地味スキル? いいえ、『法則操作』です。 ~落ちこぼれ探索者が現代科学でダンジョンをハックする話~

夏見ナイ

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第三十八話:残響と疑念

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「……ん……」

重い瞼を押し上げる。最初に感じたのは、柔らかなベッドの感触と、清潔なシーツの匂いだった。そして、微かに聞こえる空調の音。ここは……ダンジョンではない。

「お目覚めになられましたか、神崎様」

すぐ傍らから、落ち着いた声が聞こえた。視線を向けると、そこには心配そうな表情を浮かべたセバスチャンが立っていた。彼はいつもの執事服姿に戻っている。

「セバスチャン……俺は……?」
「ご安心ください。ここはフロンティアにあるリンドバーグ家所有の医療施設です。あなた様は、『幻影都市バビロン』で意識を失われた後、私がここまでお連れいたしました」
「意識を…失った…? そうか、あの時…」

記憶が蘇る。模倣者との死闘、時空結晶、そして…眩い光と共に脳内を駆け巡った膨大な情報と、最後に見た、あのビジョン。

「どれくらい…眠っていたんだ?」
「丸二日、といったところでしょうか。幸い、お身体に深刻なダメージはなかったようですが、極度の精神疲労と、一時的な魔力過負荷の状態が見られました。今は、だいぶ安定されたご様子です」

セバスチャンの説明を聞きながら、俺は自分の体の状態を確認する。確かに、疲労感はまだ残っているが、MPはかなり回復しており、意識もはっきりしている。だが、何か…奇妙な感覚が残っていた。まるで、自分の認識と世界の間に、薄い膜が一枚挟まっているような、僅かなズレ。

(…時空結晶の影響か?)

あの時、脳内に流れ込んできた情報の奔流。あれは一体何だったのか? そして、最後に見た、相沢の姿…。

「神崎様、何か…お気づきの点はございますか? あの結晶に触れられた後、あなた様は尋常ではない魔力の奔流に晒されておられました。何か、後遺症のようなものが残っていないかと…」

セバスチャンが、探るような目で問いかけてくる。

俺は、相沢のビジョンについて話すべきか迷った。あれは、単なる幻覚だったのか? それとも、時空結晶が見せた、過去あるいは未来の断片なのか?

「…少し、混乱している。色々なものが、頭の中に流れ込んできたような気がする。だが、今はまだ整理できていない」

俺は正直に答えた。相沢のことは、まだ話す段階ではない。自分自身で、もう少し考える必要がある。

「左様でございますか…。あまりご無理はなさらないでください。医師によれば、あと半日ほど安静にしていれば、完全に回復されるとのことです」
「ああ…。それで、あの後、ダンジョンはどうなった? 時空結晶と、あの模倣者の残骸は?」
「ご安心ください。時空結晶は、あなた様が意識を失われた直後、幸いにも安定を取り戻しました。私が慎重に回収し、厳重に保管しております。模倣者の残骸も同様に回収済みです。ダンジョンからの脱出経路も、私が確保いたしました」

セバスチャンは、淡々と、しかし確実に任務を遂行したようだ。彼の有能さには、改めて感心させられる。

「そうか…。助かった、セバスチャン」
「当然の務めです。それよりも、あなた様が無事であったことが何よりです」

彼は僅かに頭を下げた。その言葉には、儀礼的なもの以上の響きが感じられた。あの死闘を経て、俺たちの間には、確かに以前とは違う関係性が生まれつつあるのかもしれない。

半日後、俺は完全に回復し、医療施設を退院した。セバスチャンと共に研究工房に戻ると、そこには厳重なセキュリティケースに保管された時空結晶と、分解・分析待ちの模倣者の残骸が置かれていた。

「…さて、と。やることは山積みだな」

俺はまず、エリーゼに無事の帰還と、時空結晶の回収成功を報告した。模倣者との遭遇と撃破についても詳細を伝えたが、俺が見たビジョンについては伏せておいた。

『時空結晶! 本当に手に入れてくださったのですね! 素晴らしいわ、神崎譲! それがあれば、わたくしの研究も、そしてあなたの『法則操作』も、新たな段階へと進めるはずです!』

エリーゼの声は、これまでにないほど興奮していた。彼女にとって、時空結晶はそれほどまでに重要なアイテムなのだろう。

『模倣者の件は、セバスチャンからも報告を受けました。アトラス社か、あるいは別の組織か…いずれにせよ、看過できない事態ですわ。こちらの調査も進めていますが、あなたも、その残骸の分析を急いでちょうだい。敵の正体と能力を知ることが、今は最優先ですわ』
「了解した」

通信を終え、俺は早速、模倣者の残骸の分析に取り掛かった。セバスチャンも、分析作業を手伝ってくれる。彼は戦闘だけでなく、機械工学や魔力工学にも一定の知識を持っているようだった。

分解を進めるにつれて、模倣者の驚くべき構造が明らかになっていく。

「…やはり、人間ベースのサイボーグに近い。だが、神経系や筋肉組織は、未知の生体技術で大幅に強化・改造されている。動力源は小型の核融合炉…いや、魔力転換炉か? エネルギー効率が異常に高い」

「この黒い液体…自己修復ナノマシンのようですが、それだけではない。周囲の魔素を取り込み、自身のエネルギーに変換する機能も持っているようですな。だからこそ、あれほどの再生能力を…」

「そして、このコア部分に埋め込まれた制御コード…プライマル・コードやグラビティ・コードとは異なる、人工的な構造だが、極めて高度な『法則干渉』プログラムが書き込まれている。空間断裂、反魔力フィールド、そして…あの『概念消去』のような攻撃。これらは、このコードによって制御されていた可能性が高い」

分析を進めるほどに、背筋が寒くなるような事実が明らかになっていく。これほどの技術を持つ組織とは、一体何者なのか? そして、彼らの目的は?

「…セバスチャン、この技術レベルから見て、アトラス社単独とは考えにくい。もっと別の、あるいはアトラス社を裏で操っているような存在がいるのではないか?」
「…私も、同感です。アトラス社の技術力は高いですが、ここまでの生体改造や、法則干渉技術は、彼らだけでは到達し得ない領域かもしれません。あるいは、外部からの技術供与があったか、それとも…」

セバスチャンは言葉を濁したが、その視線の先には、俺と同じ疑念が浮かんでいた。

(…古代文明の、失われた技術か?)

模倣者の技術が、もし古代文明由来のものだとしたら? それを悪用しようとする組織が存在するとしたら? 事態は、俺が考えていたよりも、遥かに根深く、危険なものなのかもしれない。

分析作業は数日間続いた。その間、俺の頭の中では、時折、あの相沢のビジョンがフラッシュバックした。崩壊した研究室、冷たい光を宿した親友の瞳…。

(あれは、本当に幻覚だったのか? それとも、時空結晶が見せた『可能性』の一つなのか?)

俺は、情報屋グレイから得た情報を元に、セバスチャンに高村研究室爆発事故の再調査を依頼した。公式記録だけでなく、当時の関係者や、裏社会に残る噂なども含めて、徹底的に洗ってほしい、と。セバスチャンは、俺の真剣な様子に何かを感じ取ったのか、黙って頷き、すぐに手配を始めた。

模倣者の残骸の分析、時空結晶の研究準備、そして過去の事件の再調査。俺の前には、解き明かすべき謎が山積みになっていた。そして、それらの謎は、もしかしたら全て、水面下で繋がっているのかもしれない。

俺は、実験台の上に置かれた時空結晶を手に取った。それは、手のひらの中で静かに、しかし力強く輝いている。この結晶に触れたことで、俺の中に何かが変わったのは確かだ。まだ明確な形にはなっていないが、世界の『法則』に対する感覚が、以前よりも鋭敏になっているような気がする。

(この力が、吉と出るか、凶と出るか…)

俺は結晶を置き、再び分析データに向き直った。答えは、このデータの先に、そして俺自身の探求の先にあるはずだ。

疑念と、かすかな希望を胸に、俺は再び思考の海へと深く潜っていく。世界の歯車は、俺を中心に、否応なく回り続けているのだから。
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