追放された”お荷物”の俺がいないと、聖女も賢者も剣聖も役立たずらしい

夏見ナイ

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第68話 賢者の末路

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勇者と聖女がそれぞれの地獄へと墜ちていく中、賢者マルスは一人、静かに真実と向き合っていた。

『光の剣』が解散した後、彼は王都の郊外にある古い塔の一室に引きこもった。そこは彼がパーティーに加入する前から研究室として使っていた場所で、壁一面が天井まで届く本棚で埋め尽くされている。彼は、その膨大な知識の海の中へと逃げるように沈んでいった。

彼は、パーティーの崩壊の原因を誰よりも正確に理解していた。
リアムのスキル【代償転嫁】。
自分たちの強大な力が、あの男の犠牲の上に成り立っていたという残酷な真実。

アレクのように現実から目を背けることも、イリーナのようにただ怯えることも、彼の合理的な精神は許さなかった。彼はこの事態を招いた自分自身の愚かさを、冷静に、そして徹底的に分析し始めた。

(なぜ、気づけなかった……?)

彼は薄暗い書斎でロウソクの灯りを頼りに、古い文献をめくりながら自問自答を繰り返した。

(リアムのスキルは鑑定結果では詳細不明だった。だが、その兆候は確かにあったはずだ。戦闘後の彼の僅かな疲労。俺たちが大技を使った後の彼の顔色の変化。俺はそれを『力の余波に当てられている』という、最も安直で都合の良い解釈で片付けてしまった。なぜだ? 賢者である俺が、なぜその可能性を追求しなかった?)

答えは、分かっていた。
プライドだ。

自分が他人の助けを借りなければその力を十全に発揮できない未熟な存在であるという事実を、認めたくなかったのだ。勇者や聖女を凌ぐ絶対的な知性を持つ自分こそが、このパーティーの頭脳であり真の支配者なのだと、心のどこかで驕っていた。その傲慢さが、真実を見る目を曇らせた。

「……愚かだった」

マルスは乾いた声で呟いた。その声は誰に聞かせるでもなく、静かな書斎に虚しく響いた。

彼は、リアムがいなくなったことで自分の身に起きている変化にも正確に気づいていた。

魔法を使うたびに脳の奥で発生する微細なノイズ。それは高位の魔法式を構築する際に脳にかかる過剰な負荷――『代償』だった。リアムがいた頃は、そのノイズは全て彼によって吸収され、マルスの思考は常にクリアに保たれていた。

だが、今は違う。
魔法を使うたびにそのノイズは蓄積され、彼の完璧だったはずの魔力制御に少しずつ、しかし確実に狂いを生じさせていた。

彼は、その狂いを自らの知性で抑え込もうとした。より精密な計算、より複雑な魔法式の再構築。彼は寝る間も惜しんで研究に没頭した。リアムの助けなどなくとも、自分一人の力でこの問題を克服できるはずだ、と。

だが、それは悪循環の始まりだった。

研究に没頭すればするほど彼は魔法を使わなければならない。そして、魔法を使えば使うほど、彼の脳を蝕むノイズはさらに大きくなっていく。

ある夜、彼はついに限界を超えた。

彼は失われた古代魔法の一つである『時空間転移』の魔法式を完成させようとしていた。それができれば自分は神の領域に近づける。失われた名声も栄光も全て取り戻せる。その焦りが彼の判断を狂わせた。

「……できた。ついに、完成した……!」

何日も徹夜を続けた末、彼はついに羊皮紙の上に完璧に見える魔法式を描き出した。その瞳は狂的な輝きを宿していた。

彼は自らの研究室で、その禁断の魔法を試そうとした。

「開け、次元の扉よ! 我が知性の前に、時空はひれ伏す!」

彼は残った魔力の全てを注ぎ込み、呪文を詠唱した。
足元に、眩い光を放つ魔法陣が展開される。空間がぐにゃりと歪み始めた。

成功した、かに見えた。

だが、その時だった。
彼の脳裏で蓄積されていたノイズがついに臨界点を超え、爆発した。

「ぐ……あああああっ!?」

凄まじい頭痛。思考が真っ白になる。完璧だったはずの魔法式が、一瞬だけ彼の頭脳から抜け落ちた。

その、ほんの僅かな制御の喪失が破局を招いた。

展開された魔法陣は行き場を失った膨大な魔力によって暴走を始めた。空間の歪みは彼の制御を離れ、塔全体を巻き込む破壊の渦へと変わっていく。

ゴゴゴゴゴゴ……!

塔が激しく揺れる。壁に亀裂が走り、本棚から無数の本が雪崩のように落ちてきた。

「なっ……!? 馬鹿な! 制御が、できない……!?」

マルスは自らが引き起こした魔力の嵐の中心で、なすすべなく立ち尽くすことしかできなかった。

暴走した魔法は塔の空間そのものを歪め、外界から完全に隔離してしまった。扉は開かず、窓の外にはただねじれた灰色の景色が広がるだけ。彼は自らの魔法によって、自分自身をこの塔の中に幽閉してしまったのだ。

そして、暴走の余波は彼の精神をも深く蝕んでいた。

「……違う。俺は間違っていない。計算は完璧だったはずだ。どこだ? どこで間違えた……?」

彼は廃墟と化した研究室でぶつぶつと呟きながら、散らばった羊皮紙の切れ端を拾い集め始めた。その瞳にはもはや賢者の叡智はなく、ただ答えのない問いに囚われた狂人の光だけが揺らめいていた。

彼は、孤独だった。
誰にも助けを求められず、誰にもその苦しみを理解されない絶対的な孤独。

時折、彼は歪んだ窓の外を眺めた。
そして、そこにリアムの幻影を見る。

『マルスさん、無理はしないでください』

幻影はいつもと同じように、静かに彼を気遣う。

「……うるさい。お前がいなくても、俺は……俺一人で、できる……。見ていろ、リアム。俺は、この間違いを必ず正してみせる。そして、お前を超えてやる……」

彼は存在しない幻影に向かってそう呟き続ける。
それが崩壊した彼の精神を、かろうじて繋ぎ止める唯一の支えだった。

かつて王国一の知性と謳われた賢者の物語は、こうして誰にも知られることなく、自らが作り出した知識の牢獄の中で静かな狂気と共に終わりを迎えようとしていた。

そんな彼の耳にも風の噂は届いていた。

辺境の地に『エデン』という魔法の楽園がある。
そこには古代魔法を自在に操る、本物の『大賢者』がいるのだ、と。

「……本物の、大賢者……?」

マルスはその言葉を乾いた唇で繰り返した。

「……面白い。ならば、いつかその知恵と俺の知恵、どちらが上か試してやろうではないか……」

彼は狂気の中で、まだ見ぬ好敵手の存在をぼんやりと夢想していた。

その『大-賢者』が、自分が見捨てた雑用係の力によってその叡智を輝かせているという皮肉な真実に、彼が気づく日は永遠に来ないのかもしれない。
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