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第五十四話:アークへの標、迫る刻限
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相沢が遺したデータチップ。それは、絶望の淵から託された、未来への道標だった。高村教授の『時空制御理論』の断片、世界の危機を告げる『ノア』の存在、そして彼らの計画――『アーク計画』――の核心へと繋がる座標データ。俺たちは、その重すぎる情報を受け止め、次なる行動へと移る決意を固めた。
「エリーゼ、こちら譲だ。緊急の報告がある」
俺は研究工房のコンソールから、暗号化された通信回線でエリーゼに連絡を取った。アトラス社施設への潜入結果、相沢との再会と別れ、そしてデータチップから得られた情報を、可能な限り詳細に、しかし冷静に伝える。
『……相沢…そう、彼が…。そして、『ノア』…世界の再編…『アーク計画』…』
通信の向こうで、エリーゼはしばし絶句していた。だが、すぐに彼女特有の怜悧な思考を取り戻し、声に強い意志を込めて言った。
『信じられないような話ですけれど、断片的な情報が繋がり、一つの蓋然性のあるシナリオとして像を結び始めましたわ。譲、あなたと、そして…相沢君がもたらしてくれたその情報は、何にも代えがたい価値がある。よくやってくれましたわ』
彼女の声には、労いと共に、事態の深刻さを前にした緊張感が滲んでいた。
『座標データとキーワード…『揺り籠』、『始祖粒子』、『調律の日』…これらは、わたくしが持つ古代文献や、各地のダンジョンから得られた未解読情報の中に、符合するものがいくつか存在します。すぐに、リンドバーグ家の全情報網と解析能力を総動員して、目的地の特定と、これらのキーワードの意味の解明を急がせますわ』
「頼む。おそらく、目的地は通常の手段では到達困難な場所だろう。大規模な遠征準備が必要になるはずだ」
『ええ、承知していますわ。移動手段、装備、物資、そして場合によっては信頼できる協力者の確保…。リンドバーバーグ家の総力を挙げて、あなたたちの遠征をバックアップします。期間は…そうね、準備に最低でも一週間は見てちょうだい。その間に、あなたたちも、来るべき決戦に備えて、最大限の準備を進めてちょうだい』
「分かった」
通信を終え、俺は仲間たちに向き直った。
「聞いた通りだ。俺たちは、一週間後、世界の運命を左右するかもしれない場所へ向かうことになる。それまでに、やれることは全てやっておくぞ」
俺たちの新たな目標は定まった。『アーク計画』の阻止。そのための準備期間が始まった。
工房では、俺とセバスチャンを中心に、『クロノスの刻印』と相沢のデータチップから得られた情報の解析が続けられた。特に、高村教授の『時空制御理論』は、俺の『法則干渉』能力を新たな次元へと引き上げる可能性を秘めていた。時間と空間の相関性、多次元構造におけるエネルギー伝播、そして因果律への限定的な干渉…。それは、俺がこれまで経験則と直感で掴んできた法則操作の根拠を、理論的に裏付け、さらに発展させるものだった。
俺は、その理論を元に、『クロノスの刻印』と自身の能力を同調させ、安定化させる訓練を開始した。アーティファクトの力を部分的に引き出し、未来予測の精度向上、空間認識範囲の拡大、そして『状態保存』による時間流操作の精密化などを試みる。MP消費は依然として課題だが、その効果は確実に現れ始めていた。
また、模倣者の残骸分析から得られたデータに基づき、対・法則干渉能力、対・概念消去攻撃への防御策も研究した。複数の『法則』を同時に重ね合わせることで、単一の干渉や消去効果を打ち消す『多重法則障壁(マルチレイヤー・フィールド)』の理論構築と、その限定的な展開実験にも成功した。
一方、レン、栞、ミナも、それぞれの方法で決戦に備えていた。
レンは、橘家に伝わる古文書と、『クロノスの刻印』から得られた情報を元に、自身の魔力剣と『星霜の秘文字』の力をより深く理解しようとしていた。時には工房の訓練施設で、俺やセバスチャンを相手に、新たな剣技や能力の試行錯誤を繰り返している。彼の剣から放たれる魔力は、以前にも増して洗練され、時間や空間に僅かながら影響を与えるような、特殊な性質を帯び始めていた。彼もまた、大きな進化の途上にいるようだ。
栞は、回復魔法の熟練度を高めると共に、『クロノスの刻印』に精神を同調させる訓練を続けていた。彼女の持つエンパシースキルは、アーティファクトに宿る古代の意識の残滓や、あるいは世界の危機によって発せられる微弱な“悲鳴”のようなものを感じ取ることができるらしい。それは、時に彼女の精神に大きな負担を強いることもあったが、同時に、他の者には感知できない重要な情報を得るための、独自のチャンネルとなりつつあった。
ミナは、魔術師としての基礎能力を着実に向上させていた。これまでの戦闘経験を経て、恐怖心を克服し、冷静な判断力と、的確な魔法行使が可能になっている。特に、彼女が得意とする防御魔法や補助魔法は、多様な能力を持つ俺たちのパーティーにおいて、全体の連携を支える重要な役割を担うようになっていた。
セバスチャンは、俺たちの訓練や研究をサポートする傍ら、リンドバーバーグ家の情報網を駆使し、『ノア』とアトラス社の動向を探り続けていた。アトラス社は、『クロノス遺跡』での失敗以降、表立った動きは控えているようだが、水面下での『キメラ』開発は継続している可能性が高い。そして、『ノア』に関しては、依然としてその実態は掴めないものの、世界各地で発生している原因不明のダンジョンコア暴走事故や、異常な魔素濃度の上昇などに、彼らの関与が疑われる事例が複数報告され始めていた。
「…『調律の日』が近い、ということかもしれませんな」
セバスチャンは、憂慮すべき情報をもたらしながらも、冷静さを失わない。
世界は、確実に終焉、あるいは『再編』へと向かって動き出している。その刻限は、思ったよりも近いのかもしれない。
準備期間も残り数日となった頃、事件は起こった。
俺たちが研究と訓練に集中していた工房のセキュリティシステムが、突如として警報を発したのだ。外部からの、極めて高度なサイバー攻撃。ターゲットは、工房のメインサーバー、特に『クロノスの刻印』や俺の研究データが保管されている領域だ。
「…来たか!」
俺は即座にコンソールに向かい、迎撃を開始する。敵のハッキングコードは巧妙で、複数の経路から同時に侵入を試みてくる。アトラス社か? それとも『ノア』か?
「譲さん、これは…!」
解析モニターを見ていた栞が、顔色を変えて叫んだ。攻撃コードの一部に、彼女が『クロノスの刻印』から感じ取っていた、『ノア』特有の歪んだ思念パターンと酷似したものが見られるというのだ。
(『ノア』直々の攻撃か!)
敵は、俺たちが『アーク計画』の情報を掴んだことを察知し、そのデータを破壊、あるいは奪取しようとしているのかもしれない。
「セバスチャン、外部との回線を物理的に遮断! レン、栞、ミナは工房の入り口を固めろ! 物理的な襲撃の可能性もある!」
俺は指示を飛ばし、ハッキングの迎撃に全神経を集中させる。敵のコードは、単なるプログラムではなく、まるで生きているかのように、俺の防御をすり抜け、システムの中枢へと侵食してくる。それは、魔術と科学技術が融合した、未知のサイバー攻撃だった。
(…くそっ、防ぎきれない…!)
メインサーバーの防御壁が、次々と突破されていく。データ消去まで、あと数秒。
(…こうなったら!)
俺は最後の手段に出た。『クロノスの刻印』から託された認証キーと、自身の『法則干渉』能力を組み合わせ、工房のネットワークシステム全体の『時間流』を、ほんの一瞬だけ、極端に遅延させる!
**「…時間よ、停まれ(クロノ・スタシス)!」**
俺が心の中で叫ぶと、モニター上のコードの流れが、カタツムリのように遅くなった。敵の侵攻が、一時的に停止する。
その隙に、俺は反撃のコードを打ち込み、侵入してきた敵性プログラムを全て強制的に排除、そしてシステムを完全にシャットダウンした。
「……はぁ……はぁ……やった…か…?」
俺はその場に崩れ落ちた。時間流への干渉は、極度の精神的消耗を伴う。
「神崎様!」
セバスチャンが駆け寄ってくる。レンたちも、異常な事態に気づき、心配そうにこちらを見ていた。
「…ああ、どうにか、防いだようだ。だが、危なかった」
敵は、俺たちの予想を超える速度と手段で攻撃を仕掛けてきた。『ノア』の脅威は、もはや疑いようのない現実だ。
「…奴らも、焦っているのかもしれないな。『アーク計画』の実行が近いということか…」
俺は、床に手をつきながら、悔しげに呟いた。
今回のサイバー攻撃は、敵からの明確な「警告」であり、同時に俺たちの行動を促す「号砲」でもあった。残された時間は少ない。
俺は、仲間たちの顔を見回した。それぞれの瞳には、恐怖ではなく、困難に立ち向かう決意の光が宿っている。
「…準備はできたようだな」
俺は立ち上がり、言った。
「行こう。俺たちの未来を、そしてこの世界の未来を取り戻すために」
『アーク計画』の座標が示す、未知なる場所へ。世界の運命を賭けた、最後の戦いが、今、始まろうとしていた。俺たちは、加速する世界の流れの中で、確かな絆と、進化した力を武器に、その激流へと飛び込んでいく。
「エリーゼ、こちら譲だ。緊急の報告がある」
俺は研究工房のコンソールから、暗号化された通信回線でエリーゼに連絡を取った。アトラス社施設への潜入結果、相沢との再会と別れ、そしてデータチップから得られた情報を、可能な限り詳細に、しかし冷静に伝える。
『……相沢…そう、彼が…。そして、『ノア』…世界の再編…『アーク計画』…』
通信の向こうで、エリーゼはしばし絶句していた。だが、すぐに彼女特有の怜悧な思考を取り戻し、声に強い意志を込めて言った。
『信じられないような話ですけれど、断片的な情報が繋がり、一つの蓋然性のあるシナリオとして像を結び始めましたわ。譲、あなたと、そして…相沢君がもたらしてくれたその情報は、何にも代えがたい価値がある。よくやってくれましたわ』
彼女の声には、労いと共に、事態の深刻さを前にした緊張感が滲んでいた。
『座標データとキーワード…『揺り籠』、『始祖粒子』、『調律の日』…これらは、わたくしが持つ古代文献や、各地のダンジョンから得られた未解読情報の中に、符合するものがいくつか存在します。すぐに、リンドバーグ家の全情報網と解析能力を総動員して、目的地の特定と、これらのキーワードの意味の解明を急がせますわ』
「頼む。おそらく、目的地は通常の手段では到達困難な場所だろう。大規模な遠征準備が必要になるはずだ」
『ええ、承知していますわ。移動手段、装備、物資、そして場合によっては信頼できる協力者の確保…。リンドバーバーグ家の総力を挙げて、あなたたちの遠征をバックアップします。期間は…そうね、準備に最低でも一週間は見てちょうだい。その間に、あなたたちも、来るべき決戦に備えて、最大限の準備を進めてちょうだい』
「分かった」
通信を終え、俺は仲間たちに向き直った。
「聞いた通りだ。俺たちは、一週間後、世界の運命を左右するかもしれない場所へ向かうことになる。それまでに、やれることは全てやっておくぞ」
俺たちの新たな目標は定まった。『アーク計画』の阻止。そのための準備期間が始まった。
工房では、俺とセバスチャンを中心に、『クロノスの刻印』と相沢のデータチップから得られた情報の解析が続けられた。特に、高村教授の『時空制御理論』は、俺の『法則干渉』能力を新たな次元へと引き上げる可能性を秘めていた。時間と空間の相関性、多次元構造におけるエネルギー伝播、そして因果律への限定的な干渉…。それは、俺がこれまで経験則と直感で掴んできた法則操作の根拠を、理論的に裏付け、さらに発展させるものだった。
俺は、その理論を元に、『クロノスの刻印』と自身の能力を同調させ、安定化させる訓練を開始した。アーティファクトの力を部分的に引き出し、未来予測の精度向上、空間認識範囲の拡大、そして『状態保存』による時間流操作の精密化などを試みる。MP消費は依然として課題だが、その効果は確実に現れ始めていた。
また、模倣者の残骸分析から得られたデータに基づき、対・法則干渉能力、対・概念消去攻撃への防御策も研究した。複数の『法則』を同時に重ね合わせることで、単一の干渉や消去効果を打ち消す『多重法則障壁(マルチレイヤー・フィールド)』の理論構築と、その限定的な展開実験にも成功した。
一方、レン、栞、ミナも、それぞれの方法で決戦に備えていた。
レンは、橘家に伝わる古文書と、『クロノスの刻印』から得られた情報を元に、自身の魔力剣と『星霜の秘文字』の力をより深く理解しようとしていた。時には工房の訓練施設で、俺やセバスチャンを相手に、新たな剣技や能力の試行錯誤を繰り返している。彼の剣から放たれる魔力は、以前にも増して洗練され、時間や空間に僅かながら影響を与えるような、特殊な性質を帯び始めていた。彼もまた、大きな進化の途上にいるようだ。
栞は、回復魔法の熟練度を高めると共に、『クロノスの刻印』に精神を同調させる訓練を続けていた。彼女の持つエンパシースキルは、アーティファクトに宿る古代の意識の残滓や、あるいは世界の危機によって発せられる微弱な“悲鳴”のようなものを感じ取ることができるらしい。それは、時に彼女の精神に大きな負担を強いることもあったが、同時に、他の者には感知できない重要な情報を得るための、独自のチャンネルとなりつつあった。
ミナは、魔術師としての基礎能力を着実に向上させていた。これまでの戦闘経験を経て、恐怖心を克服し、冷静な判断力と、的確な魔法行使が可能になっている。特に、彼女が得意とする防御魔法や補助魔法は、多様な能力を持つ俺たちのパーティーにおいて、全体の連携を支える重要な役割を担うようになっていた。
セバスチャンは、俺たちの訓練や研究をサポートする傍ら、リンドバーバーグ家の情報網を駆使し、『ノア』とアトラス社の動向を探り続けていた。アトラス社は、『クロノス遺跡』での失敗以降、表立った動きは控えているようだが、水面下での『キメラ』開発は継続している可能性が高い。そして、『ノア』に関しては、依然としてその実態は掴めないものの、世界各地で発生している原因不明のダンジョンコア暴走事故や、異常な魔素濃度の上昇などに、彼らの関与が疑われる事例が複数報告され始めていた。
「…『調律の日』が近い、ということかもしれませんな」
セバスチャンは、憂慮すべき情報をもたらしながらも、冷静さを失わない。
世界は、確実に終焉、あるいは『再編』へと向かって動き出している。その刻限は、思ったよりも近いのかもしれない。
準備期間も残り数日となった頃、事件は起こった。
俺たちが研究と訓練に集中していた工房のセキュリティシステムが、突如として警報を発したのだ。外部からの、極めて高度なサイバー攻撃。ターゲットは、工房のメインサーバー、特に『クロノスの刻印』や俺の研究データが保管されている領域だ。
「…来たか!」
俺は即座にコンソールに向かい、迎撃を開始する。敵のハッキングコードは巧妙で、複数の経路から同時に侵入を試みてくる。アトラス社か? それとも『ノア』か?
「譲さん、これは…!」
解析モニターを見ていた栞が、顔色を変えて叫んだ。攻撃コードの一部に、彼女が『クロノスの刻印』から感じ取っていた、『ノア』特有の歪んだ思念パターンと酷似したものが見られるというのだ。
(『ノア』直々の攻撃か!)
敵は、俺たちが『アーク計画』の情報を掴んだことを察知し、そのデータを破壊、あるいは奪取しようとしているのかもしれない。
「セバスチャン、外部との回線を物理的に遮断! レン、栞、ミナは工房の入り口を固めろ! 物理的な襲撃の可能性もある!」
俺は指示を飛ばし、ハッキングの迎撃に全神経を集中させる。敵のコードは、単なるプログラムではなく、まるで生きているかのように、俺の防御をすり抜け、システムの中枢へと侵食してくる。それは、魔術と科学技術が融合した、未知のサイバー攻撃だった。
(…くそっ、防ぎきれない…!)
メインサーバーの防御壁が、次々と突破されていく。データ消去まで、あと数秒。
(…こうなったら!)
俺は最後の手段に出た。『クロノスの刻印』から託された認証キーと、自身の『法則干渉』能力を組み合わせ、工房のネットワークシステム全体の『時間流』を、ほんの一瞬だけ、極端に遅延させる!
**「…時間よ、停まれ(クロノ・スタシス)!」**
俺が心の中で叫ぶと、モニター上のコードの流れが、カタツムリのように遅くなった。敵の侵攻が、一時的に停止する。
その隙に、俺は反撃のコードを打ち込み、侵入してきた敵性プログラムを全て強制的に排除、そしてシステムを完全にシャットダウンした。
「……はぁ……はぁ……やった…か…?」
俺はその場に崩れ落ちた。時間流への干渉は、極度の精神的消耗を伴う。
「神崎様!」
セバスチャンが駆け寄ってくる。レンたちも、異常な事態に気づき、心配そうにこちらを見ていた。
「…ああ、どうにか、防いだようだ。だが、危なかった」
敵は、俺たちの予想を超える速度と手段で攻撃を仕掛けてきた。『ノア』の脅威は、もはや疑いようのない現実だ。
「…奴らも、焦っているのかもしれないな。『アーク計画』の実行が近いということか…」
俺は、床に手をつきながら、悔しげに呟いた。
今回のサイバー攻撃は、敵からの明確な「警告」であり、同時に俺たちの行動を促す「号砲」でもあった。残された時間は少ない。
俺は、仲間たちの顔を見回した。それぞれの瞳には、恐怖ではなく、困難に立ち向かう決意の光が宿っている。
「…準備はできたようだな」
俺は立ち上がり、言った。
「行こう。俺たちの未来を、そしてこの世界の未来を取り戻すために」
『アーク計画』の座標が示す、未知なる場所へ。世界の運命を賭けた、最後の戦いが、今、始まろうとしていた。俺たちは、加速する世界の流れの中で、確かな絆と、進化した力を武器に、その激流へと飛び込んでいく。
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