いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
331 / 485
第五章~花の行方~

三百三十話【SIDE:陽平】

しおりを挟む
 ――しばし、呆然としていた。
 
「……ぁ……」
 
 気が付くと、野江の姿は消えていた。使用人達も引き上げたのか、誰の姿もない。
 家の中には、しんと静寂が戻っている。
 
 ――成己……
 
 心の中で、あいつの名前を呼ぶ。
 ふらりと立ち上がる。……何をしようと思ったわけでもない。ただ、静寂が恐ろしく、座っていられなかった。
 
 ――……成己。
 
 がらんどうの、成己の部屋には入る勇気がない。よろよろとリビングに行くと、むわりと濃い酒の臭いが鼻を突いた。
 酷い有様なのに、掃除する気力もない。逃げても、問題は先送りになるだけだって、わかってる。もう、俺以外にやる奴はいないのに……
 
 ――でも、疲れた。
 
 ソファに座り込むと、横ざまに倒れた。
 四肢を縮め、体を丸める。頬に当たる、レザーの感触が冷たい。なのに、どこにも現実感が無くて、夢の中にいるようだった。
 
「なるみ……」
 
 小さく呟いた名に、応えはない。
 そのことが、急に胸に堪えて――きつく目を閉じる。
 
 ――成己の匂いが、しない。
 
 頭を抱え込み、身体を丸める。成己の部屋が空っぽになっただけで……この家から、あいつの気配が薄れてしまった。このまま、日々を過ごすごとに、全部消えてしまうのか?
 考えるだけで、腹の底から凍える。
 
「成己……!」
 
 俺は、がばりと身を跳ね起こす。
 とても、此処に居たくない……成己の気配が無い部屋には。
 外に出よう。逃げるような気持ちで、玄関に向かって歩みだす。
 
 ――あ……!?
 
 シューズボックスの上の、鍵に手を伸ばし――ハッと目を瞠る。
 空っぽの花瓶の横に、銀色の鍵が一つ、置き去りになっていた。
 
――『ただいま、陽平』
 
 成己のやわらかな声が、甦ってくる。
 安っぽいキーホルダーのついた鍵……成己の持っていたものだった。震える手のひらに納めると、ひんやりと冷たい。
 いつから、ここにあったんだろう。
 俺は、呆然と玄関に立ち尽くす。
 思い出していたのは――初めて、ここの扉を二人で開いた日のことだった。
 
 
 
『ほら、成己』
 
 この家に引っ越して来た日――俺は、成己に鍵を渡した。
 あいつは目を丸くして、何を差し出されたか、解らないみたいな顔をした。
 
『……いいの?』
『いいのも何も、お前も持ってないと不便だろ。いらねえの?』
『ううん、いるっ。めっちゃ嬉しい……!』
 
 成己は、頬を真っ赤にして笑った。あんまり嬉しそうで、面食らうほどに。
 
『……大げさなやつ』
 
 成己の手に、半ば強引に鍵を押し付ける。ただの伝達行動なのに、やたら照れくさくて……ぶっきらぼうになってしまった。
 
『ありがとう、陽平。ぼく、ずっと大切にするね!』
 
 成己はただの鍵を、宝物のように胸に抱いた。
 
 
 
 ――成己は、鍵も持たずに出てったのか……?
 
 それとも、成己の荷物から見つけた野江が、置いて行ったのか。
 真偽はわからない。
 ただ……わかるのは一つだけ。
 
 もう、成己がこのドアを開くことは、無いということ。
 
「……成己!」
 
 俺は、手のひらに顔を埋めた。
 鍵からは、冷たい金属の匂いしかしなかった。当たり前だ。鍵は……誰の手にあるかで、意味を成すのに。
 
「う……うああああ!!!」
 
 深い悔恨が、胸を破る。
 鍵を渡したとき、成己の顔は……明るい希望に満ちていたのに。
 
 ――『お願い。陽平の側に居たいんよ! 離れたくないよ……!』
 
 ここを出て行った日の、成己の叫びが耳に甦る。あの時は、何にも思わなかった。今なら、死にたくなるくらい、悲しい声だとわかるのに。
 あんなに嬉しそうだったあいつを……あんなに傷つけて、追い出した。
 
 ――馬鹿だ、俺は……この家を……成己と二人、分け合っていくはずだったのに!
 
 全部、踏みにじってしまった。俺が壊してしまったんだ。
 
「あああ……」
 
 俺は玄関に崩れ、叫び続けた……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……陽平! 陽平……!」
 
 名を呼ばれて、意識が浮上する。
 うっすらと目を開けると、霞んだ視界に人影が映る。
 
「陽平! 気が付いたのか」
 
 ぼんやりとした影が、次第に像を結ぶ。
 
 ――父さん?
 
 酷く心配そうな顔をした父が、俺を覗き込んでいた。その背後に、母さんらしき影も見える。
 父さん、と声を上げようとして咳き込んだ。喉がガラガラして、声が出ない。
 
「陽平。無理しなくていい……マンションで倒れていたのを、連れて帰って来たんだ」
「心配したのよ。ずっとうなされて……」
 
 その言葉に、ここが実家であると気付く。――天井が高い。
 あの家……俺と成己の家じゃない。その事実に、胸の底が抜けたような、恐怖が襲った。
 
 ――ここじゃない!!!
 
「……うっ、ゲホッ、ゴホ……!」
「陽平ちゃん!」
 
 焼けんばかりに痛む喉が、悲鳴をせき止める。ベッドの中で体が弾むのを、母さんが心配そうに押しとどめた。
 小さくて柔らかい手が、胸を擦り――違う、と涙がこみ上げる。
 
 ――成己……!
 
 成己じゃない。成己の手は、もっとひんやりしていた。
 
「陽平、大丈夫か!」 
『陽平、大丈夫?』
 
 成己の声は、もっと優しかった。
 ひいひいと喉が嗚咽をならす。みっともない真似をする息子に、両親はオロオロとするばかりで、怒鳴ったり喚いたりもしない。
 
 ――……なるみ……!
 
 いまだかつてないほど優しい親に抱かれて、俺はガキみたいに頭を振る。
 成己じゃないと、いやだった。
 成己がいないと、何も意味がない、のに……どうして、俺はあんなことをしてしまったんだろう。
 
 ――『お前が、成から全てを奪ったんだろう……!!』
 
 ううう、と喉から獣のような呻き声が漏れる。歯をギリギリと食いしばって痛みに堪える。
 
「どうしたんだ、陽平。どうした……」
 
 父さんの太い腕が、俺の肩を抱く。涙がのどに詰まり、ぜいぜいと息を吐く。
 
 ――成己がいない。成己がいないんだよ、父さん……!!!
 
 今、初めて気づいた。
 俺は……成己を失ったんだと。かけがえのない人を失ったんだと――ようやく。
 
 ――成己、好きなんだ。お前じゃないと駄目なんだ……! 何でもするから、戻って来てくれ……!!
 
 愚かな俺は、恋しい人の面影を浮かべ、咽び続けた。

しおりを挟む
感想 261

あなたにおすすめの小説

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

私と幼馴染と十年間の婚約者

川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。 それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。 アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。 婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました

山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。 王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。 レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。 3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。 将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ! 「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」 ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている? 婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?

【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。

曽根原ツタ
恋愛
 ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。  ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。  その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。  ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?  

処理中です...