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第七章:暴走する神
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第七十一話:静かなる侵食、世界のバグ
カイザーが堕ち、天空要塞《アヴァロン》が崩壊したあの日から、数週間が過ぎた。
エリュシオン・テラの世界は、まるで長い冬の終わりを告げる春のように、解放感と、新たな始まりへの期待に満ち溢れていた。絶対王者の圧政という重石が取れたことで、プレイヤーたちは、かつてないほどの自由を謳歌していた。
僕たちの拠点である《クラフトヘイム》も、その恩恵を最も受けた都市の一つだ。《絶対王権》による資源の独占がなくなり、職人たちは、目を輝かせながら、未知の素材を求めて、新たな冒険へと旅立っていく。
「いやー、平和ってのはいいもんだな!」
リク工房のソファで、ゴードンが、大きなあくびをしながら言った。彼の隣では、ミモリさんが、にこやかに微笑みながら、新しい回復ポーションのレシピ本を読んでいる。
僕もまた、研究室のテーブルで、これまで調査してきた地質データを整理し、この世界の、より詳細な地質図を完成させるという、穏やかで、満ち足りた作業に没頭していた。
あの、壮絶な戦いの記憶は、少しずつ、遠い過去の出来事になりつつあった。誰もが、この平穏が、永遠に続くと、信じて疑わなかった。
その、最初の「兆候」は、本当に、些細な出来事だった。
「なあ、リク、聞いたか? 最近、街のNPCが、ちょっとおかしいんだよ」
ゴードンが、面白いものを見つけた、とでもいうように、話を切り出した。
「さっき、広場の噴水の前でよ、衛兵のNPCが、ずーっと、壁に向かって行進してるんだ。ぶつかっては、後退りして、また、進んで。まるで、壊れたおもちゃみたいでよ。見てる奴ら、みんなで大笑いしてたぜ」
「まあ、イベント後の、大規模なアップデートの影響でしょうか」
ミモリさんが、くすくすと笑う。
「きっと、運営さんも、お忙しいんですよ」
僕も、その時は、特に気に留めなかった。大規模なシステム変更の後には、些細なバグはつきものだ。
だが、その日を境に、僕たちの耳には、奇妙な報告が、いくつも、入ってくるようになった。
「リク殿! 大変じゃ! うちのギルドの畑で採れたリンゴが、地面に落ちずに、空に、浮かんでいきおった!」
バルカンが、血相を変えて、工房に駆け込んできた。彼が持ってきた映像ログには、収穫されたリンゴが、重力に逆らうように、ゆっくりと、空へと上昇していく、シュールな光景が映し出されていた。
「なんだ、こりゃ。新種の、魔法のリンゴか?」
ゴードンは、まだ、面白がっている。
だが、僕は、その映像に、笑うことができなかった。
リンゴが、浮く。
それは、単なる、アイテムの表示バグではない。
この世界の、根幹をなす、「物理法則」そのものが、おかしくなっている、ということだ。
僕の中に、小さな、しかし、無視できない、違和感の棘が、突き刺さった。
カイザーとの戦いの後、僕の脳裏に、一度だけ響いた、ガイアの、あの、警告の声を、思い出していた。
『……事態は、最悪の、方向へと、進んでいます』
(まさか……)
その夜。
仲間たちが寝静まった後、僕は一人、工房の研究室で、窓の外を、眺めていた。
《クラフトヘイム》の街は、穏やかな眠りについている。
僕は、あの、ガイアとの、対話の回路を、再び、開くことができないか、試みていた。
目を閉じ、意識を、集中させる。僕と、彼女を繋ぐ、あの、エラーから生まれた、特殊な、繋がりを、手繰り寄せるように。
最初は、何も、起きなかった。
だが、僕が、諦めかけた、その時。
『――……探求……者……』
ノイズ混じりの、か細い声が、僕の脳内に、直接、響いた。
ガイアだ。
(ガイア! 聞こえるか!?)
『……き……え……ます……。です……が……私……の……意識……も……』
彼女の声は、断続的で、まるで、嵐の中の、無線通信のようだった。
彼女の、思考そのものが、何か、巨大なノイズによって、妨害されているのが、わかった。
『……カイザー……の……意識……データ……が……』
『……深層……システム……と……融合……を……』
『……汚染が……始まっています……この、世界の、理(ルール)が……彼の、狂気に……上書き……され……』
汚染。
上書き。
僕の、最悪の、予感が、的中した。
カイザーは、死んではいなかった。彼は、データとなり、この世界の、OSそのものに、寄生する、ウイルスと化したのだ。
今、世界で起きている、奇妙なバグの数々。あれは、その、汚染の、始まりに過ぎない。
(どうすればいい!? 彼を、止める方法は!?)
『……アビス……コア……の、最深部……』
『……創世……の……コード……に……直接……干渉……を……』
『……ですが……道は……彼によって……完全……に……』
プツン。
その言葉を最後に、ガイアとの通信は、完全に、途絶えた。
後に残されたのは、僕の、額を伝う、一筋の、冷たい汗と、心臓を、鷲掴みにされるかのような、圧倒的な、焦燥感だけだった。
世界の、危機は、去ってはいなかった。
それどころか、それは、静かに、そして、確実に、僕たちの、日常を、内側から、蝕み始めていたのだ。
僕は、研究室を、飛び出した。
リビングの、ソファで、うたた寝をしていた、ゴードンと、ミモリさん。僕は、その二人を、揺り起こした。
「ゴードンさん、ミモリさん。起きてください」
僕の、ただならぬ、声色に、二人は、眠い目をこすりながら、身を起こした。
「どうしたんだよ、リク。そんな、血相変えて……」
僕は、二人に向き直ると、静かに、しかし、はっきりと、告げた。
「祝宴は、終わりです。僕たちの、最後の戦いが、始まります」
僕は、ガイアから、聞いた、全てのことを、二人に話した。
カイザーの、生存。
深層システムの、汚染。
そして、このままでは、この世界そのものが、彼の、狂気によって、作り変えられてしまう、という、絶望的な、未来。
二人の顔から、眠気も、平穏も、完全に、消え失せていた。
そこにあったのは、僕が、初めて、この世界の危機を、告げた、あの時と、同じ。
揺るぎない、覚悟の、色だった。
「……やっぱり、あの野郎、ただじゃ、死んでなかったか」
ゴードンが、拳を、強く、握りしめる。
「リクさん……。私たちは、何をすれば、いいですか?」
ミモリさんが、杖を、その胸に、抱きしめる。
僕は、工房の、窓の外を、見た。
穏やかだったはずの、夜空。
その、地平線の、一角が、ほんの一瞬だけ、まるで、プログラムが、バグを起こしたかのように、不気味な、赤色に、点滅したのを、僕は、確かに、見た。
静かなる、侵食は、もう、始まっている。
僕たちの、最後の、戦いが、静かに、幕を開けた。
カイザーが堕ち、天空要塞《アヴァロン》が崩壊したあの日から、数週間が過ぎた。
エリュシオン・テラの世界は、まるで長い冬の終わりを告げる春のように、解放感と、新たな始まりへの期待に満ち溢れていた。絶対王者の圧政という重石が取れたことで、プレイヤーたちは、かつてないほどの自由を謳歌していた。
僕たちの拠点である《クラフトヘイム》も、その恩恵を最も受けた都市の一つだ。《絶対王権》による資源の独占がなくなり、職人たちは、目を輝かせながら、未知の素材を求めて、新たな冒険へと旅立っていく。
「いやー、平和ってのはいいもんだな!」
リク工房のソファで、ゴードンが、大きなあくびをしながら言った。彼の隣では、ミモリさんが、にこやかに微笑みながら、新しい回復ポーションのレシピ本を読んでいる。
僕もまた、研究室のテーブルで、これまで調査してきた地質データを整理し、この世界の、より詳細な地質図を完成させるという、穏やかで、満ち足りた作業に没頭していた。
あの、壮絶な戦いの記憶は、少しずつ、遠い過去の出来事になりつつあった。誰もが、この平穏が、永遠に続くと、信じて疑わなかった。
その、最初の「兆候」は、本当に、些細な出来事だった。
「なあ、リク、聞いたか? 最近、街のNPCが、ちょっとおかしいんだよ」
ゴードンが、面白いものを見つけた、とでもいうように、話を切り出した。
「さっき、広場の噴水の前でよ、衛兵のNPCが、ずーっと、壁に向かって行進してるんだ。ぶつかっては、後退りして、また、進んで。まるで、壊れたおもちゃみたいでよ。見てる奴ら、みんなで大笑いしてたぜ」
「まあ、イベント後の、大規模なアップデートの影響でしょうか」
ミモリさんが、くすくすと笑う。
「きっと、運営さんも、お忙しいんですよ」
僕も、その時は、特に気に留めなかった。大規模なシステム変更の後には、些細なバグはつきものだ。
だが、その日を境に、僕たちの耳には、奇妙な報告が、いくつも、入ってくるようになった。
「リク殿! 大変じゃ! うちのギルドの畑で採れたリンゴが、地面に落ちずに、空に、浮かんでいきおった!」
バルカンが、血相を変えて、工房に駆け込んできた。彼が持ってきた映像ログには、収穫されたリンゴが、重力に逆らうように、ゆっくりと、空へと上昇していく、シュールな光景が映し出されていた。
「なんだ、こりゃ。新種の、魔法のリンゴか?」
ゴードンは、まだ、面白がっている。
だが、僕は、その映像に、笑うことができなかった。
リンゴが、浮く。
それは、単なる、アイテムの表示バグではない。
この世界の、根幹をなす、「物理法則」そのものが、おかしくなっている、ということだ。
僕の中に、小さな、しかし、無視できない、違和感の棘が、突き刺さった。
カイザーとの戦いの後、僕の脳裏に、一度だけ響いた、ガイアの、あの、警告の声を、思い出していた。
『……事態は、最悪の、方向へと、進んでいます』
(まさか……)
その夜。
仲間たちが寝静まった後、僕は一人、工房の研究室で、窓の外を、眺めていた。
《クラフトヘイム》の街は、穏やかな眠りについている。
僕は、あの、ガイアとの、対話の回路を、再び、開くことができないか、試みていた。
目を閉じ、意識を、集中させる。僕と、彼女を繋ぐ、あの、エラーから生まれた、特殊な、繋がりを、手繰り寄せるように。
最初は、何も、起きなかった。
だが、僕が、諦めかけた、その時。
『――……探求……者……』
ノイズ混じりの、か細い声が、僕の脳内に、直接、響いた。
ガイアだ。
(ガイア! 聞こえるか!?)
『……き……え……ます……。です……が……私……の……意識……も……』
彼女の声は、断続的で、まるで、嵐の中の、無線通信のようだった。
彼女の、思考そのものが、何か、巨大なノイズによって、妨害されているのが、わかった。
『……カイザー……の……意識……データ……が……』
『……深層……システム……と……融合……を……』
『……汚染が……始まっています……この、世界の、理(ルール)が……彼の、狂気に……上書き……され……』
汚染。
上書き。
僕の、最悪の、予感が、的中した。
カイザーは、死んではいなかった。彼は、データとなり、この世界の、OSそのものに、寄生する、ウイルスと化したのだ。
今、世界で起きている、奇妙なバグの数々。あれは、その、汚染の、始まりに過ぎない。
(どうすればいい!? 彼を、止める方法は!?)
『……アビス……コア……の、最深部……』
『……創世……の……コード……に……直接……干渉……を……』
『……ですが……道は……彼によって……完全……に……』
プツン。
その言葉を最後に、ガイアとの通信は、完全に、途絶えた。
後に残されたのは、僕の、額を伝う、一筋の、冷たい汗と、心臓を、鷲掴みにされるかのような、圧倒的な、焦燥感だけだった。
世界の、危機は、去ってはいなかった。
それどころか、それは、静かに、そして、確実に、僕たちの、日常を、内側から、蝕み始めていたのだ。
僕は、研究室を、飛び出した。
リビングの、ソファで、うたた寝をしていた、ゴードンと、ミモリさん。僕は、その二人を、揺り起こした。
「ゴードンさん、ミモリさん。起きてください」
僕の、ただならぬ、声色に、二人は、眠い目をこすりながら、身を起こした。
「どうしたんだよ、リク。そんな、血相変えて……」
僕は、二人に向き直ると、静かに、しかし、はっきりと、告げた。
「祝宴は、終わりです。僕たちの、最後の戦いが、始まります」
僕は、ガイアから、聞いた、全てのことを、二人に話した。
カイザーの、生存。
深層システムの、汚染。
そして、このままでは、この世界そのものが、彼の、狂気によって、作り変えられてしまう、という、絶望的な、未来。
二人の顔から、眠気も、平穏も、完全に、消え失せていた。
そこにあったのは、僕が、初めて、この世界の危機を、告げた、あの時と、同じ。
揺るぎない、覚悟の、色だった。
「……やっぱり、あの野郎、ただじゃ、死んでなかったか」
ゴードンが、拳を、強く、握りしめる。
「リクさん……。私たちは、何をすれば、いいですか?」
ミモリさんが、杖を、その胸に、抱きしめる。
僕は、工房の、窓の外を、見た。
穏やかだったはずの、夜空。
その、地平線の、一角が、ほんの一瞬だけ、まるで、プログラムが、バグを起こしたかのように、不気味な、赤色に、点滅したのを、僕は、確かに、見た。
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僕たちの、最後の、戦いが、静かに、幕を開けた。
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