竜の御子は平穏を望む

蒼衣翼

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竜の御子達

占いと世界の理

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「まずい、囲まれている」

 サッズが気配を探ってそう言ったため、一行は潅木の茂みに一時的に身を潜めていた。

 サッズのこの空間把握の能力については、ハトリが「こいつ色々凄いから」と紹介しただけで旅芸人の一行はそういうものだと飲み込んだようだ。
 メレン曰く、不思議なことを拒絶していては世界が見えなくなるとのことで、彼らは独特の物の見方をするようである。
 彼らは留まること無く旅をして生涯を送る者達だ。
 定住の者達とは異なる世界観や人生観を持つのは当然なのかもしれない。

「どんな感じ? どこか抜けられそう?」

 ライカの問いにサッズはううむと唸って答えた。

「周囲をウロウロしている内の三人はいいんだ。ちゃんと意識して道を選んでいるから行動がわかり易い。だが残る二人が駄目だ。適当に進んでいて先が読めない」
「困ったね」

 これがライカとサッズの二人なら、いや、そこにハトリを入れたとしても簡単な話だっただろう。
 追手それぞれの間隔が開いた隙にサッと素早く移動すれば済む話だ。
 だが、今は大人数で、しかも老人と子供を含んでいる。
 移動はあまりにも危険が大きかった。
 しかし、じっと潜んでいたとして、無事にやり過ごせる可能性は低いとライカは見ている。
 なぜなら追手は打ち棄てられたばかりの馬車を見つけて逃亡者がいることを知っているはずだ。
 尚且つその者達がまだ山中に潜んでいるであろうことに気づいているのはほぼ確実だろう。
 なにしろ追手の人数は増えることはあれど減ることが無いのだ。

 決断が迫られていたが、その決定権はライカ達には無い。
 この一行の大半の命運を任されているのは、この一家の家長であるダイダボであるからだ。

 そのダイダボは溜め息を吐くこともせずに静かに目を閉じて沈黙していた。
 何度か寝ているのでは? とライカなどは疑ったが、サッズによると眠りに近い状態ではあるが、眠ってはいないと言う。
 サッズの表現によると、なんだかこんがらがった茨の枝を一本一本分けるような理解不能の思考を働かせているらしかった。
 竜と人間の思考形態はあまりに違い過ぎてお互いに理解出来ない部分が多い。
 竜も複数の事柄を一緒に思考するが、それはそれぞれが完全に分かたれていて交わること無く進む思考だ。
 しかし人間の思考はいくつもの事柄が複雑に絡み、更にそれが別れてまた別の思考に合流したりと変化が激しい。
 竜からすれば、人間はわざと物事をややこしく考えているように見えるのだ。
 
「動かぬ時間の分不利になるなら動かねば仕方あるまい。だが、ここで約束をしてくれぬか? もし発見されたなら、わしを置いてみんなバラけて逃げることを」

 長い沈黙の後、ダイダボが下した決断は行動だった。
 しかし、それにはいざとなったら自分を囮にすべしという条件が付けられた。

「そ、そんな!」

 それに一番動揺したのはグスタだ。
 彼は少し涙ぐんでいるようにすら見える。

「それは駄目だ! 俺が一番愚図で目立つんだから、捕まるなら俺だろ?」

 まるでそれは懇願の言葉のようだった。

「馬鹿者が、だからお前は駄目だというのだ。年老いた弱った者が家族のための犠牲になるのは命の習いなのだよ、ことわりに逆らっても決して良いことはありゃあせん。いいか、これは家長命だ、逆らうことはならんぞ!」

 堂々たる宣言に他に反論は挙がらない。
 だからといって皆が納得した訳ではないのだろうが、ハトリもメレンも強張った顔で口を結んでいた。
 そしてメレンはそっとグスタに寄り添うと、その背を優しく撫でてやった。

『サッズ』
『どうした?』

 その様子を見ながら、ライカはサッズに心声で呼び掛けた。

『おじいさんの言っていることは正しいと俺は思うんだ。だけど良いことだとは思えない。俺っておかしい?』
『別におかしかないんじゃないか? 竜族だって時々子育てのために母親が命を削って死んでしまうこともあるけど、それが悲しくない子供はいないんだ。竜族の男が身ごもった女の望みなら我が身をも差し出すのを厭わないのはその記憶があるせいだからな』
『そうだったんだ。命を繋ぐって凄く大変なことなんだね』

 思えばライカの母もまたライカのために我が身を犠牲にしたのではなかったか?
 巡る命を繋ぐための過酷な選択は、実は特別なことではなく、常にどこかに潜んでいるのかもしれないとライカは思った。

『それでも、選ばなくていいのならそのほうがいいよね。いざとなったらサッズ、頼むよ』
『わかった、あんな覚悟を聞かせられたら俺も少々の不快感は我慢するさ、……あ』
『どうしたの?』
『思考の定まらなかった連中の一人が休憩した。もう一人も馬の足を止めたぞ』

 サッズの報告に、ライカはハッとなった。
 この日はかなり暑く雲も少ない、考えずにウロウロしていた兵士達は疲れているのだ。

「あの」

 ライカは一行に声を掛けた。

「メレンさんの占いが大当たりかも? 兵士達が疲れて警戒が薄れているようです。サッズが兵士の動きが止まったって言っています」
「おお!」

 ライカの報告に、沈んでいた一行は喜色を取り戻す。

「そうとなれば僕が先行するから、ついてくるんだ。おい、サッズ、どの辺が安全なんだ?」 

 先程まで白い顔が青く見える程に血の気を失っていたくせに、ハトリはたちまち厚顔不遜にサッズを促した。
 彼はサッズが家族以外に実名を呼ばれるのを嫌っているのを知っているくせにこうやってちょくちょく挑発するように本当の名前を呼び付ける。
 相手が竜と知っているくせになかなか無謀な振る舞いだったが、逆にその蛮勇こそがサッズの不快感を打ち消してもいた。
 だが、獰猛に笑うサッズはどうやらハトリに対して何か報復を考えてはいるようだ。

「お前がわざとやっているのは知っているから何も言わないが、いずれ後悔させてやるぞ? とりあえず南西の木立の少ない場所が一番安全なようだ」
「ちょっと、そっちは遠くからでも丸見えじゃないか。報復にしてもタチが悪いだろ」
「誰がそんなせせこましい報復をするか! ライカに言われて気づいたが、連中はどうも日陰の無い場所を避けているようだ。だから逆に日が射す場所が安全地帯となっているんだ」

 彼らの言い合いを見ていたメレンはクッと笑うと、ハトリに言った。

「良かったじゃないか、やっと年の近い友達が出来たみたいで。あたしはお前が無愛想で人付き合いが悪いのをそりゃあ心配してたんだよ。客商売はツラの良さだけでやっていくのは難しいからね。まあ床専門で行くならいいかもしれないけど」
「友達じゃない、仲間だよ。そんななあなあな関係じゃないね。そこそこ信頼してやっているだけさ」

 ハトリの発言に、ライカはどう反応していいのか迷った。
 友達と仲間とでは仲間の方が親密な気がしたライカだが、それを言ったらハトリが怒りそうだったからだ。

 彼らのやり取りの間、なにやら手を動かしていたダイダボが、手にした物をハトリの頭に被せる。

「うあっ、いきなりなにすんだよ!」
「これを被って行け、少しは人の目からも日差しからも守ってくれよう」

 彼が作っていたのは、下生えの広い葉を持つ植物を編んだ頭巾だった。
 形は歪でなんとか被れるといった感じだが、逆にその歪さが自然な感じで風景に馴染む。
 それをいつの間にか人数分作り上げていたのだ。

「ダイダボさん凄いです」
「ふふん、伊達に年を取ってないからの」

 ハトリは格好悪いなどとぶつくさ言いながらもそれを被り、背中に負っているセツを一度下ろしてその頭にも被せる。

「こいつ全然起きねぇ。どんだけ神経太いんだよ」
「セツはうちで一番大物だね」
「俺が背負おうか?」

 グスタが申し出るが、ハトリは首を振った。

「お前デカイから目立つことはなるだけ避けたほうがいい。それにもし戦う羽目になったら相手が一人ならお前の馬鹿力頼りになるかもしれないし」
「お、おう! わかった。俺がみんなの逃げる時間を稼ぐよ!」
「お前、さっきダイダボに言われた話覚えてるか?」

 そんなごたごたの末に、ハトリが先行して日の射す開けた場所を選び、彼らは進んだ。
 明るい場所を堂々と進むなど到底追われている者の行動では無かったが、確かにその周辺に兵士は近づかない。
 小鳥が呑気に啼き交わし、足元には可愛らしい野辺の花が揺れる。
 知らない者が見れば彼らのその様子はまるでうららかな初夏の野原を散策しているようにすら見えただろう。
 もちろんその頭上に被った被り物は異様ではあったが、それすらどこか風景に馴染んでいた。

「待て、この先に小川があってその下流に一人休んでいる。川を渡ると勘付かれるかもしれない。迂回しよう」

 サッズが細かく指示を飛ばし、彼らはなんとか山から降りることに成功した。
 しかし、

「西にいた人間たちの一部がこっちに向かっているぞ。足が速い、遭遇する」

 ほっとした一同にサッズの警告が放たれる。

「ち、たく、貧乏芸人なんか追い回したってたいして金になんかならないのに張り切りやがって! どうする? 山側に戻ったほうが隠れる所はあるぞ」
「いや待て、俺が注意を逸らすからお前らは先に行け。このぐらい広いほうがやりようがある。それに……」

 サッズは言いながらニヤリと笑う。

「お前らを背に乗せるよりはあいつらを驚かせるほうが楽しそうだしな!」
 
 ばさりと、大きな布をはためかせたような音が周囲に響く。
 急激に渦巻いた風が、土や、地に浅く根付いていた草をも巻き上げて周囲に壁のように不可視の空間を作った。

「もしかしてハトリの歌に影響されたの? どうしてそんな派手な演出入れるんだ?」

 本来竜の飛翔に風が巻き起こることなどない。
 ライカが呆れたように呟いたが、サッズの意識に届いたのみでその肉声は風に紛れて他の者には聞こえなかった。

「え、なに?」
「おお、親父様、世界の終わりだ! 俺に掴まれ!」
「こりゃ馬鹿者! わしを潰す気か!」
「う~ん、ハトリにい、おはよ」
「セツ、僕は今初めてお前を尊敬した」

 収まった風の中心に、巨大な竜体があった。
 日の光を浴びて碧くきらめく体表が空に溶け込むように見える。

「ちょっと行ってくる」

 竜に戻ったサッズは、そんな気の抜けた言葉と共に飛び立った。

「危ないことしちゃ駄目だからね!」

 ライカがその足元から叫ぶ。
 竜の巨体はその小さい存在に向かってわかったというように首を振ってみせると、急激に上昇して飛び去ったのだった。
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