悪役令嬢レベル100

夏見ナイ

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第68話 黒幕の正体

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エリオット王子が苦悩の末に『魔王アシュリー討伐』の決断を下した、その夜。
王城の地下深く、誰にも知られることのない秘密の礼拝堂で一人の男が祈りを捧げていた。
アストライア王国の宰相、その人だった。
蝋燭の揺らめく光が彼の顔に不気味な陰影を落としている。その表情は国王や王子の前で見せる忠実な臣下のそれとは全く異なっていた。
瞳には狂信的な光が宿り、口元には世界の終わりを待ち望むかのような歪んだ笑みが浮かんでいる。
「……時は、満ちた」
彼は祭壇に祀られた、不気味な紋様が刻まれた石板に向かって恍惚と呟いた。
その石板は古の災厄を崇める邪教の御神体だった。
「聖女の器はほぼ完成した。そして、愚かな王子は我らが望む通り、最大の障害である『魔女』を排除するための駒として動き始めた」
全てが彼の、いや、彼の一族が何世代にもわたって描いてきた計画通りに進んでいた。
彼の一族は遥か古の時代から、災厄の復活を至上命題としてきた災厄の使徒たちだった。
彼らは歴史の裏で暗躍し、聖女の血筋を管理し、そして災厄復活の儀式に最も都合の良い時代が来るのをじっと待ち続けていた。
そして今、その好機がついに訪れたのだ。
七度のループを経て、異常なまでに純度の高い聖なる力を持って生まれた聖女リリア。
そして、そのリリアを盲信し意のままに操ることのできる、純粋で愚かな王子エリオット。
完璧な舞台装置は全て整っていた。
ただ一つの、予測不能な『イレギュラー』を除いては。
「……アシュリー・フォン・ヴァルハイト」
宰相は、その名をまるで呪詛のように吐き捨てた。
『本物』のアシュリーが災厄のエネルギー源である五カ国の聖地を破壊して回っていたこと。彼はその事実を、一族に伝わる古文書と独自の調査によって突き止めていた。
彼女の妨害によって災厄の完全復活には当初の計画よりもさらに多くのマナが必要となってしまった。
そして、その『本物』が消え、入れ替わるように現れた現在の『アシュリー』。
その力は未知数。
卒業パーティで見せたあの常識を超えたプレッシャー。そして、北の地で起こしているという数々の神の御業に等しい奇跡。
あれは一体何なのだ。
彼女の存在は彼の完璧な計画における唯一のノイズであり、最大の脅威だった。
「……だが、それももう終わりだ」
宰相は不気味に笑った。
「王子が結成する大陸連合軍。その物量の前には、いかに魔女とて無事では済むまい。たとえ奴が連合軍を退けたとしても、その時には消耗しているはず。そこを我らが『切り札』で確実に仕留める」
彼の計画は二手、三手先まで用意周到に練られていた。
そして、その計画の最終段階において最も重要な役割を担うのがエリオット王子その人だった。

「……そろそろ、気づく頃か」
宰相は玉座の間の方角を見やり、嘲るように呟いた。
エリオット王子が聖女リリアの力の違和感や世界の悲鳴に薄々感づき始めていること。宰相は全てお見通しだった。
彼は王子の直属の密偵網に意図的に偽の情報を流し込み、彼の疑念を煽っていたのだ。
なぜか。
それは絶望した王子を自らの手駒としてより完璧に利用するため。
王子が自らの信じた正義が間違いであったと悟り、リリアを救うことも国を救うこともできず、完全に孤立し絶望した時。
その時こそ、宰相が彼に『救いの手』を差し伸べる瞬間なのだ。
『殿下。貴方が間違っていたのではない。世界が間違っているのです』
『この腐敗し、歪んだ世界を一度リセットし、新たなる清浄な世界を創造する。それこそが真の救済。聖女様の真の使命なのです』
そう囁けば、絶望の淵にいる王子はいとも簡単にその甘言にすがりつくだろう。
そして、自らの意志で聖女の力を暴走させ、災厄をこの世に降臨させるための最後の『鍵』となるのだ。
全ては彼の掌の上。

「さて、と」
宰相は祈りを終え、ゆっくりと立ち上がった。
「まずは邪魔な『目』を潰しておくとしよう」
彼はエリオットの疑念に気づいたフリをして、彼を自らの執務室へと呼び出した。
「殿下。近頃、何やらお悩みのご様子。もしや聖女様の御力に何か疑念でもお持ちなのでは?」
その全てを見透かしたような言葉に、エリオットは動揺を隠せなかった。
「な、何を言うか、宰相。私がリリアを疑うなど……」
「お隠しにならずともよろしいのです」
宰相は慈愛に満ちた、しかし蛇のように冷たい笑みを浮かべた。
「殿下の御心労、お察しいたします。ですが、ご安心を。その疑念は北の魔女が仕掛けた巧妙な情報戦によるもの。殿下は騙されておられるのです」
彼はそう言って、数枚の偽の証拠をエリオットの前に差し出した。
それはエリオット直属の密偵がアシュリー側と内通しているかのように見せかけた、巧妙に捏造された書類だった。
「な……! 馬鹿な! 彼らは私が最も信頼する者たちだぞ!」
「魔女の誘惑はそれほどまでに甘美なのです、殿下。彼らはもはや貴方の忠実な臣下ではありませぬ」
エリオットはその偽りの証拠を前に、言葉を失った。
リリアへの疑念。宰相への不信感。そして、最後の拠り所であったはずの部下からの裏切り。
彼の精神はもはや限界に近かった。
「……どうすれば、いいのだ」
絞り出すような声で彼は呟いた。
その絶望に満ちた言葉を宰相は待ちわびていた。
「ご安心を。この私が殿下の『目』となり『耳』となり、真実のみをお伝えいたしましょう。殿下はただ聖女様をお守りし、正義の執行にのみご注力くださればよいのです」
その言葉は暗闇の中で差し伸べられた唯一の蜘蛛の糸のように思えた。
エリオットはもはやその糸にすがりつくしか選択肢は残されていなかった。
彼は気づかぬうちに黒幕の張った巧妙な罠に完全に取り込まれてしまったのだ。
彼の疑念は真実にたどり着くための光ではなく、彼自身をより深い闇へと引きずり込むための鎖と成り果てていた。
黒幕の正体はもうエリオットのすぐそばにいる。
しかし彼はその顔に気づくことなく、自ら破滅への道を突き進んでいくことになるのだった。
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