カミのアダゴト

葦元狐雪

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第十幕

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 ザハク殿のかしましい哄笑と地鳴りとの不協和音が終息し、何事もなかった風を装いそおっとその場を離れようとする刹那、アマユリの「お待ちなさい」と言う声に私とジエンダは凍りついた。

「そこにいるのでしょう? カラクラ、ジエンダ」

 ——なにゆえピンポイントに判る!
 私たちはふたたび顔を見合わせた。額に冷や汗を浮かべているのが、かろうじて見えた。

「どうしました? はやく、こちらへ、いらっしゃい」

 アマユリの妙に柔和な物言いが輪をかけて恐怖を増している。
 血路を見出せ、目下我々に何ができようか、考えろ、お仕置きを回避する妙案奇策を閃くのだ——ジエンダ!

 私はジエンダに己の集大成ともいえよう熱い眼差しをむけた。すると見事意図が通じたらしく、彼女の宛転蛾眉は途端に困惑の色に支配された。 

 体をくねくねとよじらせつつ、一所懸命に弥縫策を練っているジエンダははなはだ艶かしい。はだけた着物姿に汗みずくの彼女を野に放てば、たちどころに下界の人々に揉みくちゃにされることは想像に難くない。
 お見せできず非常に残念だ。

 ——だけどだいじょうぶよ、ジエンダ、思いの限りその痴態を曝さらけ出しなさい、ここには私とあなたしかいないのだから! そして、はやく当座を凌ぐための策を講じなさい。
 ややあって、ジエンダは深く息を吸うと、眦を決した。

「にゃ、にゃ~ん」

 私は慄然とした。

 何を口に出すのかと思いきや、まさか猫の鳴き真似をするとは。全くもって予想外である。
 最悪である。いったい、どこにそんなエロティックに鳴く猫が居ようか。おるまい、否、いてたまるか。そこらじゅうの雄猫を手玉に取るつもりか。もしかすると、集まってきたらどうする。

 にゃあにゃあとすり寄ってくる一群らの猫はさぞかし愛苦しかろう。しかし、私は猫アレルギーなのだ。愛でたくとも愛でることができない。撫でたくともなでることができない。しからば、部屋の片隅で指をくわえて猫たちがコロコロする様を拱手傍観......。

 とんでもない! かほどに残酷な仕打ちを私に強いるのか、さすがは元悪神だ。容赦がない。しかし、邪推に思いを馳せている場合ではない。
 私も「にゃ~ん」と可愛く鳴いてみた。

「あら、猫だわ。それに二匹も。ささ、私の方へいらっしゃい」

 アマユリは猫なで声で言った。

 状況は依然として逼迫している。おいそれと招かれるわけにはいかない、だが、退くわけにもいかない。いや、ほんとうはここで緘黙して退散すべきなのだけれど、今や我々は「いかにして猫になりきれるか」という題目に拘泥しているのであった。私自身わけがわからなかった。ジエンダも私に負けじと迫真の勢いで猫を演じていた。

 ......やがて終幕が訪れる。
 私たちが拒絶の意を込めて、「にゃー!」とか「シャー!」などの鳴き真似を巧妙に技巧を凝らして、かの者の耳を欺くに浮き身をやつしているその最中、事態は急転直下の解決をむかえた。

 襖が何の前触れもなしに開かれたのである。彫像のように固まる私たちを冷えた眼差しで見下げているのは、茶室の照明を背負ったアマユリの黒い姿だった。死神が立っているのかと思った。輝かしい照明によってあらわになった私たちの形姿は、めいめい正座をして、握りこぶしをつくった諸手を前に突き出している奇態を呈した。

「あなたたち、何をしているのですか?」

 アマユリは淡々と言った。

 私たちは左手を招き猫のように手招きをして、

「にゃ、にゃあ......」

 と、尻窄まりに呟くのであった。
 茶室の奥から、ヴォルトラの爆笑が聞こえてきた。


      $

 茶室にて。
 私とジエンダの情態は羞恥と怒りの板挟みの中にあって、顔を耳朶まで真っ赤にしてうつむいているのであった。

 正座である。視界に映るのは青々しい畳表である。上目遣いに前を見ると、アマユリの背後に整然と居並ぶヴォルトラ、ラウラ、ミーネ、チカがてんでに頬をぷくっと膨らませて、クツクツと笑いを堪えている。
 私はそっと顔を伏せた。

「まあ、先の徒事に関してとやかく言うつもりはありませんが。こっそり盗み聞きをしたくらいで叱りませんから、呼ばれたら素直に出てきてくださいね」

 アマユリは言った。
 私たちの心中をおもんぱかるごとき口付きだった。

「気にするにゃよ。あたしらにゃんて、本物の猫がそこにいるのかと思っちまったんだにゃ。すごいにゃ」

 ヴォルトラがことさらに揶揄して言った。

 覚えてなさいよ! あとで絶対、絶対に仕返ししてやるんですからね! 泣いたって許してあげませんよ——と、私は裡に揺らめく瞋恚の炎をおさえるように胸を押さえると、裏切り者に対する復讐を固く誓ったのである。

 からだ全体が熱い。自然発火してしまいそうだ。ジエンダも同じ気持ちなのだろうか。ちらと横を見やる。
 やはり。彼女は目を固く閉じて、小刻みに体を震わせている。悔しそうだ。後々、共にヴォルトラを懲らしめてやりましょう。これも固く誓った。

 さて。
 私の右真横には『のぞき穴』が空色をして渦巻いている。言わずもがな、畳一畳分にピッタリと収まっている。ザハク殿が勝手に新しく創った世界の様子がおぼろげに映し出されており、そこは空空漠漠たる原野の続く桃源が見られた。ザハク殿が荒木鴇の頭を膝に乗せている。

 しかし、通例ならば手を突っ込んでかき混ぜるなり、中へ飛び込んでみるなり出来る『のぞき穴』は、なぜか透明の鉄板に閉ざされたように我々の干渉を拒絶した。ザハク殿の細工だろうか。左様なれば、彼女が「楽しめそうじゃ」と言っていやらしく薄ら笑っていたのは、ふたりだけの世界でしっぽりと楽しむを企てていたから——

 しまった。まんまとしてやられた。職権乱用ならぬ、神権乱用だ。ただ、このまま等閑視するわけにもいかぬ。好きにはさせぬよ、ザハク殿。

 私たちは車座になって、穴を検分した。
 裏拳でコツコツと叩いてみる。硬い。厚い。無機質だ。何らかの理由で壅蔽されたその穴は、七天神の力をもってしても破ることはできなかった。私の物質透化さえも。

 皆が頭を悩ませている中、ミーネが食べていた鈴カステラがひとつ、ふとした拍子に転がり落ちて、のぞき穴に何の抵抗もなくスルリと入っていった。それを見た一同は頓にざわついた。

「どうして鈴カステラの侵入が許されて、私たちがゆるされないの」

 ラウラが慊焉たる様子で言った。
 アマユリは思慮深げな面持ちでじっと穴を観察し、ジエンダの白い手が穴の表面を撫で回し、ヴォルトラはミーネに鈴カステラを「ひとつくれ」と要求し、懐からおもむろに取り出したる青い玉をチカが穴へ放りこんだ。

 直径約三寸の玉は荒木鴇をヨチヨチと追いかけているザハク殿の背後に落ちた。ザハク殿が荒木鴇に追いついたとき、いくばくもなくして青白い煙は彼らの周囲を取り巻き掩蔽した。

 チカ特製の煙玉である。それは煙の中に居る者の気配を、第三者に完全に知覚されないようにしてしまう代物だ。
 とっさの機略だった。

 彼女曰く、荒木鴇たちの背後になにがしかが蠢動するのを見たらしい。万が一それが悪徒だった場合を顧慮し、その推論の帰結として煙玉を放り込んだのだが、行住座臥に何を考えているのか杳として知れないチカの思惟を、我々が忖度しかねるのは無理からぬ話だった。

 如上に我々と述べたが、私とミーネだけはチカの思惑をひそかに了得していた。私もうごめくのを見たからだ。「これはいかん!」と思い、私も懐に手を忍ばせたのだけれど、荒木鴇たちの窮地を救うにたり得る実用的な物がなかった。いくらまさぐろうとも、己の乳房がふたつ、そこにあるのみだった。あんまりいじると痴女に思われかねないのでやめた。

 ラウラが子共の狼を抱えてやってきた。金色の毛並み。彼女の腕に抱かれている。口を開けて舌をペロリと出して、「ハッハ」と息を弾ませている。ご機嫌だ。おそらく、「動物なら入れるかもしれない」と彼女は考えたのだろう。私は小狼の頭をわしわしと撫でた。

 名前は『コンコン』。以前にザハク殿が拾ってきた迷い子である。気息奄々衰耗していたところを、天上界を逍遥中のザハク殿に偶然見つかってしまった可哀想な子である。

 ラウラの仁愛なる治癒によってコンコンは一命を取り留め、さあ自然に帰してあげましょうというとき、ザハク殿はすかさず異議を唱えた。

 彼女はコンコンの面倒を一身に担うと云う。散歩、餌やり、躾け、手入れなどを、果たして飽き性のザハク殿が継続的に為せるのか。——否、そう答えたのはアマユリだった。
 当然確執が生まれた。

 かくて丁々発止の論戦は三年を経た結果、アマユリがザハク殿の強弁に屈した。その間、コンコンをなおざりにするわけにもいかず、ザハク殿とアマユリを除いた我々が面倒をみたのだった。

 主に世話をしたのはラウラだったので、ザハク殿には当然のごとく懐かなかった。ゆえに、ザハク殿が近寄ると、決まってコンコンは彼女を小馬鹿にしたような顔付きを示して、とっとこ走り去って行くのである。

 
 ラウラはコンコンを畳表に置いて、「聞いてね」と言った。
「あのね、ちょっとお願いがあるの。この穴の中に入って、ザハク殿が男の人に変なことをしないように、見守って欲しいの。できるかしら?」

 コンコンは「わふっ!」と元気良く吠えると、のぞき穴の中へ飛び込んで行った。
 その過程でふわふわのこじんまりの体躯が、いかめしい大狼の姿へと変貌したのを見た。
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