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9章 狩人も冒険ではちゃめちゃになってしまうお話
147:依頼
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「さらに問題なのが、この『瘴気汚染』です」
セレスさんは続けます。
「瘴気とは、高濃度の魔素が生命活動に有害な形で変質した、いわば魔力の大気汚染。植物は枯れ、動物は病み、長く浴び続ければ、人の精神さえも蝕みます。この汚染源が、依頼対象の魔物であることは間違いありません。放置すれば、麓の村にまで被害が及ぶでしょう。だからこその、この高額報酬なのです。長く浴びれば体力に優れた獣人といえ、無事では済みません。」
それでも、シャイラさんの決意は揺らぎませんでした。故郷の皆の笑顔が、彼女を突き動かします。
その、頑なな金色の瞳を見て、セレスさんは静かにため息をつくと、隣のカウンターで同じく受付業務をこなしていた同僚に、助けを求めるように視線を送りました。
「…リーゼさん。あなたなら、どうしますか?」
声をかけられたプラチナブロンドの受付嬢、リーゼさんは、山のような書類仕事を軽やかに片付けながら、にこりと完璧な笑顔を返しました。
「あらあら、セレスさん。また難しい顔をしちゃって。そんなんじゃ、幸せが逃げていっちゃいますよ!」
その声は鈴を転がすように軽やかで、その表情は憂い一つない晴れやかなものです。どうやら、数日前にギルドマスターであるアシュワース氏に、その身も心も、そして淫紋の疼きも、たっぷりと「教育」してもらったおかげでしょう。今日の彼女は心身ともに満ち足りているようでした。
「ですが、この依頼は…」
「んー、なるほどぉ。これは確かに、厄介な案件ですねぇ」
リーゼさんは、依頼書にさっと目を通すと、少しだけ考える素振りを見せます。そして、何かを思いついたように、ぽん、と手を打ちました。
「そうだ! それなら、あの人をサポートにつけるのはどうでしょう?」
そう言って彼女が視線を向けたのは、ギルドのホールの中央、柱に寄りかかって腕を組み、退屈そうに依頼を物色している一人の男でした。
筋骨隆々とした逞しい身体。しかし、その顔は年の割に老けて見え、鋭い眼光と不愛想な表情が、周囲の者たちを寄せ付けない雰囲気を醸し出しています。何より特徴的なのは、その服装でした。上半身は白い一枚着に、下半身は見たこともない丈夫なズボン。彼の言葉を借りるとTシャツとジーンズと言うそうです。この世界では、あまりにも異質で、場違いな出で立ちです。自称異世界転生者、モブ=オジ。ギルドでも指折りの実力者でありながら、その素性の多くが謎に包まれた、孤高の冒険者です。
「彼なら、万が一のことがあっても、シャイラさんを守ってくれるはずですよ。それに、ほら」
リーゼさんは、悪戯っぽく微笑みます。
「無口で、不愛想な者同士。案外、うまくいくかもしれませんよ?」
その提案に、セレスさんも納得したように頷きました。彼女たちギルド職員は、シャイラさんの経済状況を把握しています。彼女がこの高額な報酬を必要としていることを知っているのです。
「…わかりました。報酬の八割はシャイラさん。モブ=オジさんには、あくまでバックアップと、万が一の際の保険として、残りの二割を。この条件で交渉してみましょう」
話がまとまると、セレスさんは毅然とした態度でモブ=オジを呼びつけ、依頼の内容と条件を手短に説明しました。
シャイラさんは、眉根を寄せます。単独行動を信条とする彼女にとって、見ず知らずの男とパーティーを組むことには、強い抵抗がありました。しかし、ギルド側の強い推薦と、何より金貨三百枚という報酬の魅力には抗えません。
一方のモブ=オジは、金に困っているわけではありません。ただ、彼の日常は、あまりにも退屈に満ち溢れていました。その彼の目に、この謎に包まれた厄介な依頼と、孤高を貫く猫の獣人の少女は、ほんの少しだけ、興味深いものに映ったのです。
「……わかった」
「……よろしく」
短い承諾。
こうして、港湾要塞都市アストリナで最もコミュニケーション能力に難のある二人の冒険者による、奇妙で、危険な共同任務が幕を開けたのでした。
◇◇◇
依頼を受諾した翌日、二人は冒険者ギルドの地下にある、広大な武具・道具の貸与・支給区画にいました。ひんやりとした石壁に囲まれたこの場所は、硝石と金属、そして様々な魔法薬が混じり合った独特の匂いに満ちています。壁一面に並ぶ棚には、手入れの行き届いた武具から、怪しげな輝きを放つ魔道具までが整然と並べられており、アストリナ冒険者ギルドの豊かさと機能性の高さを物語っていました。
「例の依頼の準備をしてください。費用はギルドが持ちます。万全を期してください。」
セレスさんからそう告げられ、シャイラさんは黙って頷くと、必要な品を吟味し始めます。彼女がまず手に取ったのは、手のひらサイズのガラス瓶に詰められた、月光のように淡い青色の液体です。これは『静心の霊薬』と呼ばれる回復ポーションで、精神に作用する毒や幻覚、そして瘴気による精神汚染を一時的に鎮静化させる効果があります。蓋を開けると、凍てつく冬の夜のような、澄み切った冷たい香りが鼻腔をくすぐりました。これを数本、革のポーチに丁寧にしまいます。
セレスさんは続けます。
「瘴気とは、高濃度の魔素が生命活動に有害な形で変質した、いわば魔力の大気汚染。植物は枯れ、動物は病み、長く浴び続ければ、人の精神さえも蝕みます。この汚染源が、依頼対象の魔物であることは間違いありません。放置すれば、麓の村にまで被害が及ぶでしょう。だからこその、この高額報酬なのです。長く浴びれば体力に優れた獣人といえ、無事では済みません。」
それでも、シャイラさんの決意は揺らぎませんでした。故郷の皆の笑顔が、彼女を突き動かします。
その、頑なな金色の瞳を見て、セレスさんは静かにため息をつくと、隣のカウンターで同じく受付業務をこなしていた同僚に、助けを求めるように視線を送りました。
「…リーゼさん。あなたなら、どうしますか?」
声をかけられたプラチナブロンドの受付嬢、リーゼさんは、山のような書類仕事を軽やかに片付けながら、にこりと完璧な笑顔を返しました。
「あらあら、セレスさん。また難しい顔をしちゃって。そんなんじゃ、幸せが逃げていっちゃいますよ!」
その声は鈴を転がすように軽やかで、その表情は憂い一つない晴れやかなものです。どうやら、数日前にギルドマスターであるアシュワース氏に、その身も心も、そして淫紋の疼きも、たっぷりと「教育」してもらったおかげでしょう。今日の彼女は心身ともに満ち足りているようでした。
「ですが、この依頼は…」
「んー、なるほどぉ。これは確かに、厄介な案件ですねぇ」
リーゼさんは、依頼書にさっと目を通すと、少しだけ考える素振りを見せます。そして、何かを思いついたように、ぽん、と手を打ちました。
「そうだ! それなら、あの人をサポートにつけるのはどうでしょう?」
そう言って彼女が視線を向けたのは、ギルドのホールの中央、柱に寄りかかって腕を組み、退屈そうに依頼を物色している一人の男でした。
筋骨隆々とした逞しい身体。しかし、その顔は年の割に老けて見え、鋭い眼光と不愛想な表情が、周囲の者たちを寄せ付けない雰囲気を醸し出しています。何より特徴的なのは、その服装でした。上半身は白い一枚着に、下半身は見たこともない丈夫なズボン。彼の言葉を借りるとTシャツとジーンズと言うそうです。この世界では、あまりにも異質で、場違いな出で立ちです。自称異世界転生者、モブ=オジ。ギルドでも指折りの実力者でありながら、その素性の多くが謎に包まれた、孤高の冒険者です。
「彼なら、万が一のことがあっても、シャイラさんを守ってくれるはずですよ。それに、ほら」
リーゼさんは、悪戯っぽく微笑みます。
「無口で、不愛想な者同士。案外、うまくいくかもしれませんよ?」
その提案に、セレスさんも納得したように頷きました。彼女たちギルド職員は、シャイラさんの経済状況を把握しています。彼女がこの高額な報酬を必要としていることを知っているのです。
「…わかりました。報酬の八割はシャイラさん。モブ=オジさんには、あくまでバックアップと、万が一の際の保険として、残りの二割を。この条件で交渉してみましょう」
話がまとまると、セレスさんは毅然とした態度でモブ=オジを呼びつけ、依頼の内容と条件を手短に説明しました。
シャイラさんは、眉根を寄せます。単独行動を信条とする彼女にとって、見ず知らずの男とパーティーを組むことには、強い抵抗がありました。しかし、ギルド側の強い推薦と、何より金貨三百枚という報酬の魅力には抗えません。
一方のモブ=オジは、金に困っているわけではありません。ただ、彼の日常は、あまりにも退屈に満ち溢れていました。その彼の目に、この謎に包まれた厄介な依頼と、孤高を貫く猫の獣人の少女は、ほんの少しだけ、興味深いものに映ったのです。
「……わかった」
「……よろしく」
短い承諾。
こうして、港湾要塞都市アストリナで最もコミュニケーション能力に難のある二人の冒険者による、奇妙で、危険な共同任務が幕を開けたのでした。
◇◇◇
依頼を受諾した翌日、二人は冒険者ギルドの地下にある、広大な武具・道具の貸与・支給区画にいました。ひんやりとした石壁に囲まれたこの場所は、硝石と金属、そして様々な魔法薬が混じり合った独特の匂いに満ちています。壁一面に並ぶ棚には、手入れの行き届いた武具から、怪しげな輝きを放つ魔道具までが整然と並べられており、アストリナ冒険者ギルドの豊かさと機能性の高さを物語っていました。
「例の依頼の準備をしてください。費用はギルドが持ちます。万全を期してください。」
セレスさんからそう告げられ、シャイラさんは黙って頷くと、必要な品を吟味し始めます。彼女がまず手に取ったのは、手のひらサイズのガラス瓶に詰められた、月光のように淡い青色の液体です。これは『静心の霊薬』と呼ばれる回復ポーションで、精神に作用する毒や幻覚、そして瘴気による精神汚染を一時的に鎮静化させる効果があります。蓋を開けると、凍てつく冬の夜のような、澄み切った冷たい香りが鼻腔をくすぐりました。これを数本、革のポーチに丁寧にしまいます。
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