偽りの聖女と呪われた公爵様〜嘘が聞こえる私が、心を閉ざした彼と結ぶ偽りの婚約〜

夏見ナイ

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第六十一章 揺るぎなき忠誠

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作戦司令室の空気は、ゼノン公爵が放った衝撃の真実によって張り詰めていた。
執事頭のギルバートは、その老練な顔から一切の表情を消し、ただ黙して巨大な相関図を見つめている。護衛騎士隊長のレオンハルトは、悔しさと怒りと、そして信じがたい事実への戸惑いを隠しきれず、固く拳を握りしめていた。
二人とも長年エルヴァイン家に仕え、ゼノン公爵を誰よりも深く敬愛し、信頼している腹心中の腹心だ。主君の言葉を疑うことなどありえない。
しかし、今回の話はあまりにも常軌を逸していた。
王弟殿下が黒幕であるという陰謀の全体像。何百年も続く呪いの真相。それらは彼らが信じてきた世界の秩序を根底から覆すものだった。
そして、その全ての根幹にあるのが、私の持つ「嘘が聞こえる」という、にわかには信じがたい能力。
彼らの心から発せられる音は、忠誠という名の揺るぎない和音を基調としながらも、その上に戸惑いと疑念の不協和音が不穏な影のように重なっていた。
『本当に、そのようなことが可能なのか』
『閣下は、この娘に心を許しすぎているのではないか』
彼らの声に出さぬ疑念が、音となって私の耳に届く。
その空気の変化を、ゼノン公爵が感じ取らないはずはなかった。
彼は動じなかった。むしろ、この状況を予測していたかのように、静かに私へと向き直った。
「アリーシャ」
その金色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「お前の耳で、証明して見せろ」
それは命令だった。
私という存在が、彼らにとって真の「仲間」となり得るのか。その最後の試練。
私はごくりと喉を鳴らした。
人の心の内を本人の許可なく暴くこと。それは私が最も忌み嫌い、避けてきた行為だ。相手の魂に土足で踏み入るような、暴力的な行為に他ならない。
しかし、今、この場においてはそれが必要な儀式なのだ。
彼らの疑念を完全に晴らし、私たち四人が一つの揺るぎない意志を持つ完全なチームとなるために。
私は覚悟を決めた。
「…失礼をお許しください」
私はまずレオンハルトの前に立った。
彼は私の意図を察し、その体を硬直させた。その瞳には反発と、そしてほんの少しの恐怖の色が浮かんでいる。
私は彼の目を見つめ、静かに、彼の心から聞こえてくる音を言葉にしていく。
「レオンハルト。あなたは閣下への忠誠を何よりも重んじている。その心に嘘はありません。それは澄み切った力強い鋼の音として、わたくしには聞こえます」
私の言葉に、レオンハルトは息を呑んだ。
私は続けた。
「ですが、その忠誠心が強すぎるあまり、あなたはまだ心のどこかで恐れている。閣下がわたくしという得体の知れない女に惑わされ、道を誤るのではないかと。市場での襲撃事件以来、わたくしを守るという使命感と、わたくしという存在そのものが閣下を危険に晒しているという事実の間で、あなたの心は激しく揺れ動いている。その葛藤がひどく軋むような、苦しい不協わ音となってわたくしの耳に届くのです」
レオンハルトの顔から、さっと血の気が引いた。
その瞳が信じられないものを見るように大きく見開かれる。
誰にも話していない。いや、彼自身明確に言葉にしたことすらなかったであろう心の奥底の葛藤。それを私が完璧に言い当てたからだ。
私は彼に深く一礼すると、次にギルバートの前へと進んだ。
老執事は表情こそ変えなかったが、その背筋が先ほどよりもさらに張り詰めているのが分かった。
私は同じように彼の目を見つめた。
「ギルバート。あなたはこのエルヴァイン家と、主君である閣下を自らの命以上に大切に思っている。その思いは、まるで静かでどこまでも深い森のように、揺るぎない和音を奏でています」
「ですが、あなたは現実主義者です。長年の経験から物事を常に最悪の事態を想定して考える癖がある。あなたは、この我々の計画があまりにも危険な綱渡りであることを見抜いている。そして、その計画の成否がわたくしの『耳』という、あまりにも不確定で証明不可能な能力に大きく依存していることを最大の懸念材料として恐れておられる」
ギルバートの鉄仮面が初めて微かに揺らいだ。
「あなたはわたくしを疑っているわけではない。ただ、わたくしの力がこの巨大な陰謀を打ち破るほどの絶対的な信頼性を持ちうるのかどうか。その一点において、あなたの冷静な判断力がまだ『否』と告げている。その論理的な思考と、主君の決定に従わねばならぬという忠誠心との間で、あなたの心は静かに、しかし激しくせめぎ合っているのです」
私が言い終わると、作戦司令室は完全な沈黙に包まれた。
レオンハルトもギルバートも、まるで時間が止まったかのように身動き一つせず、ただ呆然と私を見つめている。
彼らの心から発せられていた戸惑いと疑念の不協和音が、嘘のようにすうっと消え失せていくのが私の耳にはっきりと聞こえた。
そして、その後に残ったのは一点の曇りもない、純粋で絶対的な忠誠の和音だけだった。
最初に動いたのはレオンハルトだった。
彼は何の躊躇いもなく、私の前にその場に膝をついた。そして、騎士としての最上級の敬意をもって深く頭を垂れる。
「…アリーシャ様」
その声は震えていた。
「我々の浅慮を心よりお詫び申し上げます。あなた様のお力、しかとこの魂に刻み込みました」
続いてギルバートもまた、ゆっくりと、しかし確かな動きで私の前に跪いた。
「お許しください、アリーシャ様。この老いぼれのつまらぬ固定観念が、あなた様のお心を測りかねておりました。このギルバート、生涯をかけてあなた様にお仕えし、お守りすることをここに誓います」
二人の腹心が私に向かって忠誠を誓っている。
その光景が私には信じられなかった。
彼らの心から響いてくるのは、もう不協和音ではない。
ゼノン公爵の静かで力強い低音。
レオンハルトの情熱的で真っ直ぐなテノール。
ギルバートの思慮深く落ち着いたバリトン。
それら全てが私の存在を中心として完璧に調和し、一つの美しいハーモニーを奏で始めていた。
「…顔を上げてください」
私の声は涙で微かに震えていた。
「わたくしはあなた方の主君ではありません。わたくしは閣下と共に戦うただの仲間です。だから、どうかこれからも力を貸してください」
私の言葉に二人は顔を上げた。
その瞳には、もう疑いの色はない。
あるのは私という新たな仲間への揺るぎない信頼と、共に戦うことへの熱い決意だけだった。
私はその光景を、胸がいっぱいになるのを感じながら見つめていた。
孤独だった。
ずっと一人で不協和音の世界に耐えてきた。
しかし、今は違う。
私の隣には絶対的な静寂をくれるゼノン公爵がいる。
そして、私の前には私を信じ、支えてくれる頼もしい仲間たちがいる。
私はもう孤独ではない。
その確かな実感が、私の心を今まで感じたことのないほどの温かい光で満たしていく。
部屋の隅で、ゼノン公爵がその全ての光景を静かに見守っていた。
その氷の仮面の下で、彼の口元が満足げな、そしてほんの少しだけ誇らしげな笑みを描いていたことを。
その時の私は、まだ気づいてはいなかった。
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