無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

文字の大きさ
27 / 101

第27話:野菜嫌いを打ち砕くラーメン

しおりを挟む
夜更けの月影の宮は、静寂に包まれていた。虫の音が、時折その静寂を破るだけだ。

宰相エリオット・ワイズマンは、その闇に紛れるようにして、離宮の厨房へと近づいていた。本来であれば、人質が寝静まった深夜に忍び込むのが最も効率的だ。しかし、彼の目的は証拠の確保。女が調理している現場を押さえる必要があった。

報告によれば、女は毎朝、夜明けと共に厨房に立つという。ならば、その時間を狙うのが最適解だ。

彼は厨房の窓の下に身を潜め、中の様子を窺った。窓からは、ランプの温かい光が漏れている。中では、アリア王女が一人、鼻歌交じりで何かの準備をしているようだった。その姿は、およそ帝国の脅威たる魔女の姿には見えなかった。

(……油断させるための擬態か)

エリオTットは、己の観察眼に寸分の狂いもないと信じていた。

やがて、夜が明け始めた頃。厨房の扉が開く音がした。エリオットは息を殺す。

現れたのは、平民の服で変装した、皇帝レオンハルトその人だった。

(やはり、ここか)

エリオットは確信を深めた。毎朝の失踪先は、この厨房だったのだ。彼は二人の会話に、全神経を集中させて耳を澄ます。

「おはようございます、レオン様」
「ああ。腹が減った」

……それだけ?

予想していた甘い密談や、国家機密のやり取りは一切ない。ただ、腹を空かせた男と、それに応える女の、あまりにも日常的な会話。

エリオットの眉間に、深い皺が刻まれた。ますます怪しい。これは、何か特殊な合言葉に違いない。

彼は、中の女――アリアが調理を始めるのを待った。

アリアはまず、大きな寸胴鍋に、たっぷりの鶏の骨と、様々な野菜の切れ端を放り込んだ。そして、水を注ぎ、かまどの火を弱火にする。

(……ふむ。出汁を取る気か。古典的な手法だ)

エリオットは冷静に分析する。しかし、次の瞬間、彼の常識は覆された。

アリアが鍋に加えたのは、生姜もどきやニンニクもどき、そして玉ねぎに似た香味野菜を、油でじっくりと炒めたものだった。

ジュワッという音と共に、厨房から、今まで嗅いだことのない、複雑で、香ばしく、そして暴力的なまでに食欲をそそる香りが漂い始めた。

(な……なんだ、この香りは!?)

エリオットの胃が、きゅう、と締め付けられるような音を立てた。二日間、栄養剤以外何も口にしていない彼の胃袋は、この未知なる香りに正直すぎるほど反応していた。

(いかん、これも精神攻撃の一環だ。惑わされるな)

彼は必死に理性を保とうとする。しかし、彼の体は悲鳴を上げていた。

厨房の中では、調理が着々と進んでいく。アリアは出汁を漉して、透き通った黄金色のスープを作り上げると、そこに自家製の醤油もどきを加えて、味を調えていた。

同時に、別の鍋では、穀物の粉で作った細長い麺が茹でられている。

そして、仕上げの具材。薄切りにした豚の燻製肉、茹でて味を染み込ませた卵、そして、色とりどりの茹で野菜。ほうれん草に似た青菜、細切りにした人参、そしてシャキシャキとした食感が特徴の白い芽野菜。

エリオットは、その野菜の量を見て、眉をひそめた。

(無駄なものを……)

彼は、極度の野菜嫌いだった。彼にとって野菜とは、かさばるだけで栄養価が低く、味も青臭いだけの無駄な食材。思考のエネルギー源となる炭水化物とタンパク質以外は、彼の食生活において不要なものだった。

やがて、全ての準備が整った。

アリアは、大きな丼に熱々のスープを注ぎ、茹で上がった麺を手早く湯切りして入れる。そして、その上に芸術品のように、手際よく具材を盛り付けていった。

「お待たせいたしました! 特製、醤油ラーメンです!」

その一皿が、レオンの前に置かれた瞬間。エリオットは、窓の外から見ていてさえ、息を呑んだ。

黄金色に輝くスープ。その中に、美しく折りたたまれた麺。彩り豊かに盛り付けられた具材。立ち上る湯気は、今まで彼が嗅いだことのない、複雑で、奥深く、そして抗いがたいほどの旨味の香りを運んでくる。

レオンは、もはや言葉を発することも忘れ、恍惚とした表情でその丼を見つめていた。そして、レンゲでまずスープを一口。

その瞬間、彼の顔が、至福に溶けた。

「……うまい」

心の底から漏れ出した、その一言。エリオットは、主君のあんな顔を、生まれてこの方一度も見たことがなかった。

レオンは次に、箸で麺を勢いよく啜り始めた。

ズルズルズルッ!

静かな厨房に響き渡る、その下品とも言える音。しかし、その音は不思議と不快ではなかった。むしろ、聞いているこちらの食欲まで、極限まで掻き立てる、悪魔的なBGMとなっていた。

エリオットの腹が、ぐぅぅぅぅぅ……と、今までにないほど大きな音を立てた。

(まずい。このままでは、理性が……)

彼の額に、冷や汗が滲む。

その時だった。

「……誰だ」

レオンの、氷のように冷たい声が響いた。食事に夢中になっていたはずの彼の視線が、一直線に、エリオットが潜む窓の外へと突き刺さっていた。

しまった。腹の音を聞かれたか。

エリオットは舌打ちし、隠れるのをやめて、ゆっくりと姿を現した。そして、何食わぬ顔で厨房の扉を開け、中へと入った。

「これはこれは、陛下。このような場所で、朝食とは。優雅なご身分ですな」

彼の精一杯の皮肉に、レオンは眉一つ動かさなかった。ただ、ラーメンの丼を少しだけ自分の方に引き寄せ、警戒するようにエリオットを見つめている。

「宰相。何の用だ」

「いえ、なに。陛下と騎士団長閣下を狂わせたという、リンドブルムの魔女のお手並みを、拝見しに参ったまで」

エリオットの視線が、アリアを射抜く。アリアは突然現れた、見るからに不健康そうで、目の据わった男に怯え、レオンの後ろに隠れるようにして身を縮こませた。

「ほう。それで、感想は?」

レオンの問いに、エリオットは鼻で笑った。

「見たところ、ただの野蛮な汁物ですな。特に、あのように大量の野菜……見るだけで食欲が失せる」

彼の野菜への侮蔑を込めた言葉に、アリアがぴくりと反応した。

それを、エリオットは見逃さなかった。

(やはり、この野菜に何か仕掛けがあるな)

彼は確信した。

「よろしい。ならば、あなた様にも、これを一杯、召し上がっていただきましょう」

アリアが、レオンの後ろからひょっこりと顔を出し、静かだが、凛とした声で言った。その瞳には、恐怖ではなく、自らの料理に対する、確かな誇りの光が宿っていた。

「私の料理が、ただの『野蛮な汁物』かどうか。あなたの舌で、確かめてみなさい」

その挑戦的な申し出に、エリオットの口元が歪んだ。

望むところだ。その料理に含まれる毒を、この私が白日の下に晒してやる。

「よかろう。受けて立つ」

彼は、アリアが差し出した、もう一杯のラーメンが置かれた席に、ゆっくりと腰を下ろした。

目の前には、湯気の立つ、禁断の一杯。大量の野菜が、彼を嘲笑うかのように盛り付けられている。

エリオットは、覚悟を決めた。

帝国の未来を賭けた、静かな戦いの火蓋が、今、切って落とされた。
しおりを挟む
感想 47

あなたにおすすめの小説

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

上下左右
恋愛
「貴様のような疫病神との婚約は破棄させてもらう!」  触れた魔道具を壊す体質のせいで、三度の婚約破棄を経験した公爵令嬢エリス。家族からも見限られ、罰として鬼将軍クラウス辺境伯への嫁入りを命じられてしまう。  しかしエリスは周囲の評価など意にも介さない。 「顔なんて目と鼻と口がついていれば十分」だと縁談を受け入れる。  だが実際に嫁いでみると、鬼将軍の顔は認識阻害の魔術によって醜くなっていただけで、魔術無力化の特性を持つエリスは、彼が本当は美しい青年だと見抜いていた。  一方、エリスの特異な体質に、元婚約者の伯爵が気づく。それは伝説の聖女と同じ力で、領地の繁栄を約束するものだった。  伯爵は自分から婚約を破棄したにも関わらず、その決定を覆すために復縁するための画策を始めるのだが・・・後悔してももう遅いと、ざまぁな展開に発展していくのだった  本作は不遇だった令嬢が、最恐将軍に溺愛されて、幸せになるまでのハッピーエンドの物語である ※※小説家になろうでも連載中※※

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

『異世界転生してカフェを開いたら、庭が王宮より人気になってしまいました』

ヤオサカ
恋愛
申し訳ありません、物語の内容を確認しているため、一部非公開にしています この物語は完結しました。 前世では小さな庭付きカフェを営んでいた主人公。事故により命を落とし、気がつけば異世界の貧しい村に転生していた。 「何もないなら、自分で作ればいいじゃない」 そう言って始めたのは、イングリッシュガーデン風の庭とカフェづくり。花々に囲まれた癒しの空間は次第に評判を呼び、貴族や騎士まで足を運ぶように。 そんな中、無愛想な青年が何度も訪れるようになり――?

妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――

妹に裏切られた聖女は娼館で競りにかけられてハーレムに迎えられる~あれ? ハーレムの主人って妹が執心してた相手じゃね?~

サイコちゃん
恋愛
妹に裏切られたアナベルは聖女として娼館で競りにかけられていた。聖女に恨みがある男達は殺気立った様子で競り続ける。そんな中、謎の美青年が驚くべき値段でアナベルを身請けした。彼はアナベルをハーレムへ迎えると言い、船に乗せて隣国へと運んだ。そこで出会ったのは妹が執心してた隣国の王子――彼がこのハーレムの主人だったのだ。外交と称して、隣国の王子を落とそうとやってきた妹は彼の寵姫となった姉を見て、気も狂わんばかりに怒り散らす……それを見詰める王子の目に軽蔑の色が浮かんでいることに気付かぬまま――

ボロボロになるまで働いたのに見た目が不快だと追放された聖女は隣国の皇子に溺愛される。……ちょっと待って、皇子が三つ子だなんて聞いてません!

沙寺絃
恋愛
ルイン王国の神殿で働く聖女アリーシャは、早朝から深夜まで一人で激務をこなしていた。 それなのに聖女の力を理解しない王太子コリンから理不尽に追放を言い渡されてしまう。 失意のアリーシャを迎えに来たのは、隣国アストラ帝国からの使者だった。 アリーシャはポーション作りの才能を買われ、アストラ帝国に招かれて病に臥せった皇帝を助ける。 帝国の皇子は感謝して、アリーシャに深い愛情と敬意を示すようになる。 そして帝国の皇子は十年前にアリーシャと出会った事のある初恋の男の子だった。 再会に胸を弾ませるアリーシャ。しかし、衝撃の事実が発覚する。 なんと、皇子は三つ子だった! アリーシャの幼馴染の男の子も、三人の皇子が入れ替わって接していたと判明。 しかも病から復活した皇帝は、アリーシャを皇子の妃に迎えると言い出す。アリーシャと結婚した皇子に、次の皇帝の座を譲ると宣言した。 アリーシャは個性的な三つ子の皇子に愛されながら、誰と結婚するか決める事になってしまう。 一方、アリーシャを追放したルイン王国では暗雲が立ち込め始めていた……。

裏庭係の私、いつの間にか偉い人に気に入られていたようです

ルーシャオ
恋愛
宮廷メイドのエイダは、先輩メイドに頼まれ王城裏庭を掃除した——のだが、それが悪かった。「一体全体何をしているのだ! お前はクビだ!」「すみません、すみません!」なんと貴重な薬草や香木があることを知らず、草むしりや剪定をしてしまったのだ。そこへ、薬師のデ・ヴァレスの取りなしのおかげで何とか「裏庭の管理人」として首が繋がった。そこからエイダは学び始め、薬草の知識を増やしていく。その真面目さを買われて、薬師のデ・ヴァレスを通じてリュドミラ王太后に面会することに。そして、お見合いを勧められるのである。一方で、エイダを嵌めた先輩メイドたちは——?

処理中です...