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第25話:スイーツ騎士、爆誕
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「……おかわり」
帝国騎士団長の口から絞り出された、か細くも切実な響きを帯びたその一言。
それは、彼の降伏宣言だった。
厨房の凍りついた空気は、その言葉を合図に、ゆっくりと溶け始めた。壁際にいた侍女たちが、信じられないものを見る目で、団長と私を交互に見つめている。
私自身、まだ状況が完全に飲み込めていなかった。しかし、彼の涙ぐんだ瞳を見れば、答えは明らかだった。私のケーキは、彼の心を動かしたのだ。それも、劇的に。
「は、はい! ただいま!」
私は我に返ると、慌てて残りのホールケーキに向かった。そして、先程よりも少しだけ大きな一切れを切り分け、新しい皿に乗せる。
その皿を、再び彼の前にそっと差し出した。
ギルバートは、今度はもう躊躇わなかった。彼はほとんどひったくるように皿を受け取ると、先程よりもさらに勢いを増して、夢中でケーキを頬張り始めた。その姿は、帝国最強の騎士団長というよりは、生まれて初めて甘いものを口にした、純粋な少年のようだった。
もぐもぐと、幸せそうに口を動かすその顔を見ていると、私の胸の奥から、くすぐったいような、温かい感情が込み上げてくる。
この人も、レオン様と同じだ。強面で、厳しくて、いつも鎧で心を固めているけれど、その奥には、甘くて優しいものを求める、柔らかい部分がちゃんとあるのだ。
おかわりを平らげたギルバートは、ふぅ、と満ち足りた、大きなため息をついた。その表情は、来た時の鬼のような形相が嘘のように、穏やかで、どこか腑抜けたようにも見える。
彼は空になった皿をしばらく名残惜しそうに見つめた後、ゆっくりと立ち上がった。そして、私の前に進み出ると、突然、その場に片膝をついた。
カシャン、と鎧が床に触れる、重々しい音が響く。それは、騎士が主君に行う、最上級の敬礼の形だった。
「ひ、団長様!? 何を…!」
私が驚いて後ずさると、彼は顔を上げ、かつてないほど真剣な、そして熱に浮かされたような瞳で、私を見上げた。
「アリア、姫」
初めて、彼は私を敬称で呼んだ。
「俺は……俺は、今まで、とんでもない間違いをしていた」
その声は、懺悔のように、厳かに響いた。
「俺は、甘いものを、魂を堕落させる毒だと信じて生きてきた。しかし、違ったのだ。今、俺が口にしたものは、毒などではない! これは、戦士の傷ついた魂を癒し、明日への希望を与える、聖なる光そのものだ!」
彼のあまりに大袈裟な物言いに、私は若干引き気味だった。しかし、彼は止まらない。その瞳は、もはや狂信者のように、きらきらと輝いている。
「姫よ! あなた様は、ただの料理人ではない! あなた様は、この荒んだ世界に、甘く、優しく、そして幸福な光をもたらすために遣わされた、聖女様に違いない!」
聖女。その言葉に、侍女たちの中から「まあ…」という小さな囁きが漏れた。
「俺は、今日この日まで、己の剣と力のみを信じてきた。だが、今理解した。真の力とは、武力ではない。人の心を温め、幸せにする、この『スイーツ』こそが、世界を救うのだと!」
もはや、彼の理論は完全に飛躍していた。しかし、彼の表情は真剣そのものだ。
そして、彼は右手の拳を胸に当てると、高らかに宣言した。
「アリア姫! 俺、ギルバート・エアクハルトは、今日この日をもって、剣を、そしてこの命を、あなた様と、あなた様の作り出す聖なるスイーツに捧げることを誓う!」
「えええええええ!?」
私の悲鳴と、侍女たちのどよめきが、厨房に響き渡った。
「これより、俺は『姫様のスイーツを守る騎士』、スイーツ騎士(ナイト)を名乗る! 姫様の作るスイーツを脅かす者がいれば、たとえそれが何者であろうと、このギルバートが、我が騎士団の総力を挙げて、これを排除することをここに誓う!」
スイーツ騎士(ナイト)。
その、あまりにもあんまりなネーミングに、私の頭は完全に処理能力を失った。
「さあ、姫! 次のスイーツの、ご命令を! このギルバート、いかなる材料も、たとえ地の果てであろうと、必ずや手に入れてご覧にいれますぞ!」
彼は期待に満ちた目で、私を見上げてくる。その姿は、主人の命令を待つ、巨大で忠実な大型犬のようだった。
「あ、あの、団長様……。とりあえず、お立ちになっては…」
「なんと! 俺の忠誠、お受け取りいただけないと!? このギルバート、姫のお言葉があるまで、テコでも動きませんぞ!」
もう、駄目だ。この人の暴走は、誰にも止められない。
私が途方に暮れていると、厨房の入口に、新たな人影が現れた。
「……ギルバート。貴様、こんな所で何を油を売っている」
氷のように冷たく、そして地を這うような低い声。
その声に、ギルバートの巨体がびくりと震えた。ゆっくりと振り返った彼の目に映ったのは、腕を組み、絶対零度の視線を彼に向けている、帝国の若き支配者の姿だった。
「へ、陛下!? な、なぜここに!?」
「それはこちらの台詞だ。俺のアリアの厨房で、一体何をしている。騎士団長が、許可なく人質の離宮に踏み込むとは、どういう了見だ?」
レオン様は、いつも私の前に現れる時の穏やかな表情ではなかった。その全身から放たれる冷気は、厨房の温度を数度下げたかのようだ。そして、彼の口から、さらりと「俺のアリア」という言葉が飛び出したことに、私の心臓が大きく跳ねた。
「い、いえ、これは、その…! 騎士団の規律が乱れているとの報告を受け、その元凶を断つべく…!」
「ほう。それで、元凶は見つかったのか?」
レオン様の冷たい問いに、ギルバートははっと我に返ったように私を見た。そして、次の瞬間、彼は再びレオン様に向き直ると、胸を張って答えた。
「はい! 見つかりました! しかし、それは元凶などでは断じてなく、この帝国を、いや、世界を救う光でありました!」
「……何?」
レオン様の眉が、怪訝そうにひそめられる。
「陛下! このアリア姫様こそ、我らが守り、そして忠誠を誓うべき、スイーツの聖女様にございます! 陛下も、どうかこの聖なるケーキを一口! さすれば、全てをお分かりいただけますぞ!」
ギルバートは、もはや完全にスイーツの伝道師と化していた。彼は残りのホールケーキを指さし、興奮気味にレオン様に勧める。
レオン様は、意味が分からないという顔で、ギルバートとケーキを交互に見た。そして、最後に私の顔を見て、小さくため息をついた。
「……アリア。また、君か」
その声は、呆れているようでいて、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。
こうして、帝国最強の堅物騎士団長は、私のケーキの前に陥落した。そして、自らを「スイーツ騎士」と名乗る、少し(いや、かなり)残念な忠臣へと生まれ変わったのだった。
私の小さな厨房は、皇帝陛下に続き、帝国騎士団長という、とんでもなく強力で、そして厄介な常連客を、新たに迎えることになった。
この厨房が、帝国の政治を左右する重要拠点になるまで、あとほんの少し。
帝国騎士団長の口から絞り出された、か細くも切実な響きを帯びたその一言。
それは、彼の降伏宣言だった。
厨房の凍りついた空気は、その言葉を合図に、ゆっくりと溶け始めた。壁際にいた侍女たちが、信じられないものを見る目で、団長と私を交互に見つめている。
私自身、まだ状況が完全に飲み込めていなかった。しかし、彼の涙ぐんだ瞳を見れば、答えは明らかだった。私のケーキは、彼の心を動かしたのだ。それも、劇的に。
「は、はい! ただいま!」
私は我に返ると、慌てて残りのホールケーキに向かった。そして、先程よりも少しだけ大きな一切れを切り分け、新しい皿に乗せる。
その皿を、再び彼の前にそっと差し出した。
ギルバートは、今度はもう躊躇わなかった。彼はほとんどひったくるように皿を受け取ると、先程よりもさらに勢いを増して、夢中でケーキを頬張り始めた。その姿は、帝国最強の騎士団長というよりは、生まれて初めて甘いものを口にした、純粋な少年のようだった。
もぐもぐと、幸せそうに口を動かすその顔を見ていると、私の胸の奥から、くすぐったいような、温かい感情が込み上げてくる。
この人も、レオン様と同じだ。強面で、厳しくて、いつも鎧で心を固めているけれど、その奥には、甘くて優しいものを求める、柔らかい部分がちゃんとあるのだ。
おかわりを平らげたギルバートは、ふぅ、と満ち足りた、大きなため息をついた。その表情は、来た時の鬼のような形相が嘘のように、穏やかで、どこか腑抜けたようにも見える。
彼は空になった皿をしばらく名残惜しそうに見つめた後、ゆっくりと立ち上がった。そして、私の前に進み出ると、突然、その場に片膝をついた。
カシャン、と鎧が床に触れる、重々しい音が響く。それは、騎士が主君に行う、最上級の敬礼の形だった。
「ひ、団長様!? 何を…!」
私が驚いて後ずさると、彼は顔を上げ、かつてないほど真剣な、そして熱に浮かされたような瞳で、私を見上げた。
「アリア、姫」
初めて、彼は私を敬称で呼んだ。
「俺は……俺は、今まで、とんでもない間違いをしていた」
その声は、懺悔のように、厳かに響いた。
「俺は、甘いものを、魂を堕落させる毒だと信じて生きてきた。しかし、違ったのだ。今、俺が口にしたものは、毒などではない! これは、戦士の傷ついた魂を癒し、明日への希望を与える、聖なる光そのものだ!」
彼のあまりに大袈裟な物言いに、私は若干引き気味だった。しかし、彼は止まらない。その瞳は、もはや狂信者のように、きらきらと輝いている。
「姫よ! あなた様は、ただの料理人ではない! あなた様は、この荒んだ世界に、甘く、優しく、そして幸福な光をもたらすために遣わされた、聖女様に違いない!」
聖女。その言葉に、侍女たちの中から「まあ…」という小さな囁きが漏れた。
「俺は、今日この日まで、己の剣と力のみを信じてきた。だが、今理解した。真の力とは、武力ではない。人の心を温め、幸せにする、この『スイーツ』こそが、世界を救うのだと!」
もはや、彼の理論は完全に飛躍していた。しかし、彼の表情は真剣そのものだ。
そして、彼は右手の拳を胸に当てると、高らかに宣言した。
「アリア姫! 俺、ギルバート・エアクハルトは、今日この日をもって、剣を、そしてこの命を、あなた様と、あなた様の作り出す聖なるスイーツに捧げることを誓う!」
「えええええええ!?」
私の悲鳴と、侍女たちのどよめきが、厨房に響き渡った。
「これより、俺は『姫様のスイーツを守る騎士』、スイーツ騎士(ナイト)を名乗る! 姫様の作るスイーツを脅かす者がいれば、たとえそれが何者であろうと、このギルバートが、我が騎士団の総力を挙げて、これを排除することをここに誓う!」
スイーツ騎士(ナイト)。
その、あまりにもあんまりなネーミングに、私の頭は完全に処理能力を失った。
「さあ、姫! 次のスイーツの、ご命令を! このギルバート、いかなる材料も、たとえ地の果てであろうと、必ずや手に入れてご覧にいれますぞ!」
彼は期待に満ちた目で、私を見上げてくる。その姿は、主人の命令を待つ、巨大で忠実な大型犬のようだった。
「あ、あの、団長様……。とりあえず、お立ちになっては…」
「なんと! 俺の忠誠、お受け取りいただけないと!? このギルバート、姫のお言葉があるまで、テコでも動きませんぞ!」
もう、駄目だ。この人の暴走は、誰にも止められない。
私が途方に暮れていると、厨房の入口に、新たな人影が現れた。
「……ギルバート。貴様、こんな所で何を油を売っている」
氷のように冷たく、そして地を這うような低い声。
その声に、ギルバートの巨体がびくりと震えた。ゆっくりと振り返った彼の目に映ったのは、腕を組み、絶対零度の視線を彼に向けている、帝国の若き支配者の姿だった。
「へ、陛下!? な、なぜここに!?」
「それはこちらの台詞だ。俺のアリアの厨房で、一体何をしている。騎士団長が、許可なく人質の離宮に踏み込むとは、どういう了見だ?」
レオン様は、いつも私の前に現れる時の穏やかな表情ではなかった。その全身から放たれる冷気は、厨房の温度を数度下げたかのようだ。そして、彼の口から、さらりと「俺のアリア」という言葉が飛び出したことに、私の心臓が大きく跳ねた。
「い、いえ、これは、その…! 騎士団の規律が乱れているとの報告を受け、その元凶を断つべく…!」
「ほう。それで、元凶は見つかったのか?」
レオン様の冷たい問いに、ギルバートははっと我に返ったように私を見た。そして、次の瞬間、彼は再びレオン様に向き直ると、胸を張って答えた。
「はい! 見つかりました! しかし、それは元凶などでは断じてなく、この帝国を、いや、世界を救う光でありました!」
「……何?」
レオン様の眉が、怪訝そうにひそめられる。
「陛下! このアリア姫様こそ、我らが守り、そして忠誠を誓うべき、スイーツの聖女様にございます! 陛下も、どうかこの聖なるケーキを一口! さすれば、全てをお分かりいただけますぞ!」
ギルバートは、もはや完全にスイーツの伝道師と化していた。彼は残りのホールケーキを指さし、興奮気味にレオン様に勧める。
レオン様は、意味が分からないという顔で、ギルバートとケーキを交互に見た。そして、最後に私の顔を見て、小さくため息をついた。
「……アリア。また、君か」
その声は、呆れているようでいて、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。
こうして、帝国最強の堅物騎士団長は、私のケーキの前に陥落した。そして、自らを「スイーツ騎士」と名乗る、少し(いや、かなり)残念な忠臣へと生まれ変わったのだった。
私の小さな厨房は、皇帝陛下に続き、帝国騎士団長という、とんでもなく強力で、そして厄介な常連客を、新たに迎えることになった。
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