聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~

夏見ナイ

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058. マリアの焦り

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王城の一室。窓の外ではかろうじて春の日差しが降り注いでいるというのに、部屋の中の空気は重く、冷え切っていた。豪華な天蓋付きのベッドの上で、マリア・フォン・ベルンシュタインは苛立たしげに爪を噛んでいた。床には、投げつけられたらしい高級なクッションや、食べかけの高級菓子の皿が無残に散らばっている。

「……使えない……! どいつもこいつも、使えないわ!」

マリアは、金切り声に近い声で毒づいた。侍女たちは、怯えたように部屋の隅で縮こまっている。少し前までなら、彼女の機嫌を取ろうと甘い言葉を並べ、次々と新しいドレスや宝石を持ってきたはずの侍女たちも、最近ではどこか距離を置き、彼女のヒステリーを遠巻きに見ているだけになっていた。

無理もない。聖女マリアの「威光」は、急速に失われつつあったのだ。

雨乞いの祈祷の失敗以来、彼女の力の限界は、もはや王都の誰もが知るところとなっていた。時折、軽い病を癒したり、小さな幸運をもたらしたりする程度の「奇跡」では、悪化の一途をたどる国の状況を前にして、何の慰めにもならない。民衆の間では、「偽りの聖女」という囁き声が公然と交わされ、貴族たちのサロンでは、彼女の存在を嘲笑するような会話が飛び交っているという。

以前はどこへ行っても向けられた称賛と羨望の眼差しは、今や疑念と侮蔑、あるいは憐憫の色を帯びていた。その冷たい視線が、マリアのプライドを容赦なく切り刻む。

(なんで……なんでこうなるのよ!)

彼女は、元々は異世界――おそらくは現代日本に近い世界――から、何らかの理由でこの世界に迷い込んだ、あるいは転生した存在だった。元の世界での彼女がどのような人間だったかは定かではないが、この世界に来てからは、中途半端な「異世界知識」と、わずかな魔力、そして何よりも、計算され尽くした可憐な容姿と振る舞いを武器に、「聖女」としての地位を築き上げてきたのだ。王太子エドガーを籠絡し、邪魔な婚約者リリアーナを追放し、欲しいものは何でも手に入る、夢のような生活を手に入れたはずだった。

それなのに、現実はどうだ? 頼みの綱の「聖女の力」は底をつき、周囲からは疑いの目を向けられ、贅沢な暮らしを送っていても、心の奥底は常に焦燥感と不安で満たされている。

(……これも、全部、あの女のせいよ……!)

マリアの脳裏に、忌々しいリリアーナの顔が浮かんだ。地味で、取り柄もなくて、いつも俯いてばかりいた、あの邪魔な女。辺境に追放して、惨めに朽ち果てるのを待つだけだと思っていたのに。

辺境で奇跡を起こし、「辺境の聖女」と呼ばれているだと? 馬鹿げている。ありえない。それはきっと、あの氷のような辺境伯アレクシスが、王家に対抗するためにでっち上げた嘘に違いない。そう思おうとしても、次々と王都に届く辺境の発展とリリアーナの活躍の噂は、彼女の嫉妬心と憎悪を激しく掻き立てた。

(あんな女が、私より評価されるなんて……! 許せない……絶対に!)

マリアにとって、リリアーナは自分の存在価値を脅かす、最大の敵だった。自分が失いかけているものを、リリアーナが手に入れているように思えて、我慢ならなかったのだ。

「……エドガー様は……まだいらっしゃらないの?」

マリアは、唯一の心の拠り所である王太子を求めた。彼の腕の中で、彼の甘い言葉を聞いている時だけが、彼女が不安を忘れられる瞬間だった。彼さえいれば、まだ大丈夫。彼さえ私を信じてくれれば、私はまだ聖女でいられる。そう信じたかった。

しかし、最近のエドガーの様子も、どこかおかしい。以前のような盲目的な寵愛は変わらないように見えるが、時折、上の空であったり、辺境の報告を聞いた後に、苦々しい表情を浮かべていたりすることが増えた。まさか、彼までが、あのリリアーナの噂を気にしているというのだろうか?

(……だめよ、エドガー様まで、あの女に心を奪われたりしたら……!)

マリアは、強い危機感を覚えた。エドガーの心を、自分に繋ぎ止めておかなければならない。そのためなら、どんな手段を使っても。

その日の夕方、ようやくエドガーがマリアの部屋を訪れた。彼は疲れた表情をしていたが、マリアの姿を見ると、いつものように甘い言葉を囁いた。
「マリア、待たせたね。今日も君は美しい……」
「エドガー様……!」
マリアは、待ってましたとばかりにエドガーの胸に飛び込み、か弱いふりをして涙ぐんでみせた。「わたくし……怖かったのですわ。民衆の冷たい視線……。それに、辺境の……あの女の噂……。わたくし、本当に聖女なのでしょうか……?」
計算された涙と、不安げな上目遣い。それは、これまで何度もエドガーの心を掴んできた、彼女の得意技だった。

「何を言うんだ、マリア!」
エドガーは、案の定、マリアを強く抱きしめた。「君こそが真の聖女だ! 民衆など、何も分かっていないのだ! 辺境の噂など、辺境伯が流した偽りに決まっている!」
彼は、自分自身の不安を打ち消すかのように、力強く言い切った。

(……よし、まだ大丈夫そうね)
マリアは内心でほくそ笑んだ。しかし、ここで油断してはならない。もっと強く、彼を自分に縛り付けておく必要がある。そして、邪魔なリリアーナを排除しなければ。

「……でも、エドガー様……」マリアは、さらに不安げな表情を作り、続けた。「辺境伯様は、あの女を利用して、王家に反旗を翻そうとしているのかもしれませんわ。あの女が持つという『力』が、もし本物だとしたら……それは、とても危険なことですわ……」
彼女は、エドガーの嫉妬心と猜疑心を巧みに刺激するように、言葉を選んだ。
「……王国の安寧のためにも、そしてエドガー様ご自身のためにも……あの女を、辺境伯の手から取り戻すべきではありませんこと……? 王都に連れ戻し、わたくしの……いいえ、王家の管理下に置けば、その力も正しく導くことができるはずですわ……」

エドガーは、マリアの言葉を聞きながら、眉間に皺を寄せた。リリアーナを取り戻す。それは、彼自身も考え始めていたことだった。しかし、その理由は、マリアが言うような「国の安寧のため」などではなく、もっと個人的な、後悔と嫉妬、そして支配欲からくるものだった。だが、マリアの言葉は、彼のその歪んだ願望に、都合の良い大義名分を与えてくれるように聞こえた。

(……そうだ、マリアの言う通りだ。リリアーナは危険だ。辺境伯に利用されているに違いない。私が、彼女を取り戻し、正しく導かねば……!)

エドガーは、自分に言い聞かせるように、強く頷いた。
「……分かった、マリア。君の言う通りだ。リリアーナを、辺境から連れ戻そう。それが、この国のためになるのなら」
彼は、マリアを安心させるように、力強く宣言した。しかし、その瞳の奥には、リリアーナへの複雑な感情と、辺境伯アレクシスへの敵愾心が、黒い炎のように燃え盛っていた。

マリアは、エドガーが自分の思い通りに動き始めたことに、満足の笑みを浮かべた。しかし、彼女の策略はこれだけでは終わらない。エドガーを動かすと同時に、彼女は独自の方法でも、リリアーナを陥れようと画策し始めていた。

(あの女が聖女ですって? 笑わせるわ。私が、本当の『悪女』というものを見せてあげる……!)

彼女は、腹心の侍女を呼び寄せ、何事かを囁いた。それは、辺境のリリアーナに関する、悪意に満ちた偽りの情報を、王都中に流布させるための指示だった。「彼女は魔女だ」「辺境伯と組んで国を乗っ取ろうとしている」「彼女の料理には毒が入っている」……。根も葉もない、しかし人々の不安を煽るには十分な、悪質な噂。

聖女マリアの焦りは、彼女をさらに危険な道へと駆り立てていた。自分の地位を守るため、そして邪魔な存在を排除するためならば、どんな汚い手段も厭わない。その黒い感情が、王都の混乱をさらに深め、辺境への敵意をむき出しの攻撃へと変えようとしていた。リリアーナの知らないところで、彼女を陥れるための、陰湿な罠が張り巡らされ始めていたのだった。
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