無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第36話:宮廷医の驚愕

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一口、口に含んだ瞬間。ヴィクトリア皇太后の全身を温かいものが駆け巡った。

それはただのスープではなかった。

太陽の光をたっぷりと浴びて育ったかぼちゃの凝縮された甘み。じっくりと炒められた玉ねぎの深いコク。それらを優しく包み込む、鶏の滋味あふれる出汁。全ての素材が、お互いを尊重し高め合い、完璧な調和を生み出している。

そして何より、その味は驚くほど優しかった。疲弊しきった体にじんわりと、負担をかけることなく染み渡っていく。まるで幼い頃に母が作ってくれた、愛情だけが調味料だったあのスープのように。

彼女の長い間閉ざされていた味覚が、ゆっくりと目覚めていく。

「……温かい」

ぽつりと漏れた呟き。それはスープの温度に対してだけではない。その味に込められた、作り手の温もりに対する偽らざる感想だった。

彼女はもう一口、そしてまたもう一口と、無心でスプーンを動かし始めた。衰弱し何も受け付けなかったはずの胃が、この黄金色の液体を喜んで迎え入れているのが分かった。

部屋にいる誰もが息を呑んでその光景を見守っていた。侍女長はハンカチで口元を押さえ、目に涙を浮かべている。宮廷医は信じられないものを見る目で己の知識を総動員して、目の前の現象を理解しようと努めていた。

そして、レオンハルトは。

ただ固く拳を握りしめ、母のその姿を目に焼き付けるように見つめていた。その蒼い瞳は安堵と、そしてアリアへの深い感謝の色にきらきらと潤んでいる。

ヴィクトリアはあっという間に一皿のポタージュを飲み干してしまった。最後の一滴まで、スプーンで丁寧にすくい取って。

「……ふぅ」

彼女が満足のため息をついた時、その頬にはほんのりと血の気が戻っていた。

「見事な、腕だ」

彼女は静かに私を見つめて言った。その瞳には先程までの侮りはなく、純粋な賞賛の色が宿っている。

「ありがとうございます。ですが、まだございます」

私はそう言うと、今度は茶碗蒸しの器の蓋をそっと開けた。

ふわりと立ち上る気品あふれる出汁の香り。絹のようになめらかな淡い黄色の表面。その中心にぽつりと浮かぶ緑の葉が、まるで芸術品のような彩りを添えている。

「これは…?」

「茶碗蒸し、と申します。卵と一番出汁だけで作りました。こちらも、お体に優しいかと」

ヴィクトリアは興味深そうにその器を手に取った。そして銀の匙を、そっとその表面に入れる。

ぷるん、とした心地よい感触。

すくい上げた一口を、口に運ぶ。

「……!」

彼女の目が驚きに大きく見開かれた。

なんだ、この奥深い味わいは。

口に入れた瞬間、ふるふるとした食感と共に卵の優しい甘みが広がる。そして、次の瞬間。凝縮された気品あふれる出汁の旨味と香りが、洪水のように押し寄せてきた。

昆布もどきと椎茸もどきの滋味深い味わい。魚の節の高貴な香り。それらが卵という最高の媒体を得て、完璧なハーモニーを奏でている。

食べ進めると、中から現れる柔らかな鶏肉や食感の楽しい茸が、単調になりがちな味に嬉しい驚きを与えてくれた。

ポタージュが体に染み渡る『優しさ』だとしたら。この茶碗蒸しは心に染み渡る『滋味』だった。

これもまた、彼女は最後の一口まで名残惜しむようにゆっくりと、しかし綺麗に平らげてしまった。

二つの器が空になった。

この一月、固形物はもちろんスープさえもほとんど口にしなかった皇太后が、二皿の料理を完食した。

それは奇跡以外の何物でもなかった。

「……下がって、よい」

ヴィクトリアは静かにそう告げた。その声は来た時よりも明らかに力強いものになっている。

私とレオン様が深々と一礼し、部屋を出ようとした時。

「……娘よ」

背後から呼び止められた。私が振り返ると、彼女は私を真っ直ぐに見つめて言った。

「また、明日も頼む」

その一言が全てを物語っていた。

私たちが部屋を後にすると、中から宮廷医の慌てふためいた声が聞こえてきた。

「信じられん…! 皇太后様の脈が、明らかに力強くなっている! 顔色も…! いったい、あの料理に何が…!?」

その声を聞きながら、レオン様は私の隣で子供のように嬉しそうに、そして誇らしそうに笑っていた。

その日から三日間。私は毎日、皇太后様のために病を癒す料理を作り続けた。

二日目は消化の良い白身魚を使った葛餡かけと、数種類の根菜をすりおろして作ったとろりとしたお粥。

三日目は鶏のささみと豆腐もどきを使った、ふわふわのあんかけ丼。

私が作る料理を皇太后様は毎日綺麗に完食された。そして、その度に彼女は目に見えて元気を取り戻していった。

四日目の朝。私たちが彼女の部屋を訪ねた時。

そこにいたのはもはや病人ではなかった。

彼女はベッドから起き上がり、美しい刺繍の施された室内着を身にまとって窓辺の椅子に腰掛けていた。閉め切られていたカーテンは開け放たれ、朝の柔らかな光が部屋の中を明るく照らしている。

その肌には艶が戻り、瞳にはかつての『帝国の白百合』を彷彿とさせる理知と威厳の光が力強く宿っていた。

「……見事だ、アリア」

彼女は私を見ると、心からの笑顔でそう言った。

「そなたは、この私を、そして息子の心を救ってくれた。この恩は決して忘れぬ」

その言葉は、何よりも重い皇太后からの最大限の賛辞だった。

部屋の隅では宮廷医たちが相変わらず首を傾げながら、皇太后様の脈拍やら血圧やらの記録を取り、ぶつぶつと何かを呟いている。

「栄養価が高いのは分かる。消化が良いのも分かる。しかし、それだけでこれほどの劇的な回復は医学的に説明がつかん…!」
「まるで料理そのものが生命力を持っているかのようだ…」

彼らの驚愕をよそに、私はただ元気になった皇太后様の姿を見て心の底から安堵していた。

私の料理が、また一人大切な人を笑顔にできた。

その喜びが私の全身を温かい光で満たしていく。この力は一体何なのだろう。自分でもまだよく分かっていなかったけれど。

ただ、一つだけ確かなこと。

私の料理は、人を幸せにできる。

その確信が私の胸の中で、また一つ強く、確かなものになった瞬間だった。
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