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8巻
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しおりを挟む第2話 提案
「そろそろ、お主にもしっかりとした地位が必要じゃろうな、ジョン」
唐突に、ナコルルが魔法学院の学院長室でそんなことを言い始めた。
驚いた俺は飲んでいたお茶を噴き出しそうになり、咳き込みつつ彼女の言葉に返答する。
「しっかりとした地位って……なんだよ」
俺の台詞を聞いて、ナコルルはその幼い顔に呆れたような表情を浮かべたが、それでも真面目な口調で説明する。
「ジョン、分かるじゃろう? お主は……この世界でただ一人、これから起こることをその身で体験した人間じゃ。じゃからその経験を、知識を、人類のためにできる限り役立てねばならん。それについては、異存はないな?」
「ああ。そうだな……」
ナコルルの言っていることは、正しい。
受け取り方によっては、社会や世界のために一個人という立場は捨てろ、と聞こえなくもないが、元々俺はそのつもりで今の二回目の人生を送っているのだ。
その感覚からすれば、彼女の言葉に否定すべき点は一切見つからないし、むしろそうあるべきだと自分に課している。
ただ……俺はやるべきことはしてきた、と思うのだが……
ナコルルは、そう考えてはいないようだ。
「今まで、お主は未来の技術を自ら使い、周囲にも働きかけてきた。そこに異論はない。わしらに覚えている技術を教え、また将来何が起こるかも説明してくれた。それで充分じゃとも思っていた。が、この間の魔族による王都の襲撃があって、わしは少し考えが変わった……」
「どういう風にだ?」
「ジョン、分からないふりをするのはよせ。お主も理解しておるじゃろう。このままでは……また繰り返すのではないか?」
言われて、俺は少し息が止まりそうになった。
繰り返す。
それは、俺が最も忌避する未来を連想させる言葉だからだ。
あんなことは二度と、もう二度と起こってはならない……
そのためには何が必要か。
俺には……
「……分かってる。ただ、自信がないんだ。俺に何ができる? 技術はナコルルやブルバッハ幻想爵たちに伝えている。未来のことも、親父やナコルルに話してる……それで充分なんじゃないか? それ以上のことに俺が手を出したら……」
手を出したら、どうなるか。
俺は……
「未来が崩れるんじゃないか。そう恐れておるんじゃろ、お主は。なぁ?」
明言したわけではなかったのに、ナコルルはズバリと切り込んで尋ねてくる。
……そうだ。
その通りだった。
俺は、恐れている。
今まで、未来は俺の知っていることばかりの連続だった。
確かに多少、道筋が変わったり、時期が早まったりはしてきたが……せいぜいその程度で、前世でまったく起こらなかったことが起きた、というのはあまりなかった。
もちろん、細かい出来事や俺個人の人生という点ではいくつかあったものの、大筋、歴史は俺が前世で経験したように動いている。
王都襲撃も、記憶通りに起こったのだ。
違いといえば、少し時期が早まったというくらいで……
「……未来が大きく変われば、俺の経験したことは役に立たなくなるだろう。そうなったら、また人類は窮地に立たされるんじゃないか? いや、それどころか……俺が経験したものよりも、ずっと凄惨な未来が待っているんじゃないか? 俺には、そんな感覚が拭えないんだ。だから……」
「じゃから、これからも自分はあくまでも大きく物事を変えられそうな位置には立たないでいよう、というのじゃな?」
「……そうだ」
できる限りは、そうしようと思っていた。
けれど、それが果たして正しいことなのか、最近分からなくなってきている。
今では、前世と大きく状況が変わっているのだ。
ナコルルや剣豪ハキムは、前回よりも大分早い今の時期に表舞台に出てきて、おかげで魔族の襲撃による王都陥落は免れた。
これは、前世とは違う。
今までは、少し早まっただけだろうとか、多少のイレギュラーに過ぎないとか、そんな言い訳じみた感覚で物事に対処してしまっていたが……実際に状況が変わってきて、次第に怖くなってきた。
表面上は、うまくいっているように思える。
だが、本当にそうだろうか。
俺は、失敗しかけているんじゃないか。
そんな気持ちが、心のどこかに湧き出て渦巻いている。
それをナコルルは鋭く見抜いたのだろう。
「ジョン。考えてもみるのじゃ。お主が……仮にこのまま、できる限り表舞台に出ずにサポートに回り続けるとしよう。そうすると……もしかしたら、この後の歴史はお主の覚えているそれにかなり近似したものになるかもしれん。しかし……それは、お主が経験した破滅へと向かう道ではないのか? これまで同じ歴史を歩んでいるのじゃ。高い確率でそうなる……とは思わんか?」
あまりにも正論過ぎて、俺は衝撃を受ける。
……いや、分かっていたことだ。
それを理解していながら、対処が楽だからと簡単なほうに逃げているのかもしれない、とどこかで思ってもいた。
しかしそれを認められないで、今まで来てしまったのである。
それをナコルルは指摘しているのだ。
彼女に見抜かれてしまった以上、俺はもう逃げることはできない。
「その通りだ……でも、俺はどうしたらいい? 予測できない道筋に入れば、何が起こるか、もう分からないんだぞ? そうなれば……誰が死ぬかも、誰が生きるのかも分からない……下手したら、未来は……閉じてしまうんじゃないか? 俺はそれが恐ろしい……」
それが、正直な気持ちだった。
これが解決できないために、俺は……
けれどナコルルは首を振って微笑みながら言う。しかも、ひどく気軽な様子で。
「……それが、当たり前なのではないか?」
「……え?」
呆気に取られて阿呆みたいな顔をしてしまった俺に、ナコルルは笑みを深くして続ける。
「人間、誰しも未来のことは分からんじゃろう。お主は一度経験してしまったから、その一般論のただ一人の例外なわけじゃが……皆、未来のことなど知らずに、分からずに生きておる。それで……何か問題があるのか?」
ひどく、素直な台詞を言われた気がした。
確かにそうだ。当たり前の話だ。
けれど、これには当然、反論する。
「問題はあるだろう? 未来が分からなければ……みんな死ぬ。人類は滅びに向かって歩き出す……」
「お主、いつからそんな悲観的になったのじゃ。そんなわけなかろうに。お主が殺されてしまった前世とて、人類は相当数を減らしたらしいが、魔王を倒して生き残ったのじゃろ? じゃったら、大丈夫じゃ」
かなり楽観的な考えであるのは間違いない。
けれど、それでも、なぜか俺は……心の中にできていた氷がじわじわと溶かされているような、そんな気がした。
「でも……」
「もう観念するのじゃ、ジョン。ここまでお主はうまくやった。これからは、誰も歩いたことがない道を共に行こう。その先にこそ、人類の生きる道がある。わしは、そう思うのじゃ」
「……強引なんだな」
俺が呆れてそう言うと、ナコルルは頷いた。
「そうじゃ。じゃから、失敗してもすべてわしのせいにするといい……」
「そんなこと、しないさ。俺のやったことの責任は、全部俺のものだ。でも……そうだな、知ってる未来に寄りかかるのは、やめようと思う」
「おぉ、それではジョン……」
「あぁ、しっかりとした地位とやらを目指して頑張ることにするよ。でもなぁ、現状、俺はただの兵士だぞ。一般兵、というわけじゃなくて、それなりにエリート街道を走ってるが、それだけだ。出世できるのは何年先になるか……」
前世の自分に比べると恐ろしいくらいのスピード出世をしているのだが、国や世界に大きな影響を与えられる地位なんて遥か遠い。
あと十年……いや、二十年はかかるんじゃないか?
そうなると、もはや魔族との戦争は終結しているはずだ。
まぁ、すべてが終わった後に偉くなって、豪華な椅子の上でふんぞり返る生活はある意味で憧れだが、その前に人類がほとんど滅びました、では何の意味もない。
早いところ出世する手段が必要だ。
ではどうすればいいのか、と思ってナコルルに言ったわけだが、彼女は俺の出世についてはさっぱり心配していないらしい。
「そのことについてなのじゃが……この間、国王陛下とお茶を飲んでのう」
とんでもないことを言い出した。
「……お前」
俺は驚いたが、ナコルルは何でもないような表情をしている。
実際、彼女にとっては大したことではないのかもしれない。
魔法学院長というのはこの国でもなかなかの地位であるし、ナコルルがこれまで築き上げた実績は、すでに前世の彼女のそれに並びつつある。
この国に与えた利益は莫大で、それを考えるとそんじょそこらの貴族など相手にならないくらいの地位にいるとも言えるのだ。
国王陛下からの覚えもめでたく、したがって頻繁に会える……のかもしれなかった。
そのあたりの機微については詳しくないから、特に話は聞いていないが、ケルケイロに尋ねれば分かるだろうな。
まぁ、それはともかく。
ナコルルは続ける。
「それで……今度わしの重要な研究協力者を連れてくるから、謁見をして、できれば褒めてやってくれないか、と頼んだのじゃ。そしたら陛下も乗り気でのう」
一体こいつは人に無断で何をやってるんだ、と思わなくもなかったが、目的を考えると悪くない方法である。
直接、陛下に褒美を強請るのは相当な不敬であるが、茶を飲んでいる席で、とのことだ。
ナコルルは、ある程度ざっくばらんに会話することが許されていたのかもしれない。
それにしたって酷いが……
そんなことを考えていると、ナコルルは俺の考えを読んだのか、こちらを睨みつつ言う。
「……ジョン。わしは今までお主と行ってきた研究について、自分一人の業績だと、いわば嘘をついてきたのじゃぞ。これ以上陛下を欺き続けるほうが不敬じゃろうが」
正論である。それを言われると辛い。
俺のことは黙っておいて欲しいと頼んだせいで、ナコルルがそんな風に振る舞わざるを得なくなったのは間違いない。
ナコルルに心苦しい思いをさせていることは分かっていた。
けれどさっき話した通り、俺が目立った行動を起こし過ぎると、今後に大きな影響があるのではないかと思えて、そうするしかなかったのだ。
とはいえ、もうこれは言い訳にもならない。
俺は素直に謝ることにした。
「……そうだな。悪かった。だけどな、陛下に強請って……それで、俺の地位なんて上げられるのか?」
ただ「褒めて遣わす」で終わりかもしれない。
それはそれで個人的には嬉しいが、目的は達成できないわけだ。
しかし、ナコルルは何の心配もしていないらしい。
「いやいや、陛下はおっしゃっていたぞ。『そのような人材がいるのならば、相応の地位が必要であろう。この国のため、国民のため、ひいては世界のために才能を役立ててほしいものだ』とな」
「……ただの社交辞令じゃないか?」
「二人で茶を飲んでるときじゃぞ? あの方は非常に賢明じゃが、わしに社交辞令など言わん。紛れもない、本心じゃ」
陛下の人柄については、俺はよく知らない。
しかし、二人でお茶を飲めるくらいに親しいナコルルなら、分かるのだろう。
「……まぁ、話は分かった。で、謁見っていつだ?」
「明後日じゃ」
ナコルルの言葉に、俺は絶句する。
普通、国王陛下との謁見ともなれば、最低でも一月は前にしっかりと通知されるものだ。
ケルケイロから聞いた貴族の情報では、確かそうだった。
どうして一月も時間が必要なのかと言えば、陛下に失礼にならないように、服を仕立て、また礼儀作法もしっかりと叩き込んだ上で、絶対にミスしないために練習する必要があるからである。
それなのに、ナコルルの言った日数は……つまり、今日を含めて二日しかない。
「……お前、ふざけてるのか?」
少し切れ気味でそう言うと、ナコルルはため息をついた。
「別に会うだけなんじゃから、準備なんて大して必要なかろう」
非常識なことを言う。
確かに、こういうところがある奴だ。人間の社会的習慣に無頓着というか……
まぁ、匠種なんだから、仕方ないと言えば仕方がないが……
「まったく、お前は……だが……どうしようもないな……」
すでに約束してしまっている。
当然のことながら、国王陛下との約束を破った者は縛り首だ。
……いや、流石にそれは行き過ぎかもしれないが、大変な不敬にあたるのは事実である。
場合によっては、投獄される可能性すらあるだろう。
断ることはできない。
つまり、俺は二日間……というか、実質は明日一日で陛下に対する礼儀作法をすべて覚え、服を用意しないといけないというわけだ。
……忙しさと緊張で死んでしまいそうだな。
「ま、何とかなるじゃろ。頑張るのじゃ、ジョン」
「他人ごとだと思って……」
俺が恨みがましい目でナコルルを見ると、彼女は目を逸らした。
それから、はっと思いついた表情になる。
「おぉ、そうじゃ。こういうことならほれ、ケルケイロに頼めばよかろう? 服のサイズもお主と同じくらいじゃ」
「あいつが持っているのは貴族用だぞ。そんなもの、俺が着たらそれこそ縛り首だ……だが、礼儀作法についてはあいつを頼るしかないだろうな。服は……どうしたもんか」
考えてみたが、俺には何も思いつかない。
とりあえずケルケイロのところに行って、何か切り抜ける方法はないか尋ねるしかないだろう。
頭を抱える俺を、ナコルルは楽しそうに見ていた。
◇◆◇◆◇
「……礼儀作法は俺が教えてやるよ。服のほうも……まぁ、何とかできなくはない」
急いでケルケイロの家を訪ねると、応接室に迎えてくれた彼は、そう言って俺を安心させてくれた。
持つべきものは、大貴族の友達である……なんて言うと都合良く利用しているようで嫌だが、こういうときに非常に助かるのは事実だ。
前世でも、貴族への対応について色々助けてもらった。
「しかし、どうやって?」
俺が尋ねると、ケルケイロはお茶を一口飲んで答える。
「ああ、俺の服を手直しすればいい。陛下に謁見するにあたっての服装は、貴族も平民もあまり変わらないからな。等しく陛下の臣下ってことで。まぁ、実のところは、陛下に直々に謁見できる平民なんてそれこそ年に数人いるかいないかだから、役人が平民用の規則を作るのを面倒くさがっただけらしいが」
かなり身も蓋もない理由だが、今はそれすらも助かる。
ケルケイロは苦笑しつつ続けた。
「ただ、装飾なんかは違うからな。そこはうちで使ってるお針子を明日呼んで、明日中に片付けてもらおう。あまり複雑なものじゃないから、一日あればなんとかなるはずだ。だからジョン、明日の朝、うちに来いよな。服の直しを待っている間に礼儀作法を叩き込んでやるから、覚悟しろよ」
そう言ってケルケイロは意地悪く笑ったが、同時に非常に楽しそうでもあった。
俺は明日のことを想像しながら、神妙な面持ちで頷いたのだった。
第3話 謁見
「……はぁ。大丈夫かな」
兵舎から王城まで進む道すがら、俺は独り言を呟く。
昨日はケルケイロの屋敷に着くなり、フィニクス家御用達の大勢のお針子たちに採寸され、身分や経歴などを詳しく聞かれたあと、礼服の製作が行われた。
概ね、ケルケイロの服で問題ないというのは事実で、サイズを微調整し、さらに装飾を取り替えたり、外したりすることで平民用に仕立て直すことになったのだが、そこにケルケイロの妹ティアナがいて一悶着あった。
曰く、エレガントではないとか、今いち俺には似合わないとか、お針子とティアナの間で喧々囂々の議論がなされ、俺はほぼ着せ替え人形と化したのだ。
そのおかげで礼儀作法を学ぶ時間が浸食され、かなり遅い時間までケルケイロに付き合ってもらうことになってしまった。
悪かった、と言ったが、ケルケイロはケルケイロで、ティアナの趣味に付き合わせて悪かった、とか謝っていたので、お互い様といえるのかもしれない。
別に、妹のことまで責任を負わなくても構わないのだけどな。
ちなみに、そんなティアナこだわりの装飾が施された礼服は、確かに鏡で見ると、もしかしたらなかなか見栄えがするんじゃないか、と自分でも勘違いしそうになるくらいの仕上がりになっていた。
汚したくないので、王城までの道はローブを着て防護している。
このローブは魔法学院卒業生に配布される特別なもので、仮に濃く絞られた果汁をぶちまけられたとしても弾いてくれるという、素晴らしい性能を持った品である。
装飾も少ないため、王城まで身につけていても特に文句は言われない。
もちろん、謁見のときは着ているわけにはいかないが、控室がしっかりあるからな。そこで脱いでしまえば問題ない。
……おっと、そんなことを考えながら歩いているうちに、王城に辿り着いてしまった。
応援ありがとうございます!
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