いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第七章~おごりの盾~

四百五十九話

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 ……頭上で、なにか話声がする。
 
「――では、お願いね」
「はい、奥様」
 
 かちゃん、とドアの閉まるような音がした。つられて身じろぐと、からだがとても重い。
 
 ――なに? ぼく、どうして……
 
 しぶとく閉じようとする瞼を押し上げる。――酷くまぶしい。霞んだ視界に、知らない天井が見えた。
 ぼうっと見上げていると、にゅっ、と視界に何か割り込んでくる。
 
「――!?」 
「あら、気づかれましたか?」
 
 ぼくは、ぎょっとする。
 見開いた目に、マスクをつけた女の人達がうつった。三人ともミント色の作業衣を着て、同じように髪をひっ詰めている。
 
 ――だれ!?
 
 逃げ出そうとしても、体がちっとも動かない事に気づく。一体どうして――そう思いかけて、城山さんに連れ去られたこと、変な薬を嗅がされたことを思い出した。
 ぼくはベッドに寝かされていて、部屋の中には甘いにおいが漂っている。
 
「あのっ……ぼくはっ。ここ、ろこ」
 
 ちっとも呂律がまわらない。……薬のせい? いよいよ異常な事態に、青褪めてしまう。
 女の人達は、子供を窘めるような優しい声音で話しかけてきはる。
 
「大丈夫ですよ」
「怖いことはございませんわ」
 
 口々にそう言うと、とんでもない行動に出た。なめらかな手が六本伸びて来て、ぼくの服を脱がせようとする。
 
「わあっ……!?」
 
 みるみるうちに、剥ぎ取られた服が床につくねられていく。見知らぬ人の前で、わけもわからず裸にされそうになり、ぼくは悲鳴を上げる。
 
「なにをするんですか!? やめてください!」
 
 病院でも、宏ちゃんの前でもないのに……! 羞恥と恐怖でひっくり返った声に、女の人達は「まあ」と一笑して、ぼくをベッドに押さえ込んだ。必死に身を捩ろうとするのに、体が動かない。
 
「まあ、初々しい……ご安心くださいませ」
「城山様のお申しつけで、若奥様を磨かせて頂きます」
「え……?」
 
 女性はにこやかに言う。
 
「奥様のオーダー通り、『陽平様好みに』なれますわ。ほら、こんなに綺麗なお肌ですもの」
「どういう……ひっ!」
 
 肌の上にとろとろしたものをかけられて、背筋がびくりと跳ねる。甘ったるい精油の香りが、鼻腔を貫く。なめらかな手のひらが次々に背中を滑ってきて、「ひぃ」と喉が引き攣った。
 
「やー! やめてくださーいっ!!」
 
 ぼくの悲鳴が、高い天井に反響した。
 
 
 
 
 
「――お疲れさまでした。こちらで少々お待ちくださいね」
 
 小一時間後。
 満足そうに一礼して、女の人達は部屋を出ていく。必要最低限のインテリアの白い部屋に、ぼくは一人残された。
 バスローブを羽織っただけの姿で、一人がけのソファにぐったりと身を沈める。
 
「うう……いったい、何やったん……」
 
 肌から濃厚な薔薇の匂いが漂って、うぷっとえづく。さっき、たっぷり揉みこまれた精油やのせいやった。
 なにより、知らない人に体を見られたのが辛い。薬を嗅がされていなければ、もっと抵抗できたのに……と泣きたくなる。
 
「……気にしてる場合と、違うっ。センターでは見られて当然だったやん。そう……検診って思ったらいいねん!」
 
 ぐすんと鼻を啜り、自分を慰めた。
 
 ――それより、せっかく人がいないんやから。ぐずぐずしないで逃げなくちゃ……
 
 まずは、ソファから降りようと試みる。……けど、金縛りにあったみたいに、手足が動かせない。
 
「うう~……うごいて……!」
「――失礼いたします」
 
 突然、無機質な声が響いた。
 
「!」
 
 いつのまにか、城山家の使用人のお仕着せを纏った、年かさの男女が戸口に立っている。二人は揃って一礼し、音もなく歩み入ってきた。
 
「失礼します」
 
 男性がソファの側に膝をつき、きっちりと四角に畳まれた洋服を、差し出してきた。
 
「若奥様、お疲れさまでした。こちらをお召しくださいませ」
 
 黒のシルクシャツに、細身のパンツ。やわらかそうな下着まである。でも、あきらかにぼくの着てきたものじゃなくて、困惑して尋ねた。
 
「……いえ、結構です。ぼくの服はどこですか?」
「若奥様にお似合いではないので、捨てました」
「なっ……何てことするんですか!」
 
 さらりと告げられ、ぎょっと目をむいた。
 まだ新しい部屋着やったのに――というか人の服を勝手に捨てちゃうなんて信じられへん。それに、さっきから気になるんやけど。
 
「若奥様なんて呼ばないで下さい。ぼくは野江の妻なんです!」
「陽平様の奥方をそう呼ぶのは当然です」
「違いますっ! 急に連れてきて、ひとをっ……!」
 
 暖簾に腕押しの対応にカッとなり、身を乗り出した。その拍子に、座面からずるりと滑り落ちてしまう。
 
「……あっ!」
 
 ぼくは、びたんと床に突っ伏した。痛みに呻いていると、すっと身を屈めた使用人の女性に、抱き起される。
 
「薬を嗅がれたのですから、無理に動こうとなさいませんよう」
「……っ」
 
 自分で起きることも出来ないなんて――情けなくて俯くと、いくぶん和らいだ声が問うてきた。
 
「さあ、服をお召しになって下さい。きっとお似合いですよ」
「……いいえ。ぼくは、ぼくの服を着て帰ります」
 
 攫うように連れてこられて、言うなりになるのは癪やった。差し出された衣服から、ふいと顔を背けると――突然、女性が語気を強めた。
 
「もうじきに、陽平様が帰っていらっしゃいます! そのような姿で、お会いしたいのですか」
 
 思わず、ひゅっと息を飲む。
 
「陽平が……?」
「ええ。大学でのご講義のあと、こちらにお戻りです」
 
 陽平と、会う。
 この状況で――考えうる限り最悪の状況に、さあっと青ざめる。ソファから落ちたときに開いた襟が気になって、慌てて体を突っ伏した。
 
「さあ、お召し替えを」
 
 今度は、有無を言わさず肩を掴まれる。
 動けずにいると――扉の向こうから、高いヒールの音が聞こえてきた。
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