聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ

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025. 胃袋、掴まれましたか?

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意を決したアレクシスは、ある雪の日の午後、再びリリアーナの小屋へと向かった。今回も供は連れず、一人だった。厳しい寒さの中、雪を踏みしめて小屋にたどり着くと、扉の前にはやはりフェンが座っており、アレクシスの姿を認めると静かに立ち上がった。以前のような警戒心はあるものの、敵意は感じられなかった。まるで、彼が来ることを予期していたかのようにも見えた。

アレクシスが扉をノックすると、中からリリアーナの声がした。
「はい、どなたでしょう?」
「……辺境伯だ」
アレクシスが名乗ると、扉がゆっくりと開き、中からリリアーナが驚いた顔を覗かせた。
「へ、辺境伯様!? また、どうかなさいましたか……? どうぞ、お入りください。外は寒いですから」
彼女は慌ててアレクシスを招き入れた。小屋の中は、焚き火と、壁際に積み上げられた保存食の匂い、そして微かなハーブの香りが混ざり合った、独特の温かい空気に満ちていた。

アレクシスは、小屋の中に入ると、まず壁際に並べられた保存食の瓶や、天井から吊るされた燻製肉に目をやった。質素だが、丁寧に作られていることがわかる。
「……これが、貴様が作っているという保存食か」
アレクシスは、あくまで何気ない様子を装って尋ねた。
「は、はい。冬の間の備えにと、少しずつ……。ヤマブドウのジャムや、木の実の塩漬け、キノコの乾燥したもの、それから、これは騎士の方から分けていただいたお肉で作った燻製です」
リリアーナは、少し照れたように説明した。

アレクシスは、燻製肉をしばらく見つめていた。それは、彼が王都で口にするような洗練されたものではなく、もっと無骨で、野趣あふれる見た目をしていた。しかし、そこから漂ってくる香りは、食欲をそそる、力強いものだった。
「……その燻製肉と……そちらのジャム」
アレクシスは、意を決して口を開いた。
「……少し、味見をさせてもらいたい」

それは、彼の立場からすれば、極めて異例で、「ささやかな」と表現するにはあまりにも個人的な要求だった。リリアーナは、再び驚きで目を見開いた。
「えっ……? こ、これを、ですか……? ですが、これは売り物でも何でもなく、わたくしが勝手に作ったもので……お口に合うかどうか……」
彼女は激しく戸惑った。ハーブティーの時とは訳が違う。これは、本格的な「食べ物」だ。辺境伯に、こんな素人料理を差し出すなど、恐れ多いにも程がある。

「構わん。領内の食料事情を把握するのも、領主の務めだ」
アレクシスは、無理やりな理由をつけて、彼女の躊躇いを打ち消そうとした。その口調には、わずかな焦りのようなものが滲んでいたかもしれない。
「……味見程度でいい。少量で構わないから、用意しろ」
半ば命令に近い響きだった。

リリアーナは、もはや断ることはできなかった。彼女は、震える手で、棚から一番出来の良いと思われた燻製肉の塊と、ヤマブドウのジャムが入った小さな木の器を取り出した。そして、清潔な木の皿に、燻製肉を薄く切り分け、ジャムを少量添えて、アレクシスに差し出した。
「……ど、どうぞ……。お口に合わなければ、残していただいて構いませんので……」
彼女の声は、緊張で上擦っていた。

アレクシスは、無言で皿を受け取った。燻製肉の深い茶色と、ジャムの鮮やかな紫色が、素朴な木の皿の上で対照的な彩りを見せている。彼はまず、燻製肉を一切れ、フォーク(もちろんリリアーナが持っているはずもなく、アレクシスが自ら懐から取り出した携帯用のものだった)で刺し、口に運んだ。

噛み締めた瞬間、アレクシスの表情が、わずかに変化した。硬いが、噛むほどにうま味が滲み出てくる。塩加減は絶妙で、肉本来の味を引き立てている。そして、鼻腔をくすぐる、独特の燻製の香り。それは、洗練されてはいないが、力強く、野性的で、生命力にあふれた味わいだった。王宮で食べるどんな高級なハムやベーコンよりも、彼の心を揺さぶる何かがあった。

次に、彼はジャムを少量、指先につけて舐めてみた。砂糖を使っていないとは思えないほどの、凝縮された果実の甘みと、爽やかな酸味。ヤマブドウの持つ、野趣あふれる風味が口いっぱいに広がった。甘みと酸味のバランスが絶妙で、後味は驚くほどすっきりとしている。アレクシスは、再び内心で衝撃を受けていた。砂糖も使わずに、これほどの深みのある味を引き出すとは。これもまた、彼女の持つ「力」の一部なのだろうか。

ふと、アレクシスは思いつきで、燻製肉に少量ジャムを付けて口に運んでみた。塩辛い肉と、甘酸っぱいジャム。一見、奇妙な組み合わせに思えたが、口の中で混ざり合った瞬間、予想外の調和が生まれた。肉のうま味がジャムの酸味で引き立てられ、燻製の香りと果実の風味が複雑に絡み合い、互いの味を高め合っている。それは、彼がこれまで知らなかった、素朴だが驚くほど豊かな味の世界だった。

「……!」

アレクシスは、思わず目を見開いた。言葉を失うほどの衝撃。それは、単に「美味しい」という感覚を超えていた。ハーブティーを飲んだ時とも違う、もっと直接的に、体の細胞の一つ一つに染み渡るような、力強い満足感。空腹だったわけではないのに、体がこの味を渇望していたかのように感じられた。そして、ハーブティーと同じように、体の奥からじんわりと力が湧き上がってくるような、不思議な感覚もあった。

彼は、無言のまま、もう一切れ、また一切れと、燻製肉とジャムを交互に口に運んだ。リリアーナは、そんなアレクシスの様子を、固唾を飲んで見守っていた。彼の表情は相変わらず硬かったが、その食べ方には、明らかに普段の彼にはない、ある種の熱中が見て取れた。

(……お口に、合った、のかしら……?)

リリアーナは、恐る恐るそう思った。氷の辺境伯が、自分の作った素朴な保存食を、これほどまでに真剣に味わっている。その光景は、どこか非現実的で、しかし彼女の胸を不思議な達成感で満たした。

やがて、皿の上の燻製肉とジャムは、綺麗になくなった。アレクシスは、しばらくの間、空になった皿を見つめていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。そして、リリアーナを真っ直ぐに見据えた。その瞳には、依然として複雑な色が宿っていたが、以前のような冷たい疑念や警戒心は、明らかに薄れていた。代わりに、もっと個人的な、強い興味と……何か、抗いがたいものに触れてしまったかのような、戸惑いの色が浮かんでいた。

「……リリアーナ・フォン・クラインフェルト」
アレクシスは、静かに彼女の名前を呼んだ。それは、以前よりもわずかに柔らかい響きを持っているように、リリアーナには聞こえた。
「……貴様の作るものは、食料という領域を超えて、人の心身に直接影響を与える力を持っているようだ。それは、この辺境領にとって、計り知れない価値を持つ可能性がある」
彼は、あくまで領主としての視点から語り始めた。しかし、その言葉の裏には、彼自身の個人的な体験からくる、否定しようのない実感が込められていた。
「ハーブティーだけでなく、これらの保存食についても……定期的に、味見をさせてもらいたい。品質の維持と、効果の継続的な観察のためだ」

再びの「個人的な」要求。しかし、今回はハーブティーの時よりも、さらに踏み込んだものだった。彼女が自分のために作った、個人的な食料を、定期的に「味見」させろというのだ。それは、領主の権限を逸脱した、極めて異例な要求と言えた。アレクシス自身も、その異例さを自覚していたが、一度知ってしまったあの味への渇望と、彼女の力の秘密にさらに近づきたいという欲求が、彼をそう言わせたのかもしれない。

リリアーナは、驚きで言葉を失った。辺境伯が、自分の手料理を、定期的に食べたい、と。それは、まるで……。
(……まるで、わたくしの料理を、気に入ってくださった、みたい……?)
そう思った瞬間、リリアーナの頬が、ぽっと赤く染まった。相手は氷の辺境伯だ。そんなはずはない、と頭では分かっている。きっと、領主としての義務感や、彼女の力を利用するための計算があるのだろう。それでも、彼の口にした「味見」という言葉と、それを語る際のわずかな逡巡、そして今の彼の眼差しが、リリアーナの心に、これまで感じたことのない種類の、甘酸っぱいような、くすぐったいような感情を芽生えさせていた。

「……わ、わたくしのこんなもので、よろしければ……」
リリアーナは、俯きながら、かろうじてそう答えた。顔の赤みを、彼に見られたくなかった。
「用意できる量は限られておりますし、特別なものではありませんが……辺境伯様のお役に立てるのでしたら……」
「……うむ。無理のない範囲で構わん」
アレクシスは、短く応じた。リリアーナの反応を見て、彼もまた、自分の要求が彼女にどう受け止められたのか、少しばかり意識しているようだった。二人の間に、これまでにはなかった、どこかぎこちなく、しかし確かな個人的な繋がりが生まれようとしていた。

「……では、今日はこれで失礼する」
アレクシスは、目的を果たしたとばかりに、立ち上がった。彼の内心には、まだ様々な葛藤や疑念が渦巻いていたが、それ以上に、リリアーナの作ったものを「味見」できたことへの、奇妙な満足感があった。
「あの、辺境伯様!」
リリアーナは、思わず彼を呼び止めた。
「……なんだ?」
「その……お口に、合いましたでしょうか……?」
彼女は、勇気を出して尋ねてみた。顔はまだ少し赤い。
アレクシスは、一瞬、虚を突かれたような顔をした。そして、わずかな間の後、彼の口元に、本当に微かだが、変化が生じた。それは、笑みと呼ぶにはあまりにもささやかで、すぐに消えてしまったが、確かに、彼の表情筋が動いたのを、リリアーナは見逃さなかった。
「……悪くなかった」
彼は、それだけ言うと、今度こそ背を向けて小屋を出て行った。

一人残されたリリアーナは、まだドキドキしている心臓を押さえながら、アレクシスの最後の言葉と、一瞬見せた表情の変化を反芻していた。
(悪くなかった、って……! それって、もしかして……?)
彼女の頬は、再び熱を帯びた。氷の辺境伯の、ほんのわずかな変化。それが、リリアーナにとっては、どんな賛辞よりも嬉しいものに感じられた。

胃袋、掴まれましたか?
リリアーナは、心の中で、そっと問いかけてみた。答えはまだ分からない。けれど、彼の「ささやかな要求」は、確実に二人の距離を縮め、凍てついた辺境の地に、新たな物語の始まりを予感させていた。厳しい冬の中で、二人の関係もまた、ゆっくりと、しかし確実に、雪解けの季節へと向かっているのかもしれなかった。
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