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第六章 その祈り、届かなくとも……
606 退屈は人を大胆にするものだ
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洗い場となっているのは水路の一画だった。
見た感じ井戸水ではないな。
どこかの水源から引き込んでいるのだろう。
そう言えば、この城の周りは湖か。
洗濯を担当する侍女というのは平民上がりか下級貴族の娘であることが多い。
うちの街にも平民上がりで行儀見習いとして貴族の侍女をやっていた商家の娘がいたが、立ち居振る舞いが上品で、結婚の申し込みが引きも切らなかったな。
顔はそこまで美人という訳でもないんだが、美しい所作というのは、その人間を美しく見せる。
まぁそれはどうでもいいか。
ともかく、その娘の話を聞いたことがあるが、貴族の館で最も情報通なのは侍女なのだそうだ。
男というのはとにかく女を侮る傾向がある。
それが若い女ならなおさらだ。
それゆえに、わりと平気で口外してはならない情報を侍女がいる場所で語ってしまうことが多いらしい。
さらに、貴族の裏事情を牛耳っているのは実は奥方連中とのことで、奥方に最も接する機会の多い侍女からいろいろ噂話が回ってくるとのことだった。
つまり貴族の屋敷の内情を探りたかったら侍女に探りを入れるのが一番なのだ。
「こんにちは、いいお天気ですね。洗濯日和だ」
「どなたでしょうか?」
俺が顔を出すまで楽しそうにおしゃべりをしたり歌を歌っていた侍女達が警戒して静まり返った。
「これは失礼しました。私は勇者殿の従者でダスターといいます。勇者殿がお城を訪れていることはご存じで?」
侍女達があからさまにホッとした顔になり、すぐに好奇心むき出しの表情に変わった。
「え、ええ、聞いています。ですが、このような裏方に何用でしょうか? あまり外の人が入り込んでいい場所ではないのですが」
侍女のなかでもリーダー格なのだろう。
一人の聡明そうな女性が代表して受け答えを始めた。
俺はにこりと笑ってみせる。
「申し訳ない。実はここの姫君に対して、勇者さまから言伝を預かって来ているのですが、どなたに伝えたらよろしいのでしょうか?」
「それは主さまに伝えていただければいいのでは?」
「いえ、それが……その、男の方にはあまり聞かせたくないと勇者さまが仰せで。女性には名誉に関わることですから」
途端に侍女達が色めき立った。
全員の顔に話を聞きたいという言葉が描かれているようにすら見える。
「姫さまの身に何か? まさか不名誉なことでも?」
尋ねながら、その侍女の口角が上がっていた。
ははーん。
あの姫さま、侍女に嫌われているな?
「秘密を厳守していただけると約束していただけないとお話しする訳にはいきません。姫君に近しい侍女はどなたでしょうか?」
「ええっと……」
洗濯をしていた侍女達は顔を見合わせる。
「少しお待ちを」
代表して話していた侍女が一礼して奥のほうへと消えた。
もっと上の侍女か女官に指示を仰ぎに行ったのだろう。
「あの、ダスターさまは勇者さまのことはよくご存じなのでしょう? 勇者さまはどのような女性をお好みですか?」
「聖女さまは大変お可愛らしいお方とお聞きしていますが、本当ですか?」
「剣聖さまは素敵な方なのでしょうか?」
「神に仕える拳士の方が同道していて、しかも女性であるとの話は本当でしょうか?」
俺と話していた侍女の姿が見えなくなった途端、周囲の侍女達から質問責めに遭ってしまった。
おおう。
みんな好奇心丸出しだな。
よしよし、そっちが聞きたいならこっちも聞かせてもらうぞ。
俺はまだ十代そこそこの少女ばかりの侍女達に囲まれて、勇者一行の話をすると共に、この城での暮らし向きや、偉い方々の事情などをそれとなく引き出していったのだった。
「お待たせしました。こちらへ」
それなりの時間が経ってから奥へと消えた侍女が姿を現した。
俺に群がっていた侍女達は、欲しい情報をもらった後は、ある程度落ち着いて洗濯をしながらの会話に移行している。
最初の喧騒は静まり、のんびりとした雰囲気だ。
そのため、戻って来た侍女も、特に残っていた侍女達を咎める様子もない。
俺は恐縮しながら招かれた場所へとついて行く。
そこには洗濯をしていた侍女達とは明らかに違う服装と雰囲気の女性がたたずんでいた。
これはそれなりの身分ある貴族の子女だな。
「あなたが勇者さまの従者ですか?」
ジロジロと見られる。
勇者の従者というイメージとはちょっと違ったかな? 申し訳ない。
「はい。私は元冒険者で、縁あって勇者さまにお仕えすることとなりました。なので少々不調法なのはお許しいただけると助かります」
「……そうですか。まぁいいでしょう。礼儀をわきまえないという訳ではないようですし、この城の騎士のなかにはあなたよりも態度の悪い者もおります。ただし、これからまみえるお方に決して無礼を働かないように。聞かれたことにだけ返事をするようにお願いいたします」
「心得ています」
俺の返事に納得したのか、その上位の侍女らしき相手は一人うなずいて先に立って歩きだした。
ついて来いとすら言わないが、当然ついて来ると思っているのだろう。
もちろんついて行くが。
しかしこれは思ったよりも大物が出て来たんじゃないか?
聞かれたことにだけ返事をしろということは相手は貴族だ。
姫君に親しい女性で貴族というと誰だろう?
もしかして姉妹がほかにいたのかな?
暗い廊下には灯りの魔道具が惜し気もなく使われていて、この城の主の財力を物語っている。
島に偽装した城なので、岩や土のなかのはずだが、それを感じさせない見事な装飾があちこちに見られた。
やがてかなりの奥まった場所に到着すると、侍女は丁寧に扉を叩く。
「お連れしました」
「ご苦労さま。どうぞお入りになってくださいまし」
女性の声だ。
声から年齢を計るのは案外難しいものだが、なんとなくそう若くはないような気がする。
というか、いまさらながらに貴族の女性と会うという状況に戦慄を禁じ得ない。
貴族女性との不実な交わりを疑われたらその場で首が飛ぶ大罪だ。
思わず冷や汗が出て来た。
俺は目線を自分の足のつま先に固定して部屋へと入る。
うっ、香料がキツイ。
なんとも言えない香りだな。
「そなた勇者さまの従者であるとか、本当のことかえ?」
「はっ、事実でございます」
「姫のことで話があると……しかも殿方には知られてはならぬことであると聞きましたが、まことか?」
パチンと何かが激しくはじかれたような音がする。
この音には聞き覚えがあるぞ。
確か扇が閉じられる音だ。
「そのように伺っております」
「……申してみよ」
「姫君に親しい御方でしょうか?」
「わたくしよりも親しい者はおるまい。姫をこの世に産み出した母であるがゆえに」
え? まさか奥方か?
おいおい、城主の奥方が見知らぬ男にいきなり会っていいのかよ?
まぁ貴族の奥方は退屈しているから刺激を求めているとかよく聞くけどな。
というか、奥方は予想外だった。
あの姫さん担当の侍女が出て来ると思ってたんだが……。
どうすっかな。
見た感じ井戸水ではないな。
どこかの水源から引き込んでいるのだろう。
そう言えば、この城の周りは湖か。
洗濯を担当する侍女というのは平民上がりか下級貴族の娘であることが多い。
うちの街にも平民上がりで行儀見習いとして貴族の侍女をやっていた商家の娘がいたが、立ち居振る舞いが上品で、結婚の申し込みが引きも切らなかったな。
顔はそこまで美人という訳でもないんだが、美しい所作というのは、その人間を美しく見せる。
まぁそれはどうでもいいか。
ともかく、その娘の話を聞いたことがあるが、貴族の館で最も情報通なのは侍女なのだそうだ。
男というのはとにかく女を侮る傾向がある。
それが若い女ならなおさらだ。
それゆえに、わりと平気で口外してはならない情報を侍女がいる場所で語ってしまうことが多いらしい。
さらに、貴族の裏事情を牛耳っているのは実は奥方連中とのことで、奥方に最も接する機会の多い侍女からいろいろ噂話が回ってくるとのことだった。
つまり貴族の屋敷の内情を探りたかったら侍女に探りを入れるのが一番なのだ。
「こんにちは、いいお天気ですね。洗濯日和だ」
「どなたでしょうか?」
俺が顔を出すまで楽しそうにおしゃべりをしたり歌を歌っていた侍女達が警戒して静まり返った。
「これは失礼しました。私は勇者殿の従者でダスターといいます。勇者殿がお城を訪れていることはご存じで?」
侍女達があからさまにホッとした顔になり、すぐに好奇心むき出しの表情に変わった。
「え、ええ、聞いています。ですが、このような裏方に何用でしょうか? あまり外の人が入り込んでいい場所ではないのですが」
侍女のなかでもリーダー格なのだろう。
一人の聡明そうな女性が代表して受け答えを始めた。
俺はにこりと笑ってみせる。
「申し訳ない。実はここの姫君に対して、勇者さまから言伝を預かって来ているのですが、どなたに伝えたらよろしいのでしょうか?」
「それは主さまに伝えていただければいいのでは?」
「いえ、それが……その、男の方にはあまり聞かせたくないと勇者さまが仰せで。女性には名誉に関わることですから」
途端に侍女達が色めき立った。
全員の顔に話を聞きたいという言葉が描かれているようにすら見える。
「姫さまの身に何か? まさか不名誉なことでも?」
尋ねながら、その侍女の口角が上がっていた。
ははーん。
あの姫さま、侍女に嫌われているな?
「秘密を厳守していただけると約束していただけないとお話しする訳にはいきません。姫君に近しい侍女はどなたでしょうか?」
「ええっと……」
洗濯をしていた侍女達は顔を見合わせる。
「少しお待ちを」
代表して話していた侍女が一礼して奥のほうへと消えた。
もっと上の侍女か女官に指示を仰ぎに行ったのだろう。
「あの、ダスターさまは勇者さまのことはよくご存じなのでしょう? 勇者さまはどのような女性をお好みですか?」
「聖女さまは大変お可愛らしいお方とお聞きしていますが、本当ですか?」
「剣聖さまは素敵な方なのでしょうか?」
「神に仕える拳士の方が同道していて、しかも女性であるとの話は本当でしょうか?」
俺と話していた侍女の姿が見えなくなった途端、周囲の侍女達から質問責めに遭ってしまった。
おおう。
みんな好奇心丸出しだな。
よしよし、そっちが聞きたいならこっちも聞かせてもらうぞ。
俺はまだ十代そこそこの少女ばかりの侍女達に囲まれて、勇者一行の話をすると共に、この城での暮らし向きや、偉い方々の事情などをそれとなく引き出していったのだった。
「お待たせしました。こちらへ」
それなりの時間が経ってから奥へと消えた侍女が姿を現した。
俺に群がっていた侍女達は、欲しい情報をもらった後は、ある程度落ち着いて洗濯をしながらの会話に移行している。
最初の喧騒は静まり、のんびりとした雰囲気だ。
そのため、戻って来た侍女も、特に残っていた侍女達を咎める様子もない。
俺は恐縮しながら招かれた場所へとついて行く。
そこには洗濯をしていた侍女達とは明らかに違う服装と雰囲気の女性がたたずんでいた。
これはそれなりの身分ある貴族の子女だな。
「あなたが勇者さまの従者ですか?」
ジロジロと見られる。
勇者の従者というイメージとはちょっと違ったかな? 申し訳ない。
「はい。私は元冒険者で、縁あって勇者さまにお仕えすることとなりました。なので少々不調法なのはお許しいただけると助かります」
「……そうですか。まぁいいでしょう。礼儀をわきまえないという訳ではないようですし、この城の騎士のなかにはあなたよりも態度の悪い者もおります。ただし、これからまみえるお方に決して無礼を働かないように。聞かれたことにだけ返事をするようにお願いいたします」
「心得ています」
俺の返事に納得したのか、その上位の侍女らしき相手は一人うなずいて先に立って歩きだした。
ついて来いとすら言わないが、当然ついて来ると思っているのだろう。
もちろんついて行くが。
しかしこれは思ったよりも大物が出て来たんじゃないか?
聞かれたことにだけ返事をしろということは相手は貴族だ。
姫君に親しい女性で貴族というと誰だろう?
もしかして姉妹がほかにいたのかな?
暗い廊下には灯りの魔道具が惜し気もなく使われていて、この城の主の財力を物語っている。
島に偽装した城なので、岩や土のなかのはずだが、それを感じさせない見事な装飾があちこちに見られた。
やがてかなりの奥まった場所に到着すると、侍女は丁寧に扉を叩く。
「お連れしました」
「ご苦労さま。どうぞお入りになってくださいまし」
女性の声だ。
声から年齢を計るのは案外難しいものだが、なんとなくそう若くはないような気がする。
というか、いまさらながらに貴族の女性と会うという状況に戦慄を禁じ得ない。
貴族女性との不実な交わりを疑われたらその場で首が飛ぶ大罪だ。
思わず冷や汗が出て来た。
俺は目線を自分の足のつま先に固定して部屋へと入る。
うっ、香料がキツイ。
なんとも言えない香りだな。
「そなた勇者さまの従者であるとか、本当のことかえ?」
「はっ、事実でございます」
「姫のことで話があると……しかも殿方には知られてはならぬことであると聞きましたが、まことか?」
パチンと何かが激しくはじかれたような音がする。
この音には聞き覚えがあるぞ。
確か扇が閉じられる音だ。
「そのように伺っております」
「……申してみよ」
「姫君に親しい御方でしょうか?」
「わたくしよりも親しい者はおるまい。姫をこの世に産み出した母であるがゆえに」
え? まさか奥方か?
おいおい、城主の奥方が見知らぬ男にいきなり会っていいのかよ?
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