偽りの聖女と呪われた公爵様〜嘘が聞こえる私が、心を閉ざした彼と結ぶ偽りの婚約〜

夏見ナイ

文字の大きさ
46 / 64

第四十七話 書庫に眠る古文書

しおりを挟む
公爵家の図書室は、昼間でも薄暗く、静寂に満ちていた。
高い天井まで届く書架が、まるで古代の森の巨木のように、整然と立ち並んでいる。革の匂いと、古い紙の匂い。そして、悠久の時が堆積したかのような、重々しい空気。
私は、この知識の森の中を、目的もなく彷徨っていた。
呪い。
ハンナの口から語られた、その不吉な言葉。
エルヴァイン家に代々伝わるという、その呪いの正体を、私はどうしても突き止めたかった。
しかし、どこから手をつけていいのか、皆目見当もつかない。図書室の蔵書は、何万冊にも及ぶだろう。その中から、たった一つの伝承を見つけ出すなど、砂漠で針を探すようなものだ。
それでも、私は諦めなかった。
何か、手がかりがあるはずだ。
私は、図書室の管理を任されている、年老いた司書に声をかけた。
「エルヴァイン家の歴史について書かれた書物を、探しているのです。特に、古い時代の…建国期に近い頃の記録はありませんか」
司書は、私の突然の申し出に少し驚いたようだったが、すぐに心得たとばかりに頷いた。
「でしたら、こちらの特別書庫にございます。ただし、非常に貴重な古文書ばかりですので、取り扱いには十分ご注意を」
彼は、重々しい鉄の鍵を取り出すと、図書室の最も奥まった場所にある、小さな扉を開けてくれた。
扉の向こうは、さらに空気がひんやりとしていた。外の光がほとんど届かない、窓のない小部屋。そこには、数個の書架だけが、静かに佇んでいた。
「ここにあるのは、初代エルヴァイン公爵が記された日記や、代々の当主が書き継いできた、家の秘録などでございます」
司書の言葉に、私の心臓が微かに高鳴った。
ここだ。ここに、必ず何かがある。
私は、司書に礼を言うと、一人、その薄暗い書庫の中へと足を踏み入れた。

書架に並ぶのは、現代の書物とは全く違う、手書きの古文書ばかりだった。
羊皮紙は黄ばみ、インクは掠れている。使われている言語も、現代語とは少し違う、古風なものだ。
私は、一冊ずつ、慎重に手に取り、その内容を読み解いていった。
初代公爵の日記には、建国期の混乱と、王と共に国を築き上げた誇りが、力強い筆致で記されていた。
二代目、三代目と、時代が下るにつれて、記録は領地の経営や、隣国との戦いの歴史へと移っていく。
どの記録からも、エルヴァイン家の当主としての、強い責任感と誇りが感じられた。
しかし、私が求める「呪い」に関する記述は、どこにも見当たらない。
時間だけが、静かに過ぎていく。
私は、焦る気持ちを抑え、集中力を途切れさせないように、古文書のページをめくり続けた。
そして、何時間も経った頃だろうか。
私は、ある一冊の、ひときわ古びた革表紙の書物に、手を伸ばした。
それは、特定の当主の名が記されていない、ただ『エルヴァイン家年代記』とだけ題された、分厚い書物だった。
ページをめくると、そこには、歴代当主の肖像画と共に、その生涯の出来事が、淡々とした筆致で記されていた。
私は、一人ずつ、その肖像画と記録に目を通していく。
どの当主も、ゼノン公爵と同じ、漆黒の髪と、強い意志を宿した瞳を持っていた。
そして、私は気づいた。
ある、奇妙な共通点に。
四代目当主。五代目当主。そして、七代目当主。
彼らの記録の最後には、必ずと言っていいほど、同じような記述があったのだ。
『最愛の妻に先立たれ、失意のうちに生涯を終える』
『世継ぎを産んだ直後、公爵夫人が原因不明の病で急逝』
『戦地より帰還するも、愛する婚約者は、すでにこの世の人ではなかった』
偶然にしては、あまりにも多すぎる。
エルヴァイン家の当主が、心から愛した女性は、なぜか皆、若くして、そして悲劇的な死を遂げている。
これが、呪いの正体…?
私は、ごくりと喉を鳴らした。
ページを、さらに先へと進める。
そして、ついに、私はそれを見つけた。
八代目当主の記録。そのページの余白に、前の主とは明らかに違う、震えるような、神経質な筆跡で、こう書き加えられていた。
『我が愛する妻よ、許してくれ。この血に宿る、忌まわしき呪いが、お前の命を奪ったのだ。エルヴァインの男は、決して、誰かを深く愛してはならぬ。その愛が、力となり、代償として、愛する者の命を喰らうのだから』
『古代の魔術師がかけた、呪縛。我らは、その大いなる力を封じ込めるための、器に過ぎぬ。愛という鍵で、その封印が解かれぬよう、心を閉ざし、氷の仮面を被り続けねばならぬのだ』
愛が、力となり、代償として、愛する者の命を喰らう。
心を閉ざし、氷の仮面を被り続けねばならぬ。
その言葉が、雷となって、私の全身を貫いた。
ゼノン公爵の、あの氷の仮面。あの、感情のない瞳。
それは、彼が自ら望んでそうなったのではない。
この、呪いのために。
愛する者を、作らないために。
愛してしまった者を、不幸にしないために。
彼は、自らの心を、殺し続けてきたのだ。
「…そんな」
声にならない声が、唇から漏れた。
彼の孤独の、本当の意味。
彼の苦しみの、その根源。
それを、私は今、初めて理解した。
胸が、張り裂けそうだった。
彼が、どれほどの覚悟で、私を遠ざけようとしているのか。
彼が、どれほどの苦しみを、一人で抱え込んでいるのか。
涙が、古文書の上に、ぽたぽたと落ちた。インクが滲み、千年前の悲痛な叫びが、私の涙と混じり合う。
私は、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
泣いている場合ではない。
私は、ただ悲しむために、ここに来たのではない。
彼を、救うために来たのだ。
私は、涙を乱暴に拭うと、再び年代記に向き直った。
古代の魔術師がかけた、呪縛。
その言葉に、何か引っかかるものがあった。
私は、記憶の糸を必死で手繰り寄せる。そして、思い出した。
公爵領の古城で、ゼノン公爵と共に調べた、あの古文書。
そこにも、古代魔術師一族に関する記述があったはずだ。
そして、その家系図と、アルフォンス王子の母方の実家との、繋がり。
まさか。
全ての点が、一つの線で繋がり始める。
この呪いは、ただの古い伝承などではない。
今、この国で起きている、巨大な陰謀と、深く、そして直接的に、結びついているのではないか。
私は、震える手で、年代記を閉じた。
そして、静かに立ち上がった。
私の瞳には、もう涙はなかった。
代わりに、燃えるような、静かな決意の炎が宿っていた。
彼を、救う。
呪いからも、陰謀からも。
この私が、必ず。
その誓いを胸に、私は薄暗い特別書庫を後にした。
外の光が、眩しく目に染みた。
私の戦いは、まだ始まったばかりだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!? 元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。

【完結】大聖女は無能と蔑まれて追放される〜殿下、1%まで力を封じよと命令したことをお忘れですか?隣国の王子と婚約しましたので、もう戻りません

冬月光輝
恋愛
「稀代の大聖女が聞いて呆れる。フィアナ・イースフィル、君はこの国の聖女に相応しくない。職務怠慢の罪は重い。無能者には国を出ていってもらう。当然、君との婚約は破棄する」 アウゼルム王国の第二王子ユリアンは聖女フィアナに婚約破棄と国家追放の刑を言い渡す。 フィアナは侯爵家の令嬢だったが、両親を亡くしてからは教会に預けられて類稀なる魔法の才能を開花させて、その力は大聖女級だと教皇からお墨付きを貰うほどだった。 そんな彼女は無能者だと追放されるのは不満だった。 なぜなら―― 「君が力を振るうと他国に狙われるし、それから守るための予算を割くのも勿体ない。明日からは能力を1%に抑えて出来るだけ働くな」 何を隠そう。フィアナに力を封印しろと命じたのはユリアンだったのだ。 彼はジェーンという国一番の美貌を持つ魔女に夢中になり、婚約者であるフィアナが邪魔になった。そして、自らが命じたことも忘れて彼女を糾弾したのである。 国家追放されてもフィアナは全く不自由しなかった。 「君の父親は命の恩人なんだ。私と婚約してその力を我が国の繁栄のために存分に振るってほしい」 隣国の王子、ローレンスは追放されたフィアナをすぐさま迎え入れ、彼女と婚約する。 一方、大聖女級の力を持つといわれる彼女を手放したことがバレてユリアンは国王陛下から大叱責を食らうことになっていた。

【完結】慰謝料は国家予算の半分!?真実の愛に目覚めたという殿下と婚約破棄しました〜国が危ないので返して欲しい?全額使ったので、今更遅いです

冬月光輝
恋愛
生まれつき高い魔力を持って生まれたアルゼオン侯爵家の令嬢アレインは、厳しい教育を受けてエデルタ皇国の聖女になり皇太子の婚約者となる。 しかし、皇太子は絶世の美女と名高い後輩聖女のエミールに夢中になりアレインに婚約破棄を求めた。 アレインは断固拒否するも、皇太子は「真実の愛に目覚めた。エミールが居れば何もいらない」と口にして、その証拠に国家予算の半分を慰謝料として渡すと宣言する。 後輩聖女のエミールは「気まずくなるからアレインと同じ仕事はしたくない」と皇太子に懇願したらしく、聖女を辞める退職金も含めているのだそうだ。 婚約破棄を承諾したアレインは大量の金塊や現金を規格外の収納魔法で一度に受け取った。 そして、実家に帰ってきた彼女は王族との縁談を金と引き換えに破棄したことを父親に責められて勘当されてしまう。 仕事を失って、実家を追放された彼女は国外に出ることを余儀なくされた彼女は法外な財力で借金に苦しむ獣人族の土地を買い上げて、スローライフをスタートさせた。 エデルタ皇国はいきなり国庫の蓄えが激減し、近年魔物が増えているにも関わらず強力な聖女も居なくなり、急速に衰退していく。

騎士団長を追放した平和ボケ王国は、七日で滅びました

藤原遊
ファンタジー
長らく戦のなかった王国で、 騎士団長の父を病で失った令嬢は、その座を引き継いだ。 だが王城に呼び出された彼女に告げられたのは、 騎士団の解体と婚約破棄。 理由はただ一つ―― 「武力を持つ者は危険だから」。 平和ボケした王子は、 非力で可愛い令嬢を侍らせ、 彼女を“国の火種”として国外追放する。 しかし王国が攻められなかった本当の理由は、 騎士団長家が持つ“戦況を覆す力”への恐れだった。 追放された令嬢は、即座に隣国帝国へ迎えられ、 軍人として正当に評価され、安泰な地位を得る。 ――そして一週間後。 守りを捨てた王国は、あっけなく陥落した。 これは、 「守る力」を理解しなかった国の末路と、 追放された騎士団長令嬢のその後の物語。

【完結】無能聖女と呼ばれ婚約破棄された私ですが砂漠の国で溺愛されました

よどら文鳥
恋愛
エウレス皇国のラファエル皇太子から突然婚約破棄を告げられた。 どうやら魔道士のマーヤと婚約をしたいそうだ。 この国では王族も貴族も皆、私=リリアの聖女としての力を信用していない。 元々砂漠だったエウレス皇国全域に水の加護を与えて人が住める場所を作ってきたのだが、誰も信じてくれない。 だからこそ、私のことは不要だと思っているらしく、隣の砂漠の国カサラス王国へ追放される。 なんでも、カサラス王国のカルム王子が国の三分の一もの財宝と引き換えに迎え入れたいと打診があったそうだ。 国家の持つ財宝の三分の一も失えば国は確実に傾く。 カルム王子は何故そこまでして私を迎え入れようとしてくれているのだろうか。 カサラス王国へ行ってからは私の人生が劇的に変化していったのである。 だが、まだ砂漠の国で水など殆どない。 私は出会った人たちや国のためにも、なんとしてでもこの国に水の加護を与えていき住み良い国に変えていきたいと誓った。 ちなみに、国を去ったエウレス皇国には距離が離れているので、水の加護はもう反映されないけれど大丈夫なのだろうか。

腹に彼の子が宿っている? そうですか、ではお幸せに。

四季
恋愛
「わたくしの腹には彼の子が宿っていますの! 貴女はさっさと消えてくださる?」 突然やって来た金髪ロングヘアの女性は私にそんなことを告げた。

【完結】 ご存知なかったのですね。聖女は愛されて力を発揮するのです

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 本当の聖女だと知っているのにも関わらずリンリーとの婚約を破棄し、リンリーの妹のリンナールと婚約すると言い出した王太子のヘルーラド。陛下が承諾したのなら仕方がないと身を引いたリンリー。  リンナールとヘルーラドの婚約発表の時、リンリーにとって追放ととれる発表までされて……。

追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。 白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。 しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。 王妃リディアの嫉妬。 王太子レオンの盲信。 そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。 「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」 そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。 彼女はただ一言だけ残した。 「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」 誰もそれを脅しとは受け取らなかった。 だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。

処理中です...