六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか

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俺の居場所

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 人気のない水飲み場に、俺の悲鳴が響く。

「ひいい、冷たああっ!」

 じゃばばばば、と逆さにした蛇口から勢いよく溢れた水を、顔面にぶちまける。
 理科棟にある蛇口の水って、やたら冷たくない? 初夏でも腰が引けそうな冷水に、我慢して顔を突っ込んだ。泣いたせいで、熱を持った瞼を何とかせなあかんから。
 
 ――渉のドアホッ……!
 
 そうこうする間にも、渉のすげない態度を思い出し、また涙が滲む。
 
 『つむぎが来たがるから、仕方なく』

 いくら喧嘩してるからって、あんな言い方せんでええのに。沙也さんの前で、ええ格好しようとしやがって……!

「くそッ、せっかく顔を洗ってるのに、台無しやないか!」

 俺はきつく目を瞑って、蛇口から顔を上げた。

「……タオル、タオルどこ……」

 置いといたタオルの場所が掴めんと、手をさ迷わせていると、ぱふりと柔かいものが頬に押し付けられる。

「うわ」

 ぎょっとしつつ、嗅ぎなれた柔軟剤の匂いのするそれを、手に掴む。濡れた顔を一しきり拭って、タオルから目を出すと……副キャプが、「おはようさん」とひらひら手を振っていた。

「のわぁー!? 副キャプテンッ」

 ぎょっとして飛びのくと、副キャプは苦笑する。

「のわぁ、て! 俺はバケモンか」
「あっ、すんませんした! えっ、何で先輩が……ここ、コートと逆っすよね?」

 タオルを握りしめ、副キャプをまじまじと見る。すでにジャージに着替えて、ラケットバッグを背負ってはった。副キャプは、一番に部活に来てくれるから、それは疑問ないねんけど。
 すると、副キャプはラケットバッグをポンと叩いた。

「いや、担任に進路相談で――あ、俺の担任、化学の中森やねんけど、こっちに拠点あるねんか。そしたら、つむぎがおったから」
「え……」

 爽やかに笑った副キャプに、俺はギクリとする。
 
 ――げげげ。泣いたこと、気づかれてへんかな……
 
 熱を持った頬が気になって、タオルで拭うふりして隠す。俺の方こそ、何でこんなとこにおるんか聞かれたらどうしよう。そう思ってソワソワしたけど、幸いにも、副キャプは何も言わへんかった。

「つむぎ。朝練行けるか?」

 ぽん、と頭を撫でられる。明るい薄茶の目に、俺はホッとして笑い返した。

「押忍っ」
「ほな、着替えたらコートおいで。準備運動アップつき合うてや」
「はい、ぜひ!」

 俺は副キャプに一礼し、ダッシュで更衣室に向かった。


 *

 
 早朝のコートに、快い打球音が響く。

「つむぎ、そろそろロブ頼むー」
「はいッ」

 副キャプに要請され、俺は軽く球を打ち上げる。緩やかに上がった中ロブの下に潜り込み、副キャプはラケットを振り上げた。
 
 パカッ!

 美しいフォームで放たれたスマッシュが、コートのサービスラインを打ちぬいた。俺はコートを滑るように走り、高く上がった打球を弾く。もう一度、ラケットを構える副キャプに中ロブを上げた。

「ナイス、つむぎ!」

 もう一度、逆方向にスマッシュがくる。俺も読んでいたので、もう一度はじいた。寸分たがわず上がったロブが、青空に浮かぶ。

「ナイスー、もういっちょ」
「はいッ」

 俺は頷いて、グリップをぎゅっと握る。
 スマッシュの練習は、狙った場所にロブが上がらないと、どうしようもない。時折、わざと場所を散らしたりしつつ、丁寧にロブを上げていく。
 
 ――あ。ちょっと右に流れてもた……風のせいか? もっと回転かけやなあかんな……。
 
 狙い通りにいかんかった打球を分析しながら、すぐに調整して、次を打つ。この試行錯誤が、テニスは楽しい。球を打ってるうちに、心が澄んでいく気がする。

「よっしゃ。ラスト、ガチで打つわー!」
「はい!」

 副キャプの要請に、俺も強いロブを上げる。本番さながら、きつい順回転トップスピンをかけた球が、ぐんと空に伸びあがった。副キャプは「まぶしっ」と笑いながら、軽いフットワークで位置を決めると――高く飛び、ラケットを振り抜いた。
 
 バシッ!
 
 ベースラインの隅に、鮮やかなスマッシュが決まる。縦に回転を切ったのか、打球は滑るようにすっ飛んでいき、フェンスに突き刺さった。

「ナイスショットです!」

 ぱちぱちと拍手をすると、ネットを飛び越えてきた副キャプが、白い歯を見せて笑う。

「いやぁ、我ながらええの決まって、気分ええわ! つむぎ、ようけ走ってくれておおきにな」
「こちらこそです! 俺も、めっちゃ勉強になりました」

 俺も、清々しい気分で笑った。
 
 ――やっぱ、テニス楽しい!
 
 こんなに無心に打てたんは、久しぶりやった。
 副キャプは、部長みたいな攻撃的ベースライナーでも、渉みたいなオールラウンダーとも違うねんけど、とにかく繊細でタッチがうまいねん。俺も、どっちかっていうと同じタイプやから、いろいろと吸収できて、ありがたいんや。

「先輩から、いっぱい技盗んで、俺も次はダブルス1を目指します!」
「おっ、言うやんけー! 頼りにしてるで」

 副キャプが笑いながら、ジャグからスポドリをコップに注ぎ、渡してくれた。副キャプは三年生の先輩やけど、学年にこだわらんと優しい。

「ありがとうございます!」

 コートの隅っこの植え込みに並んで座り、スポドリを飲む。さっき、コート整備のついでに二人でつくったそれは、いつものより甘くて美味い。副キャプが「もうちょっと甘くしよう」と、先輩権限でたくさん粉を入れたからや。いつもはケチケチいれる粉を、ドサドサ入れていく副キャプは痛快やった。

「ふー……」

 爽やかな風が吹いていき、汗を心地よく冷やす。気分が和んで、目を細めてると……副キャプが、「なあ」と言った。

「はい」
「一年、どうや? なんとかなりそうか」
「!」

 風みたいにさらっと聞かれ、目を瞬く。薄茶の目が静かに俺を見ていて、タイミングを計っての言葉やと、わかった。

「あ……ええと」
「ちょっと、揉めてそうやなと思ってな。どういう感じや。俺、いっぺん間に入った方がええ?」
「い、いえいえ! 先輩に出てもらうほどでは……!」

 落ち着いた声音に、慌てて頭を振る。基本、同学年のもめ事は、自分らで対処すんのがうちの部の方針や。副キャプに出てもらうのは、申し訳なかった。
 
 ――それに……もう、解決したかもしれへんし……
 
 渉と沙也さんが朝に練習するなら、部内の風紀が乱れることはないはず。ズキ、と痛んだ胸に無視をして、俺は立ち上がると、副キャプに頭を下げた。

「ありがとうございます! 心配かけてスイマセン……でも、大丈夫やと思います。渉も沙也さんも、テニス頑張りたいて気持ちは一緒やし。田中たちとも、試合に向けて一丸となれるように、頑張ろうって話してるんです。やから……もうちょっと、見守っててください!」

 田中とアッキー、加藤も鬱憤はたまってる。せやけど、あの二人にぶつけやんとこうと、みんな耐えてくれてた。やから……俺が、しっかりさえすれば、ええんや。
 俺が、沙也さんに嫉妬せんかったらええ――。そう思って、ぎゅっと拳を握る。

「つむぎ……そうか」
「はいっ」

 力強く頷くと、副キャプは息を吐いた。

「そんな、しんどい思いせんでええのに」
「え?」
「んー、なんもない。――わかった。もうちょい様子見とくように、俺からも皆に言うとくよ。それでええ?」
「ありがとうございます!」

 俺は、ホッとして笑顔になる。すると、副キャプがすまなそうに眉を下げた。

「つむぎ。いつもバランスとらせて悪いな」
「え……いやいや。俺はそんな。みんな、居てくれてるから……!」

 恐縮してしもて、手をぶんぶん振ると、副キャプはふっ、とふきだした。

「なんや、遠慮しいやなあ」

 むしろ、俺がもめ事を引き寄せているというか。小さくなっていると、副キャプがぽんと頭を撫でてくれる。

「……あの。俺、汗でベタベタっす」
「うわ、ほんまや。あはは」

 大笑いしつつ、うりうりと犬みたいに撫でてくる副キャプは、だいぶ変わっとる。こういう大らかさが、女の子にモテる秘訣なんやろか……とか思っていると、どやどやと一年ズがコートに入ってきた。

「おはざいます!」
「すんません、副キャプテン! 朝仕事までして頂いて!」

 田中、アッキー、加藤が一直線に駆け寄ってきて、九十度に頭を下げる。副キャプは鷹揚に笑って振り返った。

「ええよ、俺が早く来ただけやし。つむぎと一緒にやったんや。な?」
「あ――はいっ」

 俺が頷くと、加藤が「つむぎ~!」って飛びついてきた。ひょろ長い加藤に圧し掛かられ、俺はサバ折りになってまう。

「うわああ、ギブギブ!」
「ありがとうやで~。俺の当番やのに~」
「ぎゃはは! つむぎ、ダウンされんな! 押し返せ!」
「つむぎ、サンキューなー」

 アッキーがヤジを飛ばし、田中がにこやかに手を上げる。わいわいと騒いでいる俺らに、副キャプが笑いながら言う。

「ほら、せっかくやから練習しようや。お前ら、いつも先輩らに遠慮しとるやろ。思いっきり打ってけ」
「いいんすか! ありがとうございます!」

 皆の顔が、ぱっと喜色に染まる。
 副キャプがいてくれたら、先にコート使ってても、先輩らに怒られへんもんな。和やかな気持ちで、急いで準備運動を始める一年ズを見ていると、副キャプが隣に立った。

「さっきのことな、了解したけども。つむぎが一人で抱え込まんでええよ」
「え?」
「俺もおるし。みんな、解ってるから。ちゃんと頼るんやで」

 穏やかに諭され、はっとする。

「おい、お前らー。足動いてへんぞ!」

 みんなの準備運動を手伝いに行く、副キャプの背に、俺は頭を下げる。
 
 ――そうや。俺は一人と違う。
 
 賑やかな光景に、河川敷で感じた孤独が、霧散していく気がしたん。
 ここには、俺の居場所があるんや。
 俺はぐっと涙を堪えて、皆に混ざった。

「みんなー、俺もやる!」

 そこだけは、脅かされない俺の居場所なんやって。
 ……そう、信じてたから。
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