いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
460 / 485
第七章~おごりの盾~

四百五十九話

しおりを挟む
 ……頭上で、なにか話声がする。
 
「――では、お願いね」
「はい、奥様」
 
 かちゃん、とドアの閉まるような音がした。つられて身じろぐと、からだがとても重い。
 
 ――なに? ぼく、どうして……
 
 しぶとく閉じようとする瞼を押し上げる。――酷くまぶしい。霞んだ視界に、知らない天井が見えた。
 ぼうっと見上げていると、にゅっ、と視界に何か割り込んでくる。
 
「――!?」 
「あら、気づかれましたか?」
 
 ぼくは、ぎょっとする。
 見開いた目に、マスクをつけた女の人達がうつった。三人ともミント色の作業衣を着て、同じように髪をひっ詰めている。
 
 ――だれ!?
 
 逃げ出そうとしても、体がちっとも動かない事に気づく。一体どうして――そう思いかけて、城山さんに連れ去られたこと、変な薬を嗅がされたことを思い出した。
 ぼくはベッドに寝かされていて、部屋の中には甘いにおいが漂っている。
 
「あのっ……ぼくはっ。ここ、ろこ」
 
 ちっとも呂律がまわらない。……薬のせい? いよいよ異常な事態に、青褪めてしまう。
 女の人達は、子供を窘めるような優しい声音で話しかけてきはる。
 
「大丈夫ですよ」
「怖いことはございませんわ」
 
 口々にそう言うと、とんでもない行動に出た。なめらかな手が六本伸びて来て、ぼくの服を脱がせようとする。
 
「わあっ……!?」
 
 みるみるうちに、剥ぎ取られた服が床につくねられていく。見知らぬ人の前で、わけもわからず裸にされそうになり、ぼくは悲鳴を上げる。
 
「なにをするんですか!? やめてください!」
 
 病院でも、宏ちゃんの前でもないのに……! 羞恥と恐怖でひっくり返った声に、女の人達は「まあ」と一笑して、ぼくをベッドに押さえ込んだ。必死に身を捩ろうとするのに、体が動かない。
 
「まあ、初々しい……ご安心くださいませ」
「城山様のお申しつけで、若奥様を磨かせて頂きます」
「え……?」
 
 女性はにこやかに言う。
 
「奥様のオーダー通り、『陽平様好みに』なれますわ。ほら、こんなに綺麗なお肌ですもの」
「どういう……ひっ!」
 
 肌の上にとろとろしたものをかけられて、背筋がびくりと跳ねる。甘ったるい精油の香りが、鼻腔を貫く。なめらかな手のひらが次々に背中を滑ってきて、「ひぃ」と喉が引き攣った。
 
「やー! やめてくださーいっ!!」
 
 ぼくの悲鳴が、高い天井に反響した。
 
 
 
 
 
「――お疲れさまでした。こちらで少々お待ちくださいね」
 
 小一時間後。
 満足そうに一礼して、女の人達は部屋を出ていく。必要最低限のインテリアの白い部屋に、ぼくは一人残された。
 バスローブを羽織っただけの姿で、一人がけのソファにぐったりと身を沈める。
 
「うう……いったい、何やったん……」
 
 肌から濃厚な薔薇の匂いが漂って、うぷっとえづく。さっき、たっぷり揉みこまれた精油やのせいやった。
 なにより、知らない人に体を見られたのが辛い。薬を嗅がされていなければ、もっと抵抗できたのに……と泣きたくなる。
 
「……気にしてる場合と、違うっ。センターでは見られて当然だったやん。そう……検診って思ったらいいねん!」
 
 ぐすんと鼻を啜り、自分を慰めた。
 
 ――それより、せっかく人がいないんやから。ぐずぐずしないで逃げなくちゃ……
 
 まずは、ソファから降りようと試みる。……けど、金縛りにあったみたいに、手足が動かせない。
 
「うう~……うごいて……!」
「――失礼いたします」
 
 突然、無機質な声が響いた。
 
「!」
 
 いつのまにか、城山家の使用人のお仕着せを纏った、年かさの男女が戸口に立っている。二人は揃って一礼し、音もなく歩み入ってきた。
 
「失礼します」
 
 男性がソファの側に膝をつき、きっちりと四角に畳まれた洋服を、差し出してきた。
 
「若奥様、お疲れさまでした。こちらをお召しくださいませ」
 
 黒のシルクシャツに、細身のパンツ。やわらかそうな下着まである。でも、あきらかにぼくの着てきたものじゃなくて、困惑して尋ねた。
 
「……いえ、結構です。ぼくの服はどこですか?」
「若奥様にお似合いではないので、捨てました」
「なっ……何てことするんですか!」
 
 さらりと告げられ、ぎょっと目をむいた。
 まだ新しい部屋着やったのに――というか人の服を勝手に捨てちゃうなんて信じられへん。それに、さっきから気になるんやけど。
 
「若奥様なんて呼ばないで下さい。ぼくは野江の妻なんです!」
「陽平様の奥方をそう呼ぶのは当然です」
「違いますっ! 急に連れてきて、ひとをっ……!」
 
 暖簾に腕押しの対応にカッとなり、身を乗り出した。その拍子に、座面からずるりと滑り落ちてしまう。
 
「……あっ!」
 
 ぼくは、びたんと床に突っ伏した。痛みに呻いていると、すっと身を屈めた使用人の女性に、抱き起される。
 
「薬を嗅がれたのですから、無理に動こうとなさいませんよう」
「……っ」
 
 自分で起きることも出来ないなんて――情けなくて俯くと、いくぶん和らいだ声が問うてきた。
 
「さあ、服をお召しになって下さい。きっとお似合いですよ」
「……いいえ。ぼくは、ぼくの服を着て帰ります」
 
 攫うように連れてこられて、言うなりになるのは癪やった。差し出された衣服から、ふいと顔を背けると――突然、女性が語気を強めた。
 
「もうじきに、陽平様が帰っていらっしゃいます! そのような姿で、お会いしたいのですか」
 
 思わず、ひゅっと息を飲む。
 
「陽平が……?」
「ええ。大学でのご講義のあと、こちらにお戻りです」
 
 陽平と、会う。
 この状況で――考えうる限り最悪の状況に、さあっと青ざめる。ソファから落ちたときに開いた襟が気になって、慌てて体を突っ伏した。
 
「さあ、お召し替えを」
 
 今度は、有無を言わさず肩を掴まれる。
 動けずにいると――扉の向こうから、高いヒールの音が聞こえてきた。
しおりを挟む
感想 262

あなたにおすすめの小説

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

だって、君は210日のポラリス

大庭和香
BL
モテ属性過多男 × モブ要素しかない俺 モテ属性過多の理央は、地味で凡庸な俺を平然と「恋人」と呼ぶ。大学の履修登録も丸かぶりで、いつも一緒。 一方、平凡な小市民の俺は、旅行先で両親が事故死したという連絡を受け、 突然人生の岐路に立たされた。 ――立春から210日、夏休みの終わる頃。 それでも理央は、変わらず俺のそばにいてくれて―― 📌別サイトで読み切りの形で投稿した作品を、連載形式に切り替えて投稿しています。  エピローグまで公開いたしました。14,000字程度になりました。読み切りの形のときより短くなりました……1000文字ぐらい書き足したのになぁ。

私と幼馴染と十年間の婚約者

川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。 それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。 アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。 婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

届かない「ただいま」

AzureHaru
BL
いつも通りの変わらない日常のはずだった。 「行ってきます。」と言って出て行った貴方。1日が終わる頃に「ただいま。」と「おかえり。」を笑顔で交わすはずだった。でも、その言葉はもう貴方には届かない。 これは「優しさが奪った日常」の物語。

僕たちの世界は、こんなにも眩しかったんだね

舞々
BL
「お前以外にも番がいるんだ」 Ωである花村蒼汰(はなむらそうた)は、よりにもよって二十歳の誕生日に恋人からそう告げられる。一人になることに強い不安を感じたものの、「αのたった一人の番」になりたいと願う蒼汰は、恋人との別れを決意した。 恋人を失った悲しみから、蒼汰はカーテンを閉め切り、自分の殻へと引き籠ってしまう。そんな彼の前に、ある日突然イケメンのαが押しかけてきた。彼の名前は神木怜音(かみきれお)。 蒼汰と怜音は幼い頃に「お互いが二十歳の誕生日を迎えたら番になろう」と約束をしていたのだった。 そんな怜音に溺愛され、少しずつ失恋から立ち直っていく蒼汰。いつからか、優しくて頼りになる怜音に惹かれていくが、引きこもり生活からはなかなか抜け出せないでいて…。

契約満了につき

makase
BL
仮初めの恋人として契約を結んだ二人の、最後の夜。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

処理中です...