悪役令嬢レベル100

夏見ナイ

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第25話 安全確保という名の散歩

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箒の一振りで城全体の魔物を一掃してから、一夜が明けた。
私は、驚くほど快適な朝を迎えていた。
昨夜は、掃除の行き届いた主寝室でぐっすりと眠ることができた。ゼノがどこからか調達してきた真新しいマットレスと、シロのもふもふの体温のおかげで、暖炉がなくても全く寒くはなかった。
朝日が、かつては割れていた窓から差し込んでいる。見ると、窓枠には綺麗に磨かれたガラスがはめ込まれていた。私が眠っている間に、ゼノが徹夜で修理したらしい。彼の忠誠心と万能ぶりには、本当に頭が下がる。
「ふあ……」
私はベッドの上で大きな伸びをした。
さて、今日は何をしようか。
ゼノは、朝から「王城再建計画の第一段階に着手します!」と意気込んで、城の図面と睨めっこをしていた。彼に任せておけば、城の修復は勝手に進んでいくだろう。
ならば、私は私のやるべきことをしよう。
私のスローライフ計画において、最も重要なのは食料の確保と、心穏やかに過ごせる環境の整備だ。
そのためには、まず自分の領地がどのような場所なのか、この目で確かめておく必要がある。
どんな植物が生えているのか。どこに水源があるのか。そして何より、のんびりとお茶を飲むのに最適な、景色の良い場所はどこか。
「よし、決めた」
私はベッドから飛び起きると、部屋の隅で丸くなって眠っていたシロの背中を優しく叩いた。
「シロ、起きて。お散歩に行くわよ」
「くぅん……?」
シロは眠そうな目で私を見上げ、やがて大きなあくびをした。そして、私が『散歩』という単語を発したのを理解すると、途端に目を輝かせ、喜び勇んで立ち上がった。その巨体が揺れるたびに、部屋がわずかに振動する。
「わふっ!」
早く行こう、とでも言うように、シロは私の足元に頭を擦り付けてきた。
私がシロを連れて部屋を出ると、廊下で図面を広げていたゼノが顔を上げた。
「アシュリー様、お目覚めでしたか。どちらへ?」
「少し、その辺を散歩してくるわ。自分の庭がどんなところか、見ておきたいもの」
私の言葉に、ゼノの目がカッと見開かれた。
「に、庭……でございますか!なんと壮大なお言葉!このヴァルハイト領全土を、御身の庭と!」
「ええ、まあ、そんな感じよ」
面倒なので適当に肯定しておく。
「承知いたしました!アシュリー様による、本格的な領地視察の開始ですね!このゼノ、すぐさま護衛の準備を!」
ゼノが慌てて立ち上がろうとするのを、私は手で制した。
「いいえ、あなたはここにいて。城の修復計画で忙しいでしょう?シロと二人で行ってくるわ」
「し、しかし!万が一のことがあっては……!」
「大丈夫よ。シロもいるし、ちょっとした運動みたいなものだから」
私はにっこり笑って、有無を言わせぬ空気を醸し出した。本当の理由は、ゼノがついてくると、彼の過剰な反応にいちいち対応するのが疲れるからだ。気楽な散歩を楽しみたい。
私の決意を悟ったのか、ゼノは悔しそうに唇を噛み、しかし最後には恭しく頭を下げた。
「……御意に。どうか、お気をつけて」
私は彼の見送りを受け、シロを伴って城の外へと足を踏み出した。

ひんやりとした空気が、心地よい。
私とシロは、特に目的もなく、城の裏手にある広大な森へと向かって歩き始めた。
森は、城の中とは違い、まだ多くの魔物の気配が残っていた。だが、シロが隣を歩いているせいか、あるいは私自身の覇気のせいか、魔物たちがこちらに近づいてくる気配はない。木々の間から、こちらの様子を伺う無数の目が光っているのを感じるが、それだけだ。
「静かでいいところね」
私は、苔むした倒木に腰掛け、一息ついた。
シロは、そんな私の足元に伏せ、気持ちよさそうに目を細めている。その巨大な頭を撫でてやると、グルグルと喉を鳴らした。まるで巨大な猫のようだ。
平和な時間だった。
これこそ、私が求めていたスローライフの一端だ。
しばらく休憩した後、私たちは再び森の奥へと進んでいった。
道中、様々な発見があった。
綺麗な水が湧き出る泉を見つけた。飲んでみると、驚くほどまろやかで美味しい。ここは重要な拠点になりそうだ。
食べられそうなキノコや木の実もいくつか見つけた。『薬草図鑑』で見たことのある薬草も群生している。この森は、見かけによらず豊かなのかもしれない。

そんな、のどかな散歩の途中。
私たちの前に、最初の『邪魔者』が現れた。
ザザザ、と。
前方の茂みが大きく揺れ、そこから巨大な蛇が姿を現したのだ。
体長は十メートル以上。体は丸太のように太く、その鱗は毒々しい緑色に輝いている。鎌首をもたげたその頭には、鶏冠のような赤い突起がついていた。
コカトリスだ。その視線には、生物を石に変える力があるという。
シロが、即座に反応した。彼は私の前に立ちはだかり、牙を剥いて威嚇の唸り声を上げる。
だが、私はそんなシロの頭をぽんと叩いて、前に出た。
「大丈夫よ、シロ」
私は、その巨大な毒蛇を興味深げに見つめた。
(まあ、綺麗な柄の紐ね)
そう、私にはそれが、ただのちょっと大きくて、派手な柄の紐かロープにしか見えなかったのだ。
コカトリスは、私たちが怯まないことに苛立ったのか、シュー、という威嚇音と共に、その邪眼をカッと見開いた。石化の魔眼が、私に向けて放たれる。
しかし、レベル100の私に、そんな状態異常が効くはずもなかった。
「……?」
何も起こらないことに、コカトリスの方が困惑しているようだ。
私は、そんな彼(?)の様子を微笑ましく思いながら、道を塞いでいるその巨体に向かって言った。
「ごめんなさいね。ちょっとそこ、通してもらってもいいかしら?」
もちろん、言葉が通じるはずもない。コカトリスは、今度はその巨大な顎を大きく開け、私に襲いかかってきた。
(仕方ないわね)
私はため息をつき、その巨大な頭に向かって、軽くデコピンをした。
こん、という可愛らしい音が響く。
次の瞬間。
コカ-トリスの巨体は、まるで巨大なハンマーで殴られたかのように、くの字に折れ曲がり、凄まじい勢いで森の奥へと吹き飛んでいった。木々を何本もなぎ倒し、やがて視界から消える。
後に残されたのは、不自然に開けた一本の道だけだった。
「さて、道ができたことだし、進みましょうか」
私は何事もなかったかのように、再び歩き始めた。
後ろからついてくるシロが、呆れたように大きなため息をついたのを、私は聞き逃さなかった。

その後も、私たちの散歩は数々の『邪魔者』によって中断された。
空から襲ってきたグリフォンの群れは、「鳥のフンが落ちてきたら嫌だわ」という理由で、私が放った小石によって全て撃ち落とされた。
地面から奇襲してきた巨大な人食い植物は、「綺麗な花なのに、臭いがちょっと……」という理由で、根っこから引き抜かれて遠くに放り投げられた。
私たちの進む道は、安全そのものだった。
いや、安全というよりは、あらゆる危険が、その発生源ごと、物理的に排除されていった、と言う方が正しい。
私は、ただのんびりと散歩を楽しんでいるだけ。
その無自覚な行動が、このヴァルハイト領の生態系を根底から作り変えていることなど、知る由もなかった。
やがて、森の最も深い場所から、これまでとは比較にならないほど、強大で、そして古めかしい気配が漂ってくるのを感じた。
「あら?」
私は、足を止めた。
「なんだか、もっと大きくて、面白そうな動物がいるみたいね」
私は、好奇心に目を輝かせた。
「シロ、行ってみましょう!」
私の弾んだ声に、シロは一瞬だけ天を仰ぎ、そして諦めたように「わふん」と短く鳴いた。
主がそうと決めれば、従うまで。
たとえ、その先に待つのが、この地域の生態系の頂点に君臨する、伝説の古竜であろうとも。
こうして、私の『安全確保』という名の散歩は、クライマックスへと向かっていくのだった。
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