いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
320 / 485
第五章~花の行方~

三百十九話

しおりを挟む
 九月。爽やかな陽気の日――ぼくは宏ちゃんと、センターにいた。
 定期健診と……ヒートの後の、メンテナンスに来たんよ。
 
「うん、フェロモン値は正常に戻ってる。生殖弁に傷もない。子宮の状態も良かったし……大丈夫そうだね」
 
 中谷先生が、にこにこ顔で診断結果を伝えてくれる。
 ぼくは、ぱっと笑顔になり、頭を下げた。
 
「ありがとうございますっ。じゃあ、次は三か月後に来るんでしょうか……?」
「うん、また経過は診ていくことになるけどね。その予定でいて良いと思うよ」
「わあ……!」
 
 中谷先生の太鼓判に、隣に座っていた宏ちゃんと、ぱっと顔を見合わせる。
 
「中谷先生、ありがとうございます。よろしくお願いします」
 
 宏ちゃんは真剣な表情を和らげて、先生に頭を下げてくれた。
 ぼくも、ほうと胸をなでおろす。
 
 ――良かった。次も、きちんと来てくれるんや……!
 
 十四歳の時みたいに、経過観察になったらどうしようって、ちょっと不安やったん。
 すると、宏ちゃんが繋いだ手に、そっと力を込めた。
 
「成、大丈夫だよ」
「宏ちゃん……ありがとう」
 
 優しい眼差しに、ほほ笑み返す。――大きな手の温もりが、心強かった。
 
「成己くん、宏章さん。機会は沢山ありますよ。焦らず、ゆっくり行きましょうね」
「……はい!」
 
 中谷先生が穏やかに締めくくり、診察は終わったん。
 診察室を出ると、宏ちゃんが笑顔で振り返る。
 
「お疲れさん。朝から大変だったな」
 
 優しく労われ、胸がじんわり温かくなる。
 
「ううんっ。宏ちゃん、ついててくれてありがとう」
「当たり前だろう」
 
 二人で笑い合っていると、「成ちゃん」と声を掛けられた。
 
「涼子先生!」
「成ちゃん、宏章くん。来てたんやね!」
 
 溌溂とした足取りで、先生は駆けよって来てくれはった。
 ぼくからも駆け寄る。ちょうど――先生に、大切な用事があったんよ。
 
「涼子先生、おめでとうございますっ。これ、ぼくと宏ちゃんから!」
 
 ぼくは笑顔で、涼子先生にお祝いを渡した。先生は、目をまん丸にしてる。
 
「あれぇ! こんな、ええのっ?」
「えへへ。お祝いしたかったんよー。先生、本当におめでとう」
 
 色々あって、遅くなっちゃったんやけど……ちょっぴり気恥ずかしい思いで言う。すると、涼子先生はレモン色の袋を抱いて、声を滲ませた。
 
「悪いわあ、成ちゃん。ほんまにええ子やなあ……いつも、気遣ってくれておおきにな」
「涼子先生……」
 
 ふくふくした手に、両手をぎゅっと握られる。幼い時から変わらない温もりに、じんわりと目が潤む。
 
  ――大好きな先生。今日は……ちゃんと言わなきゃ。
 
 見守ってくれている宏ちゃんを見、覚悟を固める。
 ぼくは、ペコリと頭を下げた。
  
「涼子先生、あのね……ごめんなさい」
「ん? 何がなん」
 
 先生は、目をぱちりと瞬く。ぼくは、先生の目を見て、もういちど謝った。
 
「”あの時”のこと、ずっと謝りたかったんです。ぼくが、馬鹿なことしたせいで……先生の足を引っ張っちゃったこと」
「……!」
 
 十年前、赤ちゃんから育てたぼくが起こした、ある事件。管理不行き届きとして、教育係の先生が責任を取らされたって、聞いた。
 
 ――馬鹿やった。くだんない寂しさに負けて、あんなこと……
 
 そのせいで……涼子先生は、ずっと望む仕事ができないでいたんやから。――ずっと、後悔してたん。
 
「ごめんなさい。あのとき、ぼくがセンターを脱け出したりせえへんかったら……」
「……成ちゃん」
 
 涼子先生が、沁みるような声でぼくを呼んだ。
 そして――温かい指が、頬をぎゅっと摘まむ。
 
「いひゃい!」
「この、ド阿呆!」
 
 目を白黒させるぼくに、先生はにっと笑う。
 
「成ちゃんは、水くさい! そんなん、当たり前やないの……うちは、成ちゃんの先生なんやで!」
「涼子先生……」
 
 両頬を、ふくふくした手に包まれた。
 
「ありがとうね。うちは、成ちゃんみたいな優しい子を見守ってこれて、幸せやった」
「……ぼくも! 先生が、お姉ちゃんで……本当に幸せやったよ」
 
 優しい言葉に、胸が詰まる。
 ぼくの気持ちも伝えたくて、必死に言い募ると――「わかってるよ」って、先生は微笑んだ。
 
「次の子にも、そう思ってもらえるよう頑張るわ……成ちゃん、応援してくれる?」
「……うんっ!」
 
 ぼくは、力強く頷いた。

 
 



 
「さようなら……!」
  
 お仕事に戻っていく涼子先生を、手を振って見送った。
 緊張がとけて――少しふらついてしまう。すぐさま、宏ちゃんに抱き留めてくれた。
 
「大丈夫か?」
「うん。安心しただけ……」
 
 にっこりして、宏ちゃんに寄りかかる。芳しい木々の香りを嗅いでいると、とても落ち着く。
 
「良かったなあ、成……な、大丈夫って言ったろ」
「うん。宏ちゃんのおかげ」
 
 感激が尾を引いて……最後まで、言葉にならない。

――宏ちゃんが、居るから。勇気が出せたんよ。

 感謝を込めて、力いっぱい抱きしめる。
 胸に顔を埋めて息をしていると、宏ちゃんはくすぐったそうに笑った。
 
「なんだ? くっつくの好きか」
「うん。宏ちゃん、好き」
「……可愛いなあ、お前は!」
 
 ぎゅう、と苦しいほど抱き返され、悲鳴をあげた。
 うりうりと頬ずりされて、顔がほころぶ。大きな体に包まれていると……心が満たされちゃう。
 
 ――……ありがとう。
 
 穏やかに笑う宏ちゃんの頬に、そっと手を伸ばす。そこには大きな湿布が貼られていて、すごく痛々しい。
 
「……宏ちゃんの頬、診てもらわなくて良かったん?」
「ああ、これくらい何でもないよ」
 
 宏ちゃんの怪我は、ぼくを守るためについたものらしいねん。
 あの夜――ぼくが眠ってから、ヒートが来たんやって。宏ちゃんは、ぼくを壊さないように……自分を傷つけてまで、抑制剤を打ってくれたんだ。
 
 ――宏ちゃん、優しすぎます……
 
 きゅう、と痛む胸を押さえる。
 ぼくね……本当言うと、残念やったん。二人で楽しみにしてたヒートが、どうして起きてるときに来なかったんやろうって。
 でも、宏ちゃんがぼくを守ってくれたって聞いて……すごく愛おしくなったんよ。
 
「成。どうしたんだ?」
 
 穏やかな声が、訊いてくれる。ぼくは応える代わりに、うんと背伸びして、湿布の上にキスをした。
 
「……!」
「えへ。早く治るよう、おまじない」
 
 目元を赤らめる宏ちゃんに、にこっとほほ笑む。
 
「待っててね! 次は、こんな目に遭わさへんからっ」
 
 そして叶うなら――番になりたいって、思うよ。
 もう二度と、あなたと離れないで済むように……そう願って、腕に飛び込んだ。
 
 
しおりを挟む
感想 262

あなたにおすすめの小説

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

私を追い出した後に後悔しても知りません

天宮有
恋愛
伯爵家の次女マイラは、結婚してすぐ夫ラドスに仕事を押しつけられてしまう。 ラドスは他国へ旅行に行って、その間マイラが働き成果を出していた。 1ヶ月後に戻ってきた夫は、マイラの姉ファゾラと結婚すると言い出す。 ラドスはファゾラと旅行するために、マイラを働かせていたようだ。 全て想定していたマイラは離婚を受け入れて、家族から勘当を言い渡されてしまう。 その後「妹より優秀」と話していたファゾラが、マイラより劣っていると判明する。 ラドスはマイラを連れ戻そうとするも、どこにいるのかわからなくなっていた。

王子様への置き手紙

あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯

婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ
恋愛
「婚約破棄? ……そうですか。では、私の役目は終わりですね」 王太子ロイド・ヴァルシュタインの婚約者として、 国と王宮を“滞りなく回す存在”であり続けてきた令嬢 マルグリット・フォン・ルーヴェン。 感情を表に出さず、 功績を誇らず、 ただ淡々と、最善だけを積み重ねてきた彼女に突きつけられたのは―― 偽りの奇跡を振りかざす“聖女”による、突然の婚約破棄だった。 だが、マルグリットは嘆かない。 怒りもしない。 復讐すら、望まない。 彼女が選んだのは、 すべてを「仕組み」と「基準」に引き渡し、静かに前線から降りること。 彼女がいなくなっても、領地は回る。 判断は滞らず、人々は困らない。 それこそが、彼女が築いた“完成形”だった。 一方で、 彼女を切り捨てた王太子と偽聖女は、 「彼女がいない世界」で初めて、自分たちの無力さと向き合うことになる。 ――必要とされない価値。 ――前に出ない強さ。 ――名前を呼ばれない完成。 これは、 騒がず、縋らず、静かに去った令嬢が、 最後にすべてを置き去りにして手に入れる“自由”の物語。 ざまぁは静かに、 恋は後半に、 そして物語は、凛と終わる。 アルファポリス女子読者向け 「大人の婚約破棄ざまぁ恋愛」、ここに完結。

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

処理中です...