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Crush on you
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なるべく会わないように、そう心に決めても花は正直に露を吐く。雄弁の塊は喉をせりあがって吐き出されて、もうアイツへの気持ちなんてひとつ残らず吐き出しだろうと思ってもまだまだ溢れ出す。精魂尽き果てるまで俺の全てを吸い尽くしていく花に埋もれて部屋の床が敷き詰められた頃、玄関のチャイムが鳴った。また夏がやって来ていた。
「引きこもりだなんて珍しいね」
変わらないあの笑顔で、淡々と告げる声もあの頃のまま。少し短くなった髪から覗く白い項が大人びて見えて、白い麻のシャツから伸びた腕は相変わらず細くて、それがすっと伸びてくる様がスローモーションで映る。身動きも出来ず、指先がすりすりと頬を撫でていくのを不思議な気持ちで見ていた。
お前は一体どんな理由で、どんな気持ちで、ここにいるの。俺を嗤いに来たの、それとも
俺を救いに来たの。
スッと身を躱して招いてもいない部屋の中にズカズカと上がり込む。図々しさと紙一重の人懐っこさは何も変わっていなくて、俺の坐り慣れた形で沈んだままのソファに腰を下ろした。
「これは、何なの?」
足下に散らばる花を指さす。
そうだ、花。花を吐いていたんだった。呆然としたまま巧い言い訳も思いつかずに開けたままの口からぽとり、とまた一つ花が生まれた。純粋無垢な白い花弁が旋回しながら床に落ちていく。
「花、吐いてるんだね」
特に驚いた様子もなく、立ち尽くす俺をジッと見上げるとゆっくりと口の端が持ち上がっていく。目を細めて頬を緩めて、
酷く満足そうに、笑った。
とても嬉しそうに、笑った。
あの夏の名残のように。
そして何の躊躇いもなく手近にある花を拾い上げて目の前にかざすと、手のひらにのせてその匂いを嗅ぐ。花に、触れた、ら。
「お前、それ…花…」
本物の花なのかと矯めつ眇めつしながら手触りを、香りを、楽しんでいるように見えた。花吐き病の吐いた花には触れてはいけないってこと、誰だって知ってる。
「恋って、何だろね」
きょとんと首を傾げて訊ねる目の前の男が、恐ろしかった。底が知れない深淵を覗き込むと人は、狂気の畏怖に晒されるのだろうか。
「お前はあの夏を憶えてる?」
忘れられるわけがない。じゃなきゃ今頃花なんて吐くわけがない。ギリっと噛み締めた口唇から血の味がした。
「優しく甘やかされれば人は人を好きになるの?抱き締めてセックスして気持ちよくなれば絆されるの?時間を重ねればどんな酷いことをされても許せるの?ねえ、お前は俺を好きじゃなかったよねえ?なのにどうして花なんか吐いてるの?」
その想いは偽りだと糾弾しているつもりだろうか。偽りでも痛みは生まれるし、思い込みでも花は吐き出される。どこにも辿り着けない関係でも、ここに俺とお前がいて世界が生まれてしまえば、
意味がなくたって恋に溺れる。
「ねえ、その花はさ。『真実』『正しく』『美しい』ですか?」
人生の真理を問い続けるのがお前の生き甲斐だとして、俺はお前の道具じゃない。お前の実験動物として飼い慣らされて捨てられるのが運命なんだとしたら、俺の生きる意味は一体どこにある。
だけど、俺は応えることが出来なかった。
心に正しいもクソもあるかと言い放つことが出来なかった。
咲いている花は美しいけれど、吸い上げている養分は俺の憎しみであり恨みであり妬み、憧れ、傲り、独占欲、承認欲、ありとあらゆる負の感情の表れだ。純粋な恋などであるはずがない。
俺に正しく美しい恋をすることを赦さなかった男が、その花びらを口に咥えて微笑んだ。
「俺がお前を、花にしたんだね」
立ち上がり、低い位置から俺を見上げる底無しの闇。吸い込まれそうだ。ジリジリと汗をかく。夏が俺を狂わせる。
「俺を愛してるの?」
耳鳴りがする。触れられた所から炎が立ち昇る。導火線に火がついて砕け散る瞬間の美しい花が見える。
「俺をどこまで愛せるの?」
こぽり。口から溢れた花を指先でつまむ。
こぽり。もうひとつ。またひとつ。
頬を濡らす涙を掬う指先は、夏だというのに凍えるほど冷たい。
「また、夏が来たね」
少し背伸びして近づいた口唇。頬に添えられた手のひら。どちらも血が通っていない冷徹さで、交じり合うことを拒む。心が通うことがないからだろうか。
「もう一度、初めから始めようか」
覚悟を問われた俺は、瞬きひとつ出来ずにじっと立ち尽くす。イエスでもノーでもない、心はそんなに簡単に分かれやしない。
凍える口唇が柔らかく心を攫って行く。
学校とか、友人とか、将来とか、あの夏に俺から奪われてまた手元に戻ってきたはずの日常がさらさらとまた指の間からこぼれていく音が聞こえる。
何もかも空虚な幻想でしかない。きっとこの部屋で起きている悲劇も傍から見れば茶番でしかなくて、俺の選択は馬鹿馬鹿しいの極みだろう。感傷に流されて心の赴くままに誤った判断をする俺を、もう一人の俺が離れたところで指をさして嗤っている。
ああ、それでも人は愚かにも恋をするから、
俺も、理性を投げ捨ててその腕に縋るんだろう。
「あいして、くれるの」
掠れた声は口唇ごと飲み込まれた。
「あいしているよ、ずっと前から」
込み上げる花びら。終わらない口づけ。
愛されているならもう、どうでもいいじゃないか。
「ずっと、ここにいてくれるの」
「お前が望むなら」
「もう、どこにもいかないで」
「お前が望む限り」
「おれを、あいして」
「お前が誰よりも俺だけを愛すなら、永遠に二人でこのまま」
こぽり。
重なり合った口唇から、どちらのものとも分からない花が堕ちた。
「引きこもりだなんて珍しいね」
変わらないあの笑顔で、淡々と告げる声もあの頃のまま。少し短くなった髪から覗く白い項が大人びて見えて、白い麻のシャツから伸びた腕は相変わらず細くて、それがすっと伸びてくる様がスローモーションで映る。身動きも出来ず、指先がすりすりと頬を撫でていくのを不思議な気持ちで見ていた。
お前は一体どんな理由で、どんな気持ちで、ここにいるの。俺を嗤いに来たの、それとも
俺を救いに来たの。
スッと身を躱して招いてもいない部屋の中にズカズカと上がり込む。図々しさと紙一重の人懐っこさは何も変わっていなくて、俺の坐り慣れた形で沈んだままのソファに腰を下ろした。
「これは、何なの?」
足下に散らばる花を指さす。
そうだ、花。花を吐いていたんだった。呆然としたまま巧い言い訳も思いつかずに開けたままの口からぽとり、とまた一つ花が生まれた。純粋無垢な白い花弁が旋回しながら床に落ちていく。
「花、吐いてるんだね」
特に驚いた様子もなく、立ち尽くす俺をジッと見上げるとゆっくりと口の端が持ち上がっていく。目を細めて頬を緩めて、
酷く満足そうに、笑った。
とても嬉しそうに、笑った。
あの夏の名残のように。
そして何の躊躇いもなく手近にある花を拾い上げて目の前にかざすと、手のひらにのせてその匂いを嗅ぐ。花に、触れた、ら。
「お前、それ…花…」
本物の花なのかと矯めつ眇めつしながら手触りを、香りを、楽しんでいるように見えた。花吐き病の吐いた花には触れてはいけないってこと、誰だって知ってる。
「恋って、何だろね」
きょとんと首を傾げて訊ねる目の前の男が、恐ろしかった。底が知れない深淵を覗き込むと人は、狂気の畏怖に晒されるのだろうか。
「お前はあの夏を憶えてる?」
忘れられるわけがない。じゃなきゃ今頃花なんて吐くわけがない。ギリっと噛み締めた口唇から血の味がした。
「優しく甘やかされれば人は人を好きになるの?抱き締めてセックスして気持ちよくなれば絆されるの?時間を重ねればどんな酷いことをされても許せるの?ねえ、お前は俺を好きじゃなかったよねえ?なのにどうして花なんか吐いてるの?」
その想いは偽りだと糾弾しているつもりだろうか。偽りでも痛みは生まれるし、思い込みでも花は吐き出される。どこにも辿り着けない関係でも、ここに俺とお前がいて世界が生まれてしまえば、
意味がなくたって恋に溺れる。
「ねえ、その花はさ。『真実』『正しく』『美しい』ですか?」
人生の真理を問い続けるのがお前の生き甲斐だとして、俺はお前の道具じゃない。お前の実験動物として飼い慣らされて捨てられるのが運命なんだとしたら、俺の生きる意味は一体どこにある。
だけど、俺は応えることが出来なかった。
心に正しいもクソもあるかと言い放つことが出来なかった。
咲いている花は美しいけれど、吸い上げている養分は俺の憎しみであり恨みであり妬み、憧れ、傲り、独占欲、承認欲、ありとあらゆる負の感情の表れだ。純粋な恋などであるはずがない。
俺に正しく美しい恋をすることを赦さなかった男が、その花びらを口に咥えて微笑んだ。
「俺がお前を、花にしたんだね」
立ち上がり、低い位置から俺を見上げる底無しの闇。吸い込まれそうだ。ジリジリと汗をかく。夏が俺を狂わせる。
「俺を愛してるの?」
耳鳴りがする。触れられた所から炎が立ち昇る。導火線に火がついて砕け散る瞬間の美しい花が見える。
「俺をどこまで愛せるの?」
こぽり。口から溢れた花を指先でつまむ。
こぽり。もうひとつ。またひとつ。
頬を濡らす涙を掬う指先は、夏だというのに凍えるほど冷たい。
「また、夏が来たね」
少し背伸びして近づいた口唇。頬に添えられた手のひら。どちらも血が通っていない冷徹さで、交じり合うことを拒む。心が通うことがないからだろうか。
「もう一度、初めから始めようか」
覚悟を問われた俺は、瞬きひとつ出来ずにじっと立ち尽くす。イエスでもノーでもない、心はそんなに簡単に分かれやしない。
凍える口唇が柔らかく心を攫って行く。
学校とか、友人とか、将来とか、あの夏に俺から奪われてまた手元に戻ってきたはずの日常がさらさらとまた指の間からこぼれていく音が聞こえる。
何もかも空虚な幻想でしかない。きっとこの部屋で起きている悲劇も傍から見れば茶番でしかなくて、俺の選択は馬鹿馬鹿しいの極みだろう。感傷に流されて心の赴くままに誤った判断をする俺を、もう一人の俺が離れたところで指をさして嗤っている。
ああ、それでも人は愚かにも恋をするから、
俺も、理性を投げ捨ててその腕に縋るんだろう。
「あいして、くれるの」
掠れた声は口唇ごと飲み込まれた。
「あいしているよ、ずっと前から」
込み上げる花びら。終わらない口づけ。
愛されているならもう、どうでもいいじゃないか。
「ずっと、ここにいてくれるの」
「お前が望むなら」
「もう、どこにもいかないで」
「お前が望む限り」
「おれを、あいして」
「お前が誰よりも俺だけを愛すなら、永遠に二人でこのまま」
こぽり。
重なり合った口唇から、どちらのものとも分からない花が堕ちた。
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