てて頭を下げる。
「権兵衛殿、お美事也!」
やはり最上座に鎮座していた、氏家了兆が高らかに言い、ぱんぱんと手を打つ。
「ご英断である、お美事也。有職故実に通暁しながらもあえて当代の風に従う、さすがは石川宗家のご刀自よ」
祖母が住職に頭を下げる。
「あたしはね、若いものにすべて任せることにしたのさ。それでこの家がなくなったってかまやしないさね。でも、雪江とこの色男じゃ、今よりますます栄えちまいそうだよぅ」
祖母の軽妙な江戸ことばに、客席がどっと湧き拍手が起こった。とりあえず一時の険悪さは消えた。
「五分家の皆様は得心か?」
住職が分家筆頭の佐兵衛さんに水を向ける。
「ああ、きいっだったべず。おらも最初おどろいだげっとよ、けっきょぐはおっさまのゆたとおりだねっす。有職故実に通暁するも敢えて当代の風に従う、だねっす」
ユウソクコジツ、とかいう難しい言葉のあたりだけ一切訛らなくなるあたりが学者らしい佐兵衛さんである。
「時間の浪費はすべきでねぇっす」
冷静な経営者の顔で吉兵衛さんが言う。
「ほだな、宗家のすぎにしたらしぇーっだな」
日焼け顔の又兵衛さんはこの件にはまったく興味が無いようだ。
「アニキがきめだんだら、俺は何もやねげどよ」
軍兵衛さんは義理事がらみは非常に大事にするらしいので、実は少し不満なのだろう。
「知識があっても実行しないのは知らないのと同じだと喝破したのは、陽明学だったかな」
都会的な装いでこの席でもっとも浮いた感じの五兵衛さんがさらっとインテリぶりを披露する。
「東京、陽明学と仏教は哲学的に相容れぬところが多いのだぞ」
住職が呵々大笑し、佐兵衛さんの音頭で乾杯となり、予想に反し実に普通の宴会が始まった。
招待客は酔って大騒ぎするわけでもなく、宴は和やかに進行し、徳永家ご一行もようやく緊張がほぐれたと見え、酒を注ぎに来た軍兵衛さんに父が質問を投げかける。
「先ほどバスから降りるとき、あの門が重要文化財になるとかおっしゃってましたね」
「おぉ、南門は、やまがだ城の大手門ばうづしてきたなださげ。明治になってからぶずぐされるっどごば、宗家が買い取ったんだど」
軍兵衛さんが訛り全開で説明する。上座の住職がすかさず補足説明を入れる。
「山形城は平城としては全国有数の規模だ。三の丸までの面積は江戸城の内郭と大差ない。その大手門ゆえ、いくら豪農の石川家とはいえ移設して日常使うのはおそれ多いということで、大東亜戦争後までお偉い方しかくぐらなんだ。年に一度開けるかどうかだったそうだ」
住職の説明に、父と前橋の伯父さんが心底感心したという感じで嘆息する。
「石川家は、江戸時代の初期に改易になって没落した最上家の直参家臣が帰農した家だ。全国に散った旧臣の末裔とも交流がある。今でも関西にある最上宗家へは、中元歳暮を送っておる」
父と伯父は住職のほうへ移り、酒をついでやりながら歴史談義に花を咲かせ始めた。
「先祖代々の甲冑と刀槍、馬印やらは、先代がやまがだのはぐぶつかんさじぇんぶ寄付したなだ」
義父がぼそっと言って酒をあおる。俺は酌をしてやりながら尋ねた。
「お父さんの実家も、やはりそんな感じですか」
義父も婿だが、やはり豪農なのだと義母が言っていた。
「おらえは、もどは侍ではなかったそうだ。庄屋だったさげ、侍の株を買って、なまえだげは侍だげっと。ほんでも、俺の兄貴で10代目ださげの」
義父は俺に酒を注ぎながら訥々と語る。
「ウチなんかは、前橋の伯父さんしか知らないしな」
「愛郎くんよ、どだなうづでも、必ず親がいて子がいて、それが連綿とつづいできたのよ。たえだうづもあっかもすんねげっと、必ず流れはあんなよ。流れは、きらさんねなだ」
義父が政治家らしいレトリックでさらりと言う。その言葉は、雪江と二人で流れを守れという意味なのだろう。俺はまた、軽く挑戦的に義父の方へ盃を向け、乾杯の仕草をしてきゅっと飲んだ。横目で俺たちを見ていた雪江が、にっこり笑って義父の方へ盃を差し出し、同じように飲んだ。
「頑張りますとしか言えませんが、よろしくお願いいたします」
俺の返事を聞いた義父がおもむろに立ち上がり、政治家の声で話し始めた。
「ごれっせぎの皆様がだにご報告申し上げます」
その声に客は談笑をやめ、義父の方へ向きなおる。
「本来ならば結納金を遣り取りいたしまして、生活道具を揃える慣わしでありますが、先ほど申しましたように、儀礼はしょうりゃぐであります。両家話し合いのもど、若い二人に出資するかたちで一金を贈呈し、生活道具などの購入にあててもらいます」
客が拍手で応えた。今度は俺の父が立ち上がり、話し始める。
「高い席より恐縮でございます、徳永愛郎の父でございます。このたびはこのような晴れやかな席にお呼びいただき、まことにありがとうございます」
俺の父は商社マンであり、こういう場でもすらすらとしゃべる。
「石川のお父様よりお話ありましたように、今回は儀礼を省略させていただきました。恥ずかしながら、私どもはこうした儀礼にはまったく疎く、ご迷惑をかけることを危惧いたしておりました。さきに石川のおとうさまよりこのお話をお伺いいたしまして、正直胸をなでおろしました」
客から笑いが起こる。
「じづは、二人への出資、という提案は、とぐながのお父様からの提案でありました。学校を出たての二人になんの財力もあるはずがなく、石川の家におんぶにだっこで生活させてもらったのでは、親としてこごろぐるすいと、せめて愛郎君に持参金を持たせたいと」
俺の父が続ける。
「加えて石川のお父様が、それでは両家同額、二人へ祝いということでどうかとおっしゃられました。決して私の提案などではございません」
父は懐から祝儀袋を取り出した。やけに分厚い。雪江を促して立たせ、恭しくそれを差し出す。
「徳永のお父様、お母様、有り難く頂戴いたします。お父さん、お母さん、おばあちゃん、ありがとう」
雪江がそれをさしいただいて、涙声で礼を述べる。満場拍手喝采の嵐、軍兵衛さんと孫兵衛さんは肩を抱き合って号泣している。
雪江の千両役者っぷりで、結納の儀はめでたく終了した。
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