24 / 32
第十七幕
しおりを挟む
トキは暗い長い廊下を歩きながら、影の言葉を反芻していた。
『我々は悠久の時を経て、今ここに存在しております。荒木様の仰ることが事実であれどうあれ、少なくともこの世界が、そのザハク殿という方の創造しめされた世界でないことは、満腔の自信をもって言えるでしょう。荒木様がもし、元の世界に帰りたいと、本気でお思いになるのであれば、北部屋に行かれるとよろしいかと。きっと、何かのお役に立ちます。その際は、大神も是非、連れて行ってくださいまし』
そう言うと影は竹灯篭の明かりの内からその姿を消したのである。
トキの一歩前を小狼がよちよち先導している。屋敷の全貌を知悉しているごとく、確とした足取りだった。折々トキの方に首を巡らす。ちゃんと着いて来ているかどうかを確認しているのか、あるおりにトキが「大丈夫、信じてるから」と言えば、小狼は嫌厭とせぬ様子で尻尾を大きく振り、爾後振り向くことはなかった。
それはそれで何だか寂しいと感じたが、まあ、信頼されているのだろうと思いなせば、勝手に嬉しかった。
北部屋までは五分とかからなかった。トキは長押に貼られてある、『北部屋』としたためられたプレートを見るともなく見た。
前脚で襖をかりかりと引っかく小狼がやがて襖を開き、中へ飛び込んで行く。それに気づいたトキは慌てて、隙間から射す光に手を差し入れた。
——そこは浜辺だった。
ふんぷんと潮が香り、波の音が間歇的に聞こえる。
靴下越しに触れる、砂粒が自身の足の形に変化してゆく感覚に、久しく戸惑うた。
紺碧に満ちた夏天の遥かにたたなわる、入道雲を裂いて現れる幾機の飛行船があった。いずれも白い機体を雲のごとく、天色の空に悠然と流している。茫々と広がる限りなく透明に近い海のエメラルドグリーンが、陽に照らされてかがやく金波銀波を白浜に寄せている。
波打ち際に立つ老婆らしき人物がいた。藤色の浴衣。銀髪の頭に赤い簪を刺している。いつとなく元の大きさに戻っている黄金の大狼が、彼女と顔を付き合わせている。着物の袂から伸びる皺の多い手が、大狼の顎下を撫でている。眼前の状況から推して、まるで旧知の間柄のように思えた。
トキがその一種神聖な邂逅の場面に見入っていると、老婆の温顔が彼の方に向いた。無上の微笑みを湛えた目元はさらにやわらかく、髪と同じ色の細い眉を、弓なりに曲げていた。
「あなたが荒木鴇さんね」
亀の歩みのように、のんびりとした調子で言った。
「まずはお礼を言わせて欲しいの。この子をありがとう。あなたも大変だったでしょう」
トキは頭を振る。
「いいえ、僕は何も」
老婆は眼を細める。
「あら。恭倹な方とお見受けするわ。さあ、こっちへいらっしゃい」
トキは老婆に歩み寄った。彼女は不思議だった。というのは、砂浜の歩き難さと格闘しながら、だんだんと彼女との距離が縮まるに連れて、長い年月の変遷をさかのぼるごとく、年嵩の容姿がトキが彼女の目前に至る頃には若々しい佳人の姿に変わっていたからである。
「お若い方には、この姿の方がよろしいかと思いまして」
と、彼女は袂で口許を隠して言った。
トキは彼女の足元に目を落とした。
「お心遣い、痛み入ります」
「あらあら」
彼女は愉快そうに笑った。
そして、大きなビーチパラソルをどこからともなく取り出すと、砂浜に突き立てた。円な影が大狼さえも、すっぽりと覆うほど大きい。
「さて、あなたはいったい、私に何を求めにいらしたのかしら?」
「もう何が何だか」
トキは言った。
$
彼女は混乱気味のトキを顧慮して、ひとつひとつ、ゆっくりと質問に応える腹積もりを開いた。そのために、白いガーデンチェアが二つ用意された。大狼は伏せた格好で、海の方を眺めている。
トキの持ち得る情報を開示してから、まず、彼女は何者であるかという質問に対し、彼女は下のごとく答えた。
「私は天神のシャルメラ。ここ『常夜の国』の長ですのよ。そして、あの影たちは国民であり、かつ私であり、かつ娘息子たちでもあるの。己の影を千切っては増やし、それぞれに自我を持たせたのだから、彼らを息子や娘や国民と呼んでも差し支えないでしょう? だから、私には影がありません。使い切っちゃった。かといって、決していつも体調が悪いであったり、寿命が縮むであったりなどの、なんらかのリスクがあるわけではないのよ。私にもよくわからないのだけれど。いたって元気よ。こんなものかしら?」
次に、大狼のことを訊いた。
「この子? とっても可愛いでしょう。名前はリオナ。皆は大神と呼ぶのだけど、全然可愛いと思わないから、私が名前を付けたの。元は近郊の叢林で倒れていたところを私が助けて、どうやらお腹が減っているみたいだったから、とにかくご飯をたくさん食べさせてみたの。そうしたらね、一日でこんな風に立派になっちゃったのよ。驚いたわ。たくさん遊んで、たくさん可愛がって、素敵な毎日が続いたわ。
ところが、或る日を境に、姿をまったく見かけなくなったから、自然に帰ったのかしらと思っていたの。......え? この子? 喋らないわよ?」
この世界について訊いた。
「ここはあなたたちの過去であり、未来なの。かつてはあちこちに人や神様がたくさん住んでいてね、立派な建物がいくつもあって、それはもう華やかだったわ。けど、それは長く続かなかった。あらゆる技術が発展して、生活が豊かになる一方、人々は心の在り方を失い、荒み、欲に溺れ、果ては国同士の大規模な戦争が起こったの。結果、人や神様を含むすべての動物が死滅したわ。どうして考えつくのかしらと思えるほどの、生命を最も効率的に死に至らしめるための薬、爆弾、兵器が惜しげも無く使われたのよ。
奇しくも生き残った私はとても悲しんだ。絶望した。目を背けたくなるくらい、変わり果てた地上の姿が、私をして、空の彼方に昇らしめた。私はそこで何年も、何年も、泣き続けたわ。たくさんの涙は地上に降り注ぎ、汚染された大地も同じ年月をかけて、だんだんと元の姿を取り戻していったの。
......あの山脈に聳える建物を見た? あれはね、とある研究者が最後の希望を託して、別の世界に、心優しい神様と、人間と、動物を逃がすための施設だったの。その研究者が残した、日記とも遺書とも判らない一冊のノートには、こう書かれてあったわ」
<神、人間、動物......を別世界に送る。彼らならきっと、平和で、美しい世界を成し得てくれるだろう。どうか、その安寧が終わらぬことを切に願う>
「——あなたの世界が、彼らが送り込まれた世界である確証はないけれど、今の状況は、かつての戦争が起こる前と酷似しているわ」
そう言うと、シャルメラはトキの肘掛に置かれた手を握った。さらさらとなめらかな掌が、トキの手の甲を包んだ。
「心配なの」
「シャルメラさん」
トキはシャルメラの憂いを含んだ顔を見つめた。
救いたい。しかし、救う術がない。
目を逸らした。
「あちらの神様たちでさえ、現状を解決するに至っておりません。そんな中、僕に何ができるでしょう」
帰る方法さえ、分からないのに。
「できるわ。あなたなら、必ず」
シャルメラの掌がトキの右頬に触れる。再び視線が合う。
彼女は、真剣な眼差しだった。
「鴇さん。今、あなたの裡には神の力が宿されているのをご存知? それも、計り知れないほど強大な力を」
「そんな、どうして」
「ザハクという神様の力と、あなた自身の力が彼女と入れ替わっているのよ。彼女はその力をろくでもないことばかりに使っていたみたいね。でも、あなたなら、正しく使うことができると思う。触れていると分かるの、あなたの心がいかに清らかで逞しく、素晴らしいか、はっきりとね。その力を以ってすれば、元の世界に帰ることだって可能なはずだわ。......会って間もないお婆さんにこんなことを言われても、難しく感じるだろうけど、私を信じて欲しいの。そして、あなた自身のことも」
シャルメラは再び老婆の姿に戻っていた。皺くちゃの笑顔に、在りし日の祖母の面影が偲ばれ、トキは胸奥に燻る熱い何かを感じながら、彼女の名を呟いた。
「シャルメラさん......」
言下、後ろから襖の開く音とともに、「そういうことじゃったのか!」と、ザハク殿のやかましい声が飛んできた。
トキとシャルメラはおっつかっつに首を巡らせた。
肩で息をする衣服がボロボロのザハク殿。双子の神のユリエルとルリエルも、彼女と同様のいでたちだった。葉や木屑が頭の上や、服のあちこちに張り付いている。ことにザハク殿は衽(おくみ)の四分の一が失われており、あたかもミニスカートのようである。
「ザハク殿! ご無事でしたか」
「無事なわけあるか、この阿呆!」
ザハク殿は物凄い勢いで走ると、トキ目がけて飛びかかった。
砂粒が舞い、ガーデンチェアはひっくり返り、ビーチパラソルが左右に激しく振れた。
仰向けに倒れたトキは、胸元に顔を埋めるザハク殿を見て、
「怪我は......ありませんでしたか?」
と訊いた。
ザハク殿は涙と鼻水でしとどになった顔をガバッと上げると、激した。
「見て分からぬのか! 怪我だらけじゃろうが! まったく! ほいほい誘拐されおって! 探す方の身にもなれ! わしは、わしはお前が食われてしまったのではないかと、本当に心配しておったのだぞ!」
「ごめんなさい、ザハク殿。お手数をかけました」
ザハク殿は暫時泣き伏せた後、つと顔を上げるや大狼を睨みつけた。そして、指をさして言った。
「わしに謝れ!」
狼は目を細め、口角をちょっと持ち上げる、例の人を小馬鹿にするような顔をして見せ、「へっ」と笑った。
その時、雨が降りはじめた。
空はいつとも知れず灰色の雲が遍満し、太陽の在り処をすっかり隠してしまっていた。水平線の先まで陰鬱な灰色が続く。海の輝きはたちまち失せ、水面を間断なく打つ雨粒が、波紋を生んでは打ち消すをそこかしこで繰り広げている。ビーチパラソルがバチバチと激しい音を立てる。その下で皆は静かに身を寄せ合っている。
雨がいよいよ強さを増してきたと思われたが、しかし卒然として止んだ。
黒ずんだ砂浜から大小様々の水滴が浮かび上がり、それらが中空の一箇所に急速的に集まりはじめた。
砂浜は元の白茶色に還った。
「今度はなんじゃ!」
ザハク殿はおののき喚いた。
彼女に答えるごとく、クスクスという笑い声が響いて聞こえてきた。
「不気味だわ!」「怖いわ!」
双子はおのがじし、トキを両側から挟むようにして抱きついた。早速ザハク殿がそれを引き剥がしにかかる。
若年に粧うたシャルメラがガーデンチェアからすくと立ち上がり、人形を成しつつある水の塊に誰何した。
「どなたかしら?」
「あ~、ごめんねえ。驚ろかしすぎちゃったかもお。安心してえ、私だからあ」
人形の水は飄々としてそう言うと、水神のチカの姿に変わった。
「心配だから着いてきちゃった」
チカは言った。
追走者の正体は彼女であった。
『我々は悠久の時を経て、今ここに存在しております。荒木様の仰ることが事実であれどうあれ、少なくともこの世界が、そのザハク殿という方の創造しめされた世界でないことは、満腔の自信をもって言えるでしょう。荒木様がもし、元の世界に帰りたいと、本気でお思いになるのであれば、北部屋に行かれるとよろしいかと。きっと、何かのお役に立ちます。その際は、大神も是非、連れて行ってくださいまし』
そう言うと影は竹灯篭の明かりの内からその姿を消したのである。
トキの一歩前を小狼がよちよち先導している。屋敷の全貌を知悉しているごとく、確とした足取りだった。折々トキの方に首を巡らす。ちゃんと着いて来ているかどうかを確認しているのか、あるおりにトキが「大丈夫、信じてるから」と言えば、小狼は嫌厭とせぬ様子で尻尾を大きく振り、爾後振り向くことはなかった。
それはそれで何だか寂しいと感じたが、まあ、信頼されているのだろうと思いなせば、勝手に嬉しかった。
北部屋までは五分とかからなかった。トキは長押に貼られてある、『北部屋』としたためられたプレートを見るともなく見た。
前脚で襖をかりかりと引っかく小狼がやがて襖を開き、中へ飛び込んで行く。それに気づいたトキは慌てて、隙間から射す光に手を差し入れた。
——そこは浜辺だった。
ふんぷんと潮が香り、波の音が間歇的に聞こえる。
靴下越しに触れる、砂粒が自身の足の形に変化してゆく感覚に、久しく戸惑うた。
紺碧に満ちた夏天の遥かにたたなわる、入道雲を裂いて現れる幾機の飛行船があった。いずれも白い機体を雲のごとく、天色の空に悠然と流している。茫々と広がる限りなく透明に近い海のエメラルドグリーンが、陽に照らされてかがやく金波銀波を白浜に寄せている。
波打ち際に立つ老婆らしき人物がいた。藤色の浴衣。銀髪の頭に赤い簪を刺している。いつとなく元の大きさに戻っている黄金の大狼が、彼女と顔を付き合わせている。着物の袂から伸びる皺の多い手が、大狼の顎下を撫でている。眼前の状況から推して、まるで旧知の間柄のように思えた。
トキがその一種神聖な邂逅の場面に見入っていると、老婆の温顔が彼の方に向いた。無上の微笑みを湛えた目元はさらにやわらかく、髪と同じ色の細い眉を、弓なりに曲げていた。
「あなたが荒木鴇さんね」
亀の歩みのように、のんびりとした調子で言った。
「まずはお礼を言わせて欲しいの。この子をありがとう。あなたも大変だったでしょう」
トキは頭を振る。
「いいえ、僕は何も」
老婆は眼を細める。
「あら。恭倹な方とお見受けするわ。さあ、こっちへいらっしゃい」
トキは老婆に歩み寄った。彼女は不思議だった。というのは、砂浜の歩き難さと格闘しながら、だんだんと彼女との距離が縮まるに連れて、長い年月の変遷をさかのぼるごとく、年嵩の容姿がトキが彼女の目前に至る頃には若々しい佳人の姿に変わっていたからである。
「お若い方には、この姿の方がよろしいかと思いまして」
と、彼女は袂で口許を隠して言った。
トキは彼女の足元に目を落とした。
「お心遣い、痛み入ります」
「あらあら」
彼女は愉快そうに笑った。
そして、大きなビーチパラソルをどこからともなく取り出すと、砂浜に突き立てた。円な影が大狼さえも、すっぽりと覆うほど大きい。
「さて、あなたはいったい、私に何を求めにいらしたのかしら?」
「もう何が何だか」
トキは言った。
$
彼女は混乱気味のトキを顧慮して、ひとつひとつ、ゆっくりと質問に応える腹積もりを開いた。そのために、白いガーデンチェアが二つ用意された。大狼は伏せた格好で、海の方を眺めている。
トキの持ち得る情報を開示してから、まず、彼女は何者であるかという質問に対し、彼女は下のごとく答えた。
「私は天神のシャルメラ。ここ『常夜の国』の長ですのよ。そして、あの影たちは国民であり、かつ私であり、かつ娘息子たちでもあるの。己の影を千切っては増やし、それぞれに自我を持たせたのだから、彼らを息子や娘や国民と呼んでも差し支えないでしょう? だから、私には影がありません。使い切っちゃった。かといって、決していつも体調が悪いであったり、寿命が縮むであったりなどの、なんらかのリスクがあるわけではないのよ。私にもよくわからないのだけれど。いたって元気よ。こんなものかしら?」
次に、大狼のことを訊いた。
「この子? とっても可愛いでしょう。名前はリオナ。皆は大神と呼ぶのだけど、全然可愛いと思わないから、私が名前を付けたの。元は近郊の叢林で倒れていたところを私が助けて、どうやらお腹が減っているみたいだったから、とにかくご飯をたくさん食べさせてみたの。そうしたらね、一日でこんな風に立派になっちゃったのよ。驚いたわ。たくさん遊んで、たくさん可愛がって、素敵な毎日が続いたわ。
ところが、或る日を境に、姿をまったく見かけなくなったから、自然に帰ったのかしらと思っていたの。......え? この子? 喋らないわよ?」
この世界について訊いた。
「ここはあなたたちの過去であり、未来なの。かつてはあちこちに人や神様がたくさん住んでいてね、立派な建物がいくつもあって、それはもう華やかだったわ。けど、それは長く続かなかった。あらゆる技術が発展して、生活が豊かになる一方、人々は心の在り方を失い、荒み、欲に溺れ、果ては国同士の大規模な戦争が起こったの。結果、人や神様を含むすべての動物が死滅したわ。どうして考えつくのかしらと思えるほどの、生命を最も効率的に死に至らしめるための薬、爆弾、兵器が惜しげも無く使われたのよ。
奇しくも生き残った私はとても悲しんだ。絶望した。目を背けたくなるくらい、変わり果てた地上の姿が、私をして、空の彼方に昇らしめた。私はそこで何年も、何年も、泣き続けたわ。たくさんの涙は地上に降り注ぎ、汚染された大地も同じ年月をかけて、だんだんと元の姿を取り戻していったの。
......あの山脈に聳える建物を見た? あれはね、とある研究者が最後の希望を託して、別の世界に、心優しい神様と、人間と、動物を逃がすための施設だったの。その研究者が残した、日記とも遺書とも判らない一冊のノートには、こう書かれてあったわ」
<神、人間、動物......を別世界に送る。彼らならきっと、平和で、美しい世界を成し得てくれるだろう。どうか、その安寧が終わらぬことを切に願う>
「——あなたの世界が、彼らが送り込まれた世界である確証はないけれど、今の状況は、かつての戦争が起こる前と酷似しているわ」
そう言うと、シャルメラはトキの肘掛に置かれた手を握った。さらさらとなめらかな掌が、トキの手の甲を包んだ。
「心配なの」
「シャルメラさん」
トキはシャルメラの憂いを含んだ顔を見つめた。
救いたい。しかし、救う術がない。
目を逸らした。
「あちらの神様たちでさえ、現状を解決するに至っておりません。そんな中、僕に何ができるでしょう」
帰る方法さえ、分からないのに。
「できるわ。あなたなら、必ず」
シャルメラの掌がトキの右頬に触れる。再び視線が合う。
彼女は、真剣な眼差しだった。
「鴇さん。今、あなたの裡には神の力が宿されているのをご存知? それも、計り知れないほど強大な力を」
「そんな、どうして」
「ザハクという神様の力と、あなた自身の力が彼女と入れ替わっているのよ。彼女はその力をろくでもないことばかりに使っていたみたいね。でも、あなたなら、正しく使うことができると思う。触れていると分かるの、あなたの心がいかに清らかで逞しく、素晴らしいか、はっきりとね。その力を以ってすれば、元の世界に帰ることだって可能なはずだわ。......会って間もないお婆さんにこんなことを言われても、難しく感じるだろうけど、私を信じて欲しいの。そして、あなた自身のことも」
シャルメラは再び老婆の姿に戻っていた。皺くちゃの笑顔に、在りし日の祖母の面影が偲ばれ、トキは胸奥に燻る熱い何かを感じながら、彼女の名を呟いた。
「シャルメラさん......」
言下、後ろから襖の開く音とともに、「そういうことじゃったのか!」と、ザハク殿のやかましい声が飛んできた。
トキとシャルメラはおっつかっつに首を巡らせた。
肩で息をする衣服がボロボロのザハク殿。双子の神のユリエルとルリエルも、彼女と同様のいでたちだった。葉や木屑が頭の上や、服のあちこちに張り付いている。ことにザハク殿は衽(おくみ)の四分の一が失われており、あたかもミニスカートのようである。
「ザハク殿! ご無事でしたか」
「無事なわけあるか、この阿呆!」
ザハク殿は物凄い勢いで走ると、トキ目がけて飛びかかった。
砂粒が舞い、ガーデンチェアはひっくり返り、ビーチパラソルが左右に激しく振れた。
仰向けに倒れたトキは、胸元に顔を埋めるザハク殿を見て、
「怪我は......ありませんでしたか?」
と訊いた。
ザハク殿は涙と鼻水でしとどになった顔をガバッと上げると、激した。
「見て分からぬのか! 怪我だらけじゃろうが! まったく! ほいほい誘拐されおって! 探す方の身にもなれ! わしは、わしはお前が食われてしまったのではないかと、本当に心配しておったのだぞ!」
「ごめんなさい、ザハク殿。お手数をかけました」
ザハク殿は暫時泣き伏せた後、つと顔を上げるや大狼を睨みつけた。そして、指をさして言った。
「わしに謝れ!」
狼は目を細め、口角をちょっと持ち上げる、例の人を小馬鹿にするような顔をして見せ、「へっ」と笑った。
その時、雨が降りはじめた。
空はいつとも知れず灰色の雲が遍満し、太陽の在り処をすっかり隠してしまっていた。水平線の先まで陰鬱な灰色が続く。海の輝きはたちまち失せ、水面を間断なく打つ雨粒が、波紋を生んでは打ち消すをそこかしこで繰り広げている。ビーチパラソルがバチバチと激しい音を立てる。その下で皆は静かに身を寄せ合っている。
雨がいよいよ強さを増してきたと思われたが、しかし卒然として止んだ。
黒ずんだ砂浜から大小様々の水滴が浮かび上がり、それらが中空の一箇所に急速的に集まりはじめた。
砂浜は元の白茶色に還った。
「今度はなんじゃ!」
ザハク殿はおののき喚いた。
彼女に答えるごとく、クスクスという笑い声が響いて聞こえてきた。
「不気味だわ!」「怖いわ!」
双子はおのがじし、トキを両側から挟むようにして抱きついた。早速ザハク殿がそれを引き剥がしにかかる。
若年に粧うたシャルメラがガーデンチェアからすくと立ち上がり、人形を成しつつある水の塊に誰何した。
「どなたかしら?」
「あ~、ごめんねえ。驚ろかしすぎちゃったかもお。安心してえ、私だからあ」
人形の水は飄々としてそう言うと、水神のチカの姿に変わった。
「心配だから着いてきちゃった」
チカは言った。
追走者の正体は彼女であった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
異世界で穴掘ってます!
KeyBow
ファンタジー
修学旅行中のバスにいた筈が、異世界召喚にバスの全員が突如されてしまう。主人公の聡太が得たスキルは穴掘り。外れスキルとされ、屑の外れ者として抹殺されそうになるもしぶとく生き残り、救ってくれた少女と成り上がって行く。不遇といわれるギフトを駆使して日の目を見ようとする物語
盾の間違った使い方
KeyBow
ファンタジー
その日は快晴で、DIY日和だった。
まさかあんな形で日常が終わるだなんて、誰に想像できただろうか。
マンションの屋上から落ちてきた女子高生と、運が悪く――いや、悪すぎることに激突して、俺は死んだはずだった。
しかし、当たった次の瞬間。
気がつけば、今にも動き出しそうなドラゴンの骨の前にいた。
周囲は白骨死体だらけ。
慌てて武器になりそうなものを探すが、剣はすべて折れ曲がり、鎧は胸に大穴が空いたりひしゃげたりしている。
仏様から脱がすのは、物理的にも気持ち的にも無理だった。
ここは――
多分、ボス部屋。
しかもこの部屋には入り口しかなく、本来ドラゴンを倒すために進んできた道を、逆進行するしかなかった。
与えられた能力は、現代日本の商品を異世界に取り寄せる
【異世界ショッピング】。
一見チートだが、完成された日用品も、人が口にできる食べ物も飲料水もない。買えるのは素材と道具、作業関連品、農作業関連の品や種、苗等だ。
魔物を倒して魔石をポイントに換えなければ、
水一滴すら買えない。
ダンジョン最奥スタートの、ハード・・・どころか鬼モードだった。
そんな中、盾だけが違った。
傷はあっても、バンドの残った盾はいくつも使えた。
両手に円盾、背中に大盾、そして両肩に装着したL字型とスパイク付きのそれは、俺をリアルザクに仕立てた。
盾で殴り
盾で守り
腹が減れば・・・盾で焼く。
フライパン代わりにし、竈の一部にし、用途は盛大に間違っているが、生きるためには、それが正解だった。
ボス部屋手前のセーフエリアを拠点に、俺はひとりダンジョンを生き延びていく。
――そんなある日。
聞こえるはずのない女性の悲鳴が、ボス部屋から響いた。
盾のまちがった使い方から始まる異世界サバイバル、ここに開幕。
【AIの使用について】
本作は執筆補助ツールとして生成AIを使用しています。
主な用途は「誤字脱字のチェック」「表現の推敲」「壁打ち(アイデア出しの補助)」です。
ストーリー構成および本文の執筆は作者自身が行っております。
ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜
KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞
ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。
諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。
そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。
捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。
腕には、守るべきメイドの少女。
眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。
―――それは、ただの不運な落下のはずだった。
崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
異世界ハズレモノ英雄譚〜無能ステータスと言われた俺が、ざまぁ見せつけながらのし上がっていくってよ!〜
mitsuzoエンターテインメンツ
ファンタジー
【週三日(月・水・金)投稿 基本12:00〜14:00】
異世界にクラスメートと共に召喚された瑛二。
『ハズレモノ』という聞いたこともない称号を得るが、その低スペックなステータスを見て、皆からハズレ称号とバカにされ、それどころか邪魔者扱いされ殺されそうに⋯⋯。
しかし、実は『超チートな称号』であることがわかった瑛二は、そこから自分をバカにした者や殺そうとした者に対して、圧倒的な力を隠しつつ、ざまぁを展開していく。
そして、そのざまぁは図らずも人類の命運を握るまでのものへと発展していくことに⋯⋯。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる