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第91話:祝賀会のフルコース
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祝賀会の当日。帝都アスガルドは建国以来の祝祭ムードに包まれていた。空には色とりどりの旗がはためき、家々の窓には花が飾られている。道行く人々の顔は誰もが笑顔で、これから始まる宴への期待に満ちていた。
その中心地である王城ヴァイスフレア、『太陽の間』。そこは、この世のものとは思えぬほどきらびやかな光で満たされていた。天井からは巨大なシャンデリアが幾つも吊り下げられ、磨き上げられた大理石の床にその光が乱反射している。
集まったのは帝国の全ての貴族。そして大陸諸国から訪れた王族や使節団。誰もがこの歴史的な一日を祝うため、最高級の衣装と宝石でその身を飾っていた。
私はその会場の、玉座の隣に設けられた特別な席に、ただ呆然と座っていた。
深青色のドレスは私の動きに合わせて星屑のようにきらきらと輝く。しかし私の心は、その輝きとは裏腹に不安と緊張で張り裂けそうだった。
会場中の視線が私一人に注がれている。好奇、尊敬、憧憬、そしてほんの少しの嫉妬。そのあまりにも多くの感情の奔流に、私はどうしていいか分からずにいた。
「顔が硬いぞ、アリア」
隣の玉座から低く優しい声がした。レオン様が私の緊張を見透かしたように、微笑みかけてくれていた。
「君は今宵の主役なのだ。もっと胸を張れ」
彼はテーブルの下でそっと私の手を握ってくれた。その大きくて温かい感触が、私の凍てついた心を少しずつ溶かしていく。
やがてファンファーレが高らかに鳴り響き、宰相エリオット様が開会を宣言した。
「これより、帝国の新たなる門出と、我らが救国の聖女アリア様の快復を祝し、祝賀の宴を開会する!」
その言葉を合図に、会場は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。
そして、いよいよ宴の主役である料理の時間が始まった。
銀の盆を掲げた侍従たちが一糸乱れぬ動きで会場を練り歩く。そして集まった人々の前に、最初の一皿が静かに置かれていった。
前菜。『大地と海の恵みのテリーヌ』。
蓋が開けられた瞬間、会場のあちこちから小さく、しかし抑えきれない感嘆の声が漏れた。
皿の上には、まるでモザイク画のように色とりどりの食材が寄せ合わされた美しいテリーヌが鎮座していた。
呪いから解放された大地で育った、人参の鮮やかなオレンジ。ほうれん草もどきの深い緑。そして南の海で獲れたばかりの、海老もどきの鮮烈な赤。それらが透き通った魚介の出汁のジュレに閉じ込められ、光を浴びてきらきらと輝いている。
人々は、そのあまりの美しさにフォークを入れるのをためらった。
しかし一口、口に運んだ瞬間。
会場は驚愕の沈黙に包まれた。
「……味が濃い」
誰かが呆然と呟いた。
そうだ。味が濃いのだ。
今まで彼らが知っていた野菜の味ではない。人参は驚くほど甘く。ほうれん草はその風味が豊か。海老はぷりぷりとした食感と共に、海の香りを口の中いっぱいに広げる。
二百七十年もの間失われていた、食材本来の力強い生命の味。
人々は生まれて初めて本物の『野菜の味』を知った。そのあまりにも純粋で暴力的なまでの美味さに、ただ言葉を失っていた。
続いて運ばれてきたのは、スープ。
黄金色に輝くコンソメスープ。
器に鼻を近づけると、鶏の深く、そして気品あふれる香りがふわりと立ち上る。余計なものは何一つ入っていない。ただひたすらに純粋な旨味だけを抽出した、完璧な一皿。
人々は、その透き通った液体を静かに口に運んだ。
その瞬間、温かいものが体の芯までじんわりと染み渡っていく。
ああ、これが『美味しい』ということなのか。
誰もがそう魂で理解した。複雑な味付けなど必要ない。最高の食材を最高の技術で調理すれば、それは人の心をここまでも揺さぶるのだ。
会場は先程とは違う、神聖な儀式のような静かな感動に包まれた。
三皿目は魚料理。『白身魚のポワレ、陽柑のソース』。
こんがりと焼き上げられた黄金色の魚の皮。その上にバターと陽柑の果汁で作った、爽やかな香りのソースが惜しげもなくかけられている。
ナイフを入れると「パリッ」という小気味よい音が耳をくすぐる。そしてその下から現れるのは、湯気を立てる雪のように真っ白でふっくらとした魚の身。
皮の香ばしくてクリスピーな食感。
身のしっとりとしてとろけるような柔らかさ。
そしてソースの爽やかな酸味とバターのコク。
その完璧な三重奏に、美食を謳うソレイユ王国の使節団でさえ唸り声を上げて、その皿を夢中で平らげていた。
そして、ついにメインディッシュの時が来た。
会場の照明が少しだけ落とされる。そして大きなワゴンに乗せられて運ばれてきたのは、巨大な銀の寸胴鍋。
料理長自らが、その蓋を厳かに開け放った。
ふわり、と。
会場全体を一瞬にして支配する、濃厚で芳醇な香り。
『究極のビーフシチュー』。
一人一人の皿に、その闇のように深く艶やかなシチューが注がれていく。ゴロリとした大きな牛肉。色鮮やかな野菜たち。
人々は、もはや我慢できなかった。
その一口を口に運んだ瞬間。
会場は幸福なため息だけで満たされた。
ほろりと舌の上でとろける牛肉。
野菜の凝縮された甘み。
そして何日もかけて煮込まれた、デミグラスソースもどきの神の領域に達した、深い深いコクと旨味。
それはもはや料理ではなかった。
アリアという聖女がこの国の豊穣の復活を祝い、民の幸福を祈って作り上げた、一つの芸術作品だった。
人々は泣いていた。
あまりの美味さに。あまりの幸福感に。
そしてこの国に、この時代に生まれてこれたことへの感謝に。
私はその光景を夢を見ているような気持ちで眺めていた。
私の料理がこんなにも多くの人々を幸せにしている。
その事実が私の胸を熱く、熱く満たしていく。
「見事だ、アリア」
隣でレオン様が静かに、しかしその声に最大の賛辞を込めて言った。
「君はやはり俺の誇りだ」
その言葉に、私は涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。
フルコースは終わった。
しかし祝賀会の本当のクライマックスは、まだこれからだった。
侍従長が再び声を張り上げた。
「皆様! 宴はまだ終わりではございません! これよりアリア様がその魂の全てを注ぎ込んで作り上げた、デザートの世界へ皆様をご招待いたします!」
その言葉を合図に、会場の反対側の壁を覆っていた巨大なカーテンがゆっくりと開かれていく。
そして、その向こうに広がる光景に、会場にいた全ての人間が、今宵何度目か分からない最大級の衝撃を受けることになる。
夢の始まりだった。
その中心地である王城ヴァイスフレア、『太陽の間』。そこは、この世のものとは思えぬほどきらびやかな光で満たされていた。天井からは巨大なシャンデリアが幾つも吊り下げられ、磨き上げられた大理石の床にその光が乱反射している。
集まったのは帝国の全ての貴族。そして大陸諸国から訪れた王族や使節団。誰もがこの歴史的な一日を祝うため、最高級の衣装と宝石でその身を飾っていた。
私はその会場の、玉座の隣に設けられた特別な席に、ただ呆然と座っていた。
深青色のドレスは私の動きに合わせて星屑のようにきらきらと輝く。しかし私の心は、その輝きとは裏腹に不安と緊張で張り裂けそうだった。
会場中の視線が私一人に注がれている。好奇、尊敬、憧憬、そしてほんの少しの嫉妬。そのあまりにも多くの感情の奔流に、私はどうしていいか分からずにいた。
「顔が硬いぞ、アリア」
隣の玉座から低く優しい声がした。レオン様が私の緊張を見透かしたように、微笑みかけてくれていた。
「君は今宵の主役なのだ。もっと胸を張れ」
彼はテーブルの下でそっと私の手を握ってくれた。その大きくて温かい感触が、私の凍てついた心を少しずつ溶かしていく。
やがてファンファーレが高らかに鳴り響き、宰相エリオット様が開会を宣言した。
「これより、帝国の新たなる門出と、我らが救国の聖女アリア様の快復を祝し、祝賀の宴を開会する!」
その言葉を合図に、会場は割れんばかりの拍手と喝采に包まれた。
そして、いよいよ宴の主役である料理の時間が始まった。
銀の盆を掲げた侍従たちが一糸乱れぬ動きで会場を練り歩く。そして集まった人々の前に、最初の一皿が静かに置かれていった。
前菜。『大地と海の恵みのテリーヌ』。
蓋が開けられた瞬間、会場のあちこちから小さく、しかし抑えきれない感嘆の声が漏れた。
皿の上には、まるでモザイク画のように色とりどりの食材が寄せ合わされた美しいテリーヌが鎮座していた。
呪いから解放された大地で育った、人参の鮮やかなオレンジ。ほうれん草もどきの深い緑。そして南の海で獲れたばかりの、海老もどきの鮮烈な赤。それらが透き通った魚介の出汁のジュレに閉じ込められ、光を浴びてきらきらと輝いている。
人々は、そのあまりの美しさにフォークを入れるのをためらった。
しかし一口、口に運んだ瞬間。
会場は驚愕の沈黙に包まれた。
「……味が濃い」
誰かが呆然と呟いた。
そうだ。味が濃いのだ。
今まで彼らが知っていた野菜の味ではない。人参は驚くほど甘く。ほうれん草はその風味が豊か。海老はぷりぷりとした食感と共に、海の香りを口の中いっぱいに広げる。
二百七十年もの間失われていた、食材本来の力強い生命の味。
人々は生まれて初めて本物の『野菜の味』を知った。そのあまりにも純粋で暴力的なまでの美味さに、ただ言葉を失っていた。
続いて運ばれてきたのは、スープ。
黄金色に輝くコンソメスープ。
器に鼻を近づけると、鶏の深く、そして気品あふれる香りがふわりと立ち上る。余計なものは何一つ入っていない。ただひたすらに純粋な旨味だけを抽出した、完璧な一皿。
人々は、その透き通った液体を静かに口に運んだ。
その瞬間、温かいものが体の芯までじんわりと染み渡っていく。
ああ、これが『美味しい』ということなのか。
誰もがそう魂で理解した。複雑な味付けなど必要ない。最高の食材を最高の技術で調理すれば、それは人の心をここまでも揺さぶるのだ。
会場は先程とは違う、神聖な儀式のような静かな感動に包まれた。
三皿目は魚料理。『白身魚のポワレ、陽柑のソース』。
こんがりと焼き上げられた黄金色の魚の皮。その上にバターと陽柑の果汁で作った、爽やかな香りのソースが惜しげもなくかけられている。
ナイフを入れると「パリッ」という小気味よい音が耳をくすぐる。そしてその下から現れるのは、湯気を立てる雪のように真っ白でふっくらとした魚の身。
皮の香ばしくてクリスピーな食感。
身のしっとりとしてとろけるような柔らかさ。
そしてソースの爽やかな酸味とバターのコク。
その完璧な三重奏に、美食を謳うソレイユ王国の使節団でさえ唸り声を上げて、その皿を夢中で平らげていた。
そして、ついにメインディッシュの時が来た。
会場の照明が少しだけ落とされる。そして大きなワゴンに乗せられて運ばれてきたのは、巨大な銀の寸胴鍋。
料理長自らが、その蓋を厳かに開け放った。
ふわり、と。
会場全体を一瞬にして支配する、濃厚で芳醇な香り。
『究極のビーフシチュー』。
一人一人の皿に、その闇のように深く艶やかなシチューが注がれていく。ゴロリとした大きな牛肉。色鮮やかな野菜たち。
人々は、もはや我慢できなかった。
その一口を口に運んだ瞬間。
会場は幸福なため息だけで満たされた。
ほろりと舌の上でとろける牛肉。
野菜の凝縮された甘み。
そして何日もかけて煮込まれた、デミグラスソースもどきの神の領域に達した、深い深いコクと旨味。
それはもはや料理ではなかった。
アリアという聖女がこの国の豊穣の復活を祝い、民の幸福を祈って作り上げた、一つの芸術作品だった。
人々は泣いていた。
あまりの美味さに。あまりの幸福感に。
そしてこの国に、この時代に生まれてこれたことへの感謝に。
私はその光景を夢を見ているような気持ちで眺めていた。
私の料理がこんなにも多くの人々を幸せにしている。
その事実が私の胸を熱く、熱く満たしていく。
「見事だ、アリア」
隣でレオン様が静かに、しかしその声に最大の賛辞を込めて言った。
「君はやはり俺の誇りだ」
その言葉に、私は涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。
フルコースは終わった。
しかし祝賀会の本当のクライマックスは、まだこれからだった。
侍従長が再び声を張り上げた。
「皆様! 宴はまだ終わりではございません! これよりアリア様がその魂の全てを注ぎ込んで作り上げた、デザートの世界へ皆様をご招待いたします!」
その言葉を合図に、会場の反対側の壁を覆っていた巨大なカーテンがゆっくりと開かれていく。
そして、その向こうに広がる光景に、会場にいた全ての人間が、今宵何度目か分からない最大級の衝撃を受けることになる。
夢の始まりだった。
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