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短いバタフライ
02
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最初の試験を優良な成績で終えた彼と再び出会ったのは、夏の暑い最中だった。熱帯夜のなか、大学を出てフラフラと帰途につく。パタパタと扇子で仰ぎながら生暖かい風を送る。裏門から最寄り駅までには商店街というには規模の小さい店たちが転々と並んでいて、ぼんやりと歩道に明かりを投げかけている。
正門の方は賑やかな飲み屋だとかカフェだとかが集まっていて、少し気後れしてしまう。この地味で静かな暗い歩道の方が自分には合っている気がした。
肩にくいこむリュックには、図書館から借りてきた本がギッシリ詰まっている。重い、痛い、暑い。三重苦だ。歩いているだけで汗がダラダラとしたたり落ちてくる。夏なんて嫌いだ。
こんな時、ビールをくーっと流し込めれば最高…なんだろうけど、あいにく僕の分解酵素はほとんど仕事をしない。ほんのちょっとのアルコールでも酔っ払ってしまうから、外では下戸で通している。だけど、こんなに暑い夜は、帰りに一本くらいコンビニで買って帰ってもいいかもしれない。
重いリュックを抱えながらフラフラ歩いていると。
目の前の明かりがぼんやりと漏れているドアから、大きな影がぬっと現れた。
あまりに突然だったせいか、心の準備が出来てなかったからか、とにかく僕はわっと情けなく声をあげて飛び退いた。拍子に、グラリとバランスを崩した。重すぎるリュックのせいで踏みとどまれなかった足がもつれて、背中が重力に引っ張られる。
あ、倒れる。
頭だけは冷静に、借りてきた本を守ろうと身体を丸めてぎゅっとリュックを抱え込んだ。背中に衝撃が来るのに備える。その間わずか数秒の間…あれ。いつまで経っても衝撃がこない。
つぶっていた目をそっと開くと、影が、僕を受け止めていた。ふわっと水みたいな淡い匂いが香った。そして鼻先に残るx緑の匂い。爽やかでほんのりとろりとした、不思議な匂いだった。
おそるおそる顔をあげる。逆光でよく見えないけれど、誰かが支えてくれたらしい。輪郭の大きさからして男だろう。首の後ろに直に当たる腕が、妙に熱かった。
慌てて身体を起こそうとわたわたしてる間に、手がぶつかって、かけていた眼鏡が飛んでいってしまった。そんなコントみたいなこと、現実に起きるんだなと妙に感心してしまった。
だが、困った。
外は暗闇、眼鏡がない。すなわち、何も見えない。
どこに飛んでいったのか、キョロキョロしてはみても僕の視力ではどこもかしこも薄ぼんやりと滲んでいて、足元なんか怖くて動かせない。眼鏡を踏んだら困る。
うーん、と悩んでいると身体がふわりと浮いた。トンと地面に足がついて真っ直ぐ立たされる。足音がパタパタと遠ざかって少し離れたところで影が蠢いた後、また近くに戻ってきた。そして正面で止まる。
ようやく周囲の明るさに慣れてじっと目をこらすと、あるべきところに相手の顔がなかった。ん?と思って首を動かすと、あ、いた。
なんと、あの大きな彼だった。
「はい、センセ」
手渡されたのは飛んでいった眼鏡。ああ、と間抜けな声で受けとる。ありがとう、とお礼を言えば、どういたしまして、とそれだけの短い会話。近寄るとまた、水の匂い。
彼はひらひらと手を振って、また店に戻っていった。残像が緑に滲む。眼鏡をかけ直すと、少しだけゆがんでしまっていた。
店の前で立ち止まり、ちょっとだけ覗いてみると、中はカフェのようだった。彼はカウンターの内側で働いているようだった。何をしていても様になるなんて、さすがはモデルだなと感心する。
歪んだ視界でも、彼は美しかった。
まるで歪んだ真珠だ。
パタパタ。蝶が羽ばたいた。
正門の方は賑やかな飲み屋だとかカフェだとかが集まっていて、少し気後れしてしまう。この地味で静かな暗い歩道の方が自分には合っている気がした。
肩にくいこむリュックには、図書館から借りてきた本がギッシリ詰まっている。重い、痛い、暑い。三重苦だ。歩いているだけで汗がダラダラとしたたり落ちてくる。夏なんて嫌いだ。
こんな時、ビールをくーっと流し込めれば最高…なんだろうけど、あいにく僕の分解酵素はほとんど仕事をしない。ほんのちょっとのアルコールでも酔っ払ってしまうから、外では下戸で通している。だけど、こんなに暑い夜は、帰りに一本くらいコンビニで買って帰ってもいいかもしれない。
重いリュックを抱えながらフラフラ歩いていると。
目の前の明かりがぼんやりと漏れているドアから、大きな影がぬっと現れた。
あまりに突然だったせいか、心の準備が出来てなかったからか、とにかく僕はわっと情けなく声をあげて飛び退いた。拍子に、グラリとバランスを崩した。重すぎるリュックのせいで踏みとどまれなかった足がもつれて、背中が重力に引っ張られる。
あ、倒れる。
頭だけは冷静に、借りてきた本を守ろうと身体を丸めてぎゅっとリュックを抱え込んだ。背中に衝撃が来るのに備える。その間わずか数秒の間…あれ。いつまで経っても衝撃がこない。
つぶっていた目をそっと開くと、影が、僕を受け止めていた。ふわっと水みたいな淡い匂いが香った。そして鼻先に残るx緑の匂い。爽やかでほんのりとろりとした、不思議な匂いだった。
おそるおそる顔をあげる。逆光でよく見えないけれど、誰かが支えてくれたらしい。輪郭の大きさからして男だろう。首の後ろに直に当たる腕が、妙に熱かった。
慌てて身体を起こそうとわたわたしてる間に、手がぶつかって、かけていた眼鏡が飛んでいってしまった。そんなコントみたいなこと、現実に起きるんだなと妙に感心してしまった。
だが、困った。
外は暗闇、眼鏡がない。すなわち、何も見えない。
どこに飛んでいったのか、キョロキョロしてはみても僕の視力ではどこもかしこも薄ぼんやりと滲んでいて、足元なんか怖くて動かせない。眼鏡を踏んだら困る。
うーん、と悩んでいると身体がふわりと浮いた。トンと地面に足がついて真っ直ぐ立たされる。足音がパタパタと遠ざかって少し離れたところで影が蠢いた後、また近くに戻ってきた。そして正面で止まる。
ようやく周囲の明るさに慣れてじっと目をこらすと、あるべきところに相手の顔がなかった。ん?と思って首を動かすと、あ、いた。
なんと、あの大きな彼だった。
「はい、センセ」
手渡されたのは飛んでいった眼鏡。ああ、と間抜けな声で受けとる。ありがとう、とお礼を言えば、どういたしまして、とそれだけの短い会話。近寄るとまた、水の匂い。
彼はひらひらと手を振って、また店に戻っていった。残像が緑に滲む。眼鏡をかけ直すと、少しだけゆがんでしまっていた。
店の前で立ち止まり、ちょっとだけ覗いてみると、中はカフェのようだった。彼はカウンターの内側で働いているようだった。何をしていても様になるなんて、さすがはモデルだなと感心する。
歪んだ視界でも、彼は美しかった。
まるで歪んだ真珠だ。
パタパタ。蝶が羽ばたいた。
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