悪役令嬢は躊躇する

蒼衣翼

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そしてゲームは開幕する

雷鳴の響く朝に

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 深夜に降り出した雨が屋敷を叩き、朝になっても日が差さず、屋敷のなかは暗いままだった。
 遠くではゴロゴロと、雷雲のなかで蠢きまわる雷獣の唸り声が聞こえる。

 リリアは、朝食のために食堂に訪れていたが、いつもなら誰よりも早く席に着いている姉の姿がないことを訝しんでいた。

「イツキ、お姉様はどうなさったの?」
「お部屋には伺ったのですが、お返事がなくて……」
「まぁ」

 二人はそろって不安そうな顔で、ローズの席を見つめた。
 ちょうどそのとき、カタンと扉の開く音が聞こえて、二人は振り返る。

「お姉様! どこか具合でもお悪いのですか?」

 扉を開けて入室して来たのは、二人が心配していた相手、リリアの姉であるローズ・メイ・グリーンガーデンであった。
 ローズの目は伏せ気味で、表情は冴えない。
 常の彼女を知っている二人には、ローズが不調である証のように思えた。

「リリア……」
「え?」

 姉の呼び声に、リリアは驚きを隠せなかった。
 幼い頃より、姉はリリアをリリーと愛称で呼び、正式な席で他人に紹介するとき以外、リリアと呼ぶことはなかったのである。

「わたくし、決意しました」
「な、何をでしょうか?」
「いつまでも王国に不安を残しておく訳にはいきませんもの。邪竜を一度蘇らせて、完全に滅ぼしてしまおうと」
「えっ?」「え?」

 リリアとイツキは絶句して、凍り付いたようにローズを見た。
 その件は関わった者たち全員の合意の上で、封印を続けると決まったはずだった。
 ローズのあまりにもおかしな様子に、リリアもイツキも、息をするのも忘れて、その顔を見つめる。

 その時、窓の外で稲妻が閃いた。
 強烈な光が、室内を銀白に照らし出す。
 その刹那、イツキとリリアは、ローズの頭上に何か光るものが見えたように思った。
 しかし、稲妻の光が消えてしまえば、目を凝らしても、ローズの頭上にはいつものように燃えるような赤い髪があるだけだ。
 いや、その髪は、いつもより色味がやや暗いようにも思えた。
 まるで乾いた血がこびりついているような赤だ。

「お、お姉様。邪竜の封印を守ると、ピアニー様たちとお誓いになられたのでしょう?」
「それは間違いだったの。子どもの甘さだったわ」

 きっぱりと告げて、ローズはゆっくり二人に近づく。

「それでね。邪竜の封印を解くには秘宝だけでは駄目だとわかったの」
「おじょう……さま?」

 イツキは我知らず、リリアをローズから庇うような位置に身体を滑り込ませた。

「秘宝とその守護者の命。それが封印を解くための鍵……」

 張り付いたような微笑みを浮かべて、ローズはイツキの正面に立つ。

「わたくしは、グリーンガーデン公爵家の当主にならねばなりません。だから、一つ目の封印は、リリア、貴女の命であがなって頂戴」

 ──……ドッ、ガガガッ!

 再び稲妻が閃き、落ちた雷が激しい音を響かせる。
 その音に突き飛ばされたように、イツキが動いた。

「リリア様! お逃げください!」
「……イツキ?」

 いつもと変わらない朝。
 いや、もうすぐ学園に入学して、姉や大好きなイツキ、そして姉の友人達と一緒に、自分自身も、初めての友人を作って行こうと、ワクワクと朝を過ごしていたはずのリリアにとって、一連の出来事は理解不能だった。

「え? お姉様……」
「そう言えばイツキ、あなたの家も秘宝の守護家の一つでしたわね」
「ぐっ」

 ローズは、左手でイツキの腕を掴むと、後ろに回していた右手を掲げた。
 その手には、刃先が鋭く長いナイフが握られている。

「イツキ!」

 リリアが叫んだ。
 イツキはローズを振り払おうとした。だが……。

「いいのよ逃げても。だって、あなたの家族はまだまだ大勢いるのですもの」

 その言葉にイツキは目を見開き、抵抗が止まる。

「リリア様! 逃げて! 学園の寮に! ピアニー様達に助けを求めるのです! ローズ様は、きっと何かに操られています! あなたしかローズ様を救えない!」
「あっ!」

 イツキがそう叫んだ瞬間、ローズの手が振り下ろされ、ナイフがイツキの胸を貫く。
 吹き出す赤い血が幻のようだった。

「いやあああああ!」
「リリア」

 姉の優しい声が、知らない呼び方で自分を呼ぶのを聞きながら、リリアは素早く立ち上がり身をひるがえす。
 今は逃げるしかないと判断したのだ。

「きっとイツキは死んでない! だって、秘宝は見つかってないもの! まだ命を奪ってしまう訳にはいかないはず。お姉様よりも先に秘宝を見つければ、きっと二人を助けられる!」

 自分を励ますように呟きながら、リリアは、がむしゃらに屋敷を飛び出した。
 稲妻が閃き、激しい雨が降るなかを、バラ屋敷で大切に守られていた少女は、受け入れられない恐怖と哀しみに引き裂かれながら、見えない明日に向かってひた走ったのだった。
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