影牢 -かげろう-

帯刀通

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夢現の喪失

02

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如何な面持ちで傍らに控えていたのかは知らないが、壁の花と化していた密がのっそりと近寄ってきた。

「意外と情熱的なんだねぇ、愛ちゃんてば」

からかいの言葉に潜むのは、嫉妬か羨望か傷心か焦燥か。軽薄な表情からは本心など読めはしない。興味もない。もう番は成立したのだから邪魔なだけだ。さっさと去ねばよいものを。

「でもさ~ぁ?可笑しいんだよね、これってば。俺の鼻が狂ってるのか?」

ニヤリと笑うが其の目は、射抜くように鋭い。

「まだまだまぁ~だ、甘い匂いがするんだよねぇ?俺には」

云われて初めて気付く。番になれば止まるはずのフェロモンが、濃厚に室内に立ち込めている。くっきりと痕の残る首筋に鼻先を寄せてすんすんと嗅いでいる姿は、獲物を見つけた猟犬の様に歓びに溢れている。

「君たち、番にはなれなかったのかな?それなら、オニイサンにもあるってことだよねえ~?」

ーーーチャンスが。

舌舐めずりせん許りに、期待と興奮を隠しもせず、美澄へと手を伸ばした。

思わず、手を払う。

ーーー独占欲?

否、是はそんな生易しいものではない。直接剥き出しの内臓に触れられる様な不快感、其れを美澄に触れる手にも感じる。まるで美澄も我が身の一部になったかの様に。

魂の片割れ。運命の番。

真逆、文字通り運命共同体となって心身共に繋がることをそう呼ぶのだろうか。

意識を取り戻した美澄を無遠慮に撫で回す密の手に、吐き気すら催す。何なのだ、此の一体感は。是が番になる、ということなのか。

美澄の感覚を共有する。美澄の痛みも、悦びも、我が身のものとする。細い透明の糸で神経同士が直接繋がって、己が意思とは無関係に強引に追体験させられる。

「…っ、やめろ!」

冗談じゃない!僕の身体は僕だけのもの。こんな……こんな馬鹿なこと、赦せる筈がない。

だが、僕の葛藤にはお構いなしに、密はその甘さで美澄を濡らしていく。

ーーー止めてくれ。頭がおかしくなる。

指先まで駆け巡る痛い迄の快感に、まともに立つことすら能わず、無様に床に転がる。

我が身に起きて初めて解る、兇暴な劣情と快楽は、最早害悪がいあくでしかない。発情期ヒートとは、人間を壊す凶悪な欲望を指すのか。ここまで強烈な淫楽を身体が覚えこまされたら、とても正常に生きることなど適わないだろう。

Ωとは、斯くも難儀な生き物だったのか。

初めて、美澄に、憐れみを感じた。自制心など悉皆役に立たぬ。精神力などで賄える域を超えている。

ーーーこの僕が男に抱かれる感覚を味わうとはな。

滑稽だ。これは罰か。己が恋を裏切り、恋した人の息子を散々袖にした挙句、同情と奇妙な嫉妬から身代わりにして抱いたことへの。

何故かあの時、名前を呼んで欲しい、と想ったのだ。
彼女に似た顔で、快楽に蕩けた顔をしとどに濡らしたあの子を見た瞬間、口を衝いて出た。

叶うならもう一度、あの人に、あの声で、名前を呼ばれたい。錯覚でもいい。あの人を抱き締めたい。
心の奥底に封印していただろう浅ましい願いが、不意に現われた瞬間だった。

美澄は。

ーーー酷く、傷ついた顔をしていた。

『妹』として最低限の優しさを与えていた頃とは明らかに違う。あの発情期から何もかもが崩れてしまった。異次元に迷い込んだ様に、今迄の日常が、変わらない日々が、何処と無く乖離している。だから、

あの幼な子だった『美澄』はもう何処にも居ない。

僕を愛している、と云った顔が、声が、あの人に重なって見える。

僕が見ているのは、あの人なのか、美澄なのか、判らなくなる。
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