あなたの光になりたい

高穂もか

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過ちは穏やかに近づく

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「え……カシュ兄様、もうお帰りなんですか?」

 ダンスを終えて早々、パーティを辞すことを告げたカシミールに、リュカは驚きの声を上げた。華やかな演奏の名残が残る会場で、カシミールは生真面目に頷く。

「明日も早朝から業務があるのでな。俺はここで失礼する」
「そう、なんですか……もう少し、お話したかったです」

 リュカは思わず、しょんぼりと肩を落とした。普段は聞きわけの良いリュカだが、つき合いの長いカシミールには素直な甘えが顔を出してしまう。カシミールもまた、珍しく唇を綻ばせた。

「近いうちにまた会おう、リュカ。きっとな」
「カシュ兄様……はい。楽しみにしています」

 力づけるような声音に、リュカはぱっと笑みを浮かべた。すると、カシミールがそっとリュカの手をとる。どうしたのだろう、と思っていると――優雅な仕草で指先に口づけられる。

「あ――」

 びっくりして、リュカは目を見ひらいた。
 
 (キス? 兄様が……)

 今までは別れ際の挨拶と言うと、軽く抱擁するのみで。こんな風に、妙齢のオメガに対するように接されたのは、初めてだった。リュカは驚きに固まったまま、カシミールの伏せられた睫毛を見つめた。

「良い夜だった」
「は、はい。僕も……ありがとうございます」

 顔を上げ、カシミールは静かに言う。リュカは何故かどぎまぎしながら、何度も頷いた。優しい”兄”は微かに笑みを浮かべ、背を向けた。白い衣の裾を翻し、去っていくカシミールをリュカは呆然と見送る。

「ご覧になりました? あのカシミール様が、微笑まれていたわよ」
「これは、リュカ殿のお相手は決まったか……」

 周囲のお客の噂する声で、ハッとわれに返る。
 
 (い、いけない。カシュ兄様が、僕なんかと噂になってしまう)

 カシミールが今夜来てくれたのは、ひとえに父親同士のよしみであり、リュカとどうにかなりたいわけでないと弁えているつもりだ。さっきの挨拶も、きっと大人の仲間入りを果たしたリュカに、激励のつもりでしてくれたに違いない。

「あの――」

 誤解を解くべく、近くの集団に向かって歩き出したリュカは、思わぬ形で阻まれる。

「リュッカー! 見てたぞっ!!」
「ひゃぁっ!?」

 突然、シエルに背後から飛びつかれ、リュカはつんのめった。転ばないように、何とか両脚で踏ん張って、後ろを振りかえる。

「お、お兄様……転んでしまいますっ」
「へへっ、ごめーん! でも、居てもたってもらんなくてさあ」

 リュカの抗議に、シエルは悪びれもせず舌を出す。無邪気そのものの笑みに、思わず力が脱けてしまう。背に懐く兄をそのままに、何とか真っ直ぐに立ち上がって――目を見ひらいた。
 
 (あっ……! ライアン様……)

 シエルの後ろに、ライアンが騎士のように立っていたのだ。幼い振る舞いをしたのを見られ、リュカの頬は真っ赤に火照る。

「ライアン様、お騒がせして申し訳ありません」

 精一杯、凛と聞こえるように礼を取る。ライアンにまだ挨拶さえできていないのに、とんだ失態だ。
 ライアンは返事をせず、じっとリュカを見ている。珍しく笑っていないのは、もしかすると非礼に怒っているのかもしれない。



「ラ――」
「水くさいぞ、リュカ。カシミールと付き合ってたなら、言ってくれればいいのにっ!」

 慌てたリュカが謝罪を重ねようとすると、またもシエルに遮られる。それも、とんでもない爆弾を落とされ、リュカはひゅっと息を飲んだ。

「ち――違いますッ。カシュ兄様は、幼なじみじゃありませんか。お兄様だって、ご存じでしょう?」
「照れるな、照れるなッ。そういや昔から、リュカはカシュにべったりだったもんな! いつもさ、二人っきりで部屋に籠ってさ~♡」

 シエルの発言に、ざわ、と周囲がどよめく。

「なんと、結婚前に大胆な真似を」
「リュカ様って意外と……?」

 好奇の視線が集中し、リュカは狼狽した。
 幼い子供のころの話なのに、最近のことだと誤解されてしまっている。立派な幼なじみの名誉のためにも、リュカは明るい声を張り上げた。

「お兄様ったら。たしかに――”幼いころは”、よくお見舞いに来てくださいましたけど。カシミール様は真面目な方なんですからね」

 ここぞとカシミールの性格を持ち出せば、「確かに……」という空気になる。彼の真面目さは、社交界でも評判なのだ。
 ほっと胸を撫でおろすものの、シエルは納得いかなそうに唇を尖らせる。

「でも、キスしてたのに?」
「キ……?! あ、挨拶ですよ?」
「キスはキスじゃん! キスなんて、簡単にしないだろ? リュカもそうじゃねえの?」
「それは……」

 リュカは、どきりとした。知らず、ライアンの方を見てしまう。――二年前のある苦い出来事が胸を過ったためだ。ちょうど、ライアンもリュカを見ており、目があってしまう。

「あ……」

 感情の読めない翠色の瞳に、真っ赤になった頬を俯けた。シエルは不思議そうに二人を見比べ、ライアンの腕に飛びついた。

「俺だって好きな人としかしないぞっ。なっ、ライアン。遊び人のお前だって、リュカにキスしないだろ?」
「……!」

 恐ろしい質問に、リュカは全身から汗が噴き出す気がした。
 
 (やめて)

 しかし、願いは届かない。甘えるように腕を引くシエルに、ライアンはすっと高い背を屈めた。

「……当然だろう? 俺がキスしたいのは、お前だけだよ」

 甘く囁き、花の咲くような音を立ててシエルの頬に口づける。
 シエルの麗しい顔に、ぱっと朱が上る。

「~~! ライの馬鹿ぁ! 俺は、好きな人としかしないって言ったろーが!」
「はは。だから、だろ?」
「ちっがーう! 調子に乗んなッ」

 子どものように両腕を振り回し、ぽかぽかとライアンの胸を叩くシエル。幼い振る舞いをする兄を、リュカの想い人は甘やかな瞳で見つめていた。

「……ぁ……」

 睦まじい二人に湧く周囲の声も、リュカには遠かった。目の前の光景に心が凍てついて、バラバラに壊れそうだ。
 
 (ライアン様……)

 震える指で、唇に触れる。そこは冷え切って、かつての乾いた熱など感じられず……リュカはついに耐えられなくなった。

「すみません。僕、お母様に呼ばれていて……失礼いたします」

 挨拶もそこそこに、その場を小走りに離れる。

「あ、リュカ――」

 シエルに呼び止められた気がしたが、リュカは振り返らなかった。一刻も早く、二人から遠ざかりたかったのだ。
 広間を出て、人気のない廊下に一人になると、やっと安堵した。
 それでも、心は酷く波立っている。

「は……っ、……」

 シエルに愛し気にキスするライアンの姿が、瞼の裏に焼き付いていた。リュカは顔をくしゃりと歪め、ズキズキと痛む胸を押さえる。落ち着きなく廊下を歩きながらも、悩みを振りほどけない。
 
 『俺がキスしたいのは、お前だけだよ』

 ライアンはシエルを愛している。解ってる。
 だけど、と思う。

「どうしてですか……?」

 だったら、あのとき。彼はどうしてリュカに――。
 

 *

 
 廊下の突き当りにまで来て、リュカは足を止めた。飾り窓の向こう、風に吹かれた庭木がざわざわと音を立てる。その下に、蹲っている人影を見つけた。

「……どうなさいました?」

 豪奢な服は見覚えがあった。招待客の誰かだろうが、どうしてこんな場所まで……不思議に思いながらも、リュカは近づいた。

「あの。お加減が悪うございますか? よろしければ、お部屋をご用意しますが……」

 そっと、耳に障らないように穏やかに声をかける。

「シエ……リュカ、どの……?」
「メイヴェ様?」

 顔を上げて、その客がメイヴェと知り、リュカは目を瞬いた。日に焼けた肌が真っ赤に染まっている。

「驚いた……本日の主役が、わたしをお探しとは……」

 酔っている割に、流ちょうな言葉だった。それでも、吐息からは凄まじい酒の臭いがする。他家のパーティでこんなに過ごす方があるなんて……とリュカは内心驚いたが、面には出さなかった。

「メイヴェ様、大丈夫でしょうか? いま、お水を持ってこさせましょう」
「ああ、結構。これくらいは何ともない!」

 メイヴェは乱暴に頭を振ると、すっくと立ち上がった。言葉の通り、しっかりした様子だった。

「私は船乗りだ。これしきの酒で酔わん」
「そうでしたか……失礼いたしました」

 安心したリュカは、小さな唇を綻ばせた。愛らしい顔立ちが、より親し気に和らぐ。

「……」

 メイヴェは酔いに潤んだ目で、リュカを見下ろす。華奢な身体のラインをなぞる視線に、客を心配するリュカは気づかない。

「……平気だが、酔いを醒ましたいな」

 メイヴェは言う。

「失礼だが、庭園に出ても構わないかね。さっき、蹲っている時にみごとなものだと思っていたんだ」
「光栄です。では、誰か家の者に案内を……」
「あなたがいいな」
「えっ?」

 リュカは目を瞬いた。メイヴェは、にこりと笑って大きな手を差し出していた。

「美しい庭を、一人で散策は味気ない。あなたの親切におすがりしたいと思いますが……隣国の商人ごときが、侯爵家のご子息に、過ぎた願いでしょうか」
「い、いいえ。そんなことはありません!」

 皮肉を込めた言葉に、リュカは慌てて頭を振った。

「では参りましょう」

 有無を言わさない笑みを浮かべ、メイヴェが言う。リュカは迷った末――ひとつ頷いた。

「僕でよろしければ、メイヴェ様。お供させて頂きます」

 男性と二人になることと、父の大切なお客人のご気分を損ねてしまうこと。二つの不安を天秤にかけた結果、後者が勝った。
 
 (大丈夫。メイヴェ様はお兄様に見惚れていらっしゃったもの。僕には、なんのご興味もないはずだ)

 ただ、お庭を案内するだけ――そう思って、リュカはメイヴェの手をとった。
 その夜、リュカはあまりに自信を喪失していた。だから、自分の行いがどれほど浅はかで、危険なことか気づくことができず――己の判断を、ずっと後悔することになる。
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