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7章 いけない趣味の宿屋娘がいろいろと目覚めてしまうお話
121:宿
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季節は、燃えるような赤や黄色に染まった葉が港を渡る風に舞い、やがて冷たい石畳を濡らす秋雨に変わる頃となりました。港湾要塞都市アストリナの夜は、海からの湿った風が建物の隙間を吹き抜け、ひときわ物悲しい音を立てます。わたくしの宿「眠れる海竜亭」も、日中の喧騒が嘘のように静まり返り、今はただ、階下の酒場で燃え尽きようとしている暖炉の薪が、時折ぱちりと微かな音を立てるばかりです。
わたくし、リリア・フローライトは、宿の屋根裏に近い自室で、机に向かっておりました。ランプの柔らかな光が、開かれた魔導書の難解な図形と古代語の文字列を照らし出しています。部屋に満ちるのは、羊皮紙の乾いた匂いと、インクのかすかな鉄の香り。そして、窓の隙間から忍び込む、潮と雨の匂いが混じり合った、アストリナの夜そのものの香りです。
身にまとっているのは、薄い木綿の寝間着一枚。昼間の魔術師ギルドの制服である分厚いブレザーとは比べ物にならないほど頼りないそれは、少しばかり開けた窓から吹き込む夜風に、少女の柔肌をいともたやすく晒してしまいます。きゅっと身を縮めると、寝間着の布地が、自分でも持て余すほどに育ってしまった胸の膨らみをなぞり、その先端を硬く尖らせました。
父であるトーマスと、そしてわたくしの愛しいおかあさま、アリア様は、もうそれぞれの寝室で眠りに就いた頃合いでしょう。宿の主人たちが眠りにつき、宿泊客たちもそれぞれの部屋で思い思いの夜を過ごし始めるこの時間こそが、わたくしだけの秘密の儀式の始まりを告げる合図なのです。
そっと魔導書を閉じ、机の引き出しの奥から、黒曜石を磨き上げた小さな球を取り出します。わたくしの秘密の魔導具。本来、遠見(とおみ)の魔術は、戦場で敵情を視察したり、未踏の地を探索したりするために開発された、極めて高度な索敵魔術体系に属します。術者の魔力で編んだ「魔力の眼」を飛ばすのが一般的ですが、それには膨大な集中力と魔力を要し、わたくしのような見習いの身には過ぎた御業。
ですが、わたくしは発見したのです。この魔術の、もっと個人的で、もっと卑猥な使い方を。術者や対象者の身体の一部、例えば毛髪や爪などを編み込んだルーンを触媒とすることで、魔力の消費を抑え、かつ極めて鮮明な映像と音声を、この漆黒の球に映し出すことができるのです。
そもそも、この「眠れる海竜亭」という宿自体が、わたくしの倒錯した趣味を助長するような環境でありました。各客室の扉や壁には、高名なルーン工匠でもあった先々代の主人が刻んだ「静寂のルーン」が、今もその魔術的効果を保っています。ひとたび扉を閉ざせば、中の音は一切外に漏れることがない。それゆえ、この宿は人目を忍ぶ男女の逢瀬……つまり、密会や不貞の場として、一部のお客様に重宝されているのです。
魔術の才能に恵まれ、知的好奇心の塊のような少女が、毎夜のようにすぐ下の階で繰り広げられる男女の秘め事に気づかぬはずがありません。そして、その秘密を暴く手段を手にしてしまったのなら、それを用いてしまうのは、もはや必然と言えましょう。わたくしは、この宿の全ての室に、気づかれぬよう巧妙に偽装したわたくしのルーンを、とうの昔に仕込み終えているのですから。
「――まずは、二階の角部屋から、ですね」
独りごちて、漆黒の球に意識を集中させます。触媒として設定したのは、船乗り夫婦が泊まっている部屋のルーン。水晶の表面がぼんやりと光り、やがて少しずつ像を結び始めました。
そこに映し出されたのは、決して若くはない、しかし長年連れ添ったであろう男女の姿でした。夫と思しき男が、妻の背を優しく撫で、その耳元で何かを囁いています。妻はくすぐったそうに身をよじらせるだけ。そこに激しい情熱は見えませんでしたが、穏やかで、満ち足りた空気が、水晶玉を通してさえ伝わってくるようでした。つまらない、というのが正直な感想です。けれど、心のどこかで、ほんの少しだけ、羨ましいとも思いました。
「では、次はこちらを」
気を取り直し、今度は向かいの部屋に意識を合わせます。そこは、昨日から泊まっている若い冒険者の男女の部屋でした。水晶に映った光景に、わたくしは思わず息を呑みます。
荒々しい呼吸。湿った肌が擦れ合う生々しい音。男は女に乱暴に跨り、まるで獣のようにその腰を打ち付けていました。女もまた、苦しげな、それでいて歓喜に満ちた喘ぎ声を上げながら、男の背中に爪を立てています。下品です。野蛮です。けれど、目が、離せない。わたくしの身体の奥が、きゅんと締め付けられるように熱くなるのを感じます。寝間着の裾からそっと忍び込ませた自分の指が、いつの間にか熱く湿り気を帯び始めていることに気づき、顔が火照るのを感じました。
いくつかの部屋の、それぞれの夜の営みを覗き見て、わたくしの身体も心も、十分に準備が整いました。そして、いよいよ今宵の主目的である、あの部屋へと意識を向けます。先日、おかあさまと一緒に買い出しに出かけた、あの若い冒険者――リオが泊まっている一階の奥の部屋です。
水晶玉の表面が、今までのどの部屋よりも鮮明に、そして色濃く輝き始めます。そこに映し出されたのは、ベッドの縁に腰かけ、そわそわと落ち着かない様子で扉の方を見つめるリオの姿でした。無骨な革鎧を脱いだ彼の身体は、若い筋肉がしなやかに躍動し、有り余る生命力で満ち満ちているのが分かります。
ごくり、と喉が鳴りました。期待と、背徳的な罪悪感。その二つが入り混じった複雑な感情が、わたくしの胸を締め付けます。
わたくし、リリア・フローライトは、宿の屋根裏に近い自室で、机に向かっておりました。ランプの柔らかな光が、開かれた魔導書の難解な図形と古代語の文字列を照らし出しています。部屋に満ちるのは、羊皮紙の乾いた匂いと、インクのかすかな鉄の香り。そして、窓の隙間から忍び込む、潮と雨の匂いが混じり合った、アストリナの夜そのものの香りです。
身にまとっているのは、薄い木綿の寝間着一枚。昼間の魔術師ギルドの制服である分厚いブレザーとは比べ物にならないほど頼りないそれは、少しばかり開けた窓から吹き込む夜風に、少女の柔肌をいともたやすく晒してしまいます。きゅっと身を縮めると、寝間着の布地が、自分でも持て余すほどに育ってしまった胸の膨らみをなぞり、その先端を硬く尖らせました。
父であるトーマスと、そしてわたくしの愛しいおかあさま、アリア様は、もうそれぞれの寝室で眠りに就いた頃合いでしょう。宿の主人たちが眠りにつき、宿泊客たちもそれぞれの部屋で思い思いの夜を過ごし始めるこの時間こそが、わたくしだけの秘密の儀式の始まりを告げる合図なのです。
そっと魔導書を閉じ、机の引き出しの奥から、黒曜石を磨き上げた小さな球を取り出します。わたくしの秘密の魔導具。本来、遠見(とおみ)の魔術は、戦場で敵情を視察したり、未踏の地を探索したりするために開発された、極めて高度な索敵魔術体系に属します。術者の魔力で編んだ「魔力の眼」を飛ばすのが一般的ですが、それには膨大な集中力と魔力を要し、わたくしのような見習いの身には過ぎた御業。
ですが、わたくしは発見したのです。この魔術の、もっと個人的で、もっと卑猥な使い方を。術者や対象者の身体の一部、例えば毛髪や爪などを編み込んだルーンを触媒とすることで、魔力の消費を抑え、かつ極めて鮮明な映像と音声を、この漆黒の球に映し出すことができるのです。
そもそも、この「眠れる海竜亭」という宿自体が、わたくしの倒錯した趣味を助長するような環境でありました。各客室の扉や壁には、高名なルーン工匠でもあった先々代の主人が刻んだ「静寂のルーン」が、今もその魔術的効果を保っています。ひとたび扉を閉ざせば、中の音は一切外に漏れることがない。それゆえ、この宿は人目を忍ぶ男女の逢瀬……つまり、密会や不貞の場として、一部のお客様に重宝されているのです。
魔術の才能に恵まれ、知的好奇心の塊のような少女が、毎夜のようにすぐ下の階で繰り広げられる男女の秘め事に気づかぬはずがありません。そして、その秘密を暴く手段を手にしてしまったのなら、それを用いてしまうのは、もはや必然と言えましょう。わたくしは、この宿の全ての室に、気づかれぬよう巧妙に偽装したわたくしのルーンを、とうの昔に仕込み終えているのですから。
「――まずは、二階の角部屋から、ですね」
独りごちて、漆黒の球に意識を集中させます。触媒として設定したのは、船乗り夫婦が泊まっている部屋のルーン。水晶の表面がぼんやりと光り、やがて少しずつ像を結び始めました。
そこに映し出されたのは、決して若くはない、しかし長年連れ添ったであろう男女の姿でした。夫と思しき男が、妻の背を優しく撫で、その耳元で何かを囁いています。妻はくすぐったそうに身をよじらせるだけ。そこに激しい情熱は見えませんでしたが、穏やかで、満ち足りた空気が、水晶玉を通してさえ伝わってくるようでした。つまらない、というのが正直な感想です。けれど、心のどこかで、ほんの少しだけ、羨ましいとも思いました。
「では、次はこちらを」
気を取り直し、今度は向かいの部屋に意識を合わせます。そこは、昨日から泊まっている若い冒険者の男女の部屋でした。水晶に映った光景に、わたくしは思わず息を呑みます。
荒々しい呼吸。湿った肌が擦れ合う生々しい音。男は女に乱暴に跨り、まるで獣のようにその腰を打ち付けていました。女もまた、苦しげな、それでいて歓喜に満ちた喘ぎ声を上げながら、男の背中に爪を立てています。下品です。野蛮です。けれど、目が、離せない。わたくしの身体の奥が、きゅんと締め付けられるように熱くなるのを感じます。寝間着の裾からそっと忍び込ませた自分の指が、いつの間にか熱く湿り気を帯び始めていることに気づき、顔が火照るのを感じました。
いくつかの部屋の、それぞれの夜の営みを覗き見て、わたくしの身体も心も、十分に準備が整いました。そして、いよいよ今宵の主目的である、あの部屋へと意識を向けます。先日、おかあさまと一緒に買い出しに出かけた、あの若い冒険者――リオが泊まっている一階の奥の部屋です。
水晶玉の表面が、今までのどの部屋よりも鮮明に、そして色濃く輝き始めます。そこに映し出されたのは、ベッドの縁に腰かけ、そわそわと落ち着かない様子で扉の方を見つめるリオの姿でした。無骨な革鎧を脱いだ彼の身体は、若い筋肉がしなやかに躍動し、有り余る生命力で満ち満ちているのが分かります。
ごくり、と喉が鳴りました。期待と、背徳的な罪悪感。その二つが入り混じった複雑な感情が、わたくしの胸を締め付けます。
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