上 下
16 / 39

第16話 理由

しおりを挟む
 以前、と言うことは、会ったことがあるのか。
 しかも助けたってことは、俺が何かしらしたわけで……悪いけど全く思い出せない。

「……あの……ずっと、名乗っていなくてすみません。不審でしたよね? でも、俺……」

 ちょうど、クッションのマッサージが止まる。
 部屋に響いていたモーター音も止まり、今までずっと笑顔だった目の前の彼が少し困ったような顔で口を閉じてしまった。
 部屋の中が妙に静かで……少しだけ、空気が重い。

「俺、名乗ったら……嫌われていないか心配で」
「心配……?」

 俺が嫌いな奴って……社長はまぁ、好きではないけど社のトップだから嫌いとも言えない。
 クライアントでいつも無茶を言ってくる下請け見下しおじさんは苦手だけど、こっちが下の立場なのは当然なので嫌いではない。
 いつもうるさいパリピな施工会社の営業もノリが合わないけど、仕事に支障が無いから嫌いではないし……。

「人生で嫌いって思った人はいないので、心配はいらないと思いますけど……?」
「……桜田さん……」

 笑顔に戻って欲しくて言ったつもりなのに、目の前の彼はなぜか泣きそうな顔になってしまう。

「俺、あなたにめちゃくちゃ迷惑かけたのに」
「迷惑?」

 迷惑……仕事のトラブルとかか?
 そんなの沢山ありすぎて、どれのことだか……。

「すみません。ちゃんと言います」

 俺が首をかしげていると、彼は背筋を伸ばして真剣な顔で俺を真っすぐ見つめた。

「俺、浅野蓮人です」
「あさの、れんと……? あ! アサノレントさん!」

 そうか。
 アサノレントさんなら顔が解らないし、仕事で……あぁ、そうか。そういうことか。

「そうです。アサノレント名義でイラストレーターをしています。以前、桜田さんからもお仕事を頂きました」

 そうだ。そうだった。
 彼がSNSで注目され始めた……「現役国立大学生イラストレーター」なんて騒がれていた頃だから、おそらく二~三年前。
 クライアントがどうしてもポスターに彼のイラストを使いたいと言ってきて、連絡を取って手配したんだ。
 彼がアサノレントさんということは、今は二四~五歳くらいか。やっぱり若いな。
 ……あ!
 そういえばポケットに入れてくれていたチョコレートに着いていた付箋、たまに癒し系キャラの印刷された付箋だなと思っていたけど……あれ、彼のイラストグッズか。

「俺、あの頃、卒論もあるのにSNSで注目されて仕事がいっぱい来て、忙しいけどここが頑張りどころだと思って無茶して……」
「あぁ……」

 彼が申し訳なさそうにする理由はきっとあれだ。
 忙しいから対面の打ち合わせを断られて、メールと電話だけで仕事を進めていて、その中で……。

「桜田さんの会社から請けた仕事の〆切を間違って……」

 電話で伝えて、念のためメールでも伝えたのに、彼がうっかり間違えてしまったんだ。
 〆切当日に俺が電話して、そこで初めて〆切を間違っていたのに気づき、ラフはできていたものの、当日に作業を始めて間に合う様なイラストではなくて……デザイナーや印刷所や施工会社に頭を下げまくって、〆切を何とか伸ばしてもらったんだった。

 気にしている浅野さんには悪いけど……言い方は悪いけど、よくあるトラブルの一つ。
 名前を聞くまでそんなことがあったことはすっかり忘れていた。

「うっかり間違うことはみんなありますよ」

 頭の片隅でチラっと吉野の顔が浮かぶ。
 それに、俺だって入社当初は何度かやった。
 完璧な人間なんていない。人間と人間が仕事をしているんだから、多少の間違いは起こるものだ。

「確かにそうかもしれません。俺だって、他にも色々なミスをしているし、されています。でも……桜田さんは……」
「っ!?」

 急に体を抱きしめられた。
 ……後ろからは何度もされているのに、前からは慣れていなくて……なんだろう。恥ずかしいというか……。

「桜田さんは、俺が間違えたのに……『君みたいな売り出し中のイラストレーターが間違ったって言うと次の仕事に響くと思うから、俺が間違って伝えたということにしよう』って……『まだ学生なのに、負担をかけてごめんね』って……言ってくれたから」

 あぁ、そういえばそんなことを言った気がする。
 でも、実際そうだろう? 前途ある学生が必死になって頑張っているんだから。
 世間的に名前も知られていない一営業マンのミスなんてみんなすぐに忘れるだろうし。
 仕事自体も、なんとか〆切を伸ばせて、赤字も出なかったし。

「桜田さんのお陰で、俺の評判が悪くならずに済みました。あれから、順調にイラストレーターとしてキャリアをつめています。ありがとうございます」

 俺が仕事を頼んだ時よりも有名になっているのは知っていた。
 先輩と「今ではあんな価格で仕事頼めないよな~」なんて話したこともある。
 でもそれは、俺のお陰なんてことは無く、彼の描くイラストが多くの人に好まれているからだ。彼の才能とか努力とかセンスとか……。

「それは、浅野さん自身が評価されているだけですよ。俺のお陰なんて……」
「そんなことありません!」
「って……」

 痛い……抱きしめる力が強い。
 それに声も大きくて体がすくむ。

「あ、あ……す、すみません! でも……絶対に桜田さんのお陰なんです。あの仕事で迷惑をかけたから、その後はスケジュール管理をきちんとするようになったし、絶対に時間や体力に余裕のある仕事をしようと決めて……結果、無茶していた時よりもパフォーマンスが上がって良い仕事ができるようになりました!」
「そ、そう……ですか」

 ……ちょっと耳が痛い。
 俺のお陰と言われているけど、俺は無茶ばかりしてこのざまなのに。

「それで俺、桜田さんにずっとお礼が言いたくて……でも、あの一件で迷惑をかけたから嫌われていたらどうしようって不安で……」

 あんな迷惑は可愛い物で、もっともっと大きな迷惑をこうむることもあるんだけど……まぁ、迷惑をかけた相手に声をかけにくいのは解る。
 
「顔を合わせる勇気が無くて……でも、近くで見守れたらと思ってあの電車に乗っていました」
「ん?」

 ちょっと待ってくれ。
 今、かなり話が飛んだような……?
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【R18】素直になれない白雪姫には、特別甘い毒りんごを。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:333pt お気に入り:63

女王直属女体拷問吏

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:298pt お気に入り:1,728

真面目系眼鏡女子は、軽薄騎士の求愛から逃げ出したい。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,665pt お気に入り:244

SLAVE 屋敷の奥で〜百回いくまで逃げられない〜🔞

BL / 連載中 24h.ポイント:702pt お気に入り:604

なぜか秘書課の情報網に掬い取られるあの人にまつわる内緒事。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:156pt お気に入り:69

いつから魔力がないと錯覚していた!?

BL / 連載中 24h.ポイント:16,699pt お気に入り:10,472

幼なじみの距離

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:29

貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです

BL / 連載中 24h.ポイント:7,898pt お気に入り:3,306

【短編/R18】穴に絶対自信ニキ、アレに貫かれる。

BL / 完結 24h.ポイント:149pt お気に入り:85

処理中です...