聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ

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006. 粗末な小屋と一筋の光

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アレクシス・フォン・ヴァルテンベルクとの謁見から戻ったリリアーナは、改めて自分の「住まい」となる小屋と向き合った。昨日、絶望的な気持ちで眺めた時よりも、さらにその酷さが際立って見える。歪んだ木の壁には無数の隙間が空き、そこから容赦なく冷たい風が吹き込んでくる。屋根の一部は抜け落ち、空が見えている始末。床は硬い土間で、申し訳程度に敷かれた藁は薄汚れていて、とても寝床と呼べる状態ではなかった。

(……まずは、ここをなんとかしないと……)

辺境伯の言う通り、まずは自分の足で立つことから始めなければならない。そのためには、最低限、雨風をしのぎ、眠れる場所が必要だった。幸い、体はまだ動く。絶望に打ちひしがれている暇はないのだ。

リリアーナは支給された麻袋から中身を取り出し、空になった袋を使って、小屋の中の埃やゴミを掃き出した。薄汚れた藁も一度外に出し、日に当てて少しでも湿気を取り、叩いて埃を落とす。それだけでも、小屋の中の空気は少しだけましになった気がした。

次に、壁の隙間だ。これをどうにかしないことには、夜の寒さをしのげない。リリアーナは小屋の周囲を歩き回り、使えそうなものを探した。幸い、近くには枯れ草や、比較的柔らかそうな土が固まっている場所があった。前世の記憶の片隅に、泥と藁を混ぜて壁土を作る、という朧げな知識があったのを思い出す。完璧にはできなくても、やらないよりはましだろう。

近くの小川で水を汲み(もちろん、飲むためには煮沸が必要だと、これも前世の知識が教えてくれた)、土と枯れ草を混ぜ合わせる。最初は上手くいかなかったが、試行錯誤を繰り返すうちに、なんとか粘土状の塊を作ることができた。それを、壁の隙間に丁寧に塗り込めていく。冷たい泥の感触に顔をしかめながらも、リリアーナは黙々と作業を続けた。貴族令嬢がするような仕事では到底なかったが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。泥まみれになりながら、一つ、また一つと隙間を塞いでいくうちに、不思議と心が落ち着いてくるのを感じた。体を動かし、目の前の問題に集中することで、不安や恐怖が少しだけ遠のくような気がしたのだ。

屋根の穴は、さすがに今日一日でどうにかなるものではなかった。それでも、近くに落ちていた比較的大きな木の枝や葉っぱを拾い集め、できる限り穴を覆うようにしてみた。完璧ではないが、少なくとも雨が直接降り込むことは防げるかもしれない。

日が傾き始める頃には、小屋は昨日とは比べ物にならないほど「住居」らしくなっていた。壁の隙間は粗末ながらも塞がれ、床には少しだけ綺麗になった藁が厚めに敷き詰められた。まだ寒々しいことに変わりはないが、それでも「自分の手で改善した場所」という実感が、リリアーナに小さな達成感を与えてくれた。

しかし、問題はまだ山積みだった。まずは火を起こさなければならない。暖を取るためにも、水を煮沸するためにも、そして何より、料理をするためにも火は不可欠だ。幸い、支給された荷物の中には、火打石と火口(ほくち)になる麻の繊維が入っていた。これも最低限の「保証」ということなのだろう。

リリアーナは小屋の外に出て、風のない場所を選び、火起こしを試みた。火打石を打ち合わせ、火花を火口に移す。前世の知識としては知っていても、実際にやるのは初めてだった。カチ、カチ、と石を打ち合わせるが、なかなか火花が上手く飛ばない。飛んでも、すぐに消えてしまう。指は悴み、腕も疲れてきた。

(……こんなこともできないなんて……)

焦りと自己嫌悪が募る。やはり、自分には何もできないのだろうか。そう思いかけた時、ふと、前世で見たキャンプの映像が頭をよぎった。「火口はよく乾燥させて、細かくほぐすこと」「火花が移ったら、焦らずゆっくりと息を吹きかけること」。そんなアドバイスが聞こえた気がした。

リリアーナは一度手を止め、深呼吸した。麻の繊維をさらに細かくほぐし、乾燥した枯れ葉を近くに用意する。そして、もう一度、集中して火打石を打ち合わせた。

カチッ!

今度は、少し大きめの火花が飛んだ。それが、ふわりと火口の繊維に移り、小さな赤い点が灯る。
「……ついた!」
思わず声が出た。リリアーナは慌てて、しかし慎重に、その赤い点に向かってそっと息を吹きかけた。ふぅー、ふぅー、と繰り返すうちに、赤い点は少しずつ大きくなり、やがて小さな炎が立ち上った。

「……やった……!」

燃え上がった炎を見た瞬間、リリアーナは体の底から喜びが込み上げてくるのを感じた。それは、婚約破棄された時や追放を宣告された時の絶望とは全く違う、自分で何かを成し遂げたという、純粋な達成感だった。たかが火起こし。しかし、今の彼女にとっては、それは生きるための大きな一歩だったのだ。

急いで用意しておいた枯れ葉や小枝をくべ、炎を安定させる。パチパチと音を立てて燃える炎は、暖かさだけでなく、不思議な安心感をリリアーナに与えてくれた。暗闇を照らし、寒さを和らげ、危険な獣を遠ざける。火は、まさに文明の光であり、希望の象徴なのかもしれない。

火が安定したところで、リリアーナは小川から汲んできた水を、支給された小さな鉄鍋に入れて火にかけた。鍋は古く、煤けていたが、穴は空いていないようだった。ぐつぐつと湯が沸くのを待つ間、リリアーナは昼間に見つけておいたタンポポの若葉を洗い、支給された干し肉を細かく刻んだ。黒パンも少しだけちぎっておく。

やがて湯が沸き、リリアーナはそこに刻んだ干し肉とタンポポの葉、そしてちぎった黒パンを入れた。塩をほんの少しだけ加えて、木の枝でゆっくりとかき混ぜる。辺りに、干し肉の塩気と野草の青っぽい匂い、そしてパンの香ばしさが混ざった、素朴な香りが漂い始めた。決して豪華な香りではない。むしろ、貧しい食卓を連想させるような匂いだ。

それでも、リリアーナにとっては、それは「料理の香り」だった。自分で火を起こし、自分で食材を用意し、自分で味付けをする。その一連の行為が、彼女の心を少しずつ満たしていく。王都では、侍女や料理人たちが全てやってくれていたこと。しかし、自分の手で作り上げる喜びは、それとは比べ物にならないほど大きかった。

しばらく煮込んで、とろみがついてきたところで、鍋を火から下ろした。出来上がったのは、見た目はあまり良くない、具の少ない、どろりとしたスープのようなものだった。

(……これが、私の最初の辺境料理……)

リリアーナは、木の匙(これも支給品だった)で、そっとスープをすくい、ふーふーと冷ましてから口に運んだ。

温かい。
その温かさが、冷え切った体にじわりと染み渡っていく。
味は、干し肉の塩気と、タンポポのほのかな苦味、そして黒パンの酸味が混ざり合った、素朴で、決して洗練されているとは言えないものだった。王都で食べていたような、繊細で複雑な美味しさはない。

けれど。
その温かさと、素朴な味わいが、不思議とリリアーナの心と体を優しく満たしていくのを感じた。空腹が満たされるだけでなく、体の芯から力が湧いてくるような、そんな感覚。疲労が少し和らぎ、強張っていた筋肉がほぐれていくようだ。

(……美味しい……)

自然と、そんな言葉が口をついて出た。それは、味覚的な美味しさだけではない。自分の手で作ったという達成感、生きるために必要なものを得たという安堵感、そして、温かいものがもたらす根源的な幸福感。それら全てが合わさって、「美味しい」という言葉になったのだ。

(……もしかして、これが……?)

前世の記憶の断片にあった、温かい料理を食べた人々の笑顔。食べると元気になる、という感覚。自分の作ったこの素朴なスープにも、そんな力が、ほんの少しだけ宿っているのかもしれない。そう思うと、胸が熱くなった。

リリアーナは、夢中になってスープを飲み干した。空になった鍋を見て、ふぅ、と満足のため息をつく。体の中からぽかぽかと温かく、さっきまでの疲労感が嘘のように軽くなっていた。

日が完全に落ち、辺りは再び闇と静寂に包まれた。小屋の中は、まだ燃えている焚き火の明かりだけが頼りだった。夜風は相変わらず冷たく、小屋の隙間から忍び込んでくる。けれど、腹の底に残る温もりと、鍋に残ったスープの香りが、リリアーナの心を確かに支えていた。

(……明日も、頑張ろう)

今日、火を起こせた。小屋を少しだけましにできた。そして、温かいスープを作れた。ほんの小さな一歩かもしれないけれど、確実に前に進んでいる。そう信じることができた。

(……もっと、美味しいものを作れるようになりたいな……)

乏しい食材で、もっと栄養があって、もっと心も体も温まるような料理を。それができれば、もしかしたら、この厳しい辺境で生きていく希望になるかもしれない。自分だけでなく、他の誰かのためにも。

そんなことを考えながら、リリアーナは焚き火のそばで、藁の上に横になった。昨日よりはいくらかましになった寝床と、腹の底の温かさのおかげで、すぐに穏やかな眠気が訪れた。

遠く離れた砦の一室。アレクシスは、部下からの報告書に目を通していた。そこには、リリアーナが一日かけて小屋を修繕し、自力で火を起こし、何かを煮炊きしていた様子が、淡々と記されていた。

「……ほう」

アレクシスは、珍しく微かな声を発した。その氷の瞳に、ほんの一瞬だけ、興味とも驚きともつかない光が宿ったが、すぐに元の無表情へと戻った。彼は報告書を脇に置くと、窓の外に広がる暗い辺境の夜空を見つめた。あの追放された令嬢が、この厳しい土地で一体どこまでやれるのか。それは、彼にとって予想外の、小さな関心事となりつつあった。

リリアーナの小屋から立ち上る、細く頼りない煙は、もう見えなくなっていた。
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