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第35話 空の戦い
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嵐の空の下、広場は一時的に奇妙な静寂に包まれた。
傷ついたエルフの王女を守るように立つ、一頭の真紅の幼竜。その絶対的な存在感を前に、三匹のワイバーンは完全に動きを止め、ただ上空を旋回するだけだった。
「どういうことだ……。なぜアイリスが、竜血を……」
アイリスの兄は兜の下で理解不能な現実を前に、ただ呆然と呟いていた。彼の計画では、妹はとうに竜血に呑まれて自滅するか、あるいは彼の手によって『処分』されているはずだった。
その時、教会の入り口に一人の少女がゆっくりと姿を現した。
燃えるような赤い髪が風にたなびいている。その身にまとっていたボロボロの革鎧は脱ぎ捨てられ、今はセレスティアが用意したであろう簡素な村娘の服を身に着けていた。その華奢な身体からは、もはや暴走の気配は微塵も感じられない。代わりに、彼女の全身からは完全に制御された強大な竜の力が、静かなオーラとなって立ち上っていた。
アイリスだった。
彼女は俺とセレスティアに支えられながらも、自らの足でしっかりと大地を踏みしめている。その澄んだ瞳は憎しみでも恐怖でもない、ただ静かな決意の色をたたえ、広場の中央に立つ兄をまっすぐに見据えていた。
「……兄さん」
アイリスの凛とした声が広場に響き渡った。
「もう、あなたの好きにはさせない」
その言葉に、兄ははっと我に返った。彼は妹の変わり果てた(あるいは、真の姿を取り戻した)姿に動揺しながらも、それを隠すように再び冷酷な仮面を被った。
「……アイリス。その様子、まさか竜血を乗りこなしたとでも言うつもりか。まぐれに決まっている。お前のような出来損ないに、そんな芸当ができるはずがない!」
彼は妹の成長を認めようとしなかった。その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。
「あなたのおかげよ、兄さん」
アイリスは静かに言った。
「あなたに見捨てられ、一族から追われ、死の淵を彷徨ったからこそ、わたしは本当の意味でこの血と向き合うことができた。そして……」
彼女はちらりと俺の方を見た。その瞳には確かな感謝の色が浮かんでいる。
「わたしを信じ、この力を受け止めてくれた人たちがいたから。わたしはもう、一人じゃない」
彼女の言葉に、兄の顔が侮辱されたかのように歪んだ。
「……戯言を。人間などに魂を売ったか、アイリス! もはやお前は我が竜騎士一族の者ではない! ここで、完全に息の根を止めてくれる!」
彼は自らが騎乗してきた中で、ひときわ巨大で凶暴なワイバーンの背へと飛び乗った。そして手に持った竜槍を天に掲げ、叫んだ。
「お前たちも、何を呆けている! あの赤い仔竜ごと、エルフも人間も、全て食い殺せ!」
彼の号令に、我に返った他の二匹のワイバーンも再び闘志を取り戻す。
空の戦いが、始まろうとしていた。
だが、アイリスは少しも動じなかった。彼女は相棒であるフレアに向かって、静かに語りかけた。
「行こう、フレア。わたしたちの力を、見せてあげるのよ」
「グルル!」
フレアは力強く頷くと、その小さな身体を風に乗せて軽々と空へと舞い上がった。そしてアイリスもまた、まるで重力など存在しないかのように、ふわりと地面を蹴り、フレアの背へと優雅に飛び乗った。
人と竜が完全に一体となった姿。それこそが真の竜騎士の姿だった。
「墜ちろ、出来損ないが!」
兄が駆るワイバーンが真っ先に突撃してきた。その巨体から繰り出される突進は、城壁すら砕くほどの威力を持っている。
だが、アイリスとフレアの動きはそれを遥かに凌駕していた。
フレアは、まるで嵐の中を舞う一枚の葉のように、最小限の動きで巨体の突進をひらりとかわす。そしてすれ違いざま、アイリスがその小さな手でワイバーンの分厚い鱗に覆われた脇腹に、軽く触れた。
「――竜牙衝」
彼女が静かに呟いた瞬間、アイリスの手のひらから凝縮された竜の力が衝撃波となって放たれた。
ゴガァン!
鈍い破壊音。ワイバーンの巨体が、まるで内側から爆発したかのように吹き飛ばされ、悲鳴を上げながらきりもみ状に墜落していく。村の外れの森に激突し、二度と動かなくなった。
一撃。
その、あまりにも圧倒的な力の差に、広場にいた誰もが言葉を失った。
「なっ……!?」
兄は信じられないものを見るような目で、自分の騎竜がやられた様を見つめている。
その隙をアイリスは見逃さない。
「フレア!」
彼女の短い指示に、フレアは空中で反転すると、残る二匹のワイバーンへと襲いかかった。
空の戦いはもはや一方的な蹂躙だった。
フレアの動きは、ワイバーンたちの鈍重な動きとは次元が違った。彼は風を読み、嵐を味方につけ、縦横無尽に空を駆け巡る。ワイバーンたちが繰り出す爪も牙もブレスも、その小さな身体にかすりもしない。
そしてその背に乗るアイリスが、的確に、そして容赦なくカウンターの一撃を叩き込んでいく。彼女の放つ『竜牙衝』はワイバーンの硬い鱗を紙のように貫き、その戦意を根こそぎ奪っていった。
数分後。残っていた二匹のワイバーンもまた傷つき、翼を折られ、地面へと無様に墜落していった。
嵐の空に立つ者は、もはやアイリスとフレアだけだった。
兄は墜落したワイバーンの残骸の中から、よろめきながら這い出してきた。その黒曜石の鎧はひび割れ、兜もどこかへ吹き飛んでいた。露わになったその顔は若く、そしてアイリスによく似た整った顔立ちだったが、今は屈辱と嫉妬、そして理解不能な現実への恐怖で醜く歪んでいた。
「……ありえない……。お前が……出来損ないのお前が、この俺を……!」
彼は震える手で竜槍を拾い上げ、空に浮かぶ妹を睨みつけた。
アイリスはそんな兄を、静かな、そして少しだけ悲しそうな目で見下ろしていた。
「もう終わりよ、兄さん。あなたに、わたしは殺せない」
その言葉が彼の最後のプライドを打ち砕いた。
「黙れえええええっ!」
彼は残った最後の力を振り絞り、竜槍をアイリス目掛けて投げつけた。それは彼の全霊を込めた渾身の一投だった。
だが、その槍がアイリスに届くことはなかった。
フレアが小さく咆哮すると、その口から放たれた小さな火球が飛来する槍に正確に直撃した。竜槍は、その魔力を失い、ただの鉄の棒となって力なく地面へと突き刺さった。
勝負は決した。
兄は全てを失ったように、その場に膝から崩れ落ちた。
「……覚えていろ、アイリス。そして、そこの人間ども……。この屈辱、必ず……必ず、晴らしてやる……!」
彼は負け犬の遠吠えのような捨て台詞を残すと、這うようにして森の闇の中へと姿を消していった。
嵐は、まるで戦いの終わりを告げるかのように、ゆっくりとその勢いを弱め始めていた。
アイリスとフレアは静かに地上へと舞い降りる。彼女は俺たちの前に立つと、少しだけ照れくさそうに、しかしはっきりと頭を下げた。
「……助けてくれて、ありがとう。あなたたちが、わたしに本当の力をくれた」
その言葉は俺たちに向けられた、心からの感謝だった。
そして、それは、俺たちの楽園に四人目となる新たな仲間が加わった瞬間でもあった。空を駆ける心優しき竜騎士の少女。彼女の存在がこの村に、そして俺たちの運命に、さらなる大きな変化をもたらすことになる。
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アイリスの兄は兜の下で理解不能な現実を前に、ただ呆然と呟いていた。彼の計画では、妹はとうに竜血に呑まれて自滅するか、あるいは彼の手によって『処分』されているはずだった。
その時、教会の入り口に一人の少女がゆっくりと姿を現した。
燃えるような赤い髪が風にたなびいている。その身にまとっていたボロボロの革鎧は脱ぎ捨てられ、今はセレスティアが用意したであろう簡素な村娘の服を身に着けていた。その華奢な身体からは、もはや暴走の気配は微塵も感じられない。代わりに、彼女の全身からは完全に制御された強大な竜の力が、静かなオーラとなって立ち上っていた。
アイリスだった。
彼女は俺とセレスティアに支えられながらも、自らの足でしっかりと大地を踏みしめている。その澄んだ瞳は憎しみでも恐怖でもない、ただ静かな決意の色をたたえ、広場の中央に立つ兄をまっすぐに見据えていた。
「……兄さん」
アイリスの凛とした声が広場に響き渡った。
「もう、あなたの好きにはさせない」
その言葉に、兄ははっと我に返った。彼は妹の変わり果てた(あるいは、真の姿を取り戻した)姿に動揺しながらも、それを隠すように再び冷酷な仮面を被った。
「……アイリス。その様子、まさか竜血を乗りこなしたとでも言うつもりか。まぐれに決まっている。お前のような出来損ないに、そんな芸当ができるはずがない!」
彼は妹の成長を認めようとしなかった。その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。
「あなたのおかげよ、兄さん」
アイリスは静かに言った。
「あなたに見捨てられ、一族から追われ、死の淵を彷徨ったからこそ、わたしは本当の意味でこの血と向き合うことができた。そして……」
彼女はちらりと俺の方を見た。その瞳には確かな感謝の色が浮かんでいる。
「わたしを信じ、この力を受け止めてくれた人たちがいたから。わたしはもう、一人じゃない」
彼女の言葉に、兄の顔が侮辱されたかのように歪んだ。
「……戯言を。人間などに魂を売ったか、アイリス! もはやお前は我が竜騎士一族の者ではない! ここで、完全に息の根を止めてくれる!」
彼は自らが騎乗してきた中で、ひときわ巨大で凶暴なワイバーンの背へと飛び乗った。そして手に持った竜槍を天に掲げ、叫んだ。
「お前たちも、何を呆けている! あの赤い仔竜ごと、エルフも人間も、全て食い殺せ!」
彼の号令に、我に返った他の二匹のワイバーンも再び闘志を取り戻す。
空の戦いが、始まろうとしていた。
だが、アイリスは少しも動じなかった。彼女は相棒であるフレアに向かって、静かに語りかけた。
「行こう、フレア。わたしたちの力を、見せてあげるのよ」
「グルル!」
フレアは力強く頷くと、その小さな身体を風に乗せて軽々と空へと舞い上がった。そしてアイリスもまた、まるで重力など存在しないかのように、ふわりと地面を蹴り、フレアの背へと優雅に飛び乗った。
人と竜が完全に一体となった姿。それこそが真の竜騎士の姿だった。
「墜ちろ、出来損ないが!」
兄が駆るワイバーンが真っ先に突撃してきた。その巨体から繰り出される突進は、城壁すら砕くほどの威力を持っている。
だが、アイリスとフレアの動きはそれを遥かに凌駕していた。
フレアは、まるで嵐の中を舞う一枚の葉のように、最小限の動きで巨体の突進をひらりとかわす。そしてすれ違いざま、アイリスがその小さな手でワイバーンの分厚い鱗に覆われた脇腹に、軽く触れた。
「――竜牙衝」
彼女が静かに呟いた瞬間、アイリスの手のひらから凝縮された竜の力が衝撃波となって放たれた。
ゴガァン!
鈍い破壊音。ワイバーンの巨体が、まるで内側から爆発したかのように吹き飛ばされ、悲鳴を上げながらきりもみ状に墜落していく。村の外れの森に激突し、二度と動かなくなった。
一撃。
その、あまりにも圧倒的な力の差に、広場にいた誰もが言葉を失った。
「なっ……!?」
兄は信じられないものを見るような目で、自分の騎竜がやられた様を見つめている。
その隙をアイリスは見逃さない。
「フレア!」
彼女の短い指示に、フレアは空中で反転すると、残る二匹のワイバーンへと襲いかかった。
空の戦いはもはや一方的な蹂躙だった。
フレアの動きは、ワイバーンたちの鈍重な動きとは次元が違った。彼は風を読み、嵐を味方につけ、縦横無尽に空を駆け巡る。ワイバーンたちが繰り出す爪も牙もブレスも、その小さな身体にかすりもしない。
そしてその背に乗るアイリスが、的確に、そして容赦なくカウンターの一撃を叩き込んでいく。彼女の放つ『竜牙衝』はワイバーンの硬い鱗を紙のように貫き、その戦意を根こそぎ奪っていった。
数分後。残っていた二匹のワイバーンもまた傷つき、翼を折られ、地面へと無様に墜落していった。
嵐の空に立つ者は、もはやアイリスとフレアだけだった。
兄は墜落したワイバーンの残骸の中から、よろめきながら這い出してきた。その黒曜石の鎧はひび割れ、兜もどこかへ吹き飛んでいた。露わになったその顔は若く、そしてアイリスによく似た整った顔立ちだったが、今は屈辱と嫉妬、そして理解不能な現実への恐怖で醜く歪んでいた。
「……ありえない……。お前が……出来損ないのお前が、この俺を……!」
彼は震える手で竜槍を拾い上げ、空に浮かぶ妹を睨みつけた。
アイリスはそんな兄を、静かな、そして少しだけ悲しそうな目で見下ろしていた。
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その言葉が彼の最後のプライドを打ち砕いた。
「黙れえええええっ!」
彼は残った最後の力を振り絞り、竜槍をアイリス目掛けて投げつけた。それは彼の全霊を込めた渾身の一投だった。
だが、その槍がアイリスに届くことはなかった。
フレアが小さく咆哮すると、その口から放たれた小さな火球が飛来する槍に正確に直撃した。竜槍は、その魔力を失い、ただの鉄の棒となって力なく地面へと突き刺さった。
勝負は決した。
兄は全てを失ったように、その場に膝から崩れ落ちた。
「……覚えていろ、アイリス。そして、そこの人間ども……。この屈辱、必ず……必ず、晴らしてやる……!」
彼は負け犬の遠吠えのような捨て台詞を残すと、這うようにして森の闇の中へと姿を消していった。
嵐は、まるで戦いの終わりを告げるかのように、ゆっくりとその勢いを弱め始めていた。
アイリスとフレアは静かに地上へと舞い降りる。彼女は俺たちの前に立つと、少しだけ照れくさそうに、しかしはっきりと頭を下げた。
「……助けてくれて、ありがとう。あなたたちが、わたしに本当の力をくれた」
その言葉は俺たちに向けられた、心からの感謝だった。
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