あなたの光になりたい

高穂もか

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運命の夜に

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 庭園に、絹を裂いたような悲鳴が響いた。

「いや――」
「大人しくなさい」

 リュカは暗い植え込みの陰でメイヴェに押さえ込まれていた。

 (だれか、助けて!)

 いくらもがいても、周囲には人の気配がない。草木のにおいがむっと立ち込め、虫の声さえ聞こえない。
 最初は普通に散歩していただけだった。二人になるのを警戒していたリュカだが、相手は遊びに長けた年上の男――言葉巧みに人気のない方へと誘導されていたらしい。
 月のない夜空を、覆いかぶさってきたメイヴェの獣のような顔が埋め尽くしている。

「おやめください……!」

 リュカは必死にもがいた。こんな場所で、愛してもない男に馬乗りになられているなんて。背に当たる夜露を含んだ芝の感触も、全てに現実感がない。どうしてこのようなことに。
 両腕で分厚い胸を押すが、びくともしない。

「愛らしい抵抗だ。本当は、こうなることを望んでいたんでしょう」
「やっ……」

 子どもの手すさびに付き合うような軽さで、メイヴェはリュカの手首を取ると、頭上に戒めた。興奮に血走った目に舐めるように見下ろされ、リュカは身震いする。
 
 (うそだ、こんなの……)

 恐怖に吐息が浅くなる。パーティなどで、不埒な真似をする人がいると聞いたことがある。まさか、自分がそのような目に遭おうとは――。
 気を失いそうになりながらも、必死に訴えた。

「お願いです……許してください。嫁入り前にこんなことになったら、家族に顔向けできません……どうか、お許しを……」

 言葉の終わりが、涙に滲む。リュカの幼気な訴えに、メイヴェはむしろ昂ったように、低く笑う。

「初心なことをおっしゃる。貴族の婚姻など、血が継げれば構わないのでしょう? 男を幾人知っていても、なんのこともないでしょうに」
「ひっ……!」

 メイヴェの手が乱暴に脇腹をわし掴み、リュカは絶望する。
 
 (僕は、なんて馬鹿なんだろう)

 もう成人しているくせに、子どものような気分でいたから……自分の判断を呪っても呪いきれなかった。

「リュカ殿……」
「!」

 メイヴェが口づけしようと、顔を寄せてきた。酒臭い吐息が顔にかかり、総毛だつ。
 
 (ライアン様!)

 凄まじい嫌悪に、心が奮い立った。リュカは手足をばたつかせ、力の限り暴れる。

「ぐっ……!」

 跳ね上げた膝が、メイヴェの脇腹を打った。男が怯んだすきに、リュカは体の下から這い出る。

「誰か……誰かぁっ!」

 声を張り上げて、助けを求める。静かな庭園に、リュカの声が響いた。メイヴェは舌打ちし、リュカの肩を掴むと、地面に引き倒した。芝生に叩きつけられ、苦し気に呻くかわいそうな獲物に、獣は荒い息を吐く。

「静かにしろ、人に見られて恥をかくのは貴方だぞ」
「だれ――うっ!」

 なおも叫ぼうとしたリュカの口に、ごつい指が差し入れられる。舌の上に、何か粒のような物をなすられ、酷くえづく。

「うっ……ぐぅっ……」

 それは何かの薬剤のようだった。強い力で圧迫され、外側の薄い膜が裂け、甘酸っぱい汁が溢れ出す。舌に触れると、火のように熱い――。

「……!?」

 リュカは目を見ひらく。
 ぞわぞわ、と項の毛が逆立ち、両足がひとりでに震えだす。妙な薬を飲んだ胃の腑から、甘く気だるい熱が広がっているのだ。まるで――ヒートの予兆に似た自らの反応に、混乱する。

「な……いや……」
「ご存じか? あなたがたの国の果実……アルムベリーと言ったか? あれは、我が国では媚薬の原料として取引されているんだよ。ひと粒飲めば、どんな強情張りでも、天国にいける」
「ひ……っ!」

 強引に抱き寄せられ、悲鳴が漏れる。男の分厚い体が密着し、全身に鳥肌が立つ。それなのに、からだはアルファの蹂躙を受け入れろとばかりに、力が入らない。

「いや……いや……!」
「ふふ。貴方も楽しみなさい」

 愉快そうに言ったメイヴェが、リュカの衣に手をかけ、強引に引き下ろす。ビ、と布の裂ける音がする。破られた翠の衣に、リュカはどっと涙を溢れさせる。
 嬉しそうに着つけてくれたばあやの笑顔が浮かんだ。
 
 (ハンナ……!)

 芝生に放り捨てられた衣が、こつんと音を立てる。スズランのブローチが布に埋もれていた。
 
 (カシュ兄様……!)

 カシミールの生真面目な眼差しを思う。
 あの時は誇らしい気持ちで、こんな事になるとは思わなかった。紺碧の空を見上げ、リュカは無念の涙を流す。
 顎を掴まれ、メイヴェが身を屈めてくる。唇を奪うつもりなのだ。必死に身をよじるが、今度こそ逃げられない――絶望にしゃくりあげる。
 かつて、愛しい人に触れられたそこが、汚されてしまう。

「……ライアン様……っ」

 消え入るような声で、その人を呼んだ。
 そのときだった。
 

 
 ひゅん、と風を切る音が響き、目前からメイヴェが消えた。

「……ガッ……!」

 低い呻き声が聞こえ、リュカは目を瞬いた。

「……っ?」

 何が起こったか、わからない。圧し掛かっていたはずのメイヴェは、少し離れた地面に転がり、苦悶に呻いている。
 リュカを庇うよう、誰かが立ちはだかっているようだ。
 ――さあ、と風が吹き、甘い香気が漂う。
 ジャスミンの甘く切ない香りに、リュカは息を飲んだ。

「……ライアン、さま……?」

 夜闇にも鮮やかな赤髪が、風に舞う。藍の衣をまとった背が、広く頼もしい。
 端麗な横顔は険しく、メイヴェを睨み据えている。

「……ぐっ……この……」

 顔面から血を流したメイヴェが、憎々しげに唸った。

「こ、国王に寵愛される、この私に……」

 ライアンははっと鼻で笑う。

「知らねえな。田舎商人ふぜいが、誰をかさに着てやがる!」

 凄まじい怒声に木々が騒めいた。
 大股に近づき、派手な衣の胸倉を掴み上げる。腕一本で宙づりにされたメイヴェは、じたばたともがきながら、苦し紛れに叫んだ。

「ぐっ……彼が誘ったんだぞ! 誰にも相手にされぬからと――」

 ライアンは、最後まで言わせなかった。ぶん、と風を唸らせて、メイヴェの片頬に拳を叩きこむ。

「ぎゃっ」

 魂が消えるような悲鳴を上げ、メイヴェは地に叩きつけられる。ライアンは、汚いものに触れたように手を振って、吐き捨てた。

「下種が」

 平素は陽気な彼が、心から憤怒していた。一部始終を見守っていたリュカは、呆然とする。
 
 (助かっ、た……? ライアン様に、助けられて……)

 どうして彼が。兄と一緒にいたのに……安堵より先に、そんな疑問が湧いた。
 かたかたと震えるわが身を抱いていると、ライアンが振り返った。

「リュカ!」

 険しい表情から一転し、青褪めてリュカに駆け寄ってくる。ライアンは側に膝まづき、リュカの有様に痛ましげに眉を顰めた。

「大丈夫か? 遅くなってすまない」
「ライアンさま……」

 心配そうな声が胸に沁みる。リュカはやっと安堵して、涙を溢れさせた。

「ううっ……」

 ライアンは藍色の衣を脱ぎ、リュカの露わになった肌を覆ってくれる。あたたかなジャスミンの香に包まれ、リュカはますますひどく嗚咽してしまう。
 
 (ライアン様っ……!)

 震える手で、衣をかき合わせる。助かった実感と、ライアンへの申し訳なさ……慕わしさで、震えが止まらない。

「可哀そうに……待っていろ。すぐに乳母のもとに連れてってやる」

 きっぱりと言い、衣に包まれたリュカを抱き上げた。
 ライアンは、人目につかない暗い道を選び、屋敷へと小走りに駆けだす。
 落ちないよう、逞しい裸の胸にしっかりと抱き寄せられる。甘い香気が、鼻腔を撫でた。
 
 (あ……)

 くら、と視界が歪んだ。
 どくん、どくんと鼓動が速く、大きくなる。全身が熱を帯び、甘い痺れに覆われていく……。

「……どうした」

 突然、身体を強張らせたリュカに、ライアンが心配そうに問う。低い声が体の芯に響き、リュカは「あっ」と声を漏らした。
 
 (ヒートが)

 自覚した途端、堪えられないほどの切なさが襲ってくる。

「あ……っ!」

 小さく叫び、身を丸める。上気した肌から甘い汗が溢れ、藍色の衣をしとどに濡らした。

「おい……?!」
「だ、め……っ……離れ……」

 そう言いながら、リュカの両腕はライアンを求め、彷徨っていた。
 ライアンに口づけたい。抱きしめられたい。もっと、強く求めてほしい――。
 メイヴェに飲まされた薬のせいか、からだの奥からこみ上げてくる浅ましい衝動に、涙が溢れる。

「リュカ……お前、まさか」
「……っ」

 愛しい人の驚いた声に、消えたいような羞恥が湧き起った。はやく、自分なんか振り落として貰わないといけない。ライアンに迷惑がかかってしまう。
 だって、ライアン様はお兄様のことを――。
 思ったと同時に、シエルと寄り添う姿が浮かび、胸が焼けそうに痛む。

「ライ、アンさま……っ……」

 リュカは、ライアンに縋りついていた。逞しい首に腕をまわし、身を寄せる。顔を上げて、ライアンの唇に自らのそれを押し付けた。
 ――二年前、想いを告げたリュカに、彼がそうしてくれたように。
 甘く、柔らかい感触に、理性が溶け落ちる。
 涙に濡れた声で、囁く。

「たすけて……」
「……リュカ」

 もう一度唇を求め、細い腕に力をこめると、強く引き寄せられる。

「ん……っ」

 唇が、あたたかな感触に包まれた。
 愛しい人とのキスに、全身が歓喜に包まれる。ライアンに縋りつき、喜びに震えていると……きつく抱かれた。

「――いいのか?」

 頷くと、ライアンが進行方向を変える。
 もう止まれなかった。
 
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感想 3

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みんなの感想(3件)

白いライラック
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2026.02.12 高穂もか

白いライラックさん、読んでくださり、ありがとうございます!
わああ……胸がぎゅっと捕まえられるですか✨?!すごく素敵にたとえてくださり、とっても感激です🥹✨
嬉しいです✨スズランのブローチはカシミールのリュカへの想いなんです……!
リュカの幸せを願っていただいて、ありがとうございます🌸リュカが幸せになれるまで、心を込めて書いて参りますね。続きも頑張ります🍀

解除
ピスケ
2025.12.17 ピスケ
ネタバレ含む
2025.12.18 高穂もか

ピスケさん、読んでくださり、ありがとうございます!
リュカの悲しさに、とても優しく寄り添って下さって……心がじわーっとあたたかくなりました🥹💓
いまはつらい状況ですが、リュカが救われて、自分の本当の望みに手を伸ばせるよう、心を込めて描いていきたいと思います🍀続きも楽しんでいただけるよう、頑張ります🌸

解除
まぬまぬ
2025.11.30 まぬまぬ
ネタバレ含む
2025.12.01 高穂もか

まぬまぬさん、読んでくださり、ありがとうございます!
わああ、続きを楽しみにしてくださって、とっても嬉しいです(#^^#)✨
続きも楽しんでいただけるよう、更新がんばります🌸

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