偽りの聖女と呪われた公爵様〜嘘が聞こえる私が、心を閉ざした彼と結ぶ偽りの婚約〜

夏見ナイ

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第二十八話 嘘と見栄の茶会

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あの作戦司令室での誓いから数日後。ゼノン公爵は、新たな指令を私に下した。
「王妃陛下主催のお茶会へ行け」
その一言は、私を再び凍りつかせるには十分だった。
お茶会。夜会とはまた違う、貴婦人たちの社交場。そこは、甘い菓子の香りと美しい花の彩りの裏で、嘘と見栄と嫉妬が渦を巻く、女たちの戦場だ。
夜会でのトラウマが、冷たい手のように私の心臓を掴む。大勢の貴族、特に女性たちの集まりは、私の耳にとって拷問以外の何物でもない。
「…私が、ですか」
かろうじて絞り出した声は、自分でも情けないほど震えていた。
私の反応を予測していたのか、彼は静かに続けた。
「脅迫状を送りつけてきた犯人への、最高の牽制になる。我々が、あの程度の脅しに怯むことなく、堂々と社交の場に姿を現すこと。それが、相手を最も苛立たせる」
彼の言葉は、常に合理的で、戦略的だ。
「そして、もう一つ」
彼は、私を真っ直ぐに見つめた。
「お前の耳にとって、女の茶会ほど、情報が溢れている場所はない。男たちの会話は、建前と論理で固められている。だが、女たちの会話は違う。感情と虚栄心が剥き出しだ。嘘の音も、より聞き分けやすいはずだ」
彼は、私を試している。そして、信頼している。
この耳が、ただの呪いではなく、強力な武器であることを、彼は誰よりも理解してくれている。
「光になる」
そう誓ったのは、私自身だ。
ここで怯んでいては、彼の隣に立つ資格はない。
「…承知、いたしました。参加、させていただきます」
私は、恐怖を腹の底に押し込め、はっきりと答えた。
私の決意を認めたのか、彼は満足げに頷いた。

お茶会の当日。
ハンナたちは、夜会とは違う、昼間の社交にふさわしいドレスを私に着付けてくれた。若草色の、風に揺れる軽やかな生地。派手さはないが、上品なレースの装飾が施されている。
「まあ、アリーシャ様。春の妖精のようですわ」
ハンナの心からの賞賛の和音に、私は少しだけ頬を緩めた。
王宮へと向かう馬車には、ゼノン公爵の姿はなかった。お茶会は、基本的には女性たちのための社交場だ。彼が同行すれば、かえって不自然になる。
代わりに、御者台には護衛騎士のレオンハルトが控え、馬車の前後を数騎の衛兵が固めていた。
「閣下からのご命令です。何かあれば、すぐに合図を」
出発前、レオンハルトは硬い表情のまま、私にそう告げた。その声には、まだ戸惑いの響きが混じってはいたが、私を守るという職務への、揺るぎない決意が感じられた。
馬車が、王宮の庭園に到着する。
扉が開かれ、私は一人、陽光降り注ぐ戦場へと足を踏み出した。
そこは、一見すれば天国のような場所だった。
色とりどりの花が咲き乱れる広大な庭園。白いテーブルクロスがかけられたテーブルには、宝石のように美しい菓子と、銀のポットから立ち上る紅茶の香りが満ちている。
そして、そこに集う、華やかなドレスに身を包んだ貴婦人たち。その優雅な笑い声が、庭園のあちこちで響いていた。
しかし、私の耳には、地獄の合奏が鳴り響いていた。
「まあ、クライノート嬢ではありませんか。エルヴァイン公爵閣下は、ご一緒ではないの?」
その甘い声の裏では、『男の威光がなければ、ここへも来られないのかしら』という、嫉妬に歪んだ不協和音が鳴っている。
「素敵なドレスですこと。わたくし、そのような瑞々しいお色は、もう似合わなくて」
その謙遜の言葉の裏では、『私の宝石の方が、よほど高価だわ』という、見栄と虚勢に満ちた音が響いている。
互いの夫の地位を自慢し合い、子供の出来を褒めそやす。その全ての言葉に、嘘と牽制の不協和音が、火花のように散っていた。
頭が、痛い。
けれど、私はもう、ただ耐えるだけの私ではなかった。
これは、仕事だ。
私は、この不協和音の濁流の中から、意味のある音を探し出さなければならない。
私は、背筋を伸ばし、完璧な淑女の微笑みを顔に貼り付けた。そして、貴婦人たちの輪の中へと、自ら歩みを進めていった。

まずは、主催者である王妃陛下への挨拶を済ませる。
王妃は、優雅な微笑みで私を迎えてくれた。
「アリーシャ嬢。よく参られました。公爵閣下も、息災かしら」
その言葉は、穏やかな和音を奏でている。しかし、その奥に、私とゼノン公爵の関係を慎重に探ろうとする、微かな響きがあるのを、私は聞き逃さなかった。
「はい、妃殿下。閣下も、妃殿下によろしくとのことでした」
当たり障りのない挨拶を交わし、私はその場を辞した。
いくつかの貴婦人たちのグループに加わり、無害な令嬢を演じながら、彼女たちの会話に耳を澄ます。
彼女たちは、私を好奇の目で遠巻きにしながらも、エルヴァイン公爵の婚約者という立場に興味があるのか、次々と話しかけてきた。
私は、ただ相槌を打ち、微笑むだけ。意識は全て、彼女たちの声が奏でる音の分析に集中していた。
アルフォンス王子派と噂される伯爵夫人のグループ。彼女たちの会話は、最近の流行や他家の噂話ばかりだ。その言葉のほとんどは、虚栄心に満ちた不協和音で、何の価値もない。
次に、王弟殿下に近いとされる侯爵夫人の輪に加わった。
彼女たちの会話は、より政治的な色合いを帯びていた。税制改革への不満や、隣国との緊張関係への憂慮。もっともらしい言葉が並ぶが、その多くは自らの家の利益を守るための、保身の不協和音に過ぎなかった。
収穫はないかもしれない。
焦りが、私の心をよぎる。
その時だった。
一人の子爵夫人が、溜息交じりにこう言った。
「本当に、うちの息子には困ったものですわ。また新しい馬を買ってほしいなどと、どこにそんなお金があるというのかしら」
周囲の夫人たちが、同情するように頷く。
「まあ、男の子は本当にお金がかかりますものね」
「うちも同じですわ」
ごくありふれた、貴婦人の愚痴。
しかし、私は聞き逃さなかった。
その子爵夫人の声。
困っているという言葉とは裏腹に、その音には、全く困窮の色がなかったのだ。
むしろ、隠しきれないほどの余裕と、ほんの少しの優越感が混じった、奇妙な不協和音。
まるで、『あなたたちとは違うのよ』とでも言いたげな、歪んだ響き。
私は、その夫人の顔と家名を、脳裏に深く刻み込んだ。
この音は、覚えておく必要がある。
お茶会が終わり、私は心身ともに疲れ果てて、帰りの馬車に乗り込んだ。
頭は、不協和音の残響でガンガンと痛む。
けれど、私の心の中には、確かな手応えが残っていた。
私はもう、ただ音に苦しめられるだけの存在ではない。
この耳で、戦える。
嘘と見栄で塗り固められた、この腐敗した王国で、真実を暴くための武器になる。
その確かな自覚が、私の表情に、新たな強さを与えていることを、私はまだ知らなかった。
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