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第四章 世界の片隅で生きる者たち

294 絵描きの騎士2

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 食事が終わり、酒精の弱い酒を口にする。
 この国は硝子が普通に普及しているようで、酒を入れるカップも硝子だ。
 手に持つと、それだけで割らないかと不安になる。
 少し離れた席では、初老の男性が不思議な楽器の演奏を始めていた。
 フイゴに似た楽器で、長く尾を引く音が特徴だ。
 吟遊詩人という訳ではなく、戯れに演奏しているだけのようだった。
 昼間っから酔っ払っているのかもしれない。
 その音楽に合わせて、別のテーブルの客が、手拍子と知らない唄を歌いだしていた。
 メルリルは気になるのか、そわそわしている。

「一緒に歌ってもいいぞ?」

 そう言ってやると、メルリルは少し赤くなった。

「いえ、そういうのははしたないですから」

 どうやら歌の横入りははしたないらしい。
 俺の知らないルールだな。

「じゃあ、少々騒がしいが、さっきの話の続きをするか」
「お願いします」

 意外と気になっていたようで、聖騎士クルスは俺に話を促した。

「俺に依頼を持ちかけた騎士さまの目的は魔物の調査の下地を作ることだった。いきなり魔物の調査と言っても、国は魔物の詳細な種類や、どこにどんな魔物がいるかということすら知らない。どこぞで魔物が暴れて犠牲者が出たと聞き、冒険者を雇って戦わせるのがそれまでの慣例だったからな」
「それを変えたいと思われたのですね、その騎士殿は」
「そうだろう。本人はそういうことは言わなかったが、事前に魔物の行動がわかれば犠牲が出ないようにコントロールすることも可能なのではないかと言っていたからな」
「慧眼な方ですね」
「全くだ」

 俺は酒を一口味わって、先を続ける。

「とは言え、若い頃の俺は貴族を信用していかなったし、長期依頼でうんざりしていた。だからその漠然とした指示に対して真っ向から文句を言ったもんだ。結局は見栄えのいい魔物を倒して持って来いって話だろ? ってな。その騎士に対して言い放った」
「そういう依頼があるのですか?」
「貴族の依頼はだいたいそれだよ。客間とかに飾るのに見栄えのいい魔物の毛皮が欲しいらしい」
「ああ……見たことがあります」
「そうだろう。とは言え、その騎士の目的は違った。彼は言ったのさ、生きている魔物の自然な姿を見る必要がある。何を食べているか、どのようなところに巣を作るか、子育てをどのように行うか、それを知る必要があるとな。俺は仰天したよ。とんでもない依頼を受けちまったと思った」
「それほどですか?」
「考えても見ろ、魔物に見つからないようにその生態を観察するんだぞ? 忍耐と準備ととにかく手間が必要だ。幸いなことに俺は物心ついた頃から猟師について仕事を習っていた。猟師ってのは獲物の生態を把握するのが最初の修行なんだ。だから俺は冒険者になっても猟師のやり方を持ち込んで魔物の生態を詳しく調べるようにしていた。ギルド仲間にはバカにする奴もいたが、仕留めやすくなったと便利に俺を使う奴もいて、それなりに知られていたんだな。なんのことはない、厄介事を押し付けられたと思っていたが、依頼人の仕事にちょうどいい冒険者をギルド協会が調べて俺に仕事が廻って来たんだってそのとき初めて理解したよ」
「なるほど、ダスター殿は若い頃から抜きん出た観察眼の持ち主であったのですね」

 聖騎士の過剰な褒め言葉に呆れた俺は、軽く手を払うように振った。

「よせ。冒険者って奴は慎重なほうが生き延びやすい。俺は単に自分が生き延びるために行動していたに過ぎない」
「そのおかげでダスターが生き延びたのなら、それは素晴らしいことだと思う」

 メルリルがにこにこ笑いながら言って、俺に酢漬けのベリーの皿を渡した。

「頼んだのか?」
「うん。お話の間に何かちょっと口に出来るものはないかって聞いたら。ちょうどいい具合のがあるって言ってたから」
「そうか、ありがとう」

 酢漬けのベリーは甘酸っぱくて、甘味のある酒とは不思議と合っていた。

「私の分もあるのですか? ありがとうございます」

 クルスも礼を言って自分の分を摘む。

「ええっと、話はどこまで行ったっけ? と、そうそう魔物の生態の観察を依頼されちまったんで、俺は里に近い魔物から観察出来る拠点を作って、少しずつ森の奥へと進めて行く方法を取った。最初に観察したのは人間にはほぼ無害の草食の魔物からだった。大耳うさぎなんかはさとられないように観察するのがそりゃあ大変だったな。騎士さまも心得ていてじっとしていることを苦にしない人だったんでよかったが」
「大耳うさぎを観察するなんて、驚きです」
「そんなに難しいのですか?」

 俺の挙げた魔物の例に、メルリルが驚く。
 そう言えば、メルリルの住んでいた森だものな。そこの魔物は知っているに違いない。
 クルスのほうは大耳うさぎを知らないのだろう。不思議そうに尋ねた。

「大耳うさぎは百歩離れた場所の音も拾う能力がある。捕まえるには罠を仕掛けるしかない相手なんだ。だが毛皮が高く売れるんで、冬の稼ぎ頭だった」
「冬毛がふかふかなんです」

 俺の言葉をメルリルが補足する。

「なんとなくイメージ出来ました。私の知っている捕まえにくい獣と言えば鳴きネズミですが、あれは魔物ではありませんからね」
「鳴きネズミは地中深くにいくつもトンネルを掘るからな。そう言えばあれの尻尾は幸運のお守りになるんだったな」
「ええ。幼い頃、母にプレゼントしたくてなんとか捕まえようとしたことがあります」
「お母さまに?」

 珍しいクルスの思い出話にメルリルが問い掛ける。

「出産が迫っていましたので。……まぁ私の話はこのぐらいにしましょう。ダスター殿の話の続きをお願いします」
「ふうん?」

 クルスの過去の話は気になるが、本人はあまり語りたいという訳ではなさそうだ。
 今回は軽く流したほうがいいだろう。

「まぁ、とにかく俺が知っている魔物をなんとか見せてやってたんだが、その観察の間、騎士さまはずっと紙に目の前の魔物の絵を描き続けていたんだ。それがまた見事な出来でな。単なる木炭で描いているのに、まるで生きてそこにいるかのように生き生きと描かれていて、最初は渋々だった俺も、やがてその絵が見たいがために、次々と魔物を見せるようになった。普通木炭の絵ってのは消えやすいもんだが、騎士殿は魔法を使って描いた絵が消えないように定着させていたんだ。魔法をそんな風に使う奴を見たことなかったから、さすがに呆れたが」
「そ、それは確かにびっくりしますね。魔法をそんな風に使うなんて。……私は魔法とは戦いのためのものだとずっと思っていましたから」

 クルスは少し動揺したようだった。
 そうか、魔力がなくて騎士になれなかったんだもんな。
 とは言え、そういう使い方をしていることに反発する気持ちがある訳ではないようだ。

「それでな、結局依頼が終わるのに三年掛かった」
「三年、ですか」
「長い」
「そうだな、普通に考えれば長いよな」

 俺はなんとなく指で硝子のカップを弾く。
 澄んだ小さな音が響いた。

「その頃には俺はすっかりその騎士さまと仲良くなっていてな。いろいろ貴族にあるまじき冒険者の作法とかも教えてやって、相手の騎士さまからは絵の描き方を教えてもらったりして、終わったのはあっという間だったような気もしたよ。最後にその騎士さまは貴重な紙に筆を使って絵を描いて贈ってくれたんだ」
「魔物の絵をですか?」
「いや、それが、だな……」

 ちょっと言い淀む。
 なんとなく気恥ずかしいのだ。
 クルスとメルリルが不思議そうに俺を見た。

「まぁ、その、何の変哲もない小鳥の絵だよ。俺が以前藪鳴きが好きだって言ったのを覚えていたんだな」
「藪鳴きってとても小さな鳥? 緑色の」
「それだ。いつもつがいでいる奴」

 メルリルの言葉に答えたが、覚悟していた笑いは起こらなかった。
 二人共、なんだか微笑ましいような顔を向けて来る。
 これはこれで何かいたたまれないものがあるな。

「いい人だったのね、その騎士さま」
「まぁな」

 聖騎士クルスはしばらく黙り込んだ後に、俺に言った。

「その騎士殿の家名は、ソピアーズとおっしゃるのではありませんか?」
「ああ、うん。確かそんな名前だったな。……知っているのか?」
「ええ、有名な方です。貴族の派閥争いのせいで、実力よりも家柄が騎士の条件となっていた騎士団の在り方を立て直された先代の騎士団長殿です」
「そうか。まぁ王様に直接進言したって話だから偉い騎士さまなんだろうなとは思っていたが。やっぱり凄いお人だったんだな」
「実を言うと」

 クルスが少し微笑んで続けた。

「ん?」
「魔力がない私を騎士団に入れてくださったのもソピアーズ殿だったのです。結局、私は期待にお応え出来ず騎士にはなれませんでしたが、おかげで勇者の供に選ばれることが出来ました」
「そうだったのか。不思議な縁だな」
「本当に」

 あのお人ならそういう無茶もやるだろうなと、俺は久しぶりに聞く、かつての依頼主の行いに、なんだか少し嬉しい気持ちになったのだった。
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