155 / 370
9章 狩人も冒険ではちゃめちゃになってしまうお話
149:依頼
しおりを挟む
港湾要塞都市アストリナの、まるで巨大な獣の顎のように開かれた城門をくぐり抜けた馬車は、しばらくは整然と敷き詰められた石畳の上を快調に進んでいきました。しかし、活気ある市街地を抜け、城壁の外に広がる農村地帯を過ぎる頃には、道は荒れた未舗装の街道へと姿を変えます。がたん、ごとん、という無骨で不規則な振動が、座席に座る二人を絶えず揺さぶり続けました。車窓の外では、見慣れた港町の喧騒と潮の香りが急速に遠ざかり、代わりにどこまでも続く広大な緑の平原と、乾いた土の匂いが満ちていきます。こうして、獣人族の狩人シャイラさんと、謎多き冒険者モブ=オジ、もとい「おじさん」との、奇妙でぎこちない二人旅が始まったのです。
はじめの三日間、狭い馬車の中は、まるで鉛を流し込んだかのように重苦しい沈黙に支配されていました。
シャイラさんは、窓の外にただ一心に視線を投げかけ、流れていく景色を目で追い続けています。彼女の頭頂部でぴんと立った猫の耳は、車輪がきしむ耳障りな音、馬の退屈そうないななき、そして遠くで鳴く鳥の甲高い声といった、あらゆる物音を拾っては、ぴく、ぴくと神経質に動いています。しかし、その意識が隣に座る男に向けられることはありません。むしろ、意識的に彼を視界から、そして思考から排除しているかのようでした。その全身からは、まるで初めて会う大型の肉食獣に対するような、張り詰めた警戒心がありありと放たれています。
一方のおじさんは、筋骨隆々の太い腕を胸の前で組んだまま、ほとんど身じろぎもせずに座っていました。その人相の悪い、まるで岩から削り出したかのような顔には何の感情も浮かびません。ただ時折、シャイラさんの尖った耳や、緊張からか無意識に小さく揺れる美しい尻尾に、面白がるでもなく、かといって無関心でもない、値踏みをするような不思議な視線を向けるだけでした。狭い空間に、気まずい空気と、なめされた革の匂い、そして微かな土埃の匂いが混じり合い、よどんでいます。
変化が訪れたのは、旅も四日目に入った昼下がりのことでした。
街道が緩やかな丘陵地帯に差し掛かり、車窓の風景が、それまでの開けた平原から、空を覆い隠すほどに鬱蒼とした針葉樹の森へと変わった時、シャイラさんが、ぽつり、と呟きました。
「……故郷の森に、少しだけ似てる」
それは、ほとんど自分自身に言い聞かせるような、か細い声でした。しかし、単調な揺れと静寂が支配する車内では、存外に大きく響き渡ります。おじさんは、ゆっくりとシャイラさんの方へ顔を向けました。その無言の視線に促されるように、シャイラさんは、まるで堰を切ったかのように、ぽつり、ぽつりと自らの過去を語り始めたのです。
「アタシの集落は、もっと北の、もっと深い森の中にある。ここよりもずっと寒くて、冬は、本当に厳しいんだ……」
彼女が語ったのは、北の森深くにある、小さな獣人の集落のこと。ここ数年、獲物がめっきりと減り、長く厳しい冬を越すための食糧が常に足りていないこと。長老たちは「森の怒りだ」と嘆き、若い狩人たちは焦り、そして子供たちは、空腹を訴えて泣き続ける。皆が日に日に痩せ細っていくのを、ただ見ていることしかできなかった、あのどうしようもない無力感。
「だから、アタシが稼がなくちゃならない。アタシには、狩りの才能があるから。この街で大きな獲物を狩って、一番たくさんのお金を稼いで、皆がお腹いっぱい食べられるだけの食糧を送ってやらなくちゃ……」
そして、集落に残してきた、心優しい許嫁、フィンのこと。彼は狩人ではないけれど、薬草の知識が豊富で、いつもアタシの怪我を心配してくれること。彼が作ってくれる薬草スープの、決してうまくはないけれど、身体の芯まで温まる、あの素朴で優しい味のこと。
シャイラさんは、誰かに自分の身の上話をするのが、これほどまでに心地よいものだとは知りませんでした。心の内に溜め込んでいた澱のようなものが、言葉と共にすうっと溶けていくような感覚。おじさんは、ただ黙って聞いています。時折、「そうか」「大変だったな」と、まるで独り言のように短く相槌を打つだけですが、その無骨な声には、彼のいかつい見た目からは想像もつかないような、不思議な温かみが感じられました。シャイラさんは、この人相の悪い男が、決して悪い人間ではないのかもしれない、と、この時初めて思ったのです。あれほど不快だった不愛想な態度にも、いつの間にか慣れていました。
道中、彼らはいくつかの村や町に立ち寄りながら、旅を続けました。街道は日に日に険しさを増し、道端には風化した石像や、打ち捨てられた祠が目につくようになります。すれ違う商人の数もめっきりと減り、代わりに武装した傭兵や、巡礼者の姿がちらほらと見られるようになりました。やがて馬車は、目的の廃墟があるという山脈の、まるで巨大な獣が横たわっているかのような、荒々しい山麓へと差し掛かったのです。
はじめの三日間、狭い馬車の中は、まるで鉛を流し込んだかのように重苦しい沈黙に支配されていました。
シャイラさんは、窓の外にただ一心に視線を投げかけ、流れていく景色を目で追い続けています。彼女の頭頂部でぴんと立った猫の耳は、車輪がきしむ耳障りな音、馬の退屈そうないななき、そして遠くで鳴く鳥の甲高い声といった、あらゆる物音を拾っては、ぴく、ぴくと神経質に動いています。しかし、その意識が隣に座る男に向けられることはありません。むしろ、意識的に彼を視界から、そして思考から排除しているかのようでした。その全身からは、まるで初めて会う大型の肉食獣に対するような、張り詰めた警戒心がありありと放たれています。
一方のおじさんは、筋骨隆々の太い腕を胸の前で組んだまま、ほとんど身じろぎもせずに座っていました。その人相の悪い、まるで岩から削り出したかのような顔には何の感情も浮かびません。ただ時折、シャイラさんの尖った耳や、緊張からか無意識に小さく揺れる美しい尻尾に、面白がるでもなく、かといって無関心でもない、値踏みをするような不思議な視線を向けるだけでした。狭い空間に、気まずい空気と、なめされた革の匂い、そして微かな土埃の匂いが混じり合い、よどんでいます。
変化が訪れたのは、旅も四日目に入った昼下がりのことでした。
街道が緩やかな丘陵地帯に差し掛かり、車窓の風景が、それまでの開けた平原から、空を覆い隠すほどに鬱蒼とした針葉樹の森へと変わった時、シャイラさんが、ぽつり、と呟きました。
「……故郷の森に、少しだけ似てる」
それは、ほとんど自分自身に言い聞かせるような、か細い声でした。しかし、単調な揺れと静寂が支配する車内では、存外に大きく響き渡ります。おじさんは、ゆっくりとシャイラさんの方へ顔を向けました。その無言の視線に促されるように、シャイラさんは、まるで堰を切ったかのように、ぽつり、ぽつりと自らの過去を語り始めたのです。
「アタシの集落は、もっと北の、もっと深い森の中にある。ここよりもずっと寒くて、冬は、本当に厳しいんだ……」
彼女が語ったのは、北の森深くにある、小さな獣人の集落のこと。ここ数年、獲物がめっきりと減り、長く厳しい冬を越すための食糧が常に足りていないこと。長老たちは「森の怒りだ」と嘆き、若い狩人たちは焦り、そして子供たちは、空腹を訴えて泣き続ける。皆が日に日に痩せ細っていくのを、ただ見ていることしかできなかった、あのどうしようもない無力感。
「だから、アタシが稼がなくちゃならない。アタシには、狩りの才能があるから。この街で大きな獲物を狩って、一番たくさんのお金を稼いで、皆がお腹いっぱい食べられるだけの食糧を送ってやらなくちゃ……」
そして、集落に残してきた、心優しい許嫁、フィンのこと。彼は狩人ではないけれど、薬草の知識が豊富で、いつもアタシの怪我を心配してくれること。彼が作ってくれる薬草スープの、決してうまくはないけれど、身体の芯まで温まる、あの素朴で優しい味のこと。
シャイラさんは、誰かに自分の身の上話をするのが、これほどまでに心地よいものだとは知りませんでした。心の内に溜め込んでいた澱のようなものが、言葉と共にすうっと溶けていくような感覚。おじさんは、ただ黙って聞いています。時折、「そうか」「大変だったな」と、まるで独り言のように短く相槌を打つだけですが、その無骨な声には、彼のいかつい見た目からは想像もつかないような、不思議な温かみが感じられました。シャイラさんは、この人相の悪い男が、決して悪い人間ではないのかもしれない、と、この時初めて思ったのです。あれほど不快だった不愛想な態度にも、いつの間にか慣れていました。
道中、彼らはいくつかの村や町に立ち寄りながら、旅を続けました。街道は日に日に険しさを増し、道端には風化した石像や、打ち捨てられた祠が目につくようになります。すれ違う商人の数もめっきりと減り、代わりに武装した傭兵や、巡礼者の姿がちらほらと見られるようになりました。やがて馬車は、目的の廃墟があるという山脈の、まるで巨大な獣が横たわっているかのような、荒々しい山麓へと差し掛かったのです。
0
あなたにおすすめの小説
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる