地味スキル? いいえ、『法則操作』です。 ~落ちこぼれ探索者が現代科学でダンジョンをハックする話~

夏見ナイ

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第五十三話:遺されたデータと新たな座標

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実験室の静寂は、砕けたガラスや破壊された機器の残骸が転がる床の上で、ひどく重苦しく感じられた。相沢が光の粒子となって消えた空間には、もう何も残っていない。ただ、俺の手の中にある小さなデータチップだけが、彼が確かに存在し、苦しみ、そして何かを託そうとした証だった。

「…行こう」

俺は、深い疲労と、それ以上に重い感情を押し殺し、仲間たちに声をかけた。感傷に浸っている暇はない。ここは敵地の真っ只中であり、いつアトラス社の増援が来てもおかしくない。

セバスチャンが迅速に指示を出す。
「レン様、栞様、ミナ様は先行し、脱出経路の安全確保を。私が殿を務めます。神崎様は、私のすぐ前へ」

彼の判断は的確だった。レンたちは頷き、警戒しながらも素早く動き出す。俺はセバスチャンに支えられるようにして立ち上がり、相沢が落としたデータチップを慎重にポケットにしまい込んだ。

研究セクションを出て、地下通路を戻る。道中、新たな警備兵やキメラに遭遇することはなかった。おそらく、リーダーと主力キメラが倒されたことで、施設全体の指揮系統が混乱しているのだろう。あるいは、セバスチャンが言っていたように、リンドバーグ家による外部からのハッキングが、敵の動きを鈍らせているのかもしれない。

それでも、俺たちは警戒を緩めなかった。破壊された隔壁、散乱する戦闘の痕跡。それらが生々しく残る通路を、息を殺して進む。

道中、レンが俺の隣に並び、低い声で言った。
「…譲。さっきの…相沢とかいう奴のことだが…」
「……」
「…辛いだろうが、お前は間違ってない。あいつは…敵だった。そして、最後は…お前に何かを託そうとしていたように見えた」

レンなりの、不器用な慰めの言葉だったのかもしれない。あるいは、彼自身も、家との確執や過去のしがらみの中で、似たような痛みを抱えているのかもしれない。

「…ああ。分かってる」

俺は短く答えた。今は、それ以上の言葉を交わす気にはなれなかった。

栞とミナも、時折心配そうに俺を振り返る。彼女たちの無言の気遣いが、今はありがたかった。

地下排水路まで戻り、侵入時とは逆のルートで地上へと脱出する。森の中を抜け、待機させていた装甲車両に乗り込んだ時には、東の空が白み始めていた。

フロンティアへの帰路は、行きとは打って変わって重い沈黙に包まれていた。誰もが、今回の潜入作戦で経験したこと、目にしたものの重さを、それぞれの胸の中で受け止めようとしていた。

研究工房に戻ると、俺たちはまず、それぞれの疲労を癒すために休息を取ることにした。シャワーを浴び、仮眠を取る。だが、俺の眠りは浅く、相沢の最後の言葉と表情が、何度も夢の中に現れた。

数時間後、少しだけ回復した俺は、工房のメインコンソールに向かい、あのデータチップを挿入した。他のメンバーも、いつの間にか集まってきており、固唾を飲んでモニターを見守っている。

データチップの暗号化は強固だったが、高村研究室由来のものと思われる、俺にも馴染みのあるプロトコルが使われていた。俺は、『法則干渉ツール』と自身の知識を組み合わせ、慎重にアクセスを開始する。

数分の解析の後、ついにデータへのアクセスに成功した。モニターに表示されたのは、膨大な量の研究データと、いくつかの個人的な記録ファイルだった。

「これは…!」

研究データは、高村教授が進めていた『時空制御理論』の核心部分だった。そこには、時間と空間の相互作用、多次元構造、そして…プライマル・コードやグラビティ・コードにも繋がる、世界の根源的な法則に関する、驚くべき理論が記述されていた。それは、現代物理学の遥か先を行く、まさに異次元の知見だった。

(先生は…ここまで到達していたのか…!)

そして、個人的な記録ファイル。それは、相沢自身が遺したものだった。彼が『ノア』に接触した経緯、協力する中で抱いた葛藤、そして改造され、意識を奪われていく過程での、断片的な苦悩の記録。

『…譲、すまない…。僕は、道を踏み外した…。だが、このままでは終われない…。ノアの目的は…世界の『再編』…いや、それは破壊だ…。彼らは、古代の力を悪用し、世界を…自分たちの都合の良い形に作り変えようとしている…。高村先生の理論も、そのために…』

『…僕の意識は、もう長くは保たないだろう…。だが、この情報だけは、君に託さなければ…。ノアの計画…その中核となる『アーク計画』…その座標データが、このチップの深層部に隠されているはずだ…。僕にはもう、それを解読する力は残っていないが…君なら…』

『…最後に…もう一度だけ…君と…話したかった…』

記録は、そこで途切れていた。

俺は、モニターに映し出された相沢の言葉を、ただ呆然と見つめていた。涙が、再び溢れてくるのを止められなかった。彼は、最後まで親友であろうとしていた。そして、最後の最後に、世界を救うための情報を、俺に託そうとしていたのだ。

「…相沢…」

他のメンバーも、言葉を失っていた。相沢の苦悩と、託された情報の重さに、誰もが打ちのめされていた。

「『ノア』…世界の再編…『アーク計画』…」

セバスチャンが、低い声で呟いた。彼の表情も、いつになく険しい。

「座標データ…? それを見つけ出せば、ノアの本拠地や、計画の核心に迫れるかもしれないということか?」

レンが、怒りと決意の入り混じった表情で言った。

「だが、そのデータはチップの深層部に隠されている…解読できるのか、譲?」

栞が、心配そうに俺を見た。

俺は、涙を拭い、モニターに向き直った。相沢が遺した最後の希望。それを無駄にするわけにはいかない。

「…やってみるしかない。高村先生の理論、クロノスの刻印から得た知識、そして俺の『法則干渉』。それらを総動員すれば、あるいは…」

俺は、データチップの深層解析を開始した。それは、これまでのどのハッキングよりも複雑で、高度な作業になるだろう。だが、俺にはもう、迷いはなかった。

解析作業は、再び数日間に及んだ。工房には、静かな、しかし確かな決意に満ちた空気が流れていた。レンたちは、俺の解析作業をサポートしつつ、それぞれが今回の経験を糧にして、新たな訓練や研究に取り組んでいた。セバスチャンは、リンドバーグ家の情報網を駆使し、『ノア』に関するさらなる情報収集と、アトラス社への牽制を続けている。

そして、ついに。

「…見つけたぞ!」

俺は、歓喜とも疲労ともつかない声を上げた。データチップの暗号化された深層領域から、一つの座標データと、いくつかの断片的なキーワード(『揺り籠』、『始祖粒子』、『調律の日』など)を抽出することに成功したのだ。

座標が示す場所は…フロンティアから遠く離れた、未踏の極地。あるいは、地図に載っていない、隠された場所か。

「これが、『ノア』の…『アーク計画』の場所…?」

俺たちは、モニターに表示された座標データを、固唾を飲んで見つめていた。

それは、新たな冒険の始まりを示す座標であると同時に、世界の運命を左右する、最終決戦の地へと繋がる道標なのかもしれない。

遺されたデータは、俺たちに新たな道を示した。過去への決着、そして未来への選択。俺たちの戦いは、ここからさらに激化し、世界の真実へと迫っていく。その先に待ち受けるものが何であれ、俺たちは進むしかない。託された意志と、自らの法則を信じて。物語は、最終章へと向かう、大きな転換点を迎えた。
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